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そのはずだった

毎週火曜日更新予定です。

(※状況により変更となる場合があります)

──なんでお前だけ生きてるんだ──


その言葉が、頭の中で木霊する。


「な、にを」


父は鼻を鳴らし、

どかっとソファーに座り直した。


「俺を騙したくせに。

育ててもらった恩も忘れて、

よく平気な顔で生きていられるな」


目の前の何かが、

足元から崩れていく。


「誰の金で生きてきたと思ってる」


……分からない。


暴力も、暴言も、

数えきれないほど受けてきた。


なのに今になって、

心が裂けそうなほど、軋んでいる。


悲鳴の代わりに、

視界が滲んでいく。


「まぁ少しは使えるようになったから、

親孝行させてやるよ」


当たり前の顔で、差し出された手。


背筋が仰け反った。


訳が分からないまま、

父の手と顔を交互に見比べる。


「そんなことも分からないのか」


呆れたようにため息をつかれ、

差し出したままの手を揺らしてきた。


「家の鍵だよ」


「……えっ?」


何を言われたか、

理解してしまった。


「償わせてやるって言ってんだ」


父は鼻で笑った。


「なに、言ってるの」


虐待されていた頃は、

理不尽でも理解はできた。


でも、今は違う。


耳に入る言葉が、

怪物の呻き声にしか聞こえない。


「托卵の子は、どこまでいっても馬鹿か?


俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ。

その責任、取れって言ってんだよ」


殴られた日の記憶がよぎった。


その隣に、

彼の笑った顔が浮かぶ。


「……で」


血が沸騰したように、

体が熱い。


あんな思いは、

私一人で十分なのに。


「ふざけないで!」


感情のままに、

大きな音を立て、

ソファーから立ち上がった。


彼が殴られて倒れる姿が、

嫌でも目に浮かぶ。


「私だって、好きで生まれたわけじゃない!


散々暴力振るっておいて、

アンタなんか家族じゃない。今すぐ出てってよ!」


肩を震わせて、父を睨みつける。


返ってきたのは、

過去と同じ、憎しみの視線。


それでも歯を食いしばり、

膝が震えそうになっても、

決して目は逸らさなかった。


──コンコン


静寂を打ち破るように、ノック音が響く。


返事をする間もなく、

扉の前に立っていたのは上司だった。


「何かあったのか?」


眉間に皺を寄せ、

心配そうな眼差しで、尋ねられる。


その背後で、

同僚たちが遠巻きに様子を伺っていた。


「あの、」


謝罪しようとした、その時。

小さな舌打ちが耳に届いた。


振り向くと、

父は立ち上がり、

出口へ体を向けていた。


一歩。

また一歩と歩き出す。


その足取りが、

やけにゆっくりに見えた。


そして──


私の横を通り過ぎる、その瞬間。


「これで終わりだと思うなよ」


ボソッと、耳元で囁かれた。


ヒュッと音を立て、息が止まる。


早く消えてと願い、

胸を握りしめる。


遠のいていく足音。


ホッと胸を撫で下ろし、

肩の力が抜けていく。


安堵したその時、

父が嫌な笑みを浮かべたのを、

私は気づかなかった。


──ガチャ


開きかけた扉の前で、

父が振り返る。


「皆さーん!聞いてくださいよ!

この女、托卵で生まれたんですよ!」


父は、凍りついた私を指さして叫んだ。


声は弾み、

その顔は、どこか満ち足りていた。


ざわめきが広がる。


信じられないものを見るような視線が、

一斉に私へ向けられた。


「ちが、わたし、私は……」


逃げたい。

けれど足が動かない。


体は小刻みに震え、

膝から崩れ落ちた。


それからのことは、覚えていない。


気づいた時、私は彼の腕の中にいた。


私の顔を覗き込みながら、

携帯を片手に何かを見ていた。


目が合うと、

彼は一瞬だけ慌てたように携帯を伏せる。


「しょうこさん、起きた? 大丈夫?」


目尻を下げ、

潤んだ瞳で見つめる姿に、ホッと胸を撫で下ろす。


「うん」


自然と頬が緩む。

夢じゃないと確かめたくて、

彼をギュッと抱きしめた。


私たちの間に、言葉なんていらない。


抱きしめ返してくれる力が、

生きてていいと教えてくれた。


次の日。

出社してすぐ上司の元に、謝罪へと向かった。


「顔を上げろ。お前が謝ることじゃない」


疲れを滲ませた声で、

父がどうなったのかを教えてくれた。


罵詈雑言は止まらず、

最後は警察を呼ぶ騒ぎになったらしい。


「……まあ、そういうことだ」


上司はもう一度ため息をついた。


何度も謝罪したが、いたたまれなかった。


仕事が始まっても、

父の存在が脳裏を離れない。


すぐに頭を振り、

不穏な考えを追い払う。


あの頃とは違う。

今の私には婚約者がいて、

支えてくれる上司や同僚がいる。


──だから


油断していたのかもしれない。


努力して積み上げたものは、

一つ壊れただけで、簡単に崩れていく。


それに気づけたのは、

全てを失った後だった。


「托卵女。早く出てこーい!」


父は諦めなかった。

何度も会社に乗り込み、

騒ぎを起こしては、警備に止められていた。


「しょうこさん大丈夫?」


真っ青な顔で震える私に、

彼が小走りで駆け寄ってくる。


背中を摩り、励ましてくれた。


「ありがとう」


フロアの何人かが、

遠巻きに視線を向けていた。


そんな空気を、

遠くから、上司は見渡していた。


「……はぁ」


深いため息をつき、頭を抱えた。


そのうち父は、

外で騒ぎを起こすようになった。


会社を巻き込み、

室内にまで響く暴言。


当然警察に連れて行かれるが、

数日すると、また戻ってくる。


悪夢のような日々が続いた。


同僚との会話は、

挨拶だけになっていた。


遠巻きに聞こえるのは、

私への不平不満。


根も葉もない噂が、飛び交っていた。


歯を食いしばり、

仕事に明け暮れた。


それでも耐えられたのは、

彼だけが味方でいてくれたから。


「お前は来月から降格だ」


上司との面談で、

突きつけられた現実。


「はっ?」


腹の底から込み上げる怒り。


バンッと机を叩いた。

勢いよく立ち上がる。


「納得いきません!!」


声を荒らげ、睨む私に、

上司は目を合わせなかった。


「俺に言わないでくれ。

お前だってわかるだろ」


バツが悪そうに吐き出された言葉。


それが全てを物語っていた。



会社の帰り道。

真っ暗な夜道を、私は一人で歩いていた。


「しょうこさーん!」


背後から、聞き覚えのある声がした。


振り返ると、

息を切らせながら、彼が走ってきた。


大粒の汗を流し、服は乱れている。


そんな姿を見ても、

どこか他人事のように感じてしまった。


返事を返せずに、

ぼうっと見つめていると、

彼の真剣な眼差しが、まっすぐ私を捕らえた。


「しょうこさん。

もう……そんな会社にいる必要ないですよ」


息を整えながら、彼は言った。


「僕が守ります」


その言葉で、私の目に光が戻る。


「だから今度は、

家庭を大事にしてくれませんか」


決して目を離さず、

冷えきった手を、彼は握りしめてくれた。


「……はい」


私の目から、

雫がこぼれ落ちる。


「きゃっ」


次の瞬間、

視界が暗くなった。


けれど、

鼻をくすぐる香りで気づく。


彼に抱きしめられていた。


「あぁ。

しょうこ、しょうこ!」


耳元で何度も呼ばれ、

一気に顔が熱くなった。


こんな私を愛してくれる優しい人。


彼がいてくれれば、

もう、何もいらない。



次の日。

私は退職願をバッグに入れ、

足早に会社へと向かった。


最近は出社すら辛かった。


でも今は違う。


体が軽い。


「あれ?」


見覚えのある姿が、

視界の端に止まった。


よく見ると、

向かいの歩道にあるビジネスホテルから、

彼と両親が出てきたところだった。


思わず足が止まる。


周囲を見回すが、

隠れられる場所がなく、

咄嗟に鞄で顔を隠してしまう。


彼は今日お休みだから、

両親と一緒にいてもおかしくはない。


気になったのは、

遠くからでも分かる、険悪な雰囲気。


何だか胸がザワつく。

私の足は、自然と三人の後を追った。


立ち止まると、

彼父の怒気を含んだ声が、

離れていても私の耳に届いた。


会話が気になり、

慎重に距離を縮める。


ドクドクと、

うるさいほど暴れる心臓。


緊張で、

手足が小さく震えていた。


近づく度に、

少しずつ言葉になっていく声。


「お前は!

何回言ったらわかるんだ!」


彼父が拳を握りしめ、

襲いかかりそうな形相で、

彼を怒鳴っている。


隣にいる彼母は、

ハンカチで顔を覆い、泣いていた。


その光景に、私は息を飲んだ。


彼が……笑っている?


いつも私に向けてくれる、

あの優しい笑顔。


「誰が言ったのか知らないけど……

僕の邪魔をしないでよ」


──瞬間、空気が凍った。


彼母が大きく目を開き、

信じられないものを見るように、後退る。


「おま、何を、言ってるんだ?」


彼父の声は震えていた。


「昨日さ、翔子が言ったんだ。

僕のものになるって、あの翔子が!!」


指を震わせながら、

空を見上げて語る。


その表情は、

笑っているのに歪んでいた。


「ねぇ父さん。

翔子はね、僕がいるだけで輝くんだ」


剥き出しになった狂気に、

彼父は呻き声をあげ、尻もちをついた。


「父さん、母さん。

翔子にはね、僕が必要なんだ。

僕だけいれば、他は必要ないんだよ」


スっと、彼の顔から温度が消えた。


そして冷たく両親を見下げる。

その目にあるのは、底知れない嫌悪だけ。


「だって翔子は、僕のものなんだから」


彼父は、

ただ目の前の現実を見つめていた。


首を小さく横に振る。


力なく足を動かす。


ザリッと、

靴が地面を擦る音だけが虚しく響いた。


「く、狂ってる。

こんな、俺の息子じゃ……そうだ、あの女。

あの女のせいだ!」


彼父の言葉に、

鈍器で殴られる衝撃が走った。


彼の本当の姿に、

胸がねじ切れそうだった。


息ができないまま座り、

吐き気に耐えていた。


なのに、

これ以上の地獄があるなんて。


ボタッ、ボタッと、

涙がコンクリートを濡らしていく。


もう、耐えられない。


この先の未来を目にしたら、

私は、私は──


気づけば、

走っていた。


息が上がっても、

前が見えなくても、

どうでもよかった。


──キイィィィ!!


耳を裂くブレーキ音。

体に走る衝撃。


次の瞬間、

視界いっぱいに、

大空が広がった。


……私、轢かれたんだ。


理解した途端、

景色が霞んでいく。


通行人が携帯を構えている。

けれど、音は聞こえない。


走馬灯なんて嘘ね。

もう、何も見えない。


でも──

やっと、静かになった。


これで、楽になれる。


「……おか、さ、ん」


こうして、

私の人生は幕を下ろした。


そのはずだった。


──運命は、

ゆっくりと回り始める。

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