06 未来の王妃は射抜かれた
セーレナ・ラティオは『財務』部門を統括する一族、ミニュスクール公爵の令嬢だ。
次代の王妃となるべく幼い頃から育てられ、教養も美貌も人一倍優れている。
手入れの行き届いたしっとりした栗色の髪。なめらかな白い肌。青から緑へ移りゆく瞳。扇を持つ指はほっそりとしなやかだ。
セーレナがマグノリア王国第二王子、アルドー・ルカ・マグノリアと初めて会ったのは今から七年前、十歳の春だ
社交シーズンに先駆けて、貴族は王都のタウンハウスへ居を移す。元々国家の運営の重要さから『財務』は領地が遠方ではないが、移動の時間短縮にタウンハウスで過ごす。
マグノリア王国の貴族はすべて十歳になると戸籍に登録され、貴族として認識される。その折に男子は左耳、女子は右耳に生体認証のイヤーカフの装着を義務付けられる。イヤーカフは数日の後に皮膚と混じり合い、取り外しは出来なくなる。
社交シーズンの始まりに、その年に貴族の仲間入りをした子供たちのお披露目が王都で祝われる。セーレナはその祝宴で、王妃クラーワ譲りの思慮深そうな顔を緊張で強張らせながらも、淀みなく言葉を紡ぐアルドーを目にした。その時すでに王太子クレプスクルムの婚約者候補となっていたが、アルドーに直接挨拶する事はなかった。
本格的に交流を持ったのは十四歳、クレプスクルムとの婚約の式典の後だ。
二人とも将来クレプスクルムを支えるという誓いを立て、セーレナは王太子妃教育を、アルドーは知識の収集にと、それぞれ尽力した。
それから三年の時が過ぎ、アルドーはクラーワの手筈で春に各部門で行われる『春の顔見せ』に送り出された。いつまで経っても婚約者を持とうという気概がない為だ。セーレナはクラーワから話を聞いていたが、女性に疎いアルドーが自力で見つけてくるとは思えないと高をくくっていた。
それが、だ。『芸術』で気になる女性がいると言い出した。しかも「小さくて可愛い」と直接的な表現で。
セーレナにとっては青天の霹靂だった。
パーティから五日も経っている上に、その女性は新入生で教師から生徒会役員に推薦されていると言う。誰かと問えば、クローステール男爵令嬢とすんなり答えた。
クローステール男爵領の主産業とコルデラ侯爵との関係をすぐさま記憶から呼び出し、これと言って大きな問題はない、とホッとする。それならばこの自分を抑え気味な第二王子の為に一肌脱ごう。
セーレナはすぐさま行動を開始した。アルドーは第二王子で生徒会長。生徒会役員は側近候補と見做される。勿論、将来王太子妃となる自分の側近候補にもなりうる。
のんびり構えてはいられない。恋の成就と安定した生徒会運営の為にミニュスクール公爵家の諜報部隊を使う決心をし、そして実行した。
そして遂に『小さくて可愛い』女子生徒をアルドーがエスコートしてやって来た。
ふわふわのピンクブロンド。大きな菫色のアーモンドアイ。
───か、可愛すぎる。
セーレナはきつめの顔立ちで誤解されがちだが、実は無類の可愛いもの好きであった。王太子妃教育で疲れた心を可愛いもので癒す毎日だ。セーレナ付きの侍女も気を使って毎日のように可愛いものを補充し続ける程だ。もっとも、清貧を国是とする為、ほんのささやかではあるのだが。
「ああぁぁぁ、ラティオ様、美しすぎる」
唐突に溢れ出た言葉にセーレナは目を丸くした。隣では同じ様にアルドーが瞠目していた。クリスの目がキラキラ光って今にも飛び跳ねて喜びそうな様に、セーレナは完全に射抜かれた。
「あら、まあ。ふふふ」
「ご機嫌麗しゅう存じます。クローステール男爵が長女、クリス・アンバーブロウと申します」
「ところで、アンバーブロウ嬢。聞いているかと思うが生徒会役員になってもらえるかな?」
「私は一体どんなお役に立てるのでしょうか?」
硬直した笑顔でガチガチになりながら膝を折る様子がまた可愛らしい。などと感心していると、どうにもクリスとアルドーの会話が微妙に嚙み合っていない。不思議に思い、生徒会役員の加入に了承を得たのかとアルドーに問うと「いや、担任教師が話したと言っていたから⋯⋯」と、何ともはっきりしない答えが返ってきた。
「確かに先生から推薦があったと聞きました。でも、入るとは言ってないんですが。あっ、でもアルドー殿下にはお渡ししたいものがありまして! それとブローチの件でお話が」
セーレナは刺すような視線をアルドーに浴びせていたのだが、クリスを怯えさせてしまったらしく慌てて話を変えた。クリスは『虹の蜘蛛』で織られた紺色の布で包まれたものを鞄から出し、アルドーに手渡した。
「ブジェフの職人の自信作です。もし良かったらお使いください」
受け取ったアルドーは目を輝かせてゆっくりと丁寧に白いリボンを解いた。するりと紺色の布が滑り落ち、木箱とその上にメッセージカードが現れた。木箱の中身は透明感のある青いタンブラーだった。
「素敵。ブジェフの職人技は王都でも有名なのよ。目が離せないわ」
「ああ、美しいね」
「ありがとうございます。職人に伝えます。きっと励みになるでしょう」
「クローステール男爵家は本当に職人を大事にしているのね」
「もちろんです。彼ら無くして産業の発展はありえませんから」
なる程、先日クリスをセーレナが気に入るだろうとアルドーが言っていたのはこの事か、と腑に落ちた。ただ可愛らしいだけでなく、領地の産業にも思慮が及ぶ性格なのだ。
満面の笑みで応えるクリスに、さらに笑みを深めたアルドー。先程箱の上に置かれていたメッセージカードに目を留め、手に取り注意深く見聞した。
「このカード、カリグラフィーが描かれているが⋯⋯」
「私が描きました。先日お気遣いいただいたので、お礼のカードを添えました」
「君は筆記が綺麗なだけじゃなくて、こういった芸術的な文字も美しく描けるんだね」
「えっ?」
「君を書記に推薦してくれた教師がね、入学試験での筆記の美しさも褒めていたんだよ」
見る間にクリスの顔が赤くなっていく。
ほわほわした空気の中、セーレナだけがぐっと扇を握りしめ、緊張感に包まれた。
(これは、いけるのでは?)
しかし万が一王家に害があってはならない。まずは自分の陣営に入れて様子を見るのが得策、とセーレナは大義名分のもと可愛いを手中に収める事にした。
「本当に美しいわ。今度わたくしに教えてくださる?」
「あ、ああああ、ラティオ様に!? えっ、そんな恐れ多くて」
「セーレナと呼んで? わたくしもクリス様とお呼びしてもいいかしら? それと、わたくしにも何か作っていただけるかしら?」
「はい! 私、ずっと前から夢があって! 王妃様をガラス細工で輝かせたいんです! そう、未来の王妃様、セーレナ様を!」
畳み掛けるように迫ると、思ってもみなかった野望を宣言されて、セーレナは「一生囲う」と固く決心した。
「あー、君たち。打ち解けて何よりなんだが⋯⋯。 アンバーブロウ嬢、書記をお願いできるかな?」
キラキラ輝く王族の笑顔を振りまくアルドー。
クリスは男爵令嬢が生徒会役員になるなど周りから一体何を言われるやら。とでも思っているのか、苦い顔をしたまま返答しない。
「クリス様、わたくしと一緒に生徒会で働きましょう?」
セーレナはできる限りの優しい笑顔を作り、首を傾げる。
「はい!」
瞬時に応えるクリス。
「⋯⋯⋯えぇー」
アルドーは項垂れた。
「では殿下。ブローチの件ですが⋯⋯」
クリスに要望を聞かれたアルドーだが、「君がイメージする私に似合うもので」とお任せ感の強い返事をする。クリスは嫌な顔をせず、おおまかなイメージを慣れた手つきで紙に描き出した。
紺色のガラスをメインに、台座はマグノリアモチーフ。クリスはガラスのカットの仕方を軽く説明しつつ、意見を求めた。
「キラキラ輝くよりもそこにあるといった風がいいかな。普段遣いにも出来るような」
マグノリア王国は華美なものは敬遠される風潮がある。王族とて値の張るような鉱石の宝飾品を身につける事は稀だ。
意を汲んだクリスはさらさらと紙にラフ画を起こす。
「⋯⋯軽く金箔を浮かべて四角のカボションカットにしましょう。台座はあまり派手にならない程度で」
「うん、ありがとう。任せるよ」
クリスは『おや?』と一瞬、上目遣いでアルドーを見上げた。おそらく最近の強引な勧誘や華やかな所作ばかり見ていて、アルドーの本質がわからなかったに違いない。不覚にもセーレナは少し眉を下げているのを、クリスにチラリと覗われてしまった。
「では、そのように工房に伝えます。セーレナ様はどういったものがよろしいですか?」
何事もなかったように笑顔で続けるクリス。まだ年若いのに客の扱いを心得ている、と舌を巻いた。
扇の房飾りにほんの少し華やかさを足したいと伝えると、数種類の製造に違いのあるグラスビーズのサンプルを取り揃えてくれると言う。
「嬉しいわ。楽しみね」
「コルデラ侯爵のタウンハウスにある小さな工房で多少の加工は出来ますが、ブジェフの職人と直接話を詰めたいので時間をいただく事になると思います。特にこれからひと月は建国祭に向けて忙しくなりますし」
「領地までは遠いのだから大型の休みが来たらでかまわないよ、ねえ、セーレナ」
「ええ。無理はなさらないでね」
「ありがとう存じます」
何やら小さく拳を握りしめているクリスが途轍もなく可愛らしかったが、セーレナはあえて見て見ぬ振りをした。
女子二人が暴走気味です。
特にセーレナが。
がんばれ、アルドー。




