森の香り
(−−何だ この空間は−−)
薬師に案内された診療所に足を踏み入れると、オークの床が静かにきしんだ。
壁一面に並ぶ薬棚。窓際にはカーテンの様に薬草が干され、大きなマテバシイの作業台には 使い込まれた天秤やすり鉢が置かれている。
ライは壁から天井まで、ぐるりと見渡した。
部屋全体を漂うほろ苦い香りが鼻をくすぐる。高く積まれた古今東西の薬術書、木の根、薬酒――
苔がむす森に足を踏み入れたような、どこか懐かしく不思議な空気。
(戦場とは、えらい違いだ−−)
「オルグレン将軍!こちらのベッドに騎士様を寝かせてもらえますか?」
ミオが湯を沸かす準備をしながら、右へ左へパタパタと走っている。ライは黙って頷き、背負っていた騎士をベッドにそっと寝かせた。グッタリとしているが 呼吸に問題は無さそうだ。
「薬師、他に出来ることは――」
言いかけたライの前を足早に通り過ぎ
薬棚から迷う事無く薬草を選んでは
すり鉢に入れ 丁寧に擦るミオ。
視線に気づくと、薬草を擦る手を留めて
ふと顔を上げる。
「あっ!今、解毒剤を作ってますので…オルグレン将軍もそれまで お休みを。人一人背負って山を降りてきたんですから、お疲れでしょう?」
ライは、黙って頷き、ゆっくりと椅子に腰かけた。
──日も暮れた頃。
眉間に皺を寄せながら、ライは解毒剤を飲み終えた騎士の容態を確認していた。
(顔に 生気が戻っている…熱はまだ高そうだが…。
猛毒のマヌガ蜂だぞ…それを数時間でここまで回復させるとは…。)
そのとき、背後から朗らかな声が響いた。
「オルグレン将軍、お疲れさまです。カミツレ茶が入りましたので、良かったらどうぞ」
「……すまない」
湯気とともに立ち上るカミツレの香りが、ふわりと鼻をくすぐる。
ライは、温かい茶に口を付けると 正面にいる若い
薬師を静かに盗み見た。
(この山村で、一人で診療所を切り盛りしているのか? 家族は…。
薬師としての知識、技術、判断力
一体どこで身につけたのか…)
質問が喉元まで上がってきて、また消えた。
(いや…聞くまでもない。王都に戻れば、この薬師と再び会うことはないのだから)
胸のざわつきを振り払うように、ライは茶をもう一口飲んだ。