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シーグラスと桜貝

 葉織が朝から出かけた目的は、今日も砂浜での流木集めだった。と、弁天橋を渡りきって昨日とは反対の海岸、片瀬海岸西浜に連れられてきた羽香奈は思ってそう言ったのだけど。


「いや、流木集めが目的じゃなくて。一日中家にいても暇だから外に出たくて、ついでに拾ってるだけだよ?」


「ふふふ……葉織くん、そんなに時間、持て余してるんだ?」


「まぁね~……あんまり、これ! っていう趣味もないし」


 虫採りとか海遊びが大好きだっていうなら、この辺で暮らす子供にとっては毎日退屈知らずなんだろうけど。確かに、そんな趣味を持っていたとしたらその通りだろう。そんな風に充実した暮らしをしている子供がいるのだとしたら実に羨ましい話だ、とは羽香奈も思う。


 それはそうと、葉織が義務感から流木集めをしているのではなく、暇つぶしのついでにしているだけとわかったのは羽香奈にとって吉報だった。人の為になる葉織の不思議な能力ではあるけれど、そのために彼に自分を犠牲にして欲しくないと羽香奈は願うからだ。



「今日も流木探し、手伝わなくていいの?」


「都会暮らしで今まで、あんまり海で遊んだことないんだろ? 今は飽きるまで、自分の好きなように探検したらいいと思って」


 流木が不足しているわけでもなさそうだし、お言葉に甘えてそうさせてもらうことにした。




 せっかくサンダルを履いているのだし、砂の上でそれを脱いで素足で砂浜に立ってみる。今日みたいな曇りの日だからそうやって素足になって歩きやすいんだよ、と葉織が教えてくれる。真夏の砂浜は直射日光で熱々になる。葉織にとってだけでなく大半の日本人にとって常識の範疇だが、羽香奈にとってはまだ未知の情報だ。


 波打ち際まで歩いていって、打ち寄せる海水を待ち伏せする。今日は波も穏やかで、寄せてきた波は羽香奈の足首あたりまで生暖かい水を被せる。茶色がかった砂まじりで、泡立つような塩で濁って、綺麗な水質とまでは言えないのだが。


 足を撫でまわす砂の感触と、波が引くとかかとが水を含んだ砂浜に沈んでいく感覚にぞわぞわする。


 ひとしきりその感触を楽しんでから羽香奈は歩き出し、砂浜に落ちているものの観察を始める。流木未満の木屑、細長い葉っぱ、海藻……それ以外にも何とも形容のしがたい謎の物体があちらこちらに散乱している。家庭ごみ、海遊びで置き去りにされたと思わしきゴミも多く、案外、絵に描いたような美しい砂浜ってわけでもないみたい? と羽香奈は感じた。



 その黒々とした漂着物の中に、ところどころ見える貝殻。白かったり、茶色がかっていたり、見ようによっては紫がかっていて色とりどりで品種も様々だ。


 特に、貝殻が好きだとか興味があるとかでもないのだが、なんとなく貝殻を拾い集めてみた。袋を持ってきたわけでもなし、小さな手のひら、それも片手だけに載せられる範囲だから厳選せざるを得ない。ちょっとでも形の崩れているものは無視して、完全な形を保っていて色の気に入ったものだけを拾っていた。



 すると、貝殻以外にも気になる物体が落ちているものを見つけた。空色だったり緑色だったり、透明な、さらさらした手触りの小石みたいなものがいくつも落ちている。


「葉織くーん、これ、なにー?」


 少し離れた場所にいた葉織に呼びかけて、来てもらう。


「これ、割れたガラス瓶が波で削られてって、こんな感じになるんだって」


 俗にいうシーグラスだが、葉織はそのように呼ばれていると知らなかった。



「綺麗だね~。いっぱい集めたいな」


「たくさん集めて工作に使う人もいるみたいだよ。江ノ島にある土産店でもたまに売ってるの見かける」


 シーグラス自体はすでに害のない形になっているが、これがあるということはまだ削りきっていない、普通のガラス片も海岸には落ちているということだ。素足で歩くなら踏まないように気を付けた方がいいよ、と葉織が忠告してくれた。余計な怪我をして迷惑をかけたくない、気を付けよう、と羽香奈は肝に銘じる。




 この日、葉織はバケツに少しの流木を。羽香奈は両手のひらにこんもりと、貝殻とシーグラスをのせて持ち帰ることになった。


「その手のひらのまま家まで帰るの、手首が疲れない? バケツに入れようか?」


「せっかく拾ったのに、割れたりしたら嫌だもん……」


「それならいいけど。足元、転ばないように気を付けてね」


「はぁーい」




 海岸から潮崎家への行き来は、行きは下り坂が多めだが帰りは上り坂が多めで、下道を使えば階段を上り下りしなければならない箇所は減る。とはいえ両手を固定したまま数十分歩き続けるのはやはり難しい。


 家に帰り着き、葉織に玄関を開けてもらって勝手口からそのまま庭へ直通し、水道の水受けの隅に貝殻とシーグラスを置いて。


「う~~んっ、大変だったぁっ」


 ようやく手が自由になると、指も手首も硬直して痛くなってしまっていた。ぷらぷらと手首を振って解消しようとする。


 素足で歩いていた羽香奈はもちろん、サンダル履きで砂浜にいたのだから葉織の足も少し汚れている。水道で貝殻を洗ってからふたりとも足を洗い、乾かしてから家に上がることにした。






 海で泳ぐとかそういった派手な遊びをしたわけではないが、早起きして午前中から遊んで歩いたので、羽香奈もちょっと疲れてしまった。二段ベッドの下段に横になって、飾り棚に乾かした貝殻とシーグラスを並べてひとしきり眺めた後、うとうととまどろんでいた。


 昨日と同じように流木の熱湯消毒処理をしていた葉織が、音を立てないよう気遣いつつ戸を開けて入ってくると、羽香奈はすぐ身を起こす。


「起こしちゃった? ごめん」


「ううん……」


 寝ようとしたのに物音に起こされたわけではなく、葉織が入って来たから起きようと思っただけだから、謝る必要なんてない。とはいえ、そこまで子細に話すわけにもいかず、羽香奈も胸の内だけでこっそり「ごめんね、気を使わせた上に謝らせちゃって」と呟いた。


 覚醒しきっていない、ぼやけた認識のまま、葉織の行動を目で追う。葉織は勉強机の引き出しを開けて、がさがさと何かを探していて。


 「あった」と呟くと、羽香奈のいるベッドに腰を下ろした。



 今朝だってこんな距離感だったけど、ちょっとだけドキドキする……そんな羽香奈をさておき、何も気にしていなさそうな葉織はまた、「手を出してくれる?」と求める。


 昨日、七里ヶ浜で手のひらに人形を置いてくれた時を思い出す。また人形かしらと見当違いなことを考えてしまったが。葉織が彼女の手のひらにそっと置いたのは、爪ほどのサイズのごくごく小さく薄い、桜色の貝殻だった。あまりにも薄くて、手のひらの肌色が透過しているほどだった。



「これは何?」


「桜貝っていうんだ。さっき、羽香奈が拾ってた貝殻の中になかったから、あげようかなって」


「どうして?」


「昨日、羽香奈がピンク色の服着てたから。好きそうかなぁって勝手に思っただけ」


「……あ、……ありがと……好き」


 あんまりにも嬉しくて、たったひとこと、お礼の言葉を告げるだけでもなかなか喉が思い通りに動いてくれなくて苦労した。



「すごく壊れやすいから触る時気を付けた方がいいよ。引き出しの中にいくつか入ってたけど、バラバラになっちゃったやつも多かった」


 せっかくの葉織のアドバイスも、すでに胸がいっぱいで意識に届くまで時間がかかってしまった。




 昼食時、羽香奈が貝殻拾いをしたことをハツと半蔵に世間話として伝えた。食後になってハツが台所の棚を探り、空いたクッキー缶を譲ってくれた。ベッドの棚に飾ったら寝返りなどで枕が触れたりして紛失しそうだからと。


 その缶の蓋には江ノ電と江ノ島が描かれていて、羽香奈はそのイラスト自体も気に入った。海で集めた宝物を入れる宝箱だなぁと心から思った。


 壊れやすいという桜貝だけは、救急箱の中に入っていた小さな脱脂綿とテープで厳重にくるんで、クッキー缶の蓋の裏側に貼り付けることにした。

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