〈幕間9〉 イシャーン暗躍する
ミニュスクール公爵令嬢セーレナ・ラティオは、ちょっとだけ反省していた。
可愛いクリスの為に、エミリオを生贄にした事を。
セーレナは可愛いものが好き。
小物は勿論、小動物も子供も、自分が可愛いと思ったものなら何でも。
なのでつい、クリス可愛さに無茶を言ってしまった。
ずっと不甲斐ないと思っていたアルドーが、あれ程までに夢中になっているのを見てしまったから余計に。
セーレナとしては、アルドーが学園の生徒たちの注目を浴びなければそれで良かった。卒業してしまえば、衆目に晒されることもない。
エミリオの毎日の付き纏いも冬の間に忘れ去られるだろう。
などと、悠長に思っていたのだ。
それがジュゼッペは捕らえられ、時間が早まってしまった。
クリスが淑女として、または芸術家として名前が出る前に、王家に尽くして名を立てたのは正直想定外だった。
婚約者候補になったのは嬉しい。厳しくも優しいクラーワにクリスが認められたのは、純粋に嬉しい。
「どうしましょう」と、ぐるぐる考えているうちに、学園内で噂が立ち始めた。
「『芸術』のクローステール男爵令嬢が王妃陛下をお護りしたそうです」
「第二王子殿下が撃たれた後、命を落とされぬよう冷静に止血をしたとか」
「王妃陛下はもちろん、国王陛下も、それはそれは感謝しているそうでございますよ」
「第二王子殿下の婚約者候補に、相応しいお嬢様かと」
貴族の間で噂がさざめく。
「『内務』の先代公爵が王妃陛下をずっと狙っていたのを、孫のエミリオ様が何とか止めようと奮闘していたそうです」
「クローステール男爵令嬢を、ジュゼッペ氏から護っていたそうです」
「『部門別発表会』は『内務』の生徒が協力をボイコットしたと聞きました」
「たった一人で作り上げた展示物は、素晴らしい出来だったとか。拝見しとうございました」
「『医療』の侯爵令嬢が実力をお認めになって、婚約者として迎えたそうです」
『部門別発表会』の翌日から、貴族の外商はあちらこちらで、何気ないタイミングを見計らいそっと忍ばせた。
記憶に留めた貴族たちは、茶会や夜会で新着の話題を囀る。それは大人達だけではなく、邸に帰った後、子供たちにも共有された。
尾ひれがついて、クリスもエミリオも大層崇高な存在へと持ち上げられてゆく。
「マールム公爵令息と、クローステール男爵令嬢の噂を流して下さい」
イシャーン・ティワリは父のアルゲンテア侯爵レヤンシュ・ティワリから、ジュゼッペ確保の話を聞いてすぐに依頼した。レヤンシュは片眉を上げて、イシャーンを見る。
「見返りは?」親子と言えど商人。何事も儲け重視だ。
「クローステール男爵令嬢の作る、グラスビーズの小物の独占販売です」
布に包まれたリングやイヤリング、ネクタイピン、バックルなど数点が机の上に広げられた。
「これはミニュスクール公爵令嬢から借りた物なんですが、コサージュや小物入れも作れるようですよ。⋯⋯借り物ですから大事に扱って下さいね」レヤンシュが遠慮もなく指でつまむ様子にイシャーンが釘を刺す。
「クローステール男爵領はガラスで有名だったな? それとは違うのか?」
古い文献からクリスが発見して、ブジェフの職人に作らせたものだ。と、イシャーンが説明する。今のところ色数が少なく、織り機で織れるのがクリスしかいない事も加える。
ミニュスクール公爵令嬢セーレナがパトロンとなり、現在は腕を磨かせている最中である事も。
「一点ものか。⋯⋯なるほど。つまり、公爵令嬢は販路を拓け、と」
「そういう事になりますね。まあ、まだ学生ですから数はこなせませんので、将来的にといったところです」
ぐるぐるとリングを回しながら、レヤンシュは顎髭を撫でる。
「いいだろう。婚約者候補と言っても、どうせ本決まりのようなものなんだろう? 噂で名が売れれば見返りも大きくなるだろう。で、マールム公爵令息の方は?」
「今、『医療』は大神殿と新薬作りで沸き立ってましてね」イシャーンはあえてここで言葉を切る。
「ああ、そんな展示をしていたな。⋯⋯それだけか?」
「そのへんの話にエミリオの父君が噛んできそうなんですよね。婚約の話は少し前からあったようで、先代公爵確保後に宰相職から外されたら、何がしかの役職に就きそうとかって」
胡散臭そうにレヤンシュは息子を見る。
「信じられませんか? この前エミリオがポロリと⋯⋯」肩を竦めてイシャーンは笑う。
「あー、わかった。その情報は買おう。で、どんな噂だ?」
こうしてイシャーンは父の協力を得た。
貴族の外商を使い、少しずつ、自然にクリスとエミリオの噂を流す。
いかにクリスが献身的であり、冷静な淑女であるか。
エミリオが優秀な頭脳を使って、孫の立場から祖父の暴挙を止めようとしていたか。
心を打つような言葉と話し方で、客の貴族に吹き込む。
大袈裟かつ、控えめに。
真実の中に少しの嘘を。嘘の中に少しの真実を。
四日もすれば、学園の中にもチラホラと噂が流れ始めた。
よく周りを見ると『内務』の生徒たちが居心地悪そうにしている。
特にフォルフェクス男爵令息ブルーノ・モレッティは、散々エミリオを罵倒している姿を見られていたので、噂の攻撃を受けていた。
「これ、貴方がやっているの?」
生徒会室でセーレナが扇の向こうから冷え冷えする視線をイシャーンに向けた。見えていないが唇が弧を描いているのがわかる。
「ご不満ですか?」ちょっと引き気味で訊いてみるイシャーン。
「いいえ、むしろ有り難いけれど。エミリオ様までとは思ってませんでしたわ」
「ああ、アンバーブロウ嬢はお預かりした小物で父を乗せました。どういうタイミングで、と思ってましたが、今回使えそうだったので。エミリオは、⋯⋯うーん、友情? は、さておき、父君が『医療』と大神殿、あと『科学』の事業に噛みそうな話を聞きましてね。エミリオから。儲ける口があるかなーって」
「ああ、それなら納得ですわ。まあ、ちょっとわたくしもエミリオ様には酷な事をさせてしまいましたから、どう収拾しようかと思っておりましたし。クリス様可愛さで、つい。申し訳ないわ。⋯⋯それにしても、流石ね」
考えなしだったのかー。と、イシャーンは心の中で頭を抱える。
「ありがとう存じます」とりあえずはにっこり笑って、恭しく礼をする。
「⋯⋯商人て怖いわ」セーレナが呟く。
人の口に乗せるのは商いの最中にやるのが楽だ。
顧客にこっそり教えれば、得意げに周りに吹聴してくれる。
「ここだけの話ですよ」
とか入れれば、客は特別感に浸れるものだ。
あまり使うと信用を無くすので、程々に。
セーレナは基本考えなしです。




