オリーブの瞳の文官
「えええっ! オルグレン将軍が毒矢に――!?」
王宮の宿舎にある一室でクレアの声が響き渡った。
あの日。ライが毒矢に倒れたという急報を受け、ミオとシアンは大急ぎで王都を飛び出した。
同室のクレアは 部屋に帰ってこないミオの行方がわからず、ずっとやきもきしていたのだ。
そして今日、ミオ達はようやく王都へ帰還した。
ついに事情を聞かされたクレアは、目を白黒させている。
「駆け付けた時は意識もなくて本当に危ない状態だったんだけど、後遺症もなくてホッとしてる。」
「――で、オルグレン将軍はいつ帰ってくるの?」
「うん、本当はもっと任務が長かったんだけど 今回の事件があったから、帰還が早まって月末には王宮へ帰ってくるって。」
「そうなんだ…。大変だったのね。
――あ、ミオ達がラングスター領にいってるうちに、同盟国の…ユミル王国だっけ?そこの視察団が到着して、王宮もザワザワしてたのよ。」
クレアは、ずいっと身を乗り出して、興奮気味に話を続ける。
「しかも!その視察団の中にユミルの皇子様もいらっしゃるらしいんだけど、どの人か分からないんだって〜!」
「へえ〜…」
「王宮に滞在中に見つけて見せる!って貴族のお嬢様方もやっきになっちゃってさ やたらドレスの注文増えてるのよ。今工房もてんてこまいなの。」
そう言ってクレアは肩をゴキゴキ回した。
(ユミル王国かあ、確かヴァンデールの南に隣接する、海沿いの国よね。南の国の薬草は、どんな香りがするのかしら。)
ミオは地図でしか見たことがない国に思いを馳せた。
***
旅の荷解きを終えても、ミオの頭の中は未だライの体調の事でいっぱいだ。
夕食を取る気にもなれず、気分転換に薬草園へ向かった。
色とりどりの美しい夏の花が咲き乱れる王宮の薬草園はミオのお気に入りの場所だ。
夕暮れの薬草園は虫の音も相まって 幻想的な時間になる。
――その時だった
大好きなスフィアの花の木の下に、うずくまる影。
紺色の布地が、上下にわずかに動いている。
咄嗟に身体を硬くしたミオだったが、
それが人だとわかると慌てて駆け寄った。
「――あの!大丈夫ですか!?ご気分でも?」
そう声をかけると、フードから覗く顔色が明らかに悪い。ひゅーひゅーと浅い呼吸をし、震える手でぎゅっと胸元のローブを握りしめている。
「私は王宮で勤める薬師です。呼吸器系の疾患をお持ちですか?呼吸がしやすくなる薬を、噴霧してもいいですか?」
ミオが落ち着いてそう言うと、少しの間が空き、男が苦しげに首を縦に振った。
すぐに、呼吸を楽にする効果のある香薬を
男の顔の近くに慎重に噴霧する。
男は荒い息を苦しげに吐きながらも、精一杯薬を吸い込もうとしているのが見て取れた。
数分後 顔色がもとに戻り、呼吸が整った様子を見てようやくミオもホッとした顔になる。
「呼吸はどうですか…?息苦しさは…?」
ミオはそっと尋ねた。
男が再びゆっくりと頷く。
「…良かった。あの、これ差し上げます。もし同じ症状が出たら先ほどみたいに顔の周りに噴霧してください。」
そう言って薬を手渡すと、ミオは静かにその場を離れようとした。
「――ねえ。」
その時、フードの奥から聞こえて思いのほか若い声がしてミオは驚いて振り返った。
「ねえ、薬師さん。」
「名前を教えてくれる?」
そこで初めてミオは自分が名乗っていないことに気が付いた。
「失礼いたしました。私は王宮薬術院の薬師、ミオ・サイラスと申します。」
「…ミオか。助かったよ。しばらく発作が出ていなかったから…」
そう言って、青年はしんどそうに立ち上がった。
自分の部屋に戻ると言う。
青年が来ている紺色のローブはたっぷりとした厚地で、今の気候にはそぐわない。
(――見たことのない方だけど、誰だろう。)
「誰だと思う?」
「――は、はいっ?」
「こいつ誰だって顔してるよ」
青年がクスリと笑った。
「もっ、申し訳ありません…!」
まるで心のうちを読まれたかのような青年の言葉に、ミオはとっさに頭を下げた。
青年はローブのフードをばさりと落とした。
アッシュグレーの髪色と、理知的で穏やかなオリーブ色の瞳が現れる。
「僕はね ユミルから視察で来た――、文官の……フィルだよ。」
「――フィル、様?」
思わず口にしたその呼び名に、青年は静かに笑みを浮かべた。
「またね」
そう言ってひらりと手を振り、青年は薬草園の小路を抜けて、王宮の方へとゆっくり去っていった。
(ユミル王国の文官、フィル様か――。
何だか不思議な雰囲気の人だったな…)
ミオの背後でスフィアの花が美しく散り、それは夏の終わりを告げる合図の様だった。




