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05.一言くらい、言ってほしかった1

 週に一度、決まった時間に二人で過ごす優雅なティータイムの時間。


 今日も、彼は静かにケーキを口に運ぶ。

 その所作は、いつもながら驚くほど丁寧で、無駄がない。

 姿勢を崩すことなく、すっとフォークを持ち上げ、端正な顔のまま小さく口を開く。

 唇がケーキに触れる度、私の心臓がドキドキと、わずかに跳ねた。


「……いかがですか?」


 ゴクリと唾を呑み、思い切って尋ねる。

 すると彼は一瞬だけ手を止め、紅茶を手に取った。


「大丈夫だ」


 ――また、それだけ?


 涼し気な表情で目を伏せたまま、紅茶に口をつけるカミル様。


 ほんの一言。一体、何が大丈夫なのか。

 それだけで、私の今日の頑張りがすべて空気に溶けて消えていくようだった。


 先週より、バターを控えて小麦粉の配合も変えてみた。

 焼き時間も秒単位で見直したし、冷やし方も変えてみた。

 先週より軽やかで、しっとりと、舌の上でほろりと崩れるように仕上げたのに。


「お口に合わないのでしたら、おっしゃってください?」


 頑張って笑顔を作り、問いかけた。できる限り、いつも通りの声で。

 でも、自分でもわかる。唇の端がひきつっているのが。


 けれど彼は、顔を上げようともせず、いつものように静かな声で「いや、別に。問題ない」と返し、黙々とケーキを口に運ぶ。

 まるで、さっさと食べてしまわなければならない、義務のように。


 その瞬間、ぷつり、と私の中の何かが切れた。


〝別に〟って……、何?

〝問題ない〟って、何?


 それ、返事になってないんですけど?


 心を込めた感想が欲しいなんて、大それたことは言わない。

 でもせめて、「美味しい」とか、「これは少し甘いかも」とか……何か、あなたの言葉が欲しかった。


 私の中に募った思いは、しゅるしゅると胸の奥で渦を巻いて、やがて静かな諦めへと形を変える。


 ……もういい。

 もう、お菓子を作るのは、やめる。


 彼のために、喜んでもらいたくて、ずっと続けてきたことだったけど。

 そんなのは、私だけが考えている、エゴなんだわ。



 私の唯一の特技――それが、お菓子作りだ。

 小さい頃から調理場に立っては、料理長や母の隣で泡立て器を回していた。

 材料が混ざり合っていく感触が好きで、焼き上がる甘い香りが心を落ち着かせてくれた。


 私は四人姉妹で、よく姉妹仲良くテーブルを囲ってお茶をした。

 姉妹たちが「エーファのお菓子は世界一美味しいわ!」と言って喜んで食べてくれるのが嬉しくて。


 だから侯爵家に嫁いできた今でも、気づけば自然と手が動いている。


 材料の配合はもちろん、その日の温度や湿度、使う卵の鮮度やバターの産地にまで気を配る。

 ほんの少しでも、前回より美味しく――その一心で、私はいつも調理場に立ってきた。


 契約結婚したカミル様に、せめて妻としてできることが何かないかと考えたとき、私にできるのは、やはりこれしかなかった。


 だから週に一度の、彼と過ごすたったひとときのティータイムには、必ず私が焼いたお菓子を出してきた。


 けれど。

 カミル様に「どうですか?」と尋ねても、返ってくるのはいつも――。


「大丈夫だ」

「問題ない」

「別に」


 そんな、素っ気ない言葉ばかりだった。


 完食してくれるのは、ありがたい。一口食べて、フォークを置くような人ではない。

 でも、心を込めて焼いた者としては、もうちょっと、こう……何か感想が欲しいと思ってしまう。

 ほんの少しでいいのに。あれでは、美味しいのか美味しくないのか、まっっったくわからない。


 あの冷淡で整った顔で静かに紅茶を口にする彼を、何度横目で盗み見たことか。

 彼は感情をあまり表に出さない人だ。

 それは知っているけれど……「美味しい」か「口に合わない」か、くらい、言えるはず。


 でも、もういい。


 今回こそは喜んでくれるかも……なんて、期待するのはもうやめよう。


 ティータイムのお茶菓子なんて、彼はなんだっていいのだろう。

 砂糖をどばどば入れたって、塩をたくさん入れたって、「問題ない」とか言うんじゃないかしら。


 それに、どうせ私たちは契約結婚した夫婦。

 愛もなければ、情もない。

 数年後には離婚するのだし、彼のためにこんなに悩んで、神経をすり減らして、時間を費やす意味なんて、もうない。




 というわけで、翌週から私は彼のためにお菓子を作るのを、やめた。

 そうしたら、なんだかすとんと気持ちが落ち着いてきた。

 もちろん、本音を言えばちょっと寂しい。でも、それ以上に、もう疲れてしまったのだと思う。


 代わりに、屋敷の使用人にお願いして、お菓子を出してもらうようにした。

 お菓子作りに慣れていない使用人が作ってくれたり、市場で量産品のものを買ってきてもらったり。特にこだわりのないお菓子だけど、それでいいの。


 侯爵家なのだから、もっと高級な菓子店に注文することもできるけれど、それでは意味がない。

 私が自分で作っていたのと同じくらいのコストのものを選んでもらった。

 そうじゃないと、フェアじゃないもの。

 特技と言っても、私は素人。条件は揃えないとね。



 そうして、その日の午後。

 いつものようにティータイムの時刻になると、使用人が用意した市販のケーキがテーブルに並べられた。

 色合いは美しく、形も整っている。

 でも、どこか無機質で、整いすぎていて――ぬくもりがない。


 先ほど私も一口味見してみたけれど、甘さがやたらと強く、舌にざらつく感触が残った。

 使われている材料もどこのものかわからないし、香りもわざとらしく強い。


 使用人も食べてみて、「奥様の作ったお菓子のほうが美味しいです! 奥様はすごいですね」と、褒めてくれた。


 でも、彼はきっとこれで〝大丈夫〟なはず。


「今日のケーキは、いかがですか?」


 今日もいつものように、「大丈夫だ」その言葉が返ってくるのだろう。

 そう思いながら、努めて明るく微笑みながら尋ねる。

 

 けれど本音は、少しだけ緊張していた。

 本当に、これまでと同じように「大丈夫だ」と言われたら……。


 ドキドキしながら、いつものように静かにフォークを取って、ケーキを一口食べるカミル様を見つめた。


 すると――。


「……これ、いつものと違うな?」


 その言葉に、私は内心で心臓が跳ねるのを感じた。




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