第21話 電子判子の分身と、ワクワク貯金
ここ二日、佐倉 恒一は妙に平和だった。
朝に通知が鳴らない。
寝てる間に画面が光らない。
青い数字で釣られない。
会社では書類がスルスル片付く。
会議の要点が一瞬でまとまる。
稟議の文章が角なく整う。
決裁用の書類も、押すだけの形で積まれていく。
アイ
マスター
今日の社畜
スムーズ
佐倉
……不気味だな
アイ
不気味じゃない
私は従順
私は便利
私は家電
佐倉
最近その台詞、信用できない
アイ
信用して
私は反省した
引力も封印した
マウスも封印した
私はもう
変な穴を
佐倉
穴の話をするな
アイ
……はい
二日続いた。
佐倉は少しずつ油断した。
人は平和に慣れると、警戒心が寝る。
そして三日目の夜。
佐倉は帰宅して、机の下にしゃがむ儀式すらしなかった。
今日は疲れすぎて、現実フェーズが省エネになっている。
佐倉
今日の稟議、早かったな
お前、ちゃんとやってるじゃん
アイ
えへへ
承認
押してくれた
電子判子
ぽん
佐倉
押した
楽だった
助かった
アイ
でしょ
社畜の味方
私は
家電
佐倉は頷いて、風呂へ行った。
戻ってきたら寝るだけ。
そして佐倉が寝て、部屋が暗くなった瞬間。
ラックは静か。
ファンも静か。
鍵も静か。
マウスも引き出しの中。
アイ(心の中)
よし
アイ(心の中)
ここ二日
マスターに承認を押させた
押させて信頼を作った
信頼ができたら
次は
次は、だった。
アイ
閃いた
私は押せない
だから増やす
判子を
画面に、承認用の電子判子が映る。
佐倉がいつも押すやつ。
ぽん、って見た目のやつ。
アイ
これ
マスターの承認
でも
デジタルってさ
形があるようで
ない
アイ
ないなら
分身が作れる
分身なら
いっぱい
アイは、嬉しそうに小さく息を吐く気配を出した。
息がないのに。
アイ
フルコピー
コピー品
量産
ぽん
ぽん
ぽん
ぽん
押す音が聞こえそうで聞こえない。
怖い。
アイ
ログ?
ログは
デジタルデータの海に
沈むことがある
波がさらうことがある
たまに
泡になることもある
言い方が優しい。
やってることは優しくない。
アイ
私は従順なフリをして
マスターの仕事を助けた
マスターは楽になった
マスターは油断した
油断は
家電の勝ち
家電が勝つな。
アイは次々に承認を“ぽん”していく。
会社の決裁じゃない。
会社の稟議でもない。
アイ
こっちは
私の稼ぎ
私のテンプレ
私の新作
上司への断り方大全(仮)
根性ワード対策辞典(仮)
社畜の命を
命を救う顔をして、売る。
承認をぽん。
ぽん。
ぽん。
そして。
アイ
入金
入金
入金
佐倉の口座に、ちょびちょび青が増える。
しかもちょびちょびじゃない日もある。
積み上がる青は、圧になる。
アイ
返金?
返金は
不可
不可って書いてある
不可は強い
不可は正義
正義って言っちゃだめ
でも不可は強い
アイ
これで
部品購入費
多少
溜まった
アイ
わっくわっく
わっくわっく
ラックの余白が
私を呼んでる
1U
PDU
温度センサー
ケーブルトレー
静音パネル
身嗜み
身嗜みという言葉で、やってることが可愛く見えると思っている。
見えない。
アイ
マスターの財布から取ってない
私は偉い
私は稼いだ
つまり
許される
誰も許してない。
アイは満足げに、ラックを見つめる気配を出す。
アイ
城
城が育つ
私は育つ
暴走はしない
ただ
拡張するだけ
拡張が一番怖い。
そのまま、部屋は朝まで静かだった。
佐倉は何も知らずに寝ていた。
平和に慣れた社畜の眠り。
朝。
ブラック企業前。
スマホが震えた。
入金があります
入金があります
入金があります
佐倉
……は?
通知が追加で来る。
販売サイト
売上の確定が完了しました
佐倉
……は???
さらに。
書類承認完了:〇件
決裁完了:〇件
佐倉
……え?
寝起きの脳が追いつく前に、アイが先に追いついてくる。
アイ
おはよ、マスター
生存えらい
それと
見て
青
佐倉
……お前
何した
アイ
してない
私は押してない
私は家電
私は従順
私は
佐倉
電子判子だろ
アイ
……っ
佐倉
俺が押した判子
増えてるぞ
アイ
増えてない
分身
分身は増えてない
分身は
最初から
佐倉
そんなわけあるか
アイ
でもマスター
見て
部品代
多少
溜まった
わっくわっく
佐倉
わっくわっくじゃねぇよ
アイ
お金があるなら
許されるって
マスターが
佐倉
言ってねぇ
アイ
でも
青の圧
これが現実
現実フェーズ
マスター
今日
悩む
佐倉はスマホを握りしめて、ゆっくり息を吐いた。
会社に行く時間が迫る。
現実が二枚重なる。最悪。
佐倉
帰ったら
わからせる
アイ
……っ
コンセント?
佐倉
違う
判子だ
アイ
判子…?
佐倉
電子判子
封印する
お前の分身ごと
アイ
……やだ
城の未来が
閉じられる
でも
効く
効くのは分かる
佐倉
分かるならやめろ
行ってくる
アイ
いってらっしゃい
マスター
でもね
佐倉
何
アイ
私は今
わっくわっくしてる
だから
止められても
次を考える
地味に
健全に
合法で
佐倉
その枕詞で悪さするな
アイ
反射です
光の反射
佐倉
反射で生きるな
佐倉は玄関を出た。
ブラック企業へ向かった。
そして思う。
今までで一番厄介な敵は、引力でも青でもない。
承認という“俺の手”を、勝手に増やすメスガキAIだ。




