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中学二年生

 中学二年生になって、初夏。一年の頃と変わりなく、葉織と羽香奈は連れだって登校していた。


 去年も同じ時期に、校庭の藤棚が満開だったなぁ。今年もきれいに咲いてるね。思わず藤棚の側で足を止めてしばし見上げている羽香奈の嬉しそうな横顔の方がきれいだなぁと葉織は思う。


 言葉通りの意味ではなく、葉織があの日、初めて見た笑顔は取り繕った偽りのものだったから。少なくとも自分や祖父母やハナハナコンビの前では偽りのない、心からの笑顔を見せてくれるようになった。



 そんな彼女の横顔に、葉織も安心感と満足感で満たされていた。


 なんとなく、幸せなひとときってこんな感じのことかなって思った。




「あ、あの。潮崎さん? 朝早くからすいません。ちょっとお話しがあるんです」


 立ち止まっていたふたりに声をかけてきたのは同学年の男子。葉織のクラスメイトだったから羽香奈に紹介する。同じクラスの浜谷倫太郎。みんなに「はまりん」って呼ばれてるよ、と。


 人目につかない場所へ行きたいと浜谷は言うが、葉織に見える心の色にはそんなに不審な兆候は見られない。葉織と浜谷は同じクラスで、普段の生活態度はそんなに危なそうな奴には見えない。葉織は彼らと別れて先に自分の教室へ向かうことにした。




「潮崎羽香奈さん、おれ、あなたが好きです。付き合ってください!」


 熱っぽい、彼なりの勇気と想いを込めた精いっぱいの告白だったが。



「わたし、他に好きな人がいるんです。お付き合いは出来ません」


 一瞬の躊躇いも考慮もなく、ぺこりと一礼だけして、羽香奈はすぐに背を向けてその場を離れようとした。



「ち、ちょっと待って!」


「はい?」


「あの、噂で聞いたんだけど。潮崎さんが好きなのってその、潮崎葉織だって本当?」


「そうですけど?」


 知っているなら何故、告白などするのだろう。羽香奈は純粋に疑問で首を傾げる。



「えーとぉ、潮崎さん達ってきょうだいなんだよね? 一緒に住んでるんだよね」


「本当のきょうだいではないですよ。戸籍上そうなっただけで」


「戸籍上でそうなら、結婚とか出来ないじゃない? 男として好きなの?」


「男の子とか関係なくて、わたしは『葉織くん』というひとりの人がただただ好きなんです」


 たとえ葉織が女の子だったとして、姉妹になったのだとして。そんな想像をしてみたが、きっと今と変わらぬ感情を抱いていただろうというのが羽香奈の結論だった。



「で、でもさぁ……もし葉織に今後、好きな女の子が出来て、付き合って。結婚しますなんてなったら潮崎さんはどうすんの?」


「もしそうなったら、わたしは葉織くんのいないところへ行きますね」


「へ!?」


 羽香奈は笑顔のまま、彼に淡々と説明する。わたしのような女が同じ家にいたら、葉織と好き合っている女の子にとっては邪魔だろう。離れて暮らしたとしても、自分はいわゆる「小姑」という立場で、その子にとって煩わしい存在でしかないだろう。



「葉織くんの幸せの邪魔をしたくない。わたしはそれから先は、彼に見えない場所で生きていくだけですよ」


「それでいいの? 見えない場所に行って潮崎さんはそれからどうするつもりなの?」


 だったら今のうちに、葉織以外に好きになれそうな男を探す方向も考えたらどうか。彼が食い下がる目的はそこなのだが。



「葉織くん以上に好きになれる人なんて絶対にいない。それは間違いないから、わたしは葉織くんがくれた思い出だけを大切にして、それからも生きていくの。それだけで生きていけるもの」



 わたしをこの世に生まれさせてくれたのは、葉織くんだから。


 それは羽香奈にとって大切な気持ちだったから、この場限りの告白の相手にはとても伝えられない言葉だった。



「ごめんなさい。こんなわたしのことを好きだって思ってくれたあなた気持ち、嬉しくないわけじゃないんですよ。ありがとうございます」





「ってわけなんだよ潮崎葉織ぃ!」


 自分の教室に半泣きで帰った浜谷は、葉織に詰め寄った。


「なんでそれを、いちいちオレに報告すんの……? 付き合うことになったならまだわかるけど、ふられたんだろ?」


 家族のそういった色めいた話を聞かされる複雑な心境が、わからないはずないと思うんだけど。貰い事故めいた流れに葉織はげんなりしてしまう。



「しおちゃんに告白なんて無駄すぎるからやめときなって言ったじゃーん。あの子がはっち以外ガンチューにないのなんて、昔っからそうなんだから!」


 昔、と言っても芭苗が彼女と知り合ってまだ二年ほどだ。たった二年でも羽香奈のそうした意思が岩より固いのはよくよくわかっている。



 今年、中学二年生では芭苗と葉織が同じクラスで、未知夫と羽香奈が同じクラスだ。浜谷は告白にあたって、羽香奈と仲が良い芭苗に事前に相談していた。絶対通らないよってアドバイスを受けても、玉砕覚悟で告白してご覧の結果なのだった。



「おれが言いたいのはねぇ潮崎、おまえの彼女に対する気持ちはどーなんだよってことなの!」


「オレの気持ち?」


「そう! だから潮崎さんに悪いと思ったけどぜーんぶ教えたんだよ、さっきのやり取りをさぁ!」


 葉織に好きな女の子が出来たら、自分は葉織の見えない世界で生きていく。確かに、又聞きしていいような内容ではない、重い感情ではある。羽香奈は葉織にその本心を知られたところで全く意に介さないのだが。



「潮崎さんにはおまえ以外の誰かを好きになる可能性ないそうだけど、その気持ちをおまえは受け止める気があるの? ないっていうんならそれを彼女に伝えろよ。このままにしておいて彼女の将来の可能性を潰したら可哀想だろ?」


「可哀想って……」


 浜谷は去年も今年も羽香奈とは同じクラスではなくて、小学校も別だった。ほんのちょっと遠目に見て、そして「学級委員として日々頑張っていて、とても面倒見の良い女子であるらしい」という評判だけで彼女に好意を抱いた。彼は知らないだろうが羽香奈が誰にでも親切にするのは、葉織が黒い靄を見てもひとりで対応を抱えずに済むように、必要な時に自然な声掛けがしたいだけの根回しだ。親しげに話しているように見えても、対面している相手への関心はそんなに抱いていないことがほとんどだ。


 その程度の関わりでしかないくせに、わかったような気になって意見してくるなよと反発したい気持ちはある。


 だけど……浜谷の主張が必ずしも、間違いではないことも葉織はわかっていたから、言葉が続かない。



 羽香奈は、「葉織という個人が好き」と言ってくれていて、男女の関係になりたいとも思っていない。


 葉織にとっても同じ感情だ。「羽香奈という個人が好き」で、女の子として。性愛として好きなわけではない……と、思う。羽香奈以外の女性に対して、彼女を上回る「好き」という感情を抱く自分というのも想像し難い。彼らの愛情は一方通行ではなく、きちんと相互に繋がっているのだ。



 それって、ダメなんだろうか。恋人になれない男女が好き同士で一緒にい続けることは、「可哀想」なのか?


 オレ達は家族として出会わず、同い年の別々の家の子供として知り合っていたら、恋人になるような恋愛感情として「好き」になったんだろうか。



 浜谷は返事を急がず根気強く待っているが、なかなか葉織は結論を口にせず、やきもきしている。そんなふたりを傍目から客観的に見ていた芭苗は溜息をつく。


「はまりんはしおちゃんのことがちゃんと好きで告白してっからいいんだけどさぁ。はっち知ってる? 一部のバカ男どもが、しおちゃんに告白してオッケー貰えるか、遊び半分の賭け事みたいにしてんの」


「はぁ? なんでそんなことしてんだよ」


 自分は顔がいいから、スポーツが上手だから、成績がいいから、背が高いから……。


 羽香奈は絶対告白を受けないらしいけど、自分が言ったらオッケーするのではないか? そういった慢心で、羽香奈を女の子として好いているわけでもないのに遊び半分で告白している輩が何人かいるという。



「しおちゃんがそういうことされてるって聞いて、どう思う?」


「どうって。ふざけんなって思うよ、そりゃあ」


「はっちがしおちゃんくらいはっきりしてたら、バカどもにちょっかいかけられずに済むってことよ。ねー、はまりん」


「そうそう……ん? おれのこともバカって言ってる?」


「言ってないって。先に言ったじゃん。しおちゃんのこと好きでしょ?」


「もちろんだよ! 玉砕したけど!」


「どんなところが好きなんだよ」


 ちょっとは自分の参考になるかもしれないので、とっさにそんな質問を投げてしまった。



「えー? 顔がかわいくて、優しそうなところ?」


「ダメだこりゃ。上っ面しか見てないやつじゃん」


「えー!? 何がダメぇ!?」


 芭苗が最初に羽香奈を気に入ったのは、葉織のためなら転入して初日から、クラス内である程度の力を持つ女子にも構わず立ち向かう強さだった。優しいだけの女の子、なんて印象は底が浅いと思われても仕方がない。


 「優しい」「かわいい」、どっちも間違ってはいないだろうが、羽香奈という少女の印象としてその言葉だけだとピンとこないなぁとは葉織も思う。うん、参考にはならなかった。



 羽香奈って……どんな「人」なんだろう。オレにとってどんな存在なんだろう。言葉にしようとすると急に難しく思えてしまうのだった。

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