04.私を置いて行くのなら、もうそれで構いません2
「……何か、ご用でしょうか?」
問いかけると、彼は気まずそうに目を逸らしながら、少し俯いた。
「……これまで、すまなかった」
「え?」
「僕は……女性と社交の場に出たことがほとんどなくて……その、どうエスコートすればいいのか、正直、自信がなかったんだ……」
ぼそぼそと、まるで小声で言い訳をするかのように。
あの、いつも毅然とした表情を崩さない、プライド高きカミル様が、こんなふうにしおらしく謝るなんて……正直、驚いた。
「だが、君がそんなに辛かったなんて……知らなかった。本当にすまない」
絞り出すようなその声に、私は思わず目を見張った。
今にも泣き出してしまうのではないかと思ってしまうほど、悲しそうな顔をしているカミル様。
ぎゅっと握られた拳が、ぷるぷると小さく震えている。
いつもはあんなに堂々としている方なのに。
社交の場でも、公務の席でも、誰の前でも隙を見せない人が、こんな表情をするなんて。
その姿はまるで、失敗を叱られた少年のようで……少しだけ、胸がちくりと痛んだ。
彼は子供の頃に母を亡くし、父である先代の侯爵も二十歳のときに亡くしている。
若くして家を継いだ彼は、周りから舐められないように、そして早く認めてもらえるようにと、苦労してきたのは知っている。
「……自信は、経験とともに身につくものですよ?」
そんなカミル様に、ルイが肩をすくめながら口を挟んだ。
やれやれ、といった様子で、それでいてどこか優しさをにじませて。
するとカミル様がふいにルイへと視線を向けた。
「そうだな……って、そもそもおまえは誰だ!? 僕の妻を平然と呼び捨てにしていたな……!」
思い出したようにルイに言い募り、私の隣にいるルイに一歩詰め寄る。
そして、まるでルイから奪うように、私の腕を引き寄せた。
その手は力強く、けれど少しだけ、震えていた。
「エーファは僕の妻だ!」
「……」
私たちは契約結婚した夫婦なのに。
カミル様は、まるで本当に私を愛しているかのように、ルイに向かってそう叫んだ。
「ああ、ご挨拶が遅れました。俺はルイ・ヴァルトハイムと申します」
「え……ヴァルトハイム?」
もちろん聞き覚えのある姓に、カミル様が戸惑った顔を見せる。
「はい! ちゃんとお会いするのは初めてですね、叔父さん!」
「叔父……ってことは、つまり――」
爽やかに笑うルイに、カミル様の表情が引きつっていく。
「そうです。ルイは私の姉の息子……つまり、私の甥にあたります」
「え…………ええええええっ!!?」
そう、彼はヴァルトハイム家長女である私の姉の、息子なのだ。
姉は、幼馴染の伯爵令息を婿にした。
カミル様とルイが会うのは初めて。
想像以上に驚いているカミル様の反応に、私は思わず笑ってしまう。
「甥って……いくつだ!?」
「今年で十五になりました」
「十五!? 見えない……!!」
「最近の子は、大人っぽいですよね」
私が肩をすくめて笑うと、ルイは得意げにふふんと鼻を鳴らした。
ちなみに長女は十六でルイを出産した。私と姉は十二歳離れている。
「まっ、これからはしっかりエスコートしてくださいよ? じゃ、俺は行くね」
「ええ、ありがとう、ルイ」
ウインクを一つ残して、ルイは颯爽と会場へ姿を消していった。
「……確かに、君には甥がいると言っていたな」
「ええ。カミル様はお忙しくて、まだちゃんとご挨拶もしていませんでしたね」
何しろ私たちは契約結婚。
どうせ白い結婚なのだから、両家の顔合わせも、結婚式も、まともに行われていない。
すべては〝必要最低限〟の範囲で済まされた。
「……これまで、本当にすまなかった」
ぽつりと呟かれた彼の低い声に、私はふっと微笑んだ。
「わかってくださったのなら、それで構いません。でも……そんなに謝ってくださるなんて、少し意外です」
正直な気持ちを口にすると、カミル様はばつが悪そうに目を伏せ、それから観念したように口を開いた。
「最初は……僕は、君を誤解していた」
「誤解?」
「君は社交の場に知り合いが多いから、僕といるより楽しいだろうと……」
「ああ、それは妹ですね?」
私には、顔と名前がそっくりな双子の妹がいる。
彼女は社交界で派手に振る舞い、貴族男性たちと華やかに遊びまくっている。
だからカミル様も、私と妹の噂を勘違いしていたのだ。
「そのうち、君がそんな噂のような女性ではないことには気づいたが、今更どう接すればいいかわからず……僕はいくじなしだな」
本当にすまなかった、と続けるカミル様に、私は小さく息を吐いて告げた。
「本当ですよ。ただ……普通に腕を差し出してくだされば、それでよかったんですよ?」
「そうだな……。格好つける必要はなかった」
「そうです。だって私はあなたにちゃんと、エスコートしてもらいたかっただけですから」
「……エーファ」
少しの沈黙の後、カミル様がふと目を逸らした。
思えば社交の場に出ると、彼はよくこうして私から目を逸らす。
愛のない夫婦だからだと思っていたけれど――なんとなく今日は、それとは違うのではないかと思えた。
「今日の君は……いや、いつもだが、今日は特に……その、眩しいというか……美しくて……」
頬を赤くしながらも、必死に言葉を紡ごうとするその姿が、不器用で、少し可笑しい。
「だから、腕を組まれるの、少し緊張するんだ」
「まあ」
まるで初めての恋をする少年のように、どこかぎこちなく照れくさい顔をする彼に、私はふっと笑みをこぼす。
「大丈夫です。少しずつ、慣れていきましょう?」
そう言って私がそっと手を差し出すと、カミル様は一瞬戸惑ったけど、決心したようにしっかりと腕を差し出してくれた。
「エスコートはまだ不慣れかもしれない……だが、君が妻で、僕はとても誇らしい。だから、恥をかかせるようなことはしないと、誓うよ」
その言葉には、少しだけ男らしい頼もしさがあった。
私は小さく微笑み、二人並んでゆっくりと会場へと足を踏み入れた。
優雅な音楽が流れる会場内には、既に多くの人が集まっていた。
「……エーファ、僕と、踊ってくれるか?」
「ええ、喜んで」
その夜、私たちは初めて二人でダンスを楽しんだ。
カミル様のダンスは、やっぱり不慣れなのか、とても上手と言えるようなものではなかった。時々噛み合わないし、少し腰が引けている。
もっと堂々とすればいいのに……。でもそれすらも、私には楽しいと思えた。
真剣な顔で、一生懸命、私をリードしようとしてくれるカミル様。
私が他の男性にエスコートされて慌てふためいたのも……ちょっと面白かった。
けれど、こうして素直になった彼は、少しだけ格好よく見えた。
これからは、ちゃんと向き合おう。
言いたいことはしっかり伝えて、彼ときちんと話し合おう。
そう思えた――少しだけ、距離が縮んだ夜だった。
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