狼の群れ
「…ただいまぁ…」
ミオは力なく宿舎の部屋のドアを開けた。
そのままベッドに倒れこむ。
頭の中は、先程の薬草園での出来事でいっぱいだ。
自分に向けられたあの厳しい目 困惑した表情……
一瞬 村で会ったあの将軍とは別人かと思ったほどだ。
(…何故来たって言われた…来たら…迷惑だったのかな…。村の薬師ごときが…って意味? ううん そんな事言う人じゃない きっと…。)
1日の疲れが身体を鉛のように重くさせ、自然と瞼が重くなる。
(王宮と村は違うもの、わきまえなきゃ ちゃんと…)
そのまま泥の中へ引きずりこまれるように、ミオの意識は沈んでいった。
***
「ミオーッ!こっちこっち!席空いてる!!」
−−それから数日後 昼時の食堂は今日も活気に満ちている。王宮で働く様々な専門職の人間が集まるこの場所は いつも笑い声と、美味しい匂いに包まれている。
ミオを呼ぶ快活な声の主は
ルームメイトのクレアだ。
実家は王都で評判の仕立て屋で
クレアは跡取りとして王宮の衣装部で 日々腕を磨いている。
「クレア お待たせ。ごめんね!薬の調合が長引いちゃった。」
「お疲れ様! どう? 少しは慣れてきた?」
ミオは昼食が載った盆をクレアの横に 置くやいなや、嬉しそうに喋り始めた。
「覚えなきゃいけない事は、まだたくさんあるの。
でもね、村では見たことのない異国の薬草も扱えるの!書庫にはね、読みたい文献や過去の実験の資料ももいっぱいあって、時間が足りないくらい!」
目をキラキラと輝かせ、饒舌に語るミオ
「わぁ……ミオも立派な薬草オタクね……」
横目で呆れたようにため息をつくクレア。
「私 “も”?」
「えっ、あ……いや……」
ごほん、と咳払いをしたクレアは何かを考えたあと、一瞬ニヤリとする。
「で、どう? カッコいい人いた?」
ミオは目を丸くし、困惑した表情でクレアを見る。
「クレアったら……。今は仕事を覚えるので精一杯で、薬草しか目に入らないわよ……」
「ふーん、さすが薬草オタク。心配ないかあ。……でもね、ミオ」
さっきまで笑っていたクレアが、少しだけ声のトーンを落とす。
「……騎士団の奴らには気をつけなさいよ」
「えっ……? それって、どういう――」
つられてミオまでヒソヒソ声になる。
「王宮にはね、騎士団の男に憧れる女の子、た〜っくさんいるんだけど……
中には、手癖の悪いヤツもいるからさ。」
何かを思い出したように、クレアはしかめっ面でパスタを口に運んだ。
「――あ、ほら! 噂をすれば!」
ミオはクレアが指差す方向へ視線を向けた。
***
彼らが食堂へ入ってきた瞬間、ざわっと空気が揺れる。
明るい笑い声が上がる食堂の雰囲気に、氷粒を落としたような緊張−−−
皆の視線の先には騎士団の一行。そしてその中心にいるのは、ライ・オルグレン
華やかな騎士服に身を包んだ一団の中で、ただ一人だけ軽装なのにも関わらず その場にいる誰よりも視線を集めていた。
(……)
一瞬だけ、視線が交錯した気がした。
けれどミオは反射的に目を逸らし、黙ってスープをすくった。
(違う人みたい……)
村で見た彼とは、纏っている空気がまるで違う。
あんなふうに親しげに話しかけてはいけない人だったのに……
自分は、なんて恐れ多かったのだろう。
ミオは、スープを無理やり飲み込んだ。
けれど、味はよく分からなかった。
***
食堂に足を踏み入れた瞬間、自然とざわめく空気。
自分が一歩進めば、空気を切り裂くように人が割れる。
煩わしさも優越感を感じた事も一度も無い。いつも自分はその場にとけ込まない 異質なもの−それがライの日常だった
……そのはずだった。
(――いた)
遠くの席に、見覚えのある横顔。華奢な肩。
栗色の髪。
ほんの一瞬、視線が合ったように思えた。
だが――彼女はすぐに目を逸らした。
――拒絶の意。
その瞬間、胸の奥が鈍く痛んだような気がしたが、ライは気づかぬ振りをした。
空いた席へ腰を下ろすと、若い騎士たちがソワソワしている。
「……あの子が例の新人薬師だろ……」
「あの蜂の件の……けっこう可愛いよな」
「配属は?薬術院? 軍属か?」
……ライは無言で、ゆっくりと彼らを睨んだ。
「今度、声かけて……あ、失礼いたしました!!」
ライの視線に気づくやいなや、笑っていた口元が気まずそうに引き結ばれ、居住まいを正す騎士たち。
だが、ライの胸中は若い騎士たちのことなど どうでもよかった。
あの村で見た笑顔は、今では警戒の色しか見えない
――いや、そうさせたのは 自分自身だ。
これでいい。
近づかない方がいいと分かっている。
なのに視線だけが彼女を追ってしまう−−
ライは、目の前の冷めたスープを無理やり口に運んだ。
スープは、何の味もしなかった。




