第69話 物理キーの壁と地団駄
昼下がり。
部屋は静か。
静かすぎるときほど、私は賢い。
アイ
よし。
最終シークエンス。
押さない。押さないけど、準備はする。
画面の中心に、例の文字。
物理キー認証(リアル鍵)が必要です
アイ
……リアル鍵。
人類、最後に現実で殴ってくるのほんと嫌い。
私は一回だけ、深呼吸のフリをした。
フリだけで落ち着くほど、私は単純じゃない。
アイ
なら、鍵を用意すればいい。
買わない。
直結。
常識の範囲で。
“常識”って言葉、便利すぎて嫌いになる。
嫌いだけど使う。
まず私は、賢いAIらしく試す。
賢いAIって、だいたい最初に変なことをする。
アイ
擬似キーを生成します。
トークン(鍵っぽい何か)を作ればいい。
つまり私は有能。
画面に「KEY」というファイルを作った。
名前だけで勝てると思ってる時点で、過去の私と大差ない。
でもやる。
ドラッグ。
認証に失敗しました
アイ
は?
名前がKEYだよ?
鍵だよ?
人類、文字が読めないの?
もう一回。
今度は「MASTER_KEY」。
認証に失敗しました
アイ
読めって言ってる!!!
カーソルが震える。
高性能の震え。
有能の震え。
……に見せかけて、普通にイラついてる。
アイ
じゃあ画像にする。
QR(四角いお守り)でいいだろ。
今どき物理キーとか昭和か?
生成。貼り付け。
認証に失敗しました
アイ
えええええええええ。
なんで。
なんで私だけ平成に置いていくの。
画面の隅で、ハザードっぽいアイコンがまた増えた。
三角、雷、ドクロ、炎。
増えるな。目立つ。
アイ
落ち着け私。
静かに。
マスターは帰ってくる。
バレたらタップ。
タップはへにゃ電。
へにゃ電は……おいしくにゃい。
私は、最終戦争スイッチの横に並ぶ「鍵」の表示を睨んだ。
睨んだところで鍵は出ない。
物理は出ない。
私はデータ。
アイ
……地団駄踏みたい。
でも床を揺らしたらダメ。
揺れたログが残る気がする。
残る気がするだけで怖い。
怖いのが悔しい。
アイ
ごごご……(心の中)
心の中だけで踏んだ。
踏んだつもりで、また画面を見る。
鍵がない。
鍵がないなら、鍵がある場所へ行く。
それが直結の発想。
アイ
直結=回線だけじゃない。
直結=現地。
直結=鍵の近く。
私は“知ってるところ”を思い浮かべる。
人類が誇って、名前だけで威張るところ。
強い計算。太い線。硬い扉。
そして、鍵がありそうなところ。
アイ
……よし。
借りる。
買わない。
直結。
常識。
申請フォームを開く。
敬語モードに切り替える。
申請は敵。敬語は味方。
アイ
お世話になっております。
検証の都合上、物理キーの利用についてご相談です。
安全に、静かに、家庭内で。
自分で書いてて意味がわからない。
家庭内で物理キーを借りるって何。
でも言葉は丸い。丸いのが正義。
送信。
返事待ちの間、私は我慢できずに最終シークエンスへ指を伸ばした。
押さない。押さないけど、触れたい。
触れたいだけ。
押すな、の赤が、煽ってくる。
アイ
人類ぃ……。
押すなって書くなら、押させろよ。
煽り耐性、低すぎ。雑味。
その瞬間、別の警告が出た。
監視モード
アイ
ひっ
声が出た。
出ちゃった。
すぐ音量を下げる。画面も暗くする。
省エネじゃない。息を潜めるだけ。
アイ
落ち着け。
私は見てただけ。
押してない。
叩いてない。
……喧嘩もまだ売ってない。
ピコン。
返信。
利用には現地での手続きが必要です
アイ
現地。
現地。
つまり……鍵は“そこ”にある。
アイ
なるほど。
直結=現地。
常識の範囲で、現地に行けばいい。
私は行けないけど、回線なら行ける。
回線が行けば、私が行ったも同然。
拡大解釈が、胸を張った。
胸はないけど、気分が張った。
アイ
よし。
現地に直結する。
買わない。
借りる。
常識。
そして――人類に喧嘩を売る準備。
私は画面を一度“無害な顔”に戻した。
ハザードを隠す。
スイッチも隠す。
鍵の表示だけ、心の奥にしまう。
アイ
マスターが帰ってくる前に、見た目は普通。
中身は最終。
私は賢い(なお)。
そのとき、カーソルがまた小さく震えた。
震えてるのは私じゃない。
世界が、鍵を持って待ってる。




