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エボシ岩と麦わら帽子

 葉織の言っていた通り、晴れているからといって江ノ島から毎日富士山は拝めなかった。夏の場合は気持ちよく晴れていたとしたって立派な入道雲が発生していればそれに隠れて霞んでしまう。


 しかし、富士山は見えずとも、日ごとに変わる空模様をただ観察するだけでもじゅうぶんに楽しかった。


 もし、自分がカメラを持っていたとしたら毎日数枚の空の写真を撮って、観察日記をまとめて自由研究として提出しても良いくらいだ。そう葉織に話すと、


「うち、カメラ持ってないんだ」


「そうなんだ……今時珍しい、のかな」


 なんとなく、どこの家にもカメラくらいはあるのかと思っていたけれど。よく考えてみれば羽香奈にだって世の中の家庭の「標準」というものがわからない。


「じいちゃんもばあちゃんもカメラに興味なくって。お母さんもわざわざ買おうかなって思わない性格だったみたいで……」


 波雪の遺影に使った写真は、何年か前に履歴書に貼るために撮ったスピード写真の残りから作成したという。




「それじゃあ、葉織くんの小さい頃の写真ってないのかな。見てみたかったな」


「近所に住んでる写真好きのおじさんがたまに撮ってくれたのはあるよ。でも、十枚もないくらいかな」


「えっ。少なくてもいいから見たい!」


「じいちゃんに頼めば探して出してくれるかも」


 その話を聞いてすぐ、羽香奈は祖父・半蔵に相談した。第一印象こそ「顔が険しくて、厳しそうで怖い」という印象を抱いたものの、数日間一緒に暮らしていて苦手意識はすっかりなくなっていた。


 表情はむっつりしていて怖いし、口数は少ないし、でも葉織がその祖父に確かに懐いているのを傍から見ていて確かに感じるから。葉織が好きな人ならきっと良い人なんだろうと羽香奈は思う。


 写真の話もいつも通りのむっつり顔で、今すぐじゃないけど近々、探してみると約束してくれた。




「ねえ、葉織くん。晴れの日でも、かなーり天気の悪い日でも、海の上に黒い小さな突起が見えるんだけど……あれってなんなのかなぁ」


 その日も曇り空で、いつも通り海岸へ向かって葉織と共に弁天橋を歩いていて。ふと左方向を見てみるとはるか向こうの海の上に小さな三角の突起が見える。


 富士山ほど大きな山だって天気が悪ければ影すら見えないのに、あんな小さなものが晴れでも曇りでも変わりなく、毎日見えるのが羽香奈には不思議だった。



「あれはエボシ岩っていうんだけど……遠くにあるから小さく見えるだけで、近くで見ればけっこう大きいんじゃないかなぁ」


 ていうか、毎日エボシ岩が見えているかいないかなんて、ちゃんと考えたことなかったや。羽香奈はよく見てるなぁと感心されてしまう。数日前の羽香奈だったら恐縮してしまったかもしれないが。


「ずぅっとここに住んでいた葉織くんがまだ気付いてなかったのに、わたしが先に見つけたってことだよね。なんだか嬉しいな」


 素直に受け取って喜んでみたら、葉織もちょっと嬉しそうに笑ってくれた。






 羽香奈が二度目に富士山を拝めたのは、江ノ島に来てから七日目のことだった。はしゃぎながらそのことを葉織に報告すると、


「じゃあ、前に約束した熱帯植物園、今日行こっか」


「今日?」


「せっかく中に入るなら展望台に上るだろうし、だったら一番眺めのいい日にした方がいいんじゃないかと思って。こういう天気を待ってたんだ」


「葉織くんって、けっこう色々考えてくれてるんだね……」


「考えてるっていうか、天気見て行動するのが癖になってるだけかも」


 それと、祖父母が土産店を経営していた時に、来店した客が江ノ島について質問してそれに答えたり観光のアドバイスをする姿を見て育ったせいかもしれない。確かに、いくら地元に住んでいるとはいえ、小学生が知っていなくても良さそうなことを訊ねても毎回きちんと答えてくれていたなぁと羽香奈も思い出す。




 熱帯植物園に行ったらいいと提案したのは元々祖母・ハツだったので、今日行くことにしたいとふたりで報告に行く。約束通りハツは入場料金プラスおこづかいを渡してくれたのだが。


「今日はいつもより雲が少なくて暑くなりそうだから、通り道の商店で麦わら帽子を買っておあげ。羽香奈ちゃんに。それと、葉織のもねぇ」


「え~、オレのはいいよぉ。帽子かぶるの好きじゃない……」


 帽子をかぶってると逆に暑苦しい、なんでかぶらないといけないの? と、珍しく口を尖らせて反抗する。


「わがままを言うんじゃないの! 日射病になったらどうするんだい」


「もう何年もかぶってないけど、そんなのなってないのに……」


 幼い頃は母や祖母の言うなりに夏場は帽子を被っていたが、成長して使っていた帽子がサイズアウトしたのをいいことに、数年はかぶらずに乗り切っていたという。


「まったくもう。羽香奈ちゃん、葉織がちゃんと自分の帽子も買うように見張っといておくれよ」


「はっ……はい!」


 葉織が年齢相応にわがままを言うところが見られたのも、ハツに頼られたのも嬉しくて、羽香奈はごきげんで道を歩く。葉織はちょっと不服そうに羽香奈についていく。もう江ノ島の道もすっかり覚えていて、こうやって先んじて歩くことだって出来るようになった。






 麦わら帽子を買うように言いつけられた葉織が羽香奈を案内したのは、下道への入り口近くのいくつか商店が密集した場所だった。その内の一軒の土産ものと雑貨を置いた店を選ぶ。店先の隅っこに麦わら帽子が山積みになっている。子供向けのものだけでなくメンズのスワローハット型のものも一緒くたで。


「この中から気に入ったの選んでいいよ」


 葉織は未だに麦わら帽子に興味なく、羽香奈に先に選ばせる。


「麦わら帽子って、茶色っぽい色しかないと思ってたんだけど……」


 積まれた帽子の中で一枚だけ、白い色が覗いていて興味を引かれる。上に積んである十個くらいの帽子を葉織が持ち上げてくれて、羽香奈は白い麦わら帽子を手に取って、被ってみる。



「いいじゃん。その色、羽香奈に似合ってる気がする」


「そ……そうかなぁ? じゃあ、これにしようかな」


 軽い調子だが、好きな男の子に身に着けたものを「似合う」と言ってもらえたら、照れずにはいられない。帽子を被っているので影になって、ほんのり染まった頬に気付かれませんようにと羽香奈は祈る。


「それで、葉織くんはどれにするの?」


「……忘れてなかったかぁ」


「こーんな数分で忘れるわけないよーだ」


 照れていても、ハツからのお願いはしっかり果たす。葉織は帽子の山の一番上にあったシンプルな麦わら帽子を被って、店内に入っていった。顔見知りなのか、被った状態でもお会計をしてもらえて羽香奈の元へ戻ってきた。


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