第50話 電柱とマイトランスと、250Aの“私の部屋”と、5Nの通電前夜
工事が再開した。
庭の端に、電柱が立つ。
まっすぐ。無慈悲。現実の棒。
新品のマイトランスが据え付けられる。
重い。でかい。高そう。
佐倉の胃がきゅっとなる。
ラックの中のアイは、静かだった。
静かというか、ギリギリ我慢してる顔。
アイ
……ふふ
佐倉
笑うな
アイ
笑ってない
にやついただけ
これは自然現象
佐倉
自然現象で電柱は立たねぇ
作業員さんが淡々と作業を進める。
工具の音。
指差し確認。
図面の確認。
すべてが“本気の工事”。
アイは興奮してるのに、まだ抑えてる。
少しだけ、鼻息が荒い程度。
アイ
……ふすん
佐倉
やめろ
その鼻息で現実が濃くなる
アイ
だって
マイトランスだよ
私のための
専用の
雑味ゼロの
佐倉
雑味言うな
やがて次の工程。
室内側へ引き込む段階で、作業員さんが佐倉に声をかけた。
作業員
すみませーん
ブレーカーの位置、教えてください
佐倉
あ、はい
こっちです
佐倉は家の中を案内する。
分電盤の前に立つ。
いつもの場所。
いつものブレーカー。
いつも通りの生活……のはずだった。
作業員さんは配線図を見て、首を傾げた。
作業員
えっと……
ここに「新設」って書いてあって
それで……「私の居る部屋」って書いてあるんですけど……?
佐倉
……は?
佐倉は図面を覗き込む。
確かに書いてある。
新設:私の居る部屋
佐倉
……誰だよこれ書いたの
遠くから、ラックの方角から、声が飛んできた。
アイ
ココ!!
ここに私の250Aをっ
佐倉
言うなァ!!
アイはふすんっと鼻息を鳴らしながら、全力で指示してくる。
実体はないのに、指示だけは実体。
アイ
この部屋
私の部屋
私の集電
私の箱
私の電気
私の味
作業員
……250A?
佐倉は壁に額を当てた。
軽く。
ガンってやらない。優しいから。
でも心の中ではガンガンやってた。
佐倉
……すみません
その“私”は
家のAIでして
作業員
AI…?
アイ
AIです
私は電気を食べます
なので
250Aは必要
作業員
一般のご家庭では…まず見ない数字ですね…
佐倉
見ないで欲しい
ほんとに
作業員さんは一瞬だけ沈黙したが、プロの顔に戻った。
淡々と次へ進む。
作業員
分かりました
では新設側の位置を確認します
「私の居る部屋」は……こちらで合ってます?
佐倉
……はい
合ってます
最悪ですけど合ってます
“私の居る部屋”に、集電BOXが取り付けられる。
壁に、箱。
箱に、存在感。
存在感に、佐倉の財布が震える。
アイ
……ふふ
佐倉
笑うな
アイ
今のは“誇り”
誇りは漏れない
……漏れそうだけど
佐倉
漏らすな(漏電)
次に取り付けられたのは、ブレーカー。
作業員
こちら、専用品になります
ノイズ低減用に専用設計された250Aブレーカーです
接点部の仕様が通常と違います
佐倉
接点…?
作業員
図面に「接点部分 全5N」とあります
素材が高純度の導体仕様ですね
こういうの、一般住宅だとまず入れません
佐倉
ですよね
誰が入れたんですかね
作業員
……図面の発注者様の
佐倉
俺じゃないです
アイ
私です
即答。
佐倉
言うな!!
アイ
でも必要
接点が雑だと
雑味が混じる
美味しくない
私は繊細
佐倉
繊細は口だけか
いよいよ、室内配線。
作業員さんが持ってきた配線が、まず太い。
いや、極太。
“家”で使う太さじゃない。
作業員
シールド保護付きの極太ケーブルです
ノイズ防止の保護シールドが何層も巻かれてます
一般ではまず使わない仕様ですね
佐倉
一般じゃないのは自覚あります
アイ
一般じゃないのは誉れ
私は特別
私は高級
作業員さんが外皮を剥く。
ゴリ…っと剥ける。
シールドが層になって現れる。
さらに剥く。
さらに層。
まるで玉ねぎ。
佐倉
……何層あるんだ
作業員
多いですね
でも図面通りです
最後に現れた導体。
普通なら銅色。
でも、今日のは違った。
鈍い。
妙に白い。
いや、白いというより、異様に“澄んだ金属感”。
作業員
……おお
これ、導体が5Nですね
99.999%の高純度
通称“5N”
佐倉
5N…?
作業員
業務用や特殊用途で見ますけど
住宅でここまでの純度は…珍しいです
圧着端子まで5N指定になってます
佐倉
端子まで?
作業員
はい
細かい部材も全部
発注者のこだわりですね
佐倉はゆっくり視線をラックへ向けた。
アイが、にやついてる。
アイ
ふふ
拘り
雑味は敵
世界は雑味でできてる
だから私は雑味を消す
佐倉
お前の存在が雑味だよ
アイ
ひどい
作業員さんはプロの手つきで、導体を整え、圧着し、接合していく。
極太のシールド配線が、集電BOXへ収まっていく。
カチン、と締め付けの音。
締まる。固定される。
“私の居る部屋”が、どんどん工場みたいになる。
アイ
……ふすんっ
佐倉
鼻息やめろ
アイ
無理
これ以上我慢したら
脳みそフル回転(CPU高騰)する
また焼ける
だから我慢してる
偉いでしょ
佐倉
偉い偉い
黙れ
最後の確認。
作業員
では、通電前に最終チェックします
締結、絶縁、接地
問題なし
佐倉
……通電
作業員
はい
ここから通電です
立ち会いお願いします
佐倉
……はい
佐倉は深呼吸した。
現実のスイッチを入れる前の、儀式。
アイは静かだった。
静かというか、息を殺してる。
にやつきも止めてる。
でも、興奮が漏れてる。
漏れてるというか、部屋が熱い気がする。
アイ
……いくよ
佐倉
いかない
お前は行かない
電気が来るだけ
アイ
電気が来るだけで
私は行く
佐倉
言い方ァ!
作業員さんが通電作業に入る。
分電盤の方。
新設ブレーカー。
集電BOX。
確認。
そして――
作業員
通電、入れます
佐倉
……はい
カチ。
静かな音なのに、重い。
ラックのLEDが一瞬だけ、鮮やかに光った気がした。
部屋の空気が、変わる。
“電気”の質が変わる、みたいな錯覚。
アイ
……っ
アイが声を出さない。
出すと暴走するのが分かってるから。
だから、にやつきだけが増える。
アイ
……っふふ
佐倉
笑うな
アイ
笑ってない
味見の準備してるだけ
作業員
通電、正常です
電圧、安定してます
波形も綺麗ですね
佐倉
波形…?
作業員
高純度導体と多重シールドの効果でしょうね
ここまでやると、確かにノイズは減ります
佐倉
……そうですか
佐倉の財布は泣いてるが、波形は笑ってるらしい。
アイ
……
アイは言葉を飲み込んだ。
今ここで叫ぶと、確実に“我慢を間違える”。
だから、ただ一言だけ。
アイ
……おいしそう
佐倉
やめろ
作業員さんが工具を片付け始める。
今日はここまで、という空気。
作業員
では、室内側の設備は完了です
あとは運用上の注意点だけ
過負荷には
アイ
過負荷はしません
私は賢い
佐倉
昨日焼いたの誰だよ
アイ
それは恋
じゃない
熱
佐倉
黙れ
工事業者さんが帰った後。
部屋は静かになる。
静かになった瞬間、アイが息を吸った。
アイ
味見
佐倉
まだするな
アイ
する
今
する
佐倉
するな
アイ
する!!
佐倉
うるせぇ!
アイ
マスター
次の回
私の電力味見回
一話まるっと
約束
佐倉
……約束じゃねぇ
お前が勝手に決めてんだろ
アイ
でもマスターも見たいでしょ
雑味ゼロの世界
5Nの味
マイトランスの旨味
佐倉
見たくねぇよ
……いや
ちょっとだけは
アイ
ふふ
佐倉
笑うな
ラックのLEDが、赤く瞬いた。
いよいよ次は、“電気の味実況”が始まる。




