別れ
王都の湖畔から見た湖に沈む夕日は鏡のように澄んだ水面に反射して、二つの光となって世界を優しく照らしていた。不思議だ。こんな美しいものを、俺は毎日見ていたのか。
「綺麗だね」
一緒に夕陽をみていたレイナが、そうつぶやく。レイナの金髪が、夕日に染まってピンク色に輝いている。その姿は目の前の夕陽に比してもなお美しく、呪いつきの俺すら許されるかのような、真実の響きを含んでいた。俺はこんな女の子と、今日デートをしたのか。
「……ああ、綺麗だ」
本当はレイナの方が綺麗だと言いたかったが言葉がでず、せめて彼女に対して言うかのように、同じ言葉を重ねた。
「クスクス、そうだね」
だが何がおかしいのか、レイナは嬉しそうに笑った。
「ねえ、今日はキラキラしていた?」
レイナがそんな当たり前のことを、聞いてきた。
世界は鮮明に、光って見えた。そう答えたかったが、言葉が出ない。答えを発してしまえば、全てが終わってしまうような、言いようのない寂しさを感じて、俺は言葉を飲み込む。
陽が沈む。夢のような一日の終わりを告げる最後の夕陽に照らされて輝きを増した瞳をめいっぱいひろげて、レイナは無言でこちらを見つめてきた。まるで何かを訴えかけているように思えた。
何を言って欲しいのだろう。何を言うべきなのだろう。いや、俺は何を言いたいのだろう。
そんなことを考えながら、レイナの瞳を見つめ返す。その生きた宝石のような瞳を見ていると、俺の心の奥から考えたこともない衝動のような、強い思いが沸き起こってきた。
レイナを連れて、どこかへ逃げよう。手を取って強引に連れ去ろう。
そうだ。デートだというのに、握ることすらしなかったこの華奢な手を取って、どこか遠くに逃げてしまえばいい。アイテム商の俺なら、きっとどこでも生きていける。いざとなったら怪盗にだってなればいい。店もこんな国も、知ったことか。
衝動に駆られレイナの手に触れようとした瞬間、王都の鐘が鳴り響き、俺は我に返った。
何を考えている。レイナは一国の王太子で、俺は呪い付きの猫人にすぎない。
ただの夜六時を知らせる鐘だった。だがその重厚な鐘音は俺を正気に戻すに十分な、胸をうつような残酷な響きを伴っていた。
「……時間切れだね。楽しい一日が終わっちゃった」
「あ、ああ」
力なく微笑むレイナの存在が、ひどく希薄に感じた。
何か言わなくては。今日言えなくても、少なくとも次につなげる何かを。こんな素晴らしい日が、今日一日だけのものであっていいわけがない。
「今度は、レイナの洋服を買おう」
そうだ。さすがにイマジンドレスの変形した服ばかりでは、可愛そうだ。今度は彼女に似合う服を、一日かけて試着して探して、プレゼントしよう。
「……ありがと、ノートン君」
だがレイナは俺の言葉に答えず、静かに微笑んで返す。
「──さよなら」
最後に儚げな笑顔を浮かべると、レイナはゆっくりとした足取りで俺の元を去っていった。
陽はもう落ちていて、あたりは夜の闇が支配しつつあった。
はやく、早く帰りたい。
俺は食材が入った紙袋を抱えながら、夜道を自宅へと急ぎ足で向かっていた。デートなのでお別れも現地で、というのがレイナの希望だった。あと夕食の食材を買って帰ってほしいとのことだったので、俺は店に寄り道をしていた。
嫌な予感がした。既に全てが失われているような、嫌な予感が。俺はそれに突き動かされるように、歩みを早める。
その予感は、現実のものとなった。
花がなくなったようながらんとした部屋のテーブルの上に置かれていたのは、深紅の贋作のリボンと、簡素な置手紙だった。
──お城に帰ります。わたしのことは、もう忘れてください──
レイネシア・フォン・ローラント




