18.忘れてしまっていた1(おまけの番外編)
カミル視点のおまけ話書きました!
「はは、うえ……母上……っ」
暗い闇の中。僕はただ一人で泣いていた。
なぜ泣いているのかはわからない。ただ、とても辛く、苦しく、悲しかった。
「僕が……僕が、悪いんだ……」
時々見る、同じ夢。
子供の僕が何かに怯え、暗闇の中で一人、泣いている夢。
――母上のことを、呼んでいる?
僕には、あの頃の記憶がほとんどない。
『――カミル様、カミル様……!』
……誰だ?
今度は遠くのほうで、違う誰かが僕の名を呼んだ。
とても優しく、美しい声だった。
誰かが、僕を現実へと引き戻そうとしているのか――?
――パチン!
「もう、カミル様! 起きてください! カミル様!!」
「いでっ……!?」
突然、両頬に鋭い衝撃が走り、頭の中が真っ白になった。
「やっと起きましたか、カミル様」
目を開けると、目の前には妻の顔。
少しだけ寝ぐせのついた髪。怒ったように眉を寄せているが、その瞳は心配そうでもある。
「…………エーファ?」
「ええ、あなたの妻、エーファです。まさか隣で寝ているのに、他の誰かとお間違いで?」
「いや、そういう意味ではなく……!」
呆れたように笑う彼女が、視界いっぱいに広がり、どこかほっとする。
夢と現実の狭間にいた僕の意識は、その言葉でようやく現実に引き戻された。
「あなたはまた、私の毛布を丸ごと奪っていましたよ。寒くて目が覚めたので、遠慮なく叩き起こさせていただきました」
「あ……そうだったのか、すまない……」
申し訳なく思い、手元の毛布を慌ててエーファに返す。
エーファは肩をすくめ、くすっと笑ってそれを受け取った。
その仕草が、なんだかとても可愛らしく見えた。
……しかし、おかげで助かった。僕は嫌な夢を見ていたから。
「……カミル様?」
ぼーっとしている僕の顔を、彼女がそっと覗き込む。
「えっ?」
「大丈夫ですか? さっき……うなされていましたけど」
その言葉に一瞬だけ息が詰まり、どう答えればいいかわからず、視線を外す。
「いや、大丈夫。少し夢を見ていただけだ。……寝よう!」
「……ええ」
エーファにいらぬ心配をかけないよう、努めて平静を装いそう言った。
けれど彼女は、気づいているかもしれない。
それでも、それ以上は何も聞いてこない彼女に、内心で感謝する。
「……おやすみ」
僕は一言だけ告げて、自分の毛布に身を潜らせた。
外はまだ、真っ暗だ。明日も仕事が山のようにあるのだから、早く寝なければ。
夢のことは考えないようにして、目を閉じる。
エーファも僕の隣に横になる気配を感じ、再び夢の中へ落ちようとしたのだが――。
また、あの夢を見るかもしれないと思うと……怖かった。
その思いが胸を締めつけるようで、どうしても意識が冴えてしまう。
僕は、何かを忘れている。
……嫌な記憶に蓋をして、ずっと思い出さないようにしている。
『母上は、僕のせいで――』
子供の僕が、頭の奥で静かに呟いた。
――違う。違う……!!
これまで僕は、余計なことを考えないように、勉強や仕事に没頭してきた。
考える暇がないように、心を忙しさで塗りつぶしてきた。
そうしているうちに本当に、僕は大切なことを忘れてしまったのかもしれない――。
「ん……」
そんなことを考えていたら、ふいに隣から小さな寝息が聞こえてきて、僕はそっと目を開けた。
そこには、僕の妻――エーファが穏やかな顔で眠っていた。
その寝顔を見て、自然と声が漏れる。
「……可愛いな」
普段の彼女は、どちらかといえば綺麗で、気丈で、少し怖いくらいの印象すらある。
だが、こうして眠っていると、あまりにも無防備で――可愛らしく思えた。
……そういえば、僕たちはもう一年も、こうして一緒に寝ているのだ。
ただ隣に並んで、何もせず。
……一年も。
何もない夫婦なんて、おかしいだろうか。
……いや、焦ってどうする。
大事なのは、彼女の気持ちだ。
ようやく、こうして向き合えるようになった。
なのに、ここで軽率なことをして、嫌われでもしたら――。
僕は自分に言い聞かせるように深く息を吐き、心を落ち着け、今度こそ本当に眠ろうと思った。
そのときだった――。
続きます!




