表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/19

03.私を置いて行くのなら、もうそれで構いません1

 契約結婚した私たちには愛がない。


 それでも名目上は侯爵夫妻である私たちは、社交の場では常に並んで出席しなければならない。

 楽しく手を取り合って踊ったことなど一度もないけれど、それも侯爵夫人としての務め。


 でも――。

 私には、どうしても我慢ならないことがある。




 夫が私を置いて、どんどん先に行ってしまうのだ。




「あ、カミル様……、待ってくださ――!」

「お嬢さん、お一人ですか? よかったら私がエスコートしましょうか?」

「……」


 また、広いパーティー会場でカミル様に置いていかれたせいで、知らない男に声をかけられた。


「せっかくですが、私には連れがおりますので」

「ああ……そうなんですか。それは残念だ」

「失礼します」


 カミル様は少し先で、仕事相手と話をしている。

 ちらりとこちらを見たけれど、私がドレスの裾をたくし上げながら近づいていくのを見て、視線を逸らされた。



「どうして私をちゃんとエスコートしてくれないのかしら……!」


 彼は幼い頃に母を亡くし、二十歳のときに父も亡くした。

 いくら若くして侯爵になったとはいえ、幼い頃から一流の教育を受けているはずだ。礼儀作法も、女性の扱いも、それなりに教えられてきたに違いない。


 だというのに、ドレスで歩きにくい私を置いて、彼はスタスタと一人で先を行ってしまうのだ。



 だから、私は決めた。



 この人にエスコートしてもらうのは、もうやめる。




     *




 その日も、夫は私を置いて一人でさっさと会場に入っていった。

 いつもなら、文句を言わずに必死に彼を追いかけていたけれど……今日は違う。


「――エーファ!」


 爽やかでよく通る声が、私の名を呼ぶ。


「……ルイ。待ってたわ」


 振り返ると、そこには赤い髪をラフに整えた、背の高い美丈夫が微笑んで立っていた。

 切れ長の瞳と高い鼻梁、ガタイのいい肩幅に、筋肉質な腕。

 堂々とした佇まいと優雅な所作は、周囲の男たちすら見惚れるほどだ。


「ごめんね、少し遅れた」


 少しワイルドな見た目に反し、甘い声音でそう言って。ルイは私の手を取ると、丁寧にその甲へ唇を寄せた。

 その動きには一切のためらいも照れもない、完璧な所作だった。


 私の夫にも、少しでもそんな心得があったら……ううん、期待するのはもうやめたのだった。


「じゃあ、行こうか。美しいエーファのエスコートができて、光栄だ」

「ふふ、ルイったら……。今日はよろしくお願いね?」

「任せてよ」


 ルイが軽やかに私に腕を差し伸べ、私はその腕にそっと手を添える。

 ルイのことは、子供の頃からよく知っている。私が夫と出会う前からの、気心の知れた仲。


 昔は……私よりも小さかったのに。いつの間にか、こんなに大きくなってしまったのね。



 ドレスの裾を持ち上げ、ゆっくりと歩み出したその瞬間――。


「エーファ!?」


 突然、驚いたような夫の声が響いた。


「だ、だだっ、誰だ、おまえは……!?」


 顔を上げると、既に会場へ入ったはずの夫――カミル様が、入口付近でこちらを凝視していた。

 案外早く、私がついてきていないことに気づいて、戻ってきたのかしら?

 それは少し、意外だった。


 彼の視線は、私の隣に立つルイに釘付けになっていた。

 その表情には驚きと困惑、そして隠しきれない動揺が浮かんでいる。


「あなたがエスコートしてくださらないので、彼にお願いすることにしました」

「なんだって!?」

「問題ありませんよね? どうせあなたはいつも、私を置いて一人で先に行ってしまうのですから」


 微笑みながらそう答えると、カミル様の目が大きく見開かれた。


「こんなに美しい奥様を置いて行くなんて……あり得ないですね。あっという間に、他の男にさらわれてしまいますよ?」

「それは……っ」


 余裕たっぷりに笑うルイは、まるでからかうように片眉を上げた。

 その言葉は礼儀正しい口調でありながら、芯の通った〝棘〟がある。

 カミル様は何も言い返せず、唇を噛みしめながら視線をさまよわせていた。


「それでは、失礼いたします。エーファ、今宵は俺と一緒に楽しもうね」

「ええ、ありがとう、ルイ」

「…………!!?」


 夫の前で、堂々と。

 ルイの目を見て答えた私に、カミル様は頭を鈍器で殴られたのかと思うような顔を見せた。


 ……でもまさか、そこまでショックを受けるなんて、意外だわ。

 これは契約結婚。彼が私を愛することはないし、私はそれで構わないと思っていた。

 彼が侯爵として地盤を固めた後は、白い結婚のまま静かに離婚する予定なのだ。


 彼が私を気にするなんて思わなかった。

 それとも単に、男のプライドが許せないだけだろうか?


 そんなことを考えながら、私はカミル様に背を向け、ルイの腕に手を添えたまま歩き出した。

 親しい雰囲気たっぷりの私とルイを見て、カミル様は開いた口が塞がらない、という様子だ。


 けれど、いいじゃない。

 どうせ彼は、侯爵としての義務でこの場にいるだけ。

 仕事相手と挨拶を済ませたらすぐに帰るのだから、私なんていてもいなくても問題ないでしょう?

 どのみち、いつも置いていかれるのだし。



「――待ってくれ、エーファ」


 だというのに。

 彼の声が背中から飛んできた。

 振り向く前に、カミル様の手が私の腕を掴み、ぴたりと引き留められる。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ