思惑と髪紐
「――楽にせよ。ライ・オルグレン将軍」
「はっ」
膝をつき、正式な騎士の礼をしたライの背後には、リドを含む数名の部下が静かに控えていた。
「先の盗賊団の討伐はご苦労だった。相も変わらぬ素晴らしい働きだ……父親に似たな。」
そう言って、皇帝はわずかに笑った。
かつて、帝国軍を率いた名将――ライの亡き父と、皇帝は戦場を共にした仲である。
「ラングスター辺境伯領のことは、既に耳に入っているな?」
「はい。小規模な衝突が続いていると……」
「兵も民も緊張が解けぬ状態が続いておる。火種が大きくならぬ内にお前に、鎮静を任せたい。」
ライは短くうなずいた。命令に背く理由はない。だが――何かが引っ掛かる。
「……伯爵家の兵力は、まだ悪くありません。先月の報告でも、まだ軍を投入する段階ではないとの事ですが――」
「信じられるのはお前だけだ。」
声色を変えた皇帝のその一言に、ライは口を閉ざし、下を向く。
皇帝は眉間のシワをほどくと、急に身を前に乗り出してきた。
「……ところでお前、その年になっても身を固めんのか?」
唐突な問いに、背後でリドがビクリと肩を揺らす。
ライは一瞬、眉を寄せた。
嫌な予感がジワリと大きくなる。
皇帝の目を真っ直ぐ見て、憮然とした表情のまま答える。
「政略結婚は、私はしません。」
「……ハハッ!お前ぐらいだ、私に向かってそんなことを言い切るのは。」
皇帝は高らかに笑ったが、ライの表情は固いままだ。
賢帝と呼ばれ、目の前にいる男。――時に狡猾に、時に非情に、思いのままに全てを操る。
その瞳の奥は誰にも読めない。
何かを明確に告げられたわけではない。だが、胸の奥に、妙な予感だけが残る。
謁見が終わり、皇帝の政務室を出ると、いつにない疲れがライを襲った。
***
王宮の廊下を抜け、軍に戻る途中、
見慣れぬ姿が視界の端をかすめた。
(……ミオ?)
軽い違和感に足を止める。
薬師のローブを着た一団が、会議室からゾロゾロと出てきた。ミオはポニーテールを揺らして何やら嬉しそうに話をしている。
「何だ?薬術院の人間がこっちにいるの珍しいな。」
ライの背後で、若い騎士達がチラチラ見ている。
「今日あれだろ?医術院との定例会…それよりさ、あの薬師の女の子、やっぱり可愛いよなあ。」
「ポニーテールの子だろ? ホラ、第一騎士団のアイツ、この前擦り傷位で薬術院に薬貰いに行ってさ――」
喉の奥でグッと音が鳴った。
(……やめろ)
苛立ちと焦燥がライの胸を黒く焦がす。
「おい!お前ら午後の鍛錬まだ残ってんだろ!!早く行くぞ!」
ライの殺気にいち早く気付いたリドが、若い騎士達を叱咤し、足早に連れ去っていった。
***
その頃、ライの視線の先――
王宮の会議室を出たミオとシアンは満面の笑みだった。
「シアン先輩!新薬の承認、思ったより早く下りましたね!嬉しい!」
ミオは満面の笑みだ。
ミオとシアンがここ数ヶ月試作と検証を重ねてきた薬草の配合が、呼吸器疾患に高い効果ありと見なされ、今日の会議でやっと認可がおりたのだ。
「まあね、僕等なら当たり前の結果だよ。これから量産体制を整えて――。忙しくなるよまた!」
シアンが丸眼鏡を光らせながら、興奮した面持ちで歩く。ミオは、その少し後ろを歩いていたのだが、
「え、ちょっ――」
急に背後から出てきた太い腕が、そっと口を塞ぐ。
驚く間もなくミオの姿はあっという間に廊下から消えた。
――バタン。
静けさに満ちた狭い軍の書庫の中、ミオが驚いた顔で振り返り、背後を見上げている。
「ラ、イ将軍!?」
返事をする前にライはミオを壁に押し付け唇を塞いだ。
柔らかく、けれど躊躇いのない口付け。
彼女の腰に手を回し、ミオの華奢な身体を思い切り抱きしめる。
――本当は、もっと 欲しい。
でもここではこれが限界。
自分の欲を抑えるように、一回、二回…熱を分けるように、ミオの唇を深く喰んだ。
やっと唇が離れたとき、ミオは耳まで赤くして、困惑と恥じらいが混ざる目で ライをじっと見つめていた。
「あの…ライ将軍…どうしたんですか?」
「……」
答えは無かった。
ミオの髪へと手を伸ばし、
ポニーテールを束ねる髪紐を、するりと抜き取る。
「えっ……? なに――」
「…もう、行け」
フワリと髪が肩に舞い落ちた。
驚いたように髪を押さえるミオの背中をそっと押し、何事も無かったかのように、人気のない廊下へと送り出す。
書庫の扉が閉まる寸前、視線が一瞬絡んだ。
あのアンバーの瞳に、今の自分がどう見えているのだろう。
自分でも、時折手に負えなくなるこの衝動。
手の中にあるミオから奪った髪紐を痛くなるほど、きつく握りしめ、ライはざわつく自分の心を何とか鎮めようとした――




