スフィアの花と丸眼鏡
「よしっ……!」
王宮職員の宿舎の一室、
ポニーテールに髪を結い上げ、ミオは鏡の中の自分と向き合った。
アイボリーのケープには、王宮薬師団の紋章が刺繍されている。
今日は、王宮薬術院の初出勤日−−
ミオは自身を落ち着かせるように両手を胸に当て 、大きく息を吸い込んだ。
(はあぁ、ついにこの日が来たわ…!とにかく挨拶は笑顔で!出来ることは全力でやりましょ!)
そう鏡の中の自分に、何回も言い聞かせた。
***
――そう、決意したのもつかの間。
ミオは今、膝の震えが止まらない。
ここは王宮薬術院−−大会議室
全身に突き刺さる、値踏みするような数十の視線。
「ミオ・サイラスと申します。どうぞよろしくお願いします!」
精一杯の声を張り上げてお辞儀をする。
揺れるポニーテールから気合いと緊張が滲み出る−−
「…あの娘か? 例の蜂の薬師……」
「ずいぶん若いじゃないか。大丈夫なのかね」
「陛下から直々の招聘だとか……」
歓迎ムードとまではいかずとも、ひとまず“お手並み拝見”といった空気。
ミオはほんの少しだけ肩の力を抜いた。
(ここにいる方達も皆、使命は一緒なんですもの。いずれ分かり合えるわ…)
* * *
「ふうぅぅっ……!!」
昼の休憩、ミオは昼食のサンドイッチを手に、ひとり王宮薬術院の中にある薬草園にやって来ていた。
広大なスペースに色とりどりの花や薬草が隙間なく植えられている。
ミオは大好きなスフィアの木を見つけると、そろりと木の根元に腰をおろした。見上げると、薄紫の美しい花がミオの頭上で、風に揺れている。
(ふうぅぅーっ……緊張したああ……!)
なんせ、これまでの人生で村から出たことなどなかったのだ。
初めて見る華麗な建築、王宮内を闊歩する貴族たち、そして、自分の診療所とは桁違いに大きな薬術院。
「何もかもが村と大違いね……」
午前中は挨拶回りだけだったのに、人生で初めて感じるような疲労感。
(まずは先輩方の顔と名前をしっかり覚えて、それから……)
ミオは目を閉じて、先程挨拶した人達の顔を思い出す――そのとき。
「あれぇ……先客がいたあ……」
ミオが目を開けると、鼻先すぐに金髪のボサボサ頭と丸メガネの青年がいた。
訝しげにこちらを覗き込む彼の腕には、読み込みすぎてボロボロになった薬術書が何冊も抱えられている。
「ここさあ、僕の場所だよ…。使いたいなら100万マルクね…。」
「えぇっ! ご、ごめんなさい! ――今、お財布持って来てなくて!」
「……冗談だよ……」
慌てて立ち上がろうとするミオの腕を、シアンは無造作に掴んでその場に座らせた。
「君は……ああ、“蜂の薬師”さん?」
「あはは……ええ、そう呼ばれているみたいです。
ミオ・サイラスと申します。」
「僕はシアン・リンデル。よろしくねえ」
どこか掴みどころのない笑みを浮かべながら、彼は薬草園の奥をボーッと眺める。
「……あの、素晴らしい薬草園ですね。効能ごとに分かれていて……こんなに種類があるなんて」
「1589種類あるよ。
僕、ここの“住人”だからね…。何でも分かる…。」
「ええっ!?ここに住んでるんですか!?ベッドはどこに!?」
「……君、天然って言われない……?」
(……面白い子が入ってきたもんだな…)
薬術院きっての変人 シアン・リンデルは、
ベッドを探してキョロキョロするミオを見て、喉の奥でクツクツと笑った。




