15 不満と不安と不穏
一昨日、ダニエレから逃げるように帰宅したエミリオは、母のサラ・ガルシアのもとへ急いだ。
普段会話どころか目も合わせない息子が息せき切って現れた事にサラは仰天したようだった。
「珍しいわね。何事かしら?」
サラは不信感をあらわに、頭の天辺から爪先までエミリオを見遣る。
居心地の悪さを感じながらエミリオが「マダム・キアラの娘が⋯⋯」そう告げた瞬間、
「久しぶりにヴァイオリンの練習がしたいわ。明日の午後に。エミリオ、付き合ってくれるかしら」
サラは声を被せてきた。
そのまま侍女に防音設備の整った小さな練習場の予約を取るように申し付けた。侍女がすぐさま退出すると、二人きりになった部屋でサラが口を開いた。
「ここで練習するのは恥ずかしいの。学園が終わたら付き合ってちょうだい。いいわね?」
そう言って退出を促された。何も発言を許されなかった事に腹を立てたが、『ここで練習するのは恥ずかしい』で気づいた。
この家での発言は聞かれている。誰に? 祖父か? 家族なのに? 疑問が次々浮かぶ。
慌てた態度を取ればきっとそれも不審に思われるに違いない。ここは話を合わせるのが良い。
「わかりました。ぜひご一緒させてください」
学園での授業が終わるとエミリオはイシャーンに断りを入れ停車場に向かった。公爵家の馬車に乗り込むと、馬丁が「奥様がお待ちです」と、王都の小さい劇場近くにある練習場へと馬車を走らせた。
「待っていたわ。始めましょう。ここなら話を聞かれる心配はないわ。ここは『科学』の息のかかった練習場よ。わたくしが『科学』の出身なのは知ってるわね?」
サラは侍女を一人扉の外に置き、もう一人の侍女にヴァイオリンを弾かせながらエミリオに言った。エミリオの疑問を察してサラが続けた。
「あの家はどこもかしこも話を聞かれているわ。部屋に仕掛けがあるのは勿論、使用人もあの人たちの目や耳なのよ。時間がないわ、早く話しなさい。疑われるわ」
「わ、わかりました。僕は今年度も生徒会役員になりましたが、今年入学したマダム・キアラの娘、クリス・アンバーブロウ嬢も役員になりました。それで、その、ミニュスクール公爵家の調査で初めて叔父上の経緯を知って⋯⋯」
「待って。ミニュスクール公爵家の調査って、何故貴方がその内容を知っているの?」
クリスに悪態をついた挙句、アルドーにまで突っかかり、セーレナに叱責された顛末を話す。
「マールム公爵家の男どもときたら⋯⋯」サラは頭を抱えた。
「どうしてお祖父様はマダム・キアラを子爵家に入れたんですか? 子供だって生まれていたのに」
「ここから先を聞けばマールム公爵家が、何をしようとしているのか知る事になるけどいいの? 知ってあちらに付くなら、わたくしは止めはしないわ。それがマールム公爵家の男だから」
サラは悲しげに顔を歪ませてエミリオに告げた。
「多分、付かないと思う。ダニエレに頼まれたから」
意外そうな目でエミリオを見た後、サラは語り出した。
マールム公爵家は建国以来『内務』を担当する一族だ。家督を継ぐ者即ち宰相であり、すべからく政治の中心に立つべしとされている。
長い間、宰相の立場にあり一族の懸念として必ず持ち上がるのが、歴代の国王のほとんどが短命かつ精神に異常をきたす事だ。
初めの頃は懸念で済んでいたが、代を重ねる毎に王族を廃して、実務を行う『内務』が実権を取るべきだと考える者が少なからず出て来た。
その最たる者がエミリオの祖父、ジュゼッペだった。
国王ベニニタスは二十一歳の若さで婚約者のないまま即位した。元老院の主家に年回りの丁度合う令嬢がいなかったからだ。ベニニタスの同年代はみな何故か令息ばかりだった。
『内務』が本来の順番であったが一向に女子が生まれず、その次の『財務』も同様であった。
元老院の会議で既にいる『農務』エピ公爵家の女児が適当であるとし、十五歳年下のクラーワ・バーレイに内定した。
当時のマールム公爵、ジュゼッペ・ガルシアは不快の極みであった。元老院では元々、持ち回りで王に娘を嫁がせる決まりであり、順番が来た時に女子が居なければその権限を次の部門に移譲する慣例があった。娘が産まれないのは仕方がないとは言え、感情が収まらない。
常々ジュゼッペは、先代国王も例に漏れず気鬱のまま消え入る様に儚くなったので、ベニニタスも同じ道を辿るだろうと踏んだ。
──それならば、ベニニタス王を廃し、国を治めれば良いと考えた。宰相である自分にならば出来る、と。そこに娘が産まれれば尚良しだ。
しかし残念ながら妻との間には男子しか生まれず、ベニニタス王は精神を病む事なく壮健だった。意地になったジュゼッペは、ベニニタス王から王位をもぎ取る計略を立てた。
まず、クラーワを成人前に嫁がせた。身体が未熟なうちに妊娠させて身体に負担をかけて、母子ともに死に追いやろうとしたが、ベニニタスに見破られ失敗した。
次にまだ年若い王妃側から王家を崩壊させる事を画策した。適当な男を使って王妃が子をなす前に辱めてしまおうとしたが、貞淑でベニニタスを深愛するクラーワには全く通用せず、これも失敗に終わった。
そしてベニニタスに直接危害を加えようとして計画されたのが、アンナ・フォンターナをクラーワの書記官として送り込む事だった。
学園で成績優秀であったアンナの父であるラマート子爵を脅して、自分の子と縁付かせた上で矢面に立たせようとしたが、アンナの病が悪化したため失敗。
次に目を付けたのがアンナと友人であったキアラ・アンバーブロウだった。キアラを『芸術』に心を売った罪人と罵り、服従させた上で王妃のもとへ送り込んだ。
しかし、時折顔を腫らして出仕するキアラを不審に思った王妃が彼女を匿い、現在に至る。
「わたくしも人質なのよ。わたくしはジュゼッペ様の奸計で結婚するに至ったわ。『科学』と手を組むためにね」
「そんな⋯⋯」
両親の間に愛が無いのは気付いていたが、政略結婚ならばあり得る事だとエミリオは思っていた。
「『科学』では数年に一度、国王だけが入れる『国王の間』保守作業をしているの。それに目を付けたのね。そこを押さえれば王を廃せると思ったんでしょうね。うまくいかなかったようだけれど。──それと、古代兵器の復活を目論んでいたの、ジュゼッペ様は。今の主流は火薬式の銃だけど、光のエネルギーを一点に集中させて威力を増す古代の銃で、確実性を高めたかったようだわ」
「弑逆するつもりなんですか!?」
「そうよ。キアラに持たせた銃はとっくに国王に知られているでしょうね。それでもお咎めがないのは、キアラの証言だけで決定的な証拠が上がっていないからなんでしょう。さっきキアラの娘が生徒会役員になったと言ったわね?」
巨大な渦に巻き込まれたような、足元を波にさらわれたようなそんな現実味のない感覚の中、エミリオはただ頷く。
「キアラが王妃陛下に匿われているということは、マールム公爵からすれば王家に人質として囚われているって言うことよ。娘の身辺に警戒しなさい。すでにジュゼッペさまに情報が漏れていると思ったほうがいいわ」
「アンバーブロウ嬢を盾にするって事ですか? ⋯⋯僕は、今の話をアルドー殿下に話します」
王家を葬るなどあってはならない事だ。逆賊になるつもりはない。
「そう。ならば殿下に伝えてちょうだい。今の体制に不満を持っているのは『内務』だけではない。『科学』と『医療』も扱いの低さに不満を持っているのが少なからずいる、と」
「どうして?」
「国のインフラストラクチャーに無くてはならないのに、初代国王の覚えめでたくなかったと言うだけで爵位が低いの。例え名目上は平等であっても、遠い昔のようにはいってないってことよ」
侍女に演奏をやめるよう促し、会談の終わりを告げた。エミリオはまだ聞き足りなかったが、祖父に怪しまれるのは良くない。馬車に乗り込み共に帰途につく。
途中、サラが焼き菓子店に寄り、侍女に籠盛りを買いに行かせるようだ。
「貴方もどう?」と笑顔を向けられる。
エミリオは困惑しながら甘いものが苦手と伝えると
「チーズのリーフパイなら甘くないわ。生徒会の皆さんにお詫びしましょうね」
と、人数分のリーフパイとクッキーの小袋を渡された。
その時耳元でサラが囁いた。
「確証はないけれど、キアラの誘拐にはコルデラ侯爵夫人が関わってるわ」
女子が産まれなかったからと言って、当時の学園が男子だらけだった訳ではなく、ジュゼッペが「つ、次こそは」とか言って娘が産まれるまでズルズル順番を譲らなかっただけです。
クレプスクルムの相手も『内務』でエミリオしか産まれなかったので、元の順番通り『財務』のセーレナに決まりました。




