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ガラス細工を愛する少女は王妃様を輝かせたい  作者: 小日向 おる
第二章

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11 瓦解するもの

 生徒会室を逃げ出したエミリオはただひたすら走った。公爵邸に帰りたくないが、あてもない。

 焦燥感だけがわき上がっていた。


 エミリオ・ガルシアは幼い頃から叔父のリカルド・フォンターナが嫌いだった。

 上品な仕立てのはずのスーツをだらしなく着崩し、グッタリとソファで寝ているかと思えば、ギラギラした笑みを浮かべて居丈高な態度をとったりと浮き沈みが激しくて怖かった。


 ラマート子爵家に婿入りして長いはずなのに、何故かマールム公爵邸に居着いている。エミリオが物心ついてから見かけない日がほとんど無いくらいに。それを祖父は苦々しく思っているようだが、祖父は領地経営に、父は宰相の職にそれぞれ忙しく動いているので見て見ぬふりだ。


 時折顔を見せるリカルドの妻アンナに「お前がしっかりしないから」と、祖父が罵声を浴びせていたのを幼いエミリオは聞いていた。

 九歳の時、公爵邸はにわかに騒がしくなり、叔父が庭で暴れているのが自室の窓から見えた。使用人たちに抑えられ、父が宥めていた。


「アンナがもうすぐ死ぬ!」そう叫んでいた。

「わかったから落ち着け」祖父が現われ左頬を殴った。

 昏倒した叔父を見下ろし、祖父は「あの淫売のせいでこやつはおかしくなった。ああ、忌々しい」と吐き捨てた。




 それからふた月くらい経った頃だろうか、アンナの葬儀があった。

 口の端に笑みを浮かべたリカルドの傍らには、自分と同じ年頃の少年がなんの感情もない顔で佇んでいた。祈りの句をそれぞれが口にしながら花を添え立ち去っていったが、彼は棺桶に土が盛られてもずっとそこに留まって無表情に地面を見つめていた。

「あれはお前の従弟だ」と父に言われたが、初めて見たのでピンとこなかった。ラマート卿には一年に一度、春の始まりに会う機会があったが、従弟には会ったことがなかったからだ。


 墓地を出て馬車に向かっていると、先に出た祖父と父、叔父とラマート卿の四人が馬車の脇で何やら揉めているようだった。


「後妻を迎えるだなんて、今この場で言う事ですか!?」


 ラマート卿が叫んだ。


「アンナは残念だったな。王妃直属の書記官は必ず出さねばならん。だからだ」


 祖父が嗜めるもラマート卿の顔から怒りは消えない。


「ならばうちから出さなくとも良いではないですか」


「リカルドはどっちにしろ中継ぎだ。息子に子爵位は移る。だったら後妻の一人くらい入れても良かろう? 速やかに手続きしろ」


 有無を言わさぬ祖父に言い捨てられ、ラマート卿は拳を握りしめながら深く礼をした。主家というものは下位の者にああいった強い態度で出るものなのか、とエミリオは納得した。自分も将来、そうすべきなんだろうと心に留めた。




 数日して叔父が薄いピンク色の髪の女を連れて来た。これが後妻らしい。女は憔悴した顔でずっと唇を引き結んでいた。祖父と父に引き合わされてもようやく聞こえるくらいの声で挨拶をしていた。

 それが気に入らない祖父が平手で頬を打ち据えた。父も叔父も止めることなくただ見ていた。母が一瞬飛び出すかと思えたが、すぐに祖母に腕を捕まれた。


「お前はリカルドと婚姻し、王妃直属の書記官となれ。それ以外は許さん」


「何故です? クローステールに帰して下さい」


「お前も『内務』の人間ならすべき事をしろ」


 泣き崩れる女に追い打ちをかけて祖父は去って行った。父もそれに続き、叔父は祖母に向かって「これが王城に出られるよう支度をして欲しい」そう言って去って行った。

 祖母は女に駆け寄り、ハンカチで顔を拭い何か告げて客間に女を連れて行った。

 母はエミリオを見やると「貴方はあれを見ても平気そうなのね。残念だわ。部屋に行っていなさい」とエミリオを追い払った。


 その後は年に一度の春のパーティで女を見かけたが、いつも祖父に罵られ項垂れていた。

 エミリオが知っているのはそんな事ばかりだ。女がどうやって叔父を誑かしたかなど知らないし、知ろうとも思わなかった。ただ、あの女に対する祖父と父、祖母と母の間には違う空気が流れていたのは解った。


 エミリオは祖父の方が偉いのだからそちらが正しいのだと単純に飲み込んだ。叔父の事は嫌いだが、女たちよりきっと偉いのだろう。そう思う事にした。




 それがいきなり瓦解した。

 どうやら非は叔父やマールム公爵家の方にあるらしい。エミリオは混乱した。自分の中の公爵家が揺らいでいる。

 誰かに答えを出してもらいたいが、一体誰に聞けばいいのか。

 そんな思いに囚われて走り続けたが、気づけばアスレチックフィールドの一角にある、武器訓練場まで来ていた。


「おや、坊ちゃまがどうしてこんな場所に?」


 声のする方に目を向けると、そこには男子生徒の姿があった。

 一瞬誰だかわからなかったが、どことなく顔が自分に似ている事に気付いて従弟だと思った。墓を見つめていた頃と違ってやけに身体が大きくなっていた。


「お前、入学してたのか」


「ったく、これだもんな。坊ちゃまには下々のことなんてどうでもいいんですよね」


「その坊ちゃまっていうのは何だ。我が公爵家の血をひく従弟のお前が、使用人のような言い方をするのは何故だ」


 心底呆れた表情を浮かべて自分を見ているが、理由がさっぱりわからない。短く刈り込んだ黒髪をガリガリと掻いて盛大にため息をついた。


「従弟とおっしゃる割には名前を呼んでいただいた事などありませんが。エミリオ様。公爵家の方々は皆様そうです。父にすら一度も、です。あの方は特に、私の事が目に入っていらっしゃらないのでは?」


「な、何を言う。公爵家の庇護を受けておいて、そんな態度を取るのか?」


 嫌味なほどに使用人然と姿勢を正し、へりくだった言葉遣いで話す従弟に腹が立つ。


「ほら、それですよ。庇護って、詰られてどつかれるって意味ですか? 地方の小役人になる程度の家系なら何をしようが構わないって思ってるんでしょう? 母はたまたま女性だったから王城に出仕させようとしただけじゃないですか。まあ、坊ちゃまに言っても仕方ないんですがね」


「お前!」


「⋯⋯俺は父が大嫌いです。祖父も母も、そしてキアラさんもあの人のせいで不幸になりました。ただ分家の下位貴族というだけで。でも、まだ『内務』の中で完結してるからいいんですよ。でも、『芸術』に難癖付けるのは駄目です。生徒会に入ったんですよね?」


 言われて初めて気づいた。身内であって身内でない事に。

 クリスは『芸術』を貶める行為に配慮を求めたが、主家であるコルデラ侯爵の名を一度も出さなかった。もっとも、出されたところで公爵位の自分は聞き入れなかっただろう。


「お前、叔父の再婚の経緯を知っているか? 今日初めて知ったんだ。一体何があった」


 一瞬従弟が目を丸くした。そして眉間に皺を寄せたかと思うと、深く頭を下げた。


「エミリオ様。私を少しでもマールム公爵家に(ゆかり)ある者とお思いでしたら、是非にお願いしたい事があります。『内務』を救ってください。国をどうにかする(・・・・・・)前に、部門が破綻します。貴方にしかお願いできません。どうかよろしくお願いします」


 深く、深く頭を下げ続ける従弟。何と答えていいのかわからない。

『内務』に何が起きてる? 父が、祖父が、叔父が、何をしてる?

 まだ学生の自分にどうしろというんだ。


 未だ頭を下げ続ける従弟の前で立ち竦んでいると、コツコツと軽やかな靴音が近づいて来た。

 慌ててエミリオはその場を後にした。従弟を置き去りにして。

 

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