59 美しきひと
クリスには幼い頃からの夢がある。
『王妃様を輝かせたい』
初めは王城で働く母に会う為だった。
それが未来の王妃、ミニュスクール公爵令嬢セーレナ・ラティオに出会い、その凛とした姿に憧れ、さらに美しく輝かせたいと思った。
そして今は、第二王子の横に立つに相応しい女性になる為に、己の実績としてセーレナを輝かせる事に全力で取り組まねばならない。
だが、それはどちらかと言うと自分の中心ではなく、それだけが心のすべてを占めるものではない。アルドーと共に生きていきたいのは真実だ。彼から受ける愛情と同じものを返したいと思う。
セーレナを輝かせる事と、アルドーへの想いは同じ高さ、同じ大きさでクリスの中に存在する。
母は、もうすぐ自分たち家族のもとに帰って来る。
ひとつ目のそれは、クリスの意図しない大きな流れの中で達成されてしまった。
だから強く想う。
「わたくしは、セーレナ様を輝かせたい」
改めて声に、音に、気持ちを風に乗せる。
艷やかな栗色の髪に。
髪の一筋一筋が流れる白いうなじに。
青から緑へ移りゆく瞳に。
長く流麗な線を描き伸びる指に。
「わたくしは、未来の王妃様、セーレナ様を輝かせたい」
学年末の試験に不備は無い。
だが、不安は無くもない。
入学時の成績は三位だった。教師の推薦があったから生徒会役員になれた。
一位は『司法』リーブラ公爵令息フィン・リヒター。二位は『医療』バストン侯爵令嬢フリア・ロペス。
フィンは生徒会に入る事を辞退した。二学年も辞退するとは限らない。
フリアはエミリオが生徒会長か副会長を目指すならば、自分も目指すに違いない。
どちらにも勝たなくては、堂々と生徒会役員になれないのだ。
アルドーの隣に並ぶには生徒会役員で居続けなければならないと、セーレナに厳命されている。
──負けられない。
一学年目は言語や歴史、地理、数学などの基礎学習の試験が行われる。
淑女教育の傍ら、セーレナに覚えるべき箇所は教えられている。上位貴族の立場で覚えるべき事と、学生として覚えるべき事は必ずしも一致しない。
だが、セーレナは学生の部分から派生した事柄を、飲み込みやすいよう噛み砕いてクリスに教えた。
地理ひとつで、幾重にも広がる情報。セーレナはクリスを飽きさせずに、緩急つけて語った。
そしてセーレナは『財務』の主家の令嬢だ。数字にも強かった。
クリスはどちらかと言えば、感覚で物事を考えるたちだ。少し数字に弱い部分がある。それをセーレナは一つ一つ、解りやすく目の付け所を教えた。数式を丸暗記するのではなく、関連性を説明した。
セーレナは努力の結晶で出来ていた。
それを惜しみなくクリスに手渡した。
この恩をどうやって返せば良いのだろう。
セーレナをどうして輝かせずにいられるだろう。
クリスは強く誓った。
──必ず、と。
学年末試験は二日に渡って行われた。
その間生徒会活動は休みだが、何故か全員揃っている。
誰が合図した訳でもないが、鍵を開けて待つアルドーのもとに集う。
クリスにはもう護衛は必要ないのだが、ペールは今でもクリスの腕に絡まる事がしばしばある。兄のフラッハはアルドーの脚がすっかり治ったというのに、ずっと側にいる。
兄妹揃って一度護ると決めたら、ずっと離れがたくなってしまう性分のようだ。
それぞれが初日の成果を語り合い、時間が許す限り二日目の見直しをした。
学びあうその空間はとても穏やかで、温かな空間だった。
クリスはもうじきこの空間に終わりが来るかと思うと、寂寥感に苛まれた。
ふと目をやるとアルドーと目が合い、同じように考えていたのか少し淋しげな笑顔を見せた。
アルドーは立ち上がり、クリスのもとへ歩を進める。
「何か解らない事はある?」流れるように、クリスの空いた左手に触れる。
「いいえ、セーレナ様がとても丁寧に指導して下さったので」
アルドーの手に目をやり、顔を上げるとアルドーの後ろにセーレナが音もなく佇んでいた。
「そう、彼女は教え上手だよね。本当は私などより、余程生徒会長に向いているのにね」
「自分を卑下するのはおよしになって。はい、アルドー様。勉強の邪魔をしてはいけませんわ。私たちは卒業するだけですけれど、クリス様はまだあと二年もあるんですのよ」
セーレナはアルドーを連れて席に戻り、卒業式典について話し始めた。
素敵な女性だ。と、そう改めて思う。
気後れせず強い意志を持つのに、可愛いものに目が無い。
『リスエルン祈念』の小さなランタンを贈った時に見せた、嬉しそうに目を細めた様が忘れられない。
クリスは誓いも新たにペンを走らせた。
二日の日程を終え、休日を挟んだ三日の試験休みの後に、結果が貼り出された。
三学年の上位は、首席アルドー、二位セーレナ、三位フラッハといつも通りの並び。
二学年は首席セーレナの弟ロレンツォ・ラティオ、僅差で二位エミリオ・ガルシア、三位エピ公爵令息レオン・バーレイだ。
「くそう、二位か」エミリオは悔しそうに呟く。フリアが隣に並び、エミリオの手を握る。
「フリアは?」エミリオは一学年の掲示に目を向けた。
一学年は同点一位でクリス・アンバーブロウ、リーブラ公爵令息フィン・リヒター、三位フリア・ロペス。
「負けてしまいました」首を傾げ、エミリオを見る。「でも、クリス様、とても頑張ってらしたもの」
二人に遅れてやって来たクリスとアルドーは周りの歓喜に満ちた視線の中、結果を見る。
「クリス、おめでとう。よく頑張ったね」
愛おしげにクリスの手を取り、顔を覗き込む姿に周囲がさざめき合う。
アルドーの視線も周りの声もクリスには届かず、クリスはただひたすらに自分の名前を見続けた。
「まずは、ひとつ」
クリスの口からこぼれる。
「──わたくしは、近づきました。セーレナ様」
目の隅にセーレナの姿を認めた。
クリスはアルドーの手を離れ、駆け寄った。
「わたくしは、貴女をきっと輝かせてみせます!」
クリスはセーレナの手をいただき、膝を折り誓った。
セーレナは慈愛に満ちた笑顔でそれを受け入れる。
「ああ、振られてしまったな⋯⋯」
アルドーは肩を竦めて笑った。




