ラングスター領にて
ラングスター領に来て、三週間が経った。
川面を渡る風に、夏の陽射しが照りつける。水面がキラキラと黄金色に輝き、ライの目を細めた。
青い麦の穂が風に揺れる様は、どこか懐かしい香りがした。
だが、どれほど風景が穏やかでも、ここは国境に近い警戒地。気を抜けば、すぐに均衡が崩れる。
任務を淡々とこなす毎日――
それでも夜になると、無意識に視線が手元へ落ちる。
鞘に巻かれた、一本の紐――愛する人の髪紐
淡い藤色の布地は、何度も手の中で握りしめられ、わずかに柔らかくなっていた。
あの日、長期の遠征を告げたとき、
ミオは泣かなかった。
少しだけ視線を落としたまま微笑んで、
「……気をつけてくださいね」と、それだけを言った。
その反応を見て、泣いて寂しがって欲しい、とすら思ってしまった自分に、嫌気がさす。――何と自分は欲深いのか、いつもミオに笑顔でいて欲しいと願っているくせに。
彼女が自分の部屋に戻る時、
「髪紐、返してください」
そう言われたが、――却下だ、とだけ答えた。
その時の頰を膨らました、あの可愛い顔が忘れられない。
早く王都へ――ミオがいる場所へ帰りたい。
実際、ラングスター領の兵力は、崩れているわけでも、疲弊しているという程でもない。
(なぜ、皇帝は自分をここに送ったのか?)
生ぬるい不安が胸をよぎり、気付けば鞘に巻いてある髪紐を何度も触ってしまう。
「それ、ミオ嬢のやつだろ?」
唐突に隣から声がした。
焚き火の向こう、リドがにやりと笑っていた。
「お前が鞘にそんなもん巻いてるの、初めて見た。」
「……。」
ライは黙って、目の前の揺れる火だけを見つめている。
「なあ、変だよな。ラングスター領に来て数週間。軍を投入する程か?侯爵家の私兵でも十分やりくり出来るだろ。まあ、兵力を強化したい気持ちは分かるが…」
その時、場所に削ぐわない甲高い声が背後から響いた。
「――お二人方とも、警備、お疲れ様ですわ」
振り返ると、豪奢なレースの裾を翻して、セレナ・ラングスター令嬢が立っていた。
揺れる金色の巻き髪、むせ返るようなバラの香りの香水をまとい、飾りのついた扇子を手に優雅な所作で近づいて来る。
「オルグレン将軍、お父様もあなたの働きに心から感謝しておりますの。ですから週末は軍の皆様をねぎらって宴を開こうかと。是非、皆様出席なさって!」
「……任務で来ておりますので。宴はお断りします。」
ライは憮然とした表情で静かに答えた。
「……まあ、遠慮深いのね将軍は。もう宴の設えも整えていますし、楽団も呼びますから。約束ですよ。」
微笑むセレナの顔に、悪気はない。だが話の通じなさに溜息が出てしまう。
リドが「危ないですから」と、何とかセレナをなだめて、屋敷の中に導いて行く。
既にライは、ほの暗い灰色の目をして、思考の中からセレナの存在を消していた。
ライの頭の中にあるのは、ミオのアンバーの瞳だけだだ。
(早く会いたい、抱きしめて、あの、ひなたのような薬草の香りをまとう彼女を――手の中に感じたい。)
目の前の炎がパチパチと揺れ、突風にあおられボウ、と大きく燃え上がった。
ライの心に渦巻く不安が、現実味をおびていくかのようだった。




