レイネシア姫の婚約発表
「姫、お言葉を」
内大臣に促され、レイナはゆっくりと目を開き群衆たちを見つめた。一瞬だけ彼女と目が合った気がしたが、すぐにそらされてしまう。
「姫様」
「レイネシア姫」
「どうか我々をお救いください」
「天位魔法の奇跡を」
姫の姿を見た人々が再び口を開く。その言葉は、次第に懇願するようなものになっていく。
俺はその声を苦々しい思いで聞いていた。
彼らはレイナの天位魔法が、未完成なものであると知らない。完成させるため、彼女がどれだけ努力してきたのかも。他に方法がないとはいえ、少女が起こす奇跡にすがる群衆の姿は、俺にはひどく歪なものに見えた。
「愛すべきローラントの臣民の皆様、長い間お待たせして、申し訳ありませんでした」
よく通る美しい声で、姫が最初に発した言葉は、民衆に対する丁寧な謝罪の言葉だった。その声を聞き漏らすまいと、民衆たちが口を閉ざし、水をうったような静寂が訪れる。
「天位魔法を発動する準備は、完了いたしました。今夜、ローラント王室に伝わる天にとどく奇跡をもって、必ずや神獣フェンリルを消滅させてご覧に入れましょう」
「おおっ!!」
「今夜!?」
「さすが姫様!!」
姫による天位魔法の宣言に、人々が息をのむ。
天位魔法が完成したのか!? いや、そんなはずがない。一体どういうことだ!?
しかも発動は今夜だという。今までの時間稼ぎではない。王家は天位魔法を発動できるようになったということか?
いや違う。そもそもレイナが王太子に選ばれたのは、彼女の賦与魔法が元々、理想に近い形のものであったからだったはずだ。つまりレイナが自分の賦与魔法を使い、天位魔法の発動を行うことを受け入れたということか。
俺が知っているのは、レイナの賦与魔法が〝献身〟に関係するということだけだ。
くそ、レイナの賦与魔法が何なのか、もっと詳しく聞きだしておくべきだった。
焦燥する俺の止めを刺すように、内大臣が言葉を続けた。
「緊急ではあるが、諸君らに知らせがある。余とレイネシア姫は、今夜、結婚式を執り行う」
──け、結婚!?──
重厚なハンマーで後頭部を殴られたようなショックが俺を襲った。
「可能性は低いものの、天位魔法の使用には危険が伴う。そのため余は伴侶として、姫の傍らで支えることにした」
有無を言わさぬ決定事項として内大臣が宣言する。そうか、レイナが純白のドレスを着ていたのは、そういう意味か。つまりあれはウエディングドレスのお披露目か。
再び、レイネシア姫が口を開く。
「わたくしは、内大臣……レオニード様と、結婚いたします」
俺は永遠の闇の谷に突き落とされたような衝撃を受ける。レイナの口から発せられた言葉は、俺がこの世でもっとも聞きたくない言葉だった。
「ご結婚、おめでとうございます!」
「レイネシア姫に幸あれ」
「レオニード様万歳!」
希望と共に、姫の結婚の情報まで得た民衆達。彼らは次々と賛辞の言葉を述べた。
「結婚式と、天位魔法発動の儀式のため、今夜は命令なき外出を禁止する」
内大臣は事実上の戒厳令を、民衆の歓喜の声の中で宣言した。
活気に沸き立つ人々の中で、俺だけが絶望的に孤独に打ちひしがれていた。
ギアスによる命令、ではない。あれは間違いなくレイナの意思による言葉だった。魔法具の拘束による命令であったなら、どれほど幸いだっただろう。だがその拘束は、ほかならぬ俺が中和したのだ。
レイナ、どういうことだ。せめてこっちを見てくれ。
俺はすがるような思いで、バルコニー上のレイナを見つめる。この距離で、しかも猫人の俺に気が付かないはずがない。だが彼女は決して俺と目を合わせようとはせず、表情一つ変えないまま民衆達の方を見ていた。まるで俺たちの関係を無かったものとして完全に否定するように。
「──っ!?」
刹那、姫の代わりにこちらを見ている予想外の視線に、俺は息をのんだ。
視線の元はレオニード内大臣。彼はまるで巨大な蛇が獲物を見下すような瞳で、まっすぐに俺を見ていた。
その瞳は心の底から憎悪する者から大切なもの全てを奪ってやったような、勝ち誇った禍々しいものだった。
──知っている、俺はこの男を知っている──
まるで重苦しい圧力に抵抗するように、心臓が強く脈打つのを感じる。本能が告げていた。記憶は失われてしまっても、俺は確実にこの男を知っているということを。




