28 王族として
夜半まではしゃいだ三人は夜明けと共に起き出し、エミリオとフラッハは街が混雑する前に帰宅した。
昼過ぎに生徒会室に集合し、前日の『お披露目』の片付けを残りを済ませた後、国王と王妃のパレードが始まる前に公園に向かう予定だ。
湯浴みし、身なりを整えたところで「朝食を共に」という国王ベニニタスの招請を受けた。急ぎ食堂へ向かうが、まだ誰も到着していないようでアルドーは安堵した。
待つことしばし、国王と王妃が連れ立って現れた。少し遅れて王太子も姿を現す。アルドーは立って礼の形を取って三人を迎えた。
各々が席につき、国王の合図でパンケーキ、フライドポテト、ソーセージ、スクランブルエッグ、フルーツなど重めの食事が並ぶ。
「アルドー、リカルドだが⋯⋯」
ベニニタスが口を開く。
内臓破裂には至ってはいないが、肋骨にヒビが入っている。今回ばかりでなく、過去にも複数回殴られた痕が残っているという。今は眠って古代機械の調整槽に入って治療を施されていると、医局から報告があったという事だ。
「エミリオから聞きましたが、精神的にもひどく疲弊していて、投薬を受けているようです。それと、宰相殿は沙汰を待つそうです」
「そうか。いずれにしてもジュゼッペを召喚せねばならんな」
ベニニタスがそれ以上何も言わなかったので、未成年のアルドーに出来る事はもうないのだと感じた。
「『リスエルン祈念』は噴水広場に行くのだって?」
王太子クレプスクルムが少し眠そうにパンケーキにナイフを入れながら、アルドーに話し掛けた。透けるような金髪にアイスブルーの瞳、ベニニタスによく似た大ぶりな顔付きだ。
「ええ、成人前の最後の自由なので、みなと一緒に。セーレナも来ますよ」
「ああ、彼女も式はまだだが、来年はこちら側だからな。楽しんでくるといい」
素っ気ない態度にアルドーは一抹の不安を感じた。クラーワも気になるのかクレプスクルムの様子を窺い見るのが見えた。
「はい、兄上」
食事を終え、上位の三人の退席を待ち席を立つと、クラーワが再び入室してきた。何事かと首を傾げると、クラーワは少し眉を上げながらアルドーのもとへやって来た。
「噴水広場に行くのでしょう? クリスも一緒ね?」
首肯するとクラーワは続けた。
「今回の事が明るみに出れば、キアラの娘と言うことで何らかの反発はあるでしょう。それでもなお、貴方がクリスを望むなら、彼女にはそれ相応の努力をして貰わなければならないわ」
驚きと共に現実が押し寄せてきた。
キアラは利用されたとは言え、悪事に加担した事は言い逃れできないのだ。爵位が低いと詰る者も出るだろう。
「セーレナの横で実績を積ませなさい。誰もが認めるような。それがガラス細工のデザイナーでもいいわ。時間は掛かるでしょうが、それで仲が壊れるならそれまでの相手という事よ。⋯⋯いいわね?」
「はい、母上」
改めて自分が王族であり、後にサピエンティア公爵を叙爵するという重さを思い知らされた。何も言い返せずただ、返事をするばかりだった。
クラーワはそのまま衣擦れの音を残して食堂から去って行った。
まだまともに思いを告げたことは無い。そんな相手に努力を強いるのはどう考えてもおかしい。段階をきちんと踏んで誠意を見せなければいけない。
「できるのか⋯⋯?」
ざわつく胸を抱え、アルドーは学園へと向かった。
生徒会室のドアについた鍵穴に、アルドーは懐から出した鍵を差し込む。カチリ、といつもなら乾いた音を立てるはずが、回しても手応えがない。アルドーは訝しみ、背後にいるはずの護衛に目を向ける。
物陰からするりと黒服の男が現れアルドーより先に部屋に入る。
遠くの祭りの喧騒が微かに聴こえるだけの静けさの中、クリスとセーレナが突然の黒服い男の登場に目を丸くして中央のソファに座っていた。
「ごきげんよう、二人とも。鍵はどうしたの?」
「ごきげんようアルドー様。⋯⋯ペール様が開けてくださいましたわ。鍵を開けるツールで」
当のペールはと言うと黒服の護衛に飛びかかったらしく、両手を掴まれてぶら下がっていた。それさえも楽しいらしく、満面の笑みでジタバタ動いていた。
「セーレナ様と相談して、『リスエルン祈念』にみんなで使うランタンとケープを用意しました。扉の前で待つつもりだったんですけれど、ペール様が⋯⋯」
「そう、ペール嬢。次からは遠慮してくれるかな? もっと早く来なかった私も悪いが、勝手に開けるのは犯罪だよ?」
護衛の手から降ろされ、アルドーに走り寄るとペールはニッコリ笑い「次から気をつけまーす」と、どこかで聞いたような返事をした。
次々にエミリオ、フリア、フラッハが、最後にイシャーンが現れ生徒会役員が揃った。アルドーは多少のトラブルはあったものの、『お披露目』を終えた事を労った。
セーレナは人混みでもそれと分かるようにワンポイントの刺繍が施されたフード付きのケープを一人一人に渡し、次いでクリスが『リスエルン祈念』用の小さなランタンを配った。
王城から飛ばされるランタンは、枠を細工のしやすい靭やかな木製で紙の覆いのある軽いものだが、噴水広場へ持ち寄る物は小さなガラスのランタンだ。ブジェフで作られたランタンにはマグノリアの透かしが入っている。
イシャーンとエミリオを先頭に雑踏の中に踏み込んで行く。じき国王と王妃のパレードが始まるため、民衆は一目見ようと場所取りを始める。
アルドーたちはそれを横目に噴水広場へ急ぎ、あまり目立たぬ位置を選んだ。
時々雑踏の中でくぐもったうめき声がしては護衛が帰ってきたので、不審者が狙っているのではと感じた。護衛に聞けば「ただの酔漢です」と返された。
イシャーンも「うちのが周りを囲んでますから大丈夫ですよ」と事も無げに告げる。大商人の子息ともなれば狙われるものなのだろう。
セーレナも「我が家からも来ておりますわ」と花のような笑顔を零す。
周りの人間は全部護衛なのでは? と疑問に思う。
パレードは噴水に沿ってぐるりと廻り、観客が手を振る中折り返していった。その後をついて行くように、人々は酒場へ向かう者、家路につく者、そして静かに噴水前で『リスエルン祈念』を待つ者と、三々五々散っていった。
「何か召し上がるなら、あの屋台でどうぞ。うちのなんで安心ですよ。あ、あと、あそこの小物屋も」
イシャーンが商売人の顔で笑う。自分を含め全員の命に配慮しているのだろう、心配りに感謝する。小物屋を勧めるのは何とも抜け目ないが。
周りを見ると自分とクリス以外は少し離れた所で談笑していた。その配慮にも苦笑いしつつ、感謝だ。
「クリス、何か食べるかい?」
クリスの右手を掬い取る。驚きつつ、顔をアルドーに向け、躊躇いがちに首を振る。
それならば、とイシャーンの指差した小物屋へ向かった。
「クリス、この君の瞳の色のネックレス。貰ってくれる?」
ほんの小さな紫水晶が付いたネックレスを指さす。イシャーンの思惑が透けて見える品揃えで、値段も重くならない程度の小さな鉱物のついた物ばかりだ。
「⋯⋯でも、申し訳ないです」消え入るような声でクリスは呟く。
「今日の記念に贈りたい。ここにあるガラス製品だときっと君はどこの工房のものか判ってしまうのだろう? だから、このネックレスを⋯⋯贈りたいんだ」
押し付けがましい気もするが、どうしても今贈りたい。
クリスは小さく頷いた。
元いた場所に戻ると空に闇が広がり始め、王城の礼拝堂の鐘がなった。
『リスエルン祈念』が始まる。人々は手に持ったランタンに火を灯し、丘の上の王城に身体を向けた。
アルドーはクリスへ顔を向ける。
「クリス、私は春のパーティで君を見かけた時から、ずっと君に惹かれている。出来ればずっと一緒に生きていきたいと思っている。⋯⋯君が好きだ」
クリスは一瞬驚き、その後なんだか躊躇うような顔つきになった。
「私を可哀想な娘だからそう思うのではないのですか?」
アルドーは胸が痛んだ。
「いいや、君はとても強くて、そして優しい。努力家なのも知っている。⋯⋯何より笑顔が好きなんだ」
「⋯⋯嬉しいです。とても。でも⋯⋯」
「君の事を王族の相手として、相応しくないと言う奴が出てくるかも知れない。爵位や、マダムの娘だからと。だから君に今以上の努力を課さねばならないだろう。それでもなお、というのは私の我儘なのは解っている」
必死に言い募るアルドーの繋がれたままの手を、クリスがぐっと強く握りしめた。
その時、噴水前の人々から歓声が上がった。
「殿下、ほら見てください。王城から天燈が上がりましたよ。願いは決まりましたか?」
アルドーは空を仰ぎ見る。
淡い光に浮かぶ噴水と、観衆の持つ暖かい色のランタンの光。
満天の夜空には数多の瞬く星々。ふわりふわりと移ろいながら飛ぶ天燈。
そして、左手のぬくもり。
「私は決まりました。それは⋯⋯」




