10 強襲
「クリス・アンバーブロウ! お前が生徒会役員なのはおかしいですわ!」
エミリオが去って数瞬、ドカン! と音がする程の勢いでイブリン・ギルランドが乗り込んできた。扇をクリスに向かって突きつけながら。
その両脇で「そうですわ。そうですわ」と『芸術』の二人の令嬢が囀っている。
クリスは先程までの悲しみが消し飛び、この又従姉のいつもの嫌がらせに呆気にとられてしまった。
ソファから立ち上がり、イブリンの前に歩み出た。
「おかしいですか?」
「主家であるコルデラ侯爵家の娘であるわたくしが生徒会に入るのが当然ですのに、なぜお前が入っているのです? みっともなくどなたかに取り入ったのかしら?」
汚いものでも振り払うかのように、閉じたままの扇を肩のあたりで振る。
「その言い方は生徒会役員の皆様に失礼になりませんか?」
「ふん、なら何故お前のような低い身分の者が生徒会に入れたというの?」
つ、と扇をクリスの左肩に当て、ぐいと押し込む。
「⋯⋯!」クリスはバランスを崩し倒れそうになるが、ふわ、と背中を抱き留められ事なきを得た。
「生徒会室で何してるの?」
アルドーはわざと甘い声を響かせ視線を集めた。
「あっ、アルドー殿下ぁ。クリスが粗相をしましたので注意していただけですわぁ」
今まで見えていなかったのかと思う程の豹変ぶりで、可愛く見える(らしい)角度に顔を傾けて猫なで声を添えた。
「あら、わたくし見ておりましてよ。品のない罵倒をしてらしたのは貴女の方ではなくて?」
クリスが振り返り見上げると、アルドーが笑みを浮かべ支えた手をそっと離した。その後ろには片眉を吊り上げたセーレナ。
「なっ。お二人はこの女に騙されていますわ! こんな見栄えの悪い小さい女に!」
「騙しているの? アンバーブロウ嬢?」
「⋯⋯⋯これ程小さくて可愛らしい女の子がどこにいるのかしら? おまけに成績も申し分ありませんし。それにクリス様はとても美しいカリグラフィーをお描きになるし、自領のグラスビーズを盛り立てる努力もされてるわ。貴女たちはそれ以上に頑張っていらっしゃるの?」
セーレナに一気に詰められ三人の令嬢は竦み上がった。
一方クリスは、褒められて嬉しいやら恥ずかしいやらで落ち着かない。
「でしたら、その努力を『芸術』のために使いなさい。お前に『芸術』の聖女役を演らせてやるわ! 少しばかり色が入っているけれど金髪ですもの」
「イブリン様。私は生徒会でコンテストに出場致しますので、『芸術』のお手伝いは出来ません。申し訳ございません」
「ほほほ、だから言ってるでしょう? 入れ替わりでわたくしが生徒会役員になるわ。どうでしょう? アルドー殿下?」
なる程そういう論法で来るのかと何となく感心してしまったクリスだが、ふとアルドーを見るととんでもなく深い皺を眉間に寄せていた。
そんな事もお構い無しに、ずっとしなを作り続けるイブリンの鉄の心臓にさらに感心する。
「あの、それでしたらお隣にいらっしゃるコルデラ侯爵夫人のご実家の方の髪のほうが、私より余程お綺麗かと思うのですが」
「や、やめてよ! そんな見世物になるのなんて嫌よ!」
語るに落ちるとはこの事。
クリスに変なものを着せて舞台に上がらせたいのか、それとも上がった後で何か事を起こそうとしているのか。いずれにしても何か企んでいるに違いない。
「イブリン様は私に見世物になる様な格好をさせたいって事ですか?」
「⋯⋯! ち、違いますわ!」
「ねえ、ギルランド嬢。兄妹揃ってこれ以上騒ぐのはやめてもらえるかな? あんまり度が過ぎるとコルデラ卿を呼び出すよう、学園に進言するよ? そんなに学園の決定に異を唱えるなら学園から去ってもらっても構わないのだけれど」
アルドーは微笑んでゆっくりとイブリンの顔を覗き込む。よく見ると目が笑っていない。
恐ろしさ半分、アルドーの整った顔が目の前にあることの嬉しさ半分。イブリンがふるふると震えだす。
「も、申し訳ございません」
「そうそう、これはコルデラ侯爵に伝えて下さる? わたくし、セーレナ・ラティオはクリス・アンバーブロウ様のパトロンになりますわ。生涯の。これがどういう事かおわかりね? 『芸術』の方々は他の誰よりも理解できるはず」
その言葉に一番驚いたのは、クリスである。今はただの学生だが、来年には王太子妃、そしてゆくゆくは王妃となるのだ。クリスはセーレナの左手を戴き、深く平伏した。
それを見たイブリンと取り巻きの二人は驚愕の表情で慌ただしく膝を折り、
「必ず申し伝えます」
と、イブリンが悔しさを滲ませて言った。
それからすぐにアルドーに追い立てられるように生徒会室から出て行った。
「セーレナ様、ありがとう存じます。私、死ぬ気で頑張ります」
「あら、いやね。死なれては困るわ。ずっとずっと私を飾ってね」
手を握り合いながら微笑む二人。
「ふ、ふふふふぅぅぅ、あはははは」
一転してクリスはどうにも我慢できないといった風に声を出して笑い出した。
高貴な二人の目の前で大爆笑してしまった。
呆気にとられる二人に気付き、そっとセーレナの手を離し、くるりと後ろを向いて息と顔を落ち着かせた。
改めて振り返り「申し訳ございません。取り乱しました」そう言って膝を折った。
「あんな話の後でこんな馬鹿みたいな言いがかりってないじゃないですか。もう可笑しくって。あー、日常だなぁって」
「日常って⋯⋯⋯。問題があるのではないか? コルデラ卿は何をしている?」
「本当に幼い頃からずっとなんです。会えば必ず何かしてきました。幼い頃は虫を投げつけられる様なつまらないいたずらだったのが、段々酷い言葉を言ってくるようになって。コルデラ卿は叱ってくださいましたけど、マダム・ドロテは見てるだけでした」
回数を重ねる度に思い煩うのが面倒になってあまり考えなかったが、ドロテはいつも遠くから見ているだけだった。双子たちが一緒でない時も口をきいた覚えが無い。
──嫌われている?
「学園時代がキーポイントか? コルデラ侯爵夫妻とクローステール男爵夫妻は、確か同時期に学園にいたはずだ」
「⋯⋯⋯当時の先生方がまだいらっしゃるかしら?」
クリスが思いに耽っていると、貴き方が二人でたかが男爵家のことで頭を悩ませているのが心苦しくなった。
「わ、私、自分で何とかしますからっ」
ひた、と扇を口元に翳しセーレナがクリスに相対した。
「可愛い貴女が困っているのが見過ごせないの。わたくし、本当に可愛くて仕方ないの」
「⋯⋯⋯え、えぇ?」
「そうでしょう? アルドー様」
突然話を振られて動揺するアルドー。みるみるうちに顔が赤く染まる。絞り出されるような小声で答える。
「⋯⋯⋯は、はい」
「待って待って待って、セーレナ様、そんな無理やり。⋯⋯⋯でも嬉しいです! 私、父にも聞いてみます」
「そ、そう。今日はここまでにしよう。明日から本格的に準備を始めるよ」
「はい! では失礼します」
恥ずかしすぎて頬に集まった熱を見られまいと大きく礼をして生徒会室を後にした。
同じ頃、王城の庭園で王妃クラーワは、盛りにはまだ早いマグノリアの花のついた枝を手に、傍らに控える二人の女性に声をかけた。
一人はピンクブロンドの髪をきっちりと纏め手にはすでに切り落とされたマグノリアの花を何枝か抱え、もう一人は白いローブのフードを目深に被り静かに佇んでいる。
「なかなかやって来ないわね。もう少しヒントをあげたほうがいいかしら?」
「アルドー殿下は諜報員を放った様でございます」
白い女の言葉に、ふぅ、と小さくため息をつき、
「もう少し待ちましょうか」
クラーワは近くにあった浅い水瓶にマグノリアの枝の先を泳がせた。




