(番外編)償いの輪廻
今にして思えば馬鹿げた過ちだったと思うのだが。高校生だった頃、波雪は非行少女だった。きっかけはそれこそささいなこと。子供の頃から憧れていた第一志望の高校に不合格で、滑り止めの高校に通うことになったのが不満だったから。波雪なりに懸命に努力して目指していた、数年がかりの夢が叶わなかったから。
龍人は不良仲間とつるんでいた自分を身を張って彼らから遠ざけて、少しずつ自分の心を癒していって、最後には救ってくれた。望まぬ別れではあったけれど、波雪は彼の優しさを心から愛していたのだ。先ほどリュートの並べ立てた、彼らの罪……それと龍人の印象は、とてもじゃないが結びつかない。
「アイツはオレ様が気に入って連れ回してた玩具のオンナが孕んだガキだった。元から体力の限界だったって時にガキまで産んだものだからぽっくり死んじまって、アイツだけが残った。アイツからしたら、生まれた時からオレ達四人が当たり前に、それも面白おかしく人を殺すのを見てきたもんだからな。それが本来、しちゃいけねぇことだなんて知らなかったんだろうよ」
他の四人の仲間とは事情が違うとはいえ、犯した罪に忖度なし。一蓮托生の、償いの輪廻を繰り返すことになった。
数多の世界を渡り歩く内に、龍人は他の四人よりうんと早く、自分の罪を自覚したのだが……。
「あんだけ浄化されてても、龍人の償いはまだ終わらないの?」
「断罪竜は殺した人間と同じ数だけ罪を償えと定めた。オレ達ぁそんなもん数えてなかったから、終わってたとしてもだーれもわかんねぇんだわ」
聞けば聞くほど最悪な話なんだけど、なるほど、とも思った。終わり時すらわからない。それも踏まえての、神様からの罰ってことなのかもしれない。偉い神様ってやつぁやっぱり賢いものなのね、と。
そして、同時に……腑に落ちたような思いだった。我が子、葉織が生まれ持った不思議な能力。好悪半々で息子の人生を縛ってきたそれが。自分と龍人……つまりは母と父の罪を共に償ってきた因果だったのだろうか、と。
「……そうだ! いいこと思いついた!」
「賢い神様」よりは遥かに残念な頭の出来と自覚のある波雪だが。この時ばかりは、神さえ出しぬけてしまえそうな妙案を閃いた。愛する人を取り戻すための抜け穴として。
「あんた達が行く異時空? 異世界? とかいうのに、あたしも一緒に行けばいいんだわ!」
「はあ?」
「そしたら次に龍人の順番が回ってきた時に、また彼に会えるじゃないの!」
「正気か? オレ達ぁ星の数ほど女を犯した極悪人だぞ? それもオマエ、永遠に終わらねぇんじゃないかって長き償いの旅に付き合うつもりかよ」
「更生済みなんでしょ? 仮にまだ危ないまんまだとしたって、この『泣く子も黙らせ男も泣かす波雪様』を見くびるんじゃないわよ。あんた達なんかに簡単にやられてやるほどか弱いタマじゃないっつーの」
「そりゃあ知ってるが……龍人が更生させなきゃいけなかった程度にゃあヤベェ過去持ちの女ってこたぁな」
彼らと違って、人殺しまで至ってしまったわけじゃないとしたって。自分だって、過去には何の意味なく、人の心身を傷付けて回ったような人間なのだ。そんな過去の過ちを、後悔しないわけじゃない。しかし、あの頃の自分の間違いの結果、波雪は龍人と出会えたのも確かな事実である。その上に……。
「あんたが償いきれないような極悪人だとしてもね。生まれた龍人をそのまま生かしてくれたことに関してだけは……たとえ神様があんたを咎めたって、あたしだけは全力で感謝してあげる。あんたが育てたせいで悪いこともそうって気付かない人間になっちゃったんだとしてもね。生まれ持った性根は正しかったから、龍人はその後ちゃんと更生出来たのよ。あんたと龍人がいたおかげで、あたしは最愛の息子と十一年も一緒に暮らせたんだから」
「……そうだ、オレ達についてくるってぇのは、その息子にこうやって会いに来れなくなるってことだぜ。今年、ここに来れたのは密航なんだ。二度目以降もホイホイ決行出来るほど容易くはねぇんだからな」
「……葉織はね。とっくに、あたしとの別れを済ませてあるのよ。未練があったのはあたしの方だわ」
十年前。波雪の初盆は四十九日と重なっていた。その日、葉織はあの小さな庭で、波雪の名残りをお焚き上げしていた。その頃からすでに信頼関係を築いていた、羽香奈に見守られながら。
『最後にオレと羽香奈を会わせてくれて、それがたぶん、お母さんのこの世で最後の仕事だったんだ。だからもう、ゆっくり休ませてあげなきゃ……』
葉織はとっくの昔に、母としての波雪に、「お疲れ様」を伝えてくれていた。それはありがたくもあり、しかし、寂しくもあり。その寂しさを払拭しきれなくて、波雪は毎年の帰省を続けていた……。
「今年のあの子を見ていたら、わかった。あの子はもう、立派な青年だわ。最愛のパートナーを見つけて、ふたりで助け合って生きていける。そういう力のある男に成長したのよ」
夢中に話し合っている間に、思った以上に時間は過ぎていたのかもしれない。周辺の家庭の送り火はひとつひとつ、消え始め。片瀬海岸には銀河鉄道が停車して、盆踊りを楽しんでいた人々はそれに次々と乗り込んでいく。終点は人目につかない稚児が淵だったのに、始発は江ノ島の玄関側である片瀬海岸とは。なかなかに粋なことするわよね、と、波雪は他人事の気持ちで毎年の馴染みの光景を見ている。
そして……この十年間で、初めて。銀河鉄道が出発してしまい、空に上っていく姿……長い時間をかけて、それが宙の果てに消えていくのを見送った。
銀河鉄道に乗らなかった波雪は、もう、元いた星には帰れない。死者である以上、この地球にだって居場所はない。
「そんなら、まぁ……行くか? オレ達の渡り歩く世界へ」
「ええ。行くわ。あたしは、あんた達……リュートについていく」
そう言いながら、男はごく当たり前のように煙草の吸殻を階段に放り捨てようとした。せっかくいい感じにキメたところだったのに台無しにしちゃって、今後こんなだらしない男と行動を共にするわけね。波雪は男自身と自分の選択の愚かさに呆れた。
「砂かけどころか、あたしの故郷に対して別れ際にゴミ落としていくのやめなさいよね」
「そういうオマエこそ、その酒の空き瓶はどうするつもりだよ」
「あら、……困ったわ」
ちょっと挨拶だけのつもりが口やかましげな女を連れ歩くことになっちまったなぁ、と男は早くもうんざりしている。仕返しのつもりで、波雪が飲み終えたお供えの空き瓶を指さした。通常は、盆の宴の残骸は銀河鉄道乗車前に回収してもらえるのだ。
ただでさえ、日頃から廃棄物の多さに悩まされている片瀬海岸だ。申し訳ない気持ちはあれど、波雪は仕方なく、それを自分の座っていた場所に置き去りにする。男は吸殻をその中に放り入れた。
片瀬海岸の周辺は死者の盆踊りの賑わいも、櫓から四方に伸びていた提灯も、銀河鉄道の車内の煌々とした明かりも。もちろん華やかな打ち上げ花火もなくなって、生者達のための静かな江ノ島の姿を取り戻している。大きくまあるい満月の跳ねる光が波間にばらまかれて、空よりもまばゆい星空は海の中に煌めいている。
夜遊びしながら見ていた暗闇の海だけは、世間から見放された自分達をいつでも見守ってくれているような気がしていた。そんな懐かしい日々を思い出して、波雪は生まれ育った世界の最後の景色として、その海を心に焼き付けた。
波雪はリュートと手を繋ぎ、彼と同時に目を閉じる。その瞬間、自分の生まれた世界から消滅した。彼と共に、次の世界へ行くことは出来たのだろうか。
潮崎葉織と羽香奈は、高校卒業して社会に出てからは朝の自由時間に、片瀬海岸周辺のゴミ拾いボランティアが日課だった。義務的な感情というより、ふたりの日々の息抜きである早朝の散歩のついでに行っている。
「今日もゴミが多くって、残念だね」
「お盆休みで夜遊びして、海でお酒囲んでる人も多かったんじゃないかなぁ」
飲み食いやバーベキューの残骸と思われるゴミが多く、使用済みの手持ち花火の置き捨ても目につく。毎日変わらない活動とはいえ、夏休み中やお盆休み明けなどは平時よりも多く感じて、さすがに溜息が出そうになってしまうが……。
葉織は海岸と歩道を繋ぎ沿うようにあるコンクリートの階段に、ぽつんと置かれたカップ酒の空き容器を手に取った。そのまま持ち歩きのゴミ袋に入れようとして、母の好んだ酒のラベルであること、中に一本の煙草の吸殻があることに気付く。
……なんとなく、感じるものがあって、葉織は自分の耳元に空き瓶の飲み口を寄せた。さすがにその行動は羽香奈にも奇妙に見えて、歩み寄ってくる。
「葉織くん、どうしたの?」
「……なんでかなぁ。中から……お母さんの声が聞こえたような気がして」
「そうなんだ……気のせいじゃなかったらいいねっ」
葉織といると、こういった不思議な出来事はよくある。羽香奈はこれくらいの神秘であれば、もはや疑いすら抱かず肯定してくれる。
葉織はその空き瓶をなんとなくゴミ袋には入れないまま、片手にぶら下げて自宅へ帰った。遺影の前にあるはずのお供えのカップ酒がなぜか見当たらないことに首を傾げながら、持ち帰った空き瓶を代わりに同じ場所へ置くのだった。
葉織……あたしのところへ生まれてきてくれて、ありがとね。
あなたと同じ時間、同じ世界で長生き出来なくて残念だったけど……。
あたしはこれから、葉織の知らない、まだ見ぬ世界へ行くのだけど。二度と顔が見えなくたって、どこの世界にいたって。あたしはあなたの幸せを何より願っているからね。
葉織が「人の心を読み、浄化する不思議な能力」を持っていた理由。裏設定として物語には書かないつもりでいたので、没エピソードとなっていました。まえがきに書いた通り至急でオマージュ作品を書きたくなって、本作(江ノ島)関係でまだ使ってない裏設定がこの部分しかなかったためこのように形になりました。
本作「江ノ島の小さな人形師」を最後まで読んでくださり、ありがとうございました。