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07.あなたがいなくても、むしろ快適です1

 私たちの結婚に、愛はない。


 それでも形式としての夫婦関係は保たれていた。

 週に一度のティータイムと、月に一度の夕食。

 形ばかりのそれらは、私たちが〝夫婦〟であることを思い出させてくれる、唯一の時間だった。

 カミル様はとても忙しい方だ。

 若くして侯爵家を継ぎ、日々山のような公務に追われている。

 それでも、私のために時間を作ってくれる――そう思えることが、私にとってはささやかな喜びだった。


 けれど――。


 彼は、毎度のように時間に遅れてやってくる。


「すまない、仕事が長引いてしまった」


 一度や二度なら、仕方がないと笑えただろう。

 でも、毎回のように遅れてくる彼に、私はだんだんと思ってしまうのだ。


 私との約束など、その程度のものなのだと。

 どうでもいいのか、忘れてしまうのか。


 ――あるいは、そもそも面倒だと思っているのかと。


 だからもう、私は期待するのをやめた。




     *




 その日も、カミル様はまた遅れてきた。

 私が選んで淹れた紅茶は、すっかり冷めてしまっている。

 この日のために私が作ってきたお茶菓子も、乾いた空気にさらされて艶を失い、どこか寂しげに皿の上に並んでいた。


 ガチャリと、重厚な扉が開く音に顔を上げれば、そこにいたのは仕事を終えて急いで来たのが見て取れるカミル様。

 額にうっすら汗をにじませ、少し息を切らしながら、肩で呼吸をしていた。


「……遅れて、すまない」


 息を整えながら、申し訳なさそうにそう言って、彼は私の向かいの椅子に腰を下ろした。

 その姿を見て、私は静かに微笑んだ。


「――いいんですよ。お仕事、お忙しいのでしょう?」


 私の声は穏やかだったはずだ。決して彼を責める気はない。


 だって、もう期待するのはやめたから。


 だからむしろ淡々と、感情を削ぎ落したように、静かに微笑む。


「……まぁ、忙しいのは忙しいが――」

「もう、無理に時間を合わせてくださらなくて結構ですよ」


 そして、カミル様の言葉を遮るように告げると、彼の手が止まった。


 言い訳は、もう聞きたくない。


「――え?」


 紅茶に手を伸ばしかけていたカミル様が、驚いたように目を見開く。


「私はこれから、毎日一人でお茶をして、一人で食事をとります」

「ま、待ってくれ、エーファ。それはどういう……」

「カミル様はお忙しい方です。私のために時間を作っていただくのは、かえってご負担になるかと思いまして」


 言葉を重ねる度に、私の胸に沈んでいた何かが、静かに音を立てて崩れていく。

 悲しいわけじゃない。ただ、期待することに疲れてしまっただけ。


「いや、そんなことは――!」

「最初から、一人だと思っていたほうが……気が楽なんです。今日も、そう思いました」


 そう言いながら、私はゆっくりとティーカップを口に運んだ。

 冷めた紅茶の味は、想像よりずっと苦くて……その理由が温度のせいだけではないと、私は知っている。


「エーファ……」


 低く絞るような声で名前を呼ばれても、私は視線を上げない。

 紅茶に映る自分の顔が、どこか他人のように感じられた。


 夫のために、お茶菓子を焼いた。

 それに合う紅茶を選び、カップの模様の角度まで気にして並べた。

 彼の好みに合うような服を選び、髪を整え、化粧をして、少しでも〝妻らしく〟見えるように――。


 そういう努力のすべてが、彼にとってはどうでもいいものだったのだと思うと、胸がすっと冷えていく。


「エーファ、違うんだ……!」


 焦ったように口を開いたカミル様の声に、少しだけ心が揺れそうになるのを、私はそっと押しとどめた。


 もう、いいの。私は、期待しないと決めたのだから。


 それなのに――彼の声が、少しだけ熱を帯びて聞こえるのは、ずるい。




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