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11.あなたがいいと言ったので1

 侯爵家を継いで、まだ一年――。


 だがその一年は、僕には十年にも感じられるほどに濃密だった。


 二十歳になったばかりのある日、不慮の事故で父を亡くした僕は、何の準備もないまま突然、侯爵家の当主となった。

 その肩にのしかかる責任は、僕にはあまりにも重かった。


 もっと父に、教えてもらいたかったことがたくさんあった。

 優秀で、優しくて、領民からも貴族たちからも慕われていた父。

 あの人がこの世を去るには、あまりにも早すぎた。


 貴族としての務め、領地の経営、王宮との折衝(せっしょう)――。

 悲しみが癒える前に、右も左もわからないまま、次々に舞い込む仕事をただこなすだけの毎日だった。


 父と比較され、無能だと思われたくなかった。

 だから、誰よりも早く起きて仕事をし、誰よりも遅くまで書類に目を通した。

 食事も睡眠も、後回しだった。


 そしてすぐ、〝体裁のための妻〟を迎えるよう、周囲から勧めがあった。

 領地や家の安定のために、若き侯爵が妻を迎えるのは当然のこと――。

 そんな声に押される形で、僕は縁談を受け入れた。


 相手は、ヴァルトハイム伯爵家の次女、エーファだった。

 家柄は申し分なく、伯爵は僕の父とも親しかったという。


 年齢もまだ十八で、僕と二つしか離れていない。

 婚約者がいないからちょうどいいと、周りの勧めもあり、僕たちの婚姻はトントン拍子に進んだ。


 彼女に初めて会った日のことを、僕はよく覚えている。

 端正な顔立ちに、物静かな佇まい。

 やわらかなピンクベージュの髪は優しく煌めき、涼やかな碧眼は、まるで澄んだ湖のように感情を湛えていた。


 正直に、美しい、と思った。


 それと同時に、少しだけ怖くもあった。

 あまり感情が読めない瞳。何を考えているのかわからず、どんな言葉も届かないのではないかと思ってしまうほどに、彼女は美人だった。


 しかし、僕は彼女の噂を聞いたことがあった。

 確かに見た目は美しいが、派手な装いで男たちを振り回し、夜会では常に男に囲まれているような、華やかすぎる令嬢だと。


 ……だから、彼女と過ごす最初の夜に――僕は言ってしまった。


『これは契約結婚だ。君を愛することはないだろう』


 ――と。


 そもそも僕は子供の頃から口下手だった。

 幼い頃に最愛の母を亡くし、しばらく口を効けなくなった時期もあったという。


 正直、僕にはその頃の記憶がほとんどない。

 その頃の僕を占めていたのは、絶望という感情だけだった。


 とにかく、この結婚は形式上のものだし、お互いに深入りせずにいればいいと思っていた。

 僕は彼女を愛する気はなかったし、彼女も僕のことなど愛さないだろう。


 だから寝室をともにしても、もちろん僕は彼女に指一本触れることはなかった。



 しかし。


 結婚して数ヶ月後には、彼女が噂のような女性ではないような気がし始めていた。

 彼女と顔を合わせるのは月に一度の夕食と、週に一度のティータイム。

 そして、毎晩ともにする寝室でだけだったのだが、他人に興味を持たない僕でさえ、エーファの気遣いには気づいてしまったのだ。


 ティータイムには彼女が手作りしたお菓子を用意してくれて、時間に遅れる僕に嫌な顔一つせず迎えてくれた。



 それに、夜になっても――。


「おやすみなさい、カミル様」

「ああ……」


 素っ気なく答える僕に、彼女は毎晩礼儀正しく挨拶をしてから横になる。

 深夜、遅くまで仕事をしている僕のことを、彼女は必ず起きて待っているのだ。


 先に寝ていればいいものを……なぜわざわざ。


 仕事でいっぱいいっぱいだった僕には、彼女がどのような女性かということにまったく興味がなかったが、それでも彼女が噂のような、派手に遊んでいる女性には見えなかった。


 これは、僕の前でだけなのだろうか……?

 それとも、あの噂は真実ではなかったのか……。


 隣で穏やかな寝息を立てる彼女を横目で見ながら、そんなことを考える日々。

 しかし、疲れている僕はその疑問を解決する前に、眠りに落ちていく。


 これは白い結婚で、僕が侯爵としての地位を確立させたら、彼女とは離婚する予定だった。

 その数年の間の、形だけの妻。

 この、とてつもなく大きなベッドの上で僕たちの身体が触れ合うことはないが、次第に隣で眠る彼女にドキドキと胸を高鳴らせるようになっていった。


 ――しかし、それでも。

 だからといって、僕が彼女に何か声をかけることはなかった。

 自分でも認めるが、僕はいくじなしだ。

 エーファのような社交的で魅力的な女性に、自分が見合うとは思えない臆病者。


 あんなことを言っておいて、今更彼女にどう声をかければいいのか……わからないまま過ぎていく日々。


 そうしているうちに一年が経ち、ある日彼女に「寝室を別にする」と言われて初めて、焦ったのだ。


 僕は彼女と一緒にいたい。

 仕事が忙しいのは事実だったが、彼女と過ごす時間をこれ以上減らしたくない。


 無意識にエーファの毛布を奪っていたせいで、限界を迎えたと伝えられて初めて、素直にこの気持ちを口にすることができた。


 笑われるか呆れられるかのどちらかだと思っていたのだが……彼女は優しく僕の話を聞いてくれた。




カミル視点一発目です。よろしくお願いいたしますm(*_ _)m

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