白雪
「よしっ!今日の書類の整理はここでおしまい!」
誰もいない薬術院の書庫でミオの声が響く。
顔をあげ、 時計をちらりと見た。
随分仕事に没頭していたらしい。
短針が思ったよりも進んでいる。
ミオは、宿舎へと雪道の中を進んだ。
わあ 随分積もったのね。
冴え冴えとした冷気を思い切り胸に吸い込んだ。
ひんやりとした空気が頰をくすぐって、 気持ちが良い。
それでも、ミオの胸に浮かんでいたのは、やはりライの事だった。
ライ将軍は結局、戻れなかったのだろうか。王宮の職員の誰かが、今回の征伐は大規模らしい。 帰って来るのは来月か。などと噂していたのを小耳に挟んだ。
(ケガなく無事に帰ってくればいい。 …それだけでいい…)
ミオは宿舎までの道のりに ひときわ雪が白く積もっている個所を見つけた。
きょろきょろと周りを見渡し、大の字になって仰向けに雪の上にバフっと寝転ぶ。
子供のころのお気に入りの遊びだ。顔に雪がはらりはらりと舞い落ちる。
ミオは目を閉じて、ゆっくり考える。
村での穏やかな日々、将軍との出会い、そして今――王宮で、薬師として働く自分がいる。
(人生って、不思議ね)
その時、雪を踏む音が、静かな空気を切り裂いた。
ミオの前で、その足音がピタリと止まり、凍った空気がゆらりと揺れた。
「ミオ」
その声に反射的に瞼が開く。
――目の前に自分を心配そうに見つめる灰色の瞳。
やっぱり…と、どうして… が交差する。
「こんなとこで何してる」
「……おかえりなさい」
「遅くなった」
「……ほんとに10日で、帰って来たんですね…」
「…ん」
「……」
ミオは動けなかった。
目の前の黒いマントに雪をまとった男が、
――不器用に、けれど優しく、微笑んでいたから。
***
暖炉の火が静かに燃える。かじかんだ指を火の方向へかざすと、ミオは居心地悪そうに、ぐるりと部屋を見渡した。
重厚な、マホガニーのテーブル、机の上にきっちり積まれた書類 きらびやかな勲章が、投げ捨てられたかのように、棚の一角に山になっている。
やっぱり、執務室なんて、入ってはいけなかったんじゃ…ミオは今になって後悔した。
ライには、「俺の宿舎にするか?」と無表情で言われたが、それはもっと固辞した。
ライが短いため息と共に、重たげなマントをバサリとはずし、軽装になる。
そのままミオが腰かけているソファの横に、ドサリと座った。
「あ、あの 怪我は…」
「してない」
「お一人で、帰って来られて…?」
「ん」
「……」
沈黙。
隣から伝わる熱に、ミオの心臓が早鐘を打つ。
気まずさに耐えきれず、口が勝手に動きだす。
「その…今日は書類の整理してたら、夜になってまして。一人だとあっと言う間ですね。
あの、雪、王都もこんなに降るんですね。でも道は滑らなかったです。ほら、村だとすぐ凍るじゃないですか、やっぱり王宮は違うと言うか…」
「…………」
ライは何も言わない。
ミオはとうとう、自分でも何を話しているのかわからなくなってきた。
(もう、黙ろう……)
そう思って息を整えようとした瞬間――
ぐらりと、隣から重みがかかる。
ミオの肩が思わずあがる。
「すまん…少し寝る」
ライの瞼がゆっくり閉じる
「すぐに起きるから…ここにいてくれ」
「…は、はい…」
ミオは身動き一つせず、小さな声で返事をするだけで精一杯だった。
再び静寂が訪れ、執務室にはライの呼吸とミオの動悸の音だけが響いていた。




