毒矢
その日は新月――
地上にある全ての物が、闇に溶ける漆黒の夜だった。
ラングスター領の国境沿いにある山中で、警備にあたるライ・オルグレン将軍の眼は、鋭く獣のように光っていた。
夜目が効くライは、少しの異変も見逃さぬよう、神経を集中させる…。
そんな時だった。
馬蹄の音が不意に闇を割り、何人もの人間が近づく気配。
「なんだ……!?」
思わず眉をひそめたライの横で、リドが呆れたように剣から手を離した。
「まさか……セレナ様!?」
煌びやかな馬車の中から現れたのは、セレナ嬢。後ろから従者やメイド達も姿を表す。
思わず頭を抱えるリド
「何考えてんだ。今日は新月だぞ…何で警備の前線に……!」
リドが狼狽を隠さず低く呟き、ライは何の感情も出さず、冷たい視線だけを場違いなセレナ達に向けた。
セレナは涼しい顔で、微笑んだ。後ろの従者たちが重そうに大きな食籠を抱えている。
「宴を断るんだもの、だから差し入れを持ってきてあげたの。大丈夫、すぐに帰るわ。
…オルグレン将軍、そんなに遠慮する必要は無いのよ? …いずれ、全てが貴方の物になるというのに―」
「はあ?」横で思わずリドが素頓狂な声を上げた。
――ラングスターが、俺のものに…?
そうか、そこまで仕組まれていたとは…。
胸の中に黒い靄が立ち込めて、ライはギリリと歯ぎしりした。
――その瞬間だった――
闇の彼方から――シュッ、と空気を切り裂く音がして――
「敵襲!」の声が闇に響いた
数本の矢が、次々と迷いなくセレナの方向へと飛来した。
ライは咄嗟に身を投げ出し、そのうち一本を自らの右腕で受け止める。鋭く突き刺さった痛みに構わず、即座に退却の指示を飛ばした。
「リド、私兵を下げろ! 陣形を整えろ!」
「セレナ嬢を馬車の中へ!!」
きゃあきゃあと、勘高い声で消えていく令嬢やメイド達。
「なんつー、はた迷惑な令嬢だよ…!!」
リドの呆れたボヤキが聞こえる。
ライは、あたりをもう一度ぐるりと見渡す。
矢の主を見つけぬまま、敵の気配は既に霧のように消えていた。
(――奇襲か…)
周囲が落ち着き、静寂が戻り始めた頃、ライは自分の腕に突き刺さったままの矢に視線を落とす。さほど深くは無い。
抜く――か?
そう思いかけたそのとき、ライの大きな身体がぐらりと傾き、方膝を地面についた。
(…しまった、毒矢か…?)
ライの傷口あたりから、独特な金属臭が漂う。
(なんだ、この匂い…)
脳裏に、ミオの柔らかい声が響く。
> 『神経毒はね、まわりが早いの…。…砂漠の民とか森の民は生き物の毒を使ったりして…
マトバガエルの毒は、鉄みたいな匂いがしたら注意してください――矢を抜いちゃ、絶対だめ…洗うのも、駄目…心臓に、毒が行かないように…縛り上げて…」
――ミオ…!!
「っ……!」
ライは矢を抜こうとしかけた手を止め、鞘に巻いた髪紐を震える指でほどき、口に加えた。
もう片方の手で自らの腕にきつく巻くと、痛みと痺れで顔が歪んだ。
心臓が激しく打ち、呼吸がうまくできない。何とか木の幹にもたれかかる。視界がぐらりぐらりと揺れ、目がまともに開けられない。冷や汗が背を伝う。
「リド……っ!」
苦悶の中、かすれた声を絞り出す。
「毒矢だ……王宮の薬師を………呼べ……
神経毒、に詳しい奴だ、っ……この矢、抜くな……洗うな……すまん……落ちる……っ」
「ライ…おい!!ライッ――!」
それだけ何とか言い切ると、ライは意識を手放した。木の幹にもたれかかったライの身体から、ダラリと力が、抜ける。
霞む視界には何も映さない。
新月の闇が、ライの身体を飲み込もうとしているかのようだった―




