38 夏の休暇
ジュゼッペの失踪からひと月半。軍の捜索も虚しく、未だ足跡さえ追えずにいた。
生徒会役員たちはもどかしさと不安を感じつつも、本来の学生の日々を過ごした。
クリスは学業は勿論、セーレナの淑女教育やマダム・オルタンスの手ほどきなどを受け、研鑽に励んでいた。
アルドーは無理をしていないか心配だったが、水を差すのも憚れて見守るだけだった。
学園は真夏のひと月、夏の休暇がある。
学生たちは領地へ帰る者、旅行に出かける者、寮に残って勉強する者などそれぞれ思い思いに過ごす。
クリスは春にアルドーからブローチの製作の依頼を受けている為、クローステール男爵領の工房へ訪問するつもりのようだ。旅程込みで二週間帰省し、残りは淑女教育とセーレナの婚礼衣装の打ち合わせの参加と忙しそうだ。
休暇まで残り一週間と迫ったある日、生徒会室では役員全員で予定を話し合っていた。
セーレナ、フラッハ、エミリオの三名は王都に残り、イシャーンは気ままに各地の商業地に足を運ぶという。フリアとペールはそれぞれ領地に戻る。
アルドーとクリスは交際を始めてから、生徒会活動が終わった後のほんの数分、二人で生徒会室に残り会話を楽しんでいる。外からの死角で、ドアの前には護衛を配置する周到さで。
その日は、夏の休暇の話題を続けていた。
「休暇に入った次の日に出発するのだろう?」アルドーはクリスの髪を一房指で弄びながら言った。
「ええ、三日かかるのでなるべく早くに」
「うん、楽しみだな」耳元で囁き、ふわりと頬に口づける。
「え?」聞き間違いかと思ったようで見返してきたが、アルドーは何も言わなかった。
マグノリア王国の真ん中には南北に大きな街道がある。
北の盆地の大神殿から始まり、そこから南に王城を含む王都、さらに進むと『司法』リーブラ公爵領、そして南の穀倉地帯『農務』エピ公爵領へと続く。最終地点は王都からひと月程の、聖女ゆかりの地フローレスだ。
エピ領からフローレスの間には、街道が整備されただけのほぼ未開の大地が横たわる。
格子状に配置されたそれぞれの領地は、大街道より細い道で囲まれ、境界がわかり易くされている。
『芸術』コルデラ侯爵領は、『司法』リーブラ公爵領の西に位置する。王都からは大街道を南下した後、リーブラ公爵領の中心から東西に走る街道を西に折れて進む。
リーブラ公爵領の二箇所の宿場で休息を取りコルデラ侯爵領へ入る。クローステール男爵領は南西部にある為、コルデラ侯爵領内の宿場で一泊する。
アルドーは旅装を身に纏い、紋章のない地味ではあるがサスペンションの良い馬車にいそいそと乗り込んだ。
クリスの父、ノアには二週間前から話をつけていた。
宿の手配、馬車の替えなどありとあらゆる準備を申し出、二人きりにならないという確約をして今日に臨んだ。
「娘をよろしくお願いします」ノアから言質を取った。ノアはコルデラ侯爵の領主館で会合に出席する為にすでに侯爵領に到着している。
アルドーがアンバーブロウ家のタウンハウスへ着くと、丁度クリスの身支度が終わったと言うので、早速迎えに行く。侍従に取り次ぎを申し出るが、返事も聞かず近くにいた侍女のロミが駆け出して行った。
「でっ、殿下がいらっしゃいました!」慌てるロミの向こうにクリスの姿が見えた。
「おはよう、クリス。用意は出来たかい?」
「おっ、おはようございます。アルドー様。どこかへご旅行ですか?」いまいち飲み込めていないクリス。
「⋯⋯? 君と一緒にクローステール男爵領へ行くのだよ? クローステール卿に聞いていない?」
「いないような? ですが、どうして?」首を傾げるクリス。
「妻になる女性が育った土地を見てみたい、というのは不思議な事ではないだろう?」
「⋯⋯つ⋯⋯ま」耳まで真っ赤に染まったクリスは可愛い。
クリスの荷物を馬車に積み込み、呆然とする彼女を馬車へと導く。クリスの護衛チェルニーは御者台へ、ロミは馬車のキャビン内に収まった。
ロミは初めアルドーとクリスが横並びで座る事に抵抗を覚えたようだが、アルドーの輝く笑顔に押されてクリスと対面する形で席についた。
そんなロミをよそにアルドーはちゃっかりクリスと手を繋ぎ、ご機嫌な様子で道程を楽しんだ。
途中王都で昼食を挟み、大街道を南下しているうちにリーブラ公爵領へ入った。
その頃にはクリスも馬車の旅を楽しみだしたが、段々とウトウトし始めた。気付くとアルドーの肩に身を寄せてぐっすり眠ってしまい、それを見たロミが近くにあったクッションをアルドーに手渡した。
アルドーは膝にクッションを乗せ、静かにゆっくりとクリスの頭を導く。ロミはひざ掛けを肩に掛けた。
「無理をさせてしまっているのだね」クリスの髪を撫でながら、眉を下げ呟く。
「お嬢様は納得の上でなさっていますよ。幼い頃からの夢ですので。昨夜はブジェフに行く前に、と殿下のブローチの案を深夜まで考えてらして⋯⋯とても楽しそうに」
「そう、なの? だとしたら、これ以上ないくらい嬉しいね。私はそれに応えられるようにしないといけないな」
初日はリーブラ公爵領の中央に程近い宿場街の、アルドーが手配済みの宿へ向かう。
「うわああぁぁぁ」と、ここ暫く聞いていなかったような声を出してクリスが驚く。
──うん、クリス可愛い。
「こんな豪華な宿に泊まった事無いです」言葉遣いがすっかり淑女を忘れている。
「うん、まあ、これでも王族だから、護衛とか色々連れてるしね」
夕食は食堂で地元の名物料理をいただく。品数の多さにクリスは驚いたが、少しずつ取り分けて、残ったものは使用人たちに下げ渡す。護衛は順番に食堂の隅で採っている。
肉を揚げ焼きしたものや、脛肉を煮込んだもの、粉を練って伸ばした生地の中に野菜やひき肉を入れて煮込んだスープ、木の実を練り込んだパン。
リーブラ公爵の始祖の出身地の料理を、マグノリア風にアレンジした物だという。王都の料理より少し野趣あふれる感じだ。
「いつも泊まる宿のものより、かなり上品です。このパンとても美味しいです」木の実のパンを千切りながらクリスが言った。もぐもぐと咀嚼する様は、まるで小動物のようでアルドーの心を鷲掴みにした。
「楽しんでもらえて何よりだよ。明日も、明後日もその土地の美味しいものをいただこう」
「はい!」返事をしつつ、最後のデザートにうっとりするクリス。アルドーは幸せに浸った。
翌日、朝早くに宿を発ち昼過ぎにリーブラ公爵領主館の城下町の屋台で軽食をとる。そのまま散策。アルドーは帽子を目深にかぶり、クリスの手を取り中央の市場を覗く。
リーブラ公爵と言うだけに、天秤がモチーフのアクセサリーや置物が多い。揃いの小さなペーパーウェイトを買った。
学園では堂々と付き合えないだけに、アルドーもクリスも開放感で浮かれ気味だった。
そんな時に丁度一人で領主館へ向かう、リーブラ公爵令息とばったり遭遇した。
「⋯⋯あー、『芸術』に帰る途中ですか?」フィン・リヒターが眼鏡を上げる。
「はい、リヒター様はもう帰宅されたのですね?」クリスの目が泳ぐ。
アルドーはさらに帽子のつばを下げた。が、リヒターの方が背が低いので全く隠れていない。
「えー、お二人はそういうご関係と思って宜しいのでしょうか⋯⋯?」
視線は繋がれたままの手だ。
アルドーは諦めてフィンに向き直る。
「ごきげんよう、リヒター君。公表出来るまで内緒にしておいてもらえると助かる」
「承知致しました。何か理由があるのですね。ガルシア様が迎えに来るのは、ご存知なのですか?」
あれはエミリオが頑張って考えてくれた結果だと告げた。
「目眩まし、と言うことですか? 他意はなく?」フィンは訝しんだ様子で言った。
アルドーは「まったく」と答えると、クリスの方に向けて言った。
「ところでフォンス侯爵令嬢はこの事をご存知ですか? よく一緒にいらっしゃいますが。とても心配しているみたいです」
「⋯⋯教えてくださってありがとうございます。いつかきちんとお話するつもりです」
「繰り返しますが、口外しない事を誓います。では、道中お気を付けて」フィンはにこやかに挨拶をして去って行った。
「ああ、やってしまったな。『芸術』の中心街以外ならいいか、と思ってしまった自分が馬鹿だった」
ブジェフに着くまでは大人しくしていようと、アルドーは心に誓った。




