08.あなたがいなくても、むしろ快適です2
「確かに忙しいのは事実だが……そうではなく、これでも急いできたんだ……! 本当なんだ!」
「……」
必死に続けられた言葉に、私は静かに首を横に振る。
「わかっています。怒っているわけではないんです」
「……なら、どうして」
「期待すると、がっかりするんです」
「え……」
思っていたよりもずっと素直に、言葉が出た。
それは弱音ではなく、私なりの選択だった。
もういいと諦めた途端、なんでも言えるような気がしてきたのだ。
「最初から、一人だと思っていたほうが楽なんです。服も髪型も、誰かのために整える必要はない。紅茶の温度も気にしなくていいし、食事も、自分のタイミングで好きにとれます」
そう。余計な気遣いもしなくて済むから、むしろ快適ですらある。
「……エーファ」
「はい?」
彼が私を呼ぶ声に、今度はゆっくりと視線を上げる。
「急いで来たと言っても、遅れて来たのは事実だな……。僕なりに、本当に急いで来たつもりだったんだが……そんなこと、君には関係ない」
「……」
「すまない。これからは……もう少し、仕事をセーブする」
「え……?」
予想もしない言葉に、私は思わず目を見開いた。
カミル様の金色の瞳が、まっすぐに私を捉えている。
「確かに最初の頃は、余裕がなかった。仕事をするのに必死で……だが、最近は侯爵の仕事にもようやく慣れてきた。だからもう、言い訳はしない」
そして続いたのは、初めて聞くような――まるで、祈るような声。
「今の僕には、君との時間のほうが、大切なんだ」
その瞬間、胸の奥に張っていた氷が、少しだけ溶けるような気がした。
真剣な瞳で、彼はまっすぐに私を見つめていた。
珍しいほど、はっきりとした口調だった。
「本当は、今日も途中で抜けてきたんだ。まだ仕事は山積みだが……それでも、君との時間を過ごしたくて。たとえ短くても、君の顔が見たかった。本当だ」
「まあ……」
その言葉に、少しだけ胸がじんとする。
仕事命のカミル様が、そんなふうに思っていてくれたなんて。
私はずっと、一人で空回りしていたのかもしれない。
「……そんなふうに言われたら、また期待してしまいますよ?」
自嘲気味にこぼした私の言葉に、彼は頷いた。
「それでいい。これからは、ちゃんと応えていきたいんだ。仕事も、他の者に任せられるものは任せる。全部を抱え込む必要はないって、ようやくわかってきた」
「カミル様……」
「それから、僕も少し、君を見習おうかな。無理をせず、君との時間を大切にするよ」
「ふふっ、そうですね」
少し照れたように笑うカミル様に、私は思わず笑みを返す。
確かにこの一年、彼は何かに追い立てられるように、仕事ばかりしていた。
不器用で、真面目で、だからこそ誰よりも背負い込んでしまう人。
「でも、これまで君を何度も待たせてしまっていたこと……本当にすまなかった」
「……今度からは、紅茶が冷めないうちにいらしてくださいね?」
私がそう返すと、カミル様はふっと息を吐いて、やわらかく笑った。
「ああ、約束する。君の淹れた紅茶を、あたたかいうちに飲みたいから」
その言葉が、どうしようもなく優しくて。紅茶が先ほどよりも甘く感じたのは、気のせいかしら?
今度こそ、本当に「二人で過ごす時間」が始まるかもしれない。
そんなふうに思えた、一日だった。
お読みいただきありがとうございます!
カミル側の事情なども書いていきたいと思っています!
頑張りますのでブックマークや評価などで応援いたどけると嬉しいです!m(*_ _)m