58 可愛らしい
「フラッハ、ちょっと席を外して⋯⋯」
復帰後初めてクリスとゆっくり話が出来る。
そう喜んで役員たちが帰宅した後、クリスの手を取ったアルドーはフラッハに退室を願った。
「駄目です。殿下、この前言ったでしょう? もうコソコソしなくていいって言っても、二人きりにすると殿下が何するかわかりませんからね」
「⋯⋯はい」アルドーは肩を落とした。
「なるだけ離れてますから、気兼ねなくどうぞ」フラッハはドアの前に立ち、掬い上げた新聞を広げて読み出した。
「⋯⋯アルドー様、お加減はいかがですか?」クリスは気になっていたのであろう、脚の調子をうかがう。少し浮かない顔をしている。
「大丈夫。痛くはないんだ。ただ、筋力が落ちていてね。しばらくの間は歩きづらいかな」 安心させようと言ってみるが、クリスの不安顔は一向に晴れない。
「⋯⋯わたくし、候補に挙がってとても嬉しいのですけれど、思っていたのと違う方向で戸惑っております。淑女としても、グラスビーズの芸術家としてもまだまだですのに」
「焦らないで。母上はそれを見越して候補として下さったんだ。君は成人まで、まだあと二年半もある。その間にじっくり取り組めばいい。マダム・オルタンスと一緒にセーレナの婚礼衣装を作り、彼女を輝かせれば自然と実績になる。足がかりの体裁が整っているんだ」
「⋯⋯そ、うですが。少し気後れしてしまって」
うつむくクリスの頬を右手で包み、アルドーは諭すように言葉を紡いだ。
「クリス、君ほどガラス細工を愛している少女を、私は知らない」
クリスの菫色の瞳に輝きが戻る。少しずつ口元が弧を描く。
──やはり、こうでなくてはね。花が綻ぶような笑顔というのはこういうのだよ。
「有難うございます。アルドー様」
ぱっ、とアルドーの手を離してクリスは両腕を上げた。「ふん!」と言いながら、何やらやる気を出しているようだ。
「ブフォ」
新聞の向こうからフラッハの噴き出す声がした。
「マダム・キアラは戻られたの?」
リカルド・フォンターナが離婚に応じたと聞いたが、その後どうなったかと不意に思い出した。
クリスが『王妃様を輝かせたい』と願ったのは、王城に勤める母のキアラに会いたいというのが始まりだ。
「母からお手紙が届きました。離婚した、と。ですが、社交シーズンの終わりまでは書記官を務めなければならないので、戻るのはその後になるそうです。⋯⋯その、復縁するかどうかは、わからないと⋯⋯」
「クローステール卿が問題視しているの?」
「いいえ、母の方です。実行しなかったとはいえ、銃を王城に持ち込んだのだから、と」
クラーワもベニニタスも「不問に付す」と言っていた筈だ。周囲にも漏らされていないので、気にする必要もないのだが。そう、アルドーは首を捻る。
「父とは会ったそうですが、わたくしとエリオットが結婚するまでは、籍を入れなくていいと言っているそうです。『芸術』内には周知されていて、何も咎められていないのですが、『内務』との諍いを持ち込んだのは自分だと責めているのです。なので父は母の気持ちが落ち着くまではそれでいい、と」
「居た堪れないな。大勢の人が彼に心を折られた。問題が根深く大きすぎる」
『歴代の国王たちが不甲斐ないから』と、ジュゼッペは王権の奪取を目論んだ。
表向きそう公表されている。
だが、『即位した者以外には秘匿された事柄によるもの』と、アルドーにベニニタスは言った。第二王子である自分には教えられない事なのだ。
父ベニニタスはジュゼッペが言うような、不甲斐ない国王ではない。祖父ウェントゥスはどうだったのだろう。
アルドーはウェントゥスを知らない。
生まれる前に崩御している。害獣駆除の際に命を落としたという記録しか残っていない。
いつかわかる時がやって来るのだろうか。
兄の王太子クレプスクルムや、セーレナとの間に生まれる子供にも『秘匿された事柄』が災禍をもたらすのだろうか。
──父上のように強くあって欲しい。
アルドーはそう願うばかりだった。
「アルドー様、わたくし冬の間はブジェフの職人と新作の開発に力を注ぎます」
「えっ!」考えに沈んでいたアルドーに、残念至極な言葉が飛んできた。
「セーレナ様の婚礼衣装の為にとんぼ玉をもっと頑張りたいですし、極小のグラスビーズに色数も増やしたいですし、織り機の開発もしたいですし⋯⋯」
そう言ってクリスは指を立てて数えている。
「え、待って。ずっと?」咄嗟にクリスの数えている手に触れる。
「先程、わたくしを奮い立たせてくださったのでは⋯⋯?」
クリスが首を傾げる。
──可愛い。いや、違う。
「三月も会えないとか、そんな⋯⋯。ぶ、ブジェフに雪は降らない?」
「⋯⋯? 降りませんわ。ほとんど」
「私も行っていいかな?」ほとんど縋るようにアルドーは訴えた。
「でーんーかぁぁぁー」新聞を放り投げてフラッハが大股で近づいて来た。「迷惑でしょうが! あの時と状況が違うんですからね! 母君だってお戻りになるんですから、邪魔ですよ! 邪魔!」
「あっ。そういう事だったんですか? ⋯⋯わたくしは、ひと月早くタウンハウスに戻るつもりです。こちらの職人と打ち合わせをしたり、ミニュスクール公爵夫人とマダム・オルタンスに教えを請いますので。⋯⋯手紙を書きますから、ね?」
一瞬、呆気にとられた顔をした後で、宥めるようにクリスは言った。
どちらが年上なのかわからない。アルドーは自分で自分が恥ずかしくなった。
「⋯⋯はい」色々と言いたいが、ぐっと堪える。
「ふふ。アルドー様は、本当に可愛らしいですねえ」
「そうそう」
クリスとフラッハが笑いあっている。いつの間に分かりあえる仲になったのか。
いや、そうじゃない。
「えぇ⋯⋯。何、可愛らしいって」
「私たちは、そんな殿下だからいいのですよ」
フラッハがむくれたアルドーに笑顔を向ける。
クリスも頷き、ずっと右手に触れていたアルドーの手を握り返した。
二人に言い包められた気がするが、この優しい空間に浸れる幸せを享受した。
「それならば、クリス。卒業式典の後のパーティに一緒に出てくれる?」
「⋯⋯?」アルドーの突然の誘いにクリスの目が丸くなった。
「また着る機会があったらエスコートさせて、とお願いしたよね?」
上目遣いでクリスを見ながら、アルドーは右手の指に唇を寄せた。




