20 フェン兄妹
「ごきげんよう! アンバーブロウ様!」
サラサラの黒髪を上下に波打たせて校門でペールが跳ねている。隣には薄い唇が弧を描いた男子生徒が立っていた。
──護衛ってこんなに目立っていいの?
クリスは面食らうが、ペールはお構い無しにクリスの手を引いて学舎に向かう。
「こちら、私の兄上。アルドー殿下と仲良しなんですよー」
「はじめまして、フラッハ・フェンです。どうぞお見知りおきを」
一旦立ち止まり、胸に手を当てて軽く礼をする。クリスも慌てて膝を折り自己紹介した。フラッハの顔を見返すと、じわじわと笑いを堪えるような表情で肩を震わせている。
「ゆうべ、殿下がっ、ソファの上でっ、もんどり打ってたのが面白くてっ。ぐふぅ」
「兄上ー、内緒ですよぅ」
仲良さげにじゃれ合っているのを見て「あー、エリオットに会いたい」と、二つ下の弟に思いを馳せた。領地で頑張っているかしら? 姉は結構大変よ。などと思いに耽っていた。
──いや、もんどり打つって何?
「殿下の事、よろしくお願いしますね、アンバーブロウ嬢。では、放課後、生徒会で」
颯爽と去っていく後ろ姿を見つめながら、二つ疑問が浮かぶ。首をひねるが、ぐいぐいとペールに腕を引かれて教室へ向かった。
「クリス様、どういう状況?」
教室に入るなりマイヤに詰問された。
クリスの右腕にペールが絡まっているからだ。小柄なクリスと背丈が同じくらいのペールはちょうどいい塩梅で肩に顔を寄せている。
「あー、何なんでしょうね⋯⋯」
「失礼しました。ごきげんよう、フォンス侯爵令嬢。ペール・フェンでございます」
ピョっとクリスから離れ、何故か胸に手を当て男子の礼をするペール。
「実は今日から生徒会にお手伝いに行くことになりまして、クリス様に侍っていたのです!」
「えっ!?」
クリスとマイヤが同時に驚き声を上げる。
マイヤに「何で貴女まで驚いてるのよ」と指摘された。
「クリス様、これはどういう状況なのかしら?」
放課後、生徒会室に入るなりセーレナに詰問された。
朝と同じようにペールが腕にからまっているからだ。
「ちょっと良く解りません」
その時、ドアが開きアルドーがフラッハを伴って入室して来た。
アルドーは中央に進み、室内にいる一同を見渡して口を開く。
「今日からフェン兄妹が『お披露目』の手伝いに入る。突然の事で済まないが、よろしく頼む」
八人それぞれが挨拶しあい、各自分担された作業に入った。フェン兄妹は主に雑用に従事する。
クリスは前日の招待状の作業の続きに取り掛かり、サラサラとペンを走らせた。ふと気付くと机の向こう側にペールが張り付いていて、じっと作業を見ていた。
「興味ありますか?」
「うちの一門は、筆をこう立てて持って字を書くの。そういうペンで書くのも面白いなって」
ペンと一緒に持っていた絵筆を手にして、フェンはインクを付けないまま机に文字を書いた。筆跡を見ても何を書いているのか解らないでいると、フェンが説明を始めた。
「古代文字なの。書道というのだって。流派は色々あるみたいだけど、フルーメン伯爵家ではこうやって持って書くの」
「面白そう、今度教えて?」
「もちろん。私にもこのペンで書くのを教えて。アンバーブロウ様が綺麗にすいすい描いてるのって感動する! 楽しそう! 私、書道があんまり好きじゃないの。でも、出来て当たり前だからやるの」
「⋯⋯! わかるわ。私のこれもそうなの。私は好きだからいいけど、でも、そう言われるわ」
「あらあら。楽しそうね。でも、フェン様。教えてもらうのは、わたくしの方が先よ」
扇で口元を隠しているけれど、全開の笑顔とわかる様子のセーレナが割って入った。
二人で顔を上げてセーレナに目を合わせると「小さい。可愛い。可愛い。小さい」小声で何やら呟いている。
「『お披露目』が終わったら教えていただきたいわ。その後は来年の婚礼に向けて忙しくなってしまうから」
「お式はいつ頃なんですか? 『虹の蜘蛛』の原反の発注は受けていると聞いてますが」
王族の式典に着用するドレスには『虹の蜘蛛』の布地が使用される。セーレナの場合は婚約した折に『芸術』へ発注された。蜘蛛の飼育から糸の採取、糸を撚り布を織る。何反も作られ、最高級の物が引き渡される。
「来年の社交シーズンの終わりに予定されているわ。だから卒業してしまうとゆっくり時間が取れないの。⋯⋯ねえ、クリス様。先だってお願いした扇の房飾りは、お式の為に作ってくださらない?」
「こ、光栄ですけれども、もう発注なさってるのでは?」
すでに発注されているのならば、今製作している職人の仕事を奪う事になってしまう。それは避けたい。
心配になり聞けば、房だけの扇らしい。『お披露目』の後に工房を紹介してもらう事になった。
クリスは作業に戻り、横でインクの乾いたカードをペールが封筒に入れ、封をした。
ペールは一枚一枚熱心に眺めてから、丁寧に封筒に入れてゆく。
「アンバーブロウ様は本当に『芸術』のお仕事がお好きなんですね。こんな綺麗なカードを貰ったら、凄く嬉しくなっちゃうな」
「⋯⋯ありがとう。そう言ってもらえると私も嬉しい」
「私、体術しか得意な事が無いから、主家の娘でもちょっと肩身が狭いんだー。でもね、今回クリス様に出会えて、初日だっていうのに凄く楽しくなってるの。だからね、絶対に護るね」
真摯な瞳にクリスは圧倒され「でも、伯爵家の方に護られるなんて申し訳ないわ」と畏れ多く思い口にした。
「アルドー様もラティオ様も爵位の事なんて気にせず、クリス様を大事にしてるじゃないですか。それだけクリス様が好きなんですよー。フワフワだしー、小さいしー、頑張り屋さんだしー、なんたって可愛いでしょー」
「えー、何ですかー? 私もそう思いますー。うふふ」
書類を運ぶ途中で横を通ったフリアが身を乗り出した。「ねー」と二人で同意し合って笑い合う。
遠くからセーレナも微笑んでいる。
居た堪れなくなって、クリスは耳まで真っ赤にした。ペールがちゃっかりクリス呼びになっている事にも気づかずに。
その夜、アルドーのもとに先日放った密偵が戻った。
「コルデラ侯爵夫人は先代マールム公爵と未だ繋がっている様子です。夫人の店のサロンで会っていました」
「客として来ているなら隠す必要もない⋯⋯か」
「フォンターナ夫人と不仲なのは間違いなさそうです。侯爵夫人の太客に随分話をしているようです」
いくら太客とは言え、プライベートを話すのは如何なものかとアルドーは困惑した。
「元々自分がクローステール卿と結婚するはずだったが、キアラ・マリーノが横から入ってきた。だから先代マールム公爵が引き取ってくれた。と、吹聴しています」
「学園時代にはコルデラ卿は婚約していたんじゃなかったのか?」
「そのようですが⋯⋯」
コルデラ卿との婚約の前にノアと何かあったのだろうか。ノアの様子だと特別何かあったように思えないが。コルデラ侯爵夫人の思い込みなのか何なのかは解らないが、怨嗟で動いているのは間違いなさそうだ。
それにしても、とアルドーは思う。
子供のうちからクリスに嫌がらせをする理由があるのか、アルドーには理解が追いつかなかった。
「⋯⋯わかった。ご苦労だった。次はマールム公爵夫人の侍女と接触してくれ。何かあった時、すぐこちらに話が通る状態にしたい。それと、可能性は低いかも知れないが、夫人やエミリオから救援要請があれば、対応しなさい」
「承知しました」




