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2008年のふたり

 二〇〇八年夏、羽香奈と葉織は今でも早朝の流木拾いが日課だった。



「今日もいっぱい集まったねぇ」


「そうだね」


 今は個人的に使わせてもらう流木だけではなく、目についた範囲のゴミ拾いも兼ねていた。


 そも、今はあの頃と違って市販の木材を葉織の人形作りのために業者から仕入れて買っているので、無理して流木を拾う必要性もない。「ゴミ拾いボランティアのついでの流木集め」に主目的が変わってしまっている気もする。



「そろそろ帰って、今日の支度しようか」


「うん!」


 右手にバケツとゴミ袋をぶら下げているから、葉織は空いている方の左手をすっと差し出してくる。羽香奈もごく自然にその手を繋いで、のんびり歩き出して家に帰る。


「今日はそんなに天気良くないねぇ。お客さん少ないかな」


「どうかなぁ」


 せっかく、土日は稼ぎ時なのに。まぁ、特別、忙しくなって欲しいとも思っていないのだけど。



 何せ、羽香奈と葉織は子供もいないふたり暮らし。そろそろ修繕が必要な時期ではあるけど土地持ち実家暮らし。必要最低限、暮らせるだけの収入があって赤字にさえならなければなんとかなる。特に、少し未来の江ノ島では観光客が現在以上に右肩上がりに増加していくのだから展望は明るい。もちろん、彼ら自身にはまだ知る由もないことなのだが。



 江ノ島内の店も神社も、彼らが子供の頃から随分と様変わりしてきた。名物とされる生シラス丼もたこせんべいも子供の頃にはなかったし、江ノ島神社の瑞心門には「弁財天 童子像」という、大きな石像が置かれるようになった。


 武骨な鉄作りだった江ノ島植物園の展望塔は老朽化により取り壊され、見違えるような真っ白の小奇麗なデザインにリニューアルした。植物園そのものも「サムエル・コッキング苑」と名前を改めている。


 奥津宮には岩屋の真上にあたる位置に「竜宮わだつのみや」が建立された。岩屋を思わせる、大きな岩を複数並べて祠に似せるように配置し、その上に大きな龍の石像が坐している。その年、平成五年、葉織達は二十歳だった。元より奥津宮のそばに住んでいるから他の場所よりも慣れ親しんでおり、立派な龍の石像にはかなり感銘を受けた。「参考になるよね」という葉織の関心の高さもあり、見飽きるまではふたりで毎朝のように参拝したものだった。


 おっきな龍神様を見上げてる葉織くんの、感動できらきらしたような目。長く一緒に暮らしていてもなかなか見られる機会の少ない表情だったから、羽香奈にとってはずっと色褪せない、大切な思い出だった。もう十年以上経っているというのに、今でも思い出そうとすれば瞼に浮かぶような気がする。



 そういえば、今となっては経済的に買う事は可能だが、ふたりは未だにカメラを買っていない。子供の頃の羽香奈は、大事な家族の記憶を目に見える形で残せるのなら、カメラくらい買ってもいいのでは? そう思ったのだけれど、今となっては波雪達の気持ちもわかる気がした。


 羽香奈にとって宝物となった、葉織の表情も、「これからその表情を撮らせてよ」とお願いしたところで撮れるものではない。撮ると宣言した時点で、それはそのために用意されたまがい物。だったら思い出だけでじゅうぶんではないか。



 ふたりの成人式のお祝いに、祖父母も含めて四人で、写真屋で撮ってもらった。波雪の代に買った絞り初めの晴れ着をその妹、羽香奈と受け継がれた。あの母も着たんだなぁとふと頭をよぎったが、もはやすっかり過去の人となっているので何も気にしない。



 それよりも、問題なのは。もしかしたらこのままの暮らしを続けたら、次に晴れ着を託せる子供はいないかもしれないということだろうか。それをハツが気にするかどうか、確認を怠ったままにハツは亡くなってしまった。



「確認なんて、いっそしない方が平穏でいいんじゃない」


「そうかなぁ」


「そうだよ。いくら望んだってそういう子ができるわけじゃないし。もしちゃんと確認して、継げる子供を残して欲しいってばあちゃんに言われてたら羽香奈はどうしてた?」


「んーと……ごめんなさい、って」


「そう言うしかないじゃん?」


「……そうだね」



 羽香奈と葉織は、子供の頃から今まで、そしてこれから。変わらず、家族としてふたりで暮らし続ける道を選んだ。戸籍上、きょうだいとされているふたりが子供を作ることも、そのための行為だってしない。



 あの時、きょうだいにならないで「いとこ」のままだったら、結婚だって出来たし、子供だって……。そんな風にぼやいたことがあって、その時は珍しく、羽香奈は葉織に真剣に叱られた。


「俺達がもし、血縁じゃない普通の男と女だったとして、羽香奈は子供産みたいって思ったかなぁ」


「……実は、その。あんまりね」



 羽香奈には、親に愛された記憶がないから、本音を言うと「子供を愛する」という感覚がよくわからない。


 それよりも……ただただ葉織とふたりで、いつまでも一緒にいたい。祖父母を亡くして以来、もう長らく「ふたりっきりの安らぎ」に浸り過ぎていたので……子供とはいえ、葉織を独占出来なくなることに不安を覚えてしまう気がした。



「ほらね。羽香奈のそういうところ、俺だって一応わかってるんだよ」


「あぅ……私のそういうきたない心、知られてるなんて恥ずかしいよ……」


「いいんだって。俺はそういう羽香奈と一緒に生きるって、自分で決めたんだから」


 そもそも、別に汚くなんかないし。幼い頃から馴染みの今のソファーに並んで話していたから、葉織は不意に羽香奈の肩を抱き寄せた。きょうだいだけど、あくまで戸籍上のことだし、これくらいのスキンシップはいいよね。というわけで、体温を感じるくらいの行為はお互いに同意していた。



 ふたりの将来についての考えは、すでに認知機能の低下していたハツには話せずじまいだったが、半蔵にはきちんと話してあった。「世間の普通なんて気にしないで、ふたりが生涯、幸せに生きられる道を選びなさい」と言ってくれた。




 予想していた通り、今日は江ノ島内の客足もまばらだったので、羽香奈は店の外に立ってめぼしい通行人に声掛けをすることにした。


「こんにちは。江ノ島は初めてですか?」


 小柄な羽香奈よりも頭ひとつ分は背の高い、外国人旅行者のカップルに呼びかけた。


 彼らは限られた日本語と英語しかわからないらしい。英語で「こちらは何のお店なの」と質問してきた。羽香奈は流暢に英語で応答する。実のところ、羽香奈は勉強は得意で、学生時代も成績は良く、英語能力も高い。皮肉なことに、何ひとつ与えられなかった羽香奈にとって唯一無条件に得られたのは「学校に関わる教材」だけだったため、勉強は苦になるどころか唯一の友のようなものだった。



 彼らの暮らす家は元は祖父母の経営する土産店だったので、店舗だったスペースを再活用して店をやることにした。今回は土産店ではなく。

 葉織の力を活かして、一体千円で「ご本人の木彫りフィギュアをその場で作り、その日の内に持ち帰れる」ことを売りにした人形屋だった。


 近年、江ノ島にも外国人観光客が増えつつあり、めったに日本に来られない彼らは旅の思い出として気安く入店してくれる。だから羽香奈も積極的に声掛けをしているのだ。


 お客様に商品として出す以上、拾いものの流木で作るわけにもいかず、商売用に関してはきちんと木材を購入している。



 今回のカップルも入店してくれて、店内で待機していた葉織の元へ案内する。小さな丸いテーブルを用意し、お客様から葉織の手元が見えないよう隠すための箱がそこに置いてある。



 正式に作り出す前に、羽香奈はサンプルの人形を彼らに見せた。


『どうしてこの女の子の人形は泣いているの?』


『彼の作る人形は、その人の現在の心境をそのまま形にするんです』


 サンプルの人形は、葉織と初めて会った時に作った泣いた羽香奈の人形。その翌日の、晴れやかな笑顔の人形。そして……。


『三つ目の人形はなんだか、他の作品より拙くないかい?』


『これは、彼が子供の頃に、初めて彫ったものなんです』



 自作することに興味のなかった葉織だったが、せっかくこういう能力を持って生きているのだからと、自分も木彫りを始めた。超能力めいたものだけに頼って生きることにつまらなさを感じたのもあるが、それ以上に……。


「自分の手で作ったものを見せたら、なんとなく、羽香奈が喜ぶような気がしたから……」


 ちょっと照れたような素振りで、人生で初めて「自分で彫った」人形を見せてくれた。それは羽香奈の二作目の人形を見本に彫ったもので、さすがに年齢相応の仕上がりだったが。



 羽香奈は嬉しくて嬉しくて、何年振りかに泣いた。悲しくて泣いたのではないから「何年振り」ではなく、生まれて初めて「嬉し泣きした」の方が正しいのかもしれないが。


 写真なんかなくたって、葉織が形にしてくれた人形を眺めているだけで様々な感情が、思い出が鮮明に甦る。きっと波雪にとってもそうだったんだろうなと、羽香奈は今はつくづく感じるのだった。



『人形を作るって、最初から完璧に出来上がるものじゃないんです。最初は未熟な仕上がりでも諦めないで続けることで、少しずつ、少しずつ上達する。それを知って欲しくて、あえて初めての作品を一緒に展示しているんです』


 なんちゃって。本当はそんなの建前で、ただただ私の宝物を自慢したいだけなんだけどね。


 そんな本音を知るはずもない女性は羽香奈の説明に、『素敵ね!』と讃えてくれた。外国の人ってこう、素直に称賛してくれる人が多くて気持ちが良い。


 さして高額でもないし、今回のお客も諸々の説明と「本当に本人に似た人形に仕上がる」ことを確信して、お買い上げいただくことが出来た。


 葉織は素知らぬ顔で彼らから心の色を剥がし、箱の中で作業にあたり、ものの数分で人形は完成する。ふたりがそれぞれ片手を伸ばし、手を繋いでいるように見える人形で、カップルは大喜びだった。


 この人形には魔法がかかっているから、本人の命と運命を共にする。つまり、亡くなったら自然と木片に戻ってしまうので土に還してあげてくださいという説明も事前に行った。



 葉織の腕を披露するのは「亡くなっても壊れない木彫りの人形」を希望された時に請け負っている。完成までに数日かかるので、送料込一万円という価格設定になっていた。


 不思議なことに生前ではなく、「亡くなった大切な人を木彫りで作って欲しい」という遺族からの依頼の方が多く、託された写真を見て作る機会が多いのだった。


 カルチャースクールやイベントでの木彫りの講師を頼まれる機会もあり、その収入も家計の大きな助けになっている。




 他にお客のない時間帯、葉織は時折、店の外に立つ。羽香奈ほど社交的ではないので客引きなどはしない。


「……羽香奈。あそこ。赤いハイヒールの女の人」


 奥津宮に繋がっている石段を、肩を落とし、とぼとぼとした足取りで歩いてくる女性がいる。


 階段の上り下りの多い江ノ島でハイヒールとは大変そうだなぁ、などと羽香奈は呑気な感想だったが、葉織の顔は真剣だ。こういう時、彼はたいてい黒い靄をその目に見ている。もはや、全て話さなくても羽香奈にはすっかりわかっている。



「お姉さん、こんにちは。私、こちらの店で占いをしているんです。何かお悩みはありませんか?」


 羽香奈は葉織がこういう活動を自然に続けられるよう、占い師になるための勉強をした。信ぴょう性はともかくとしてスクールにも通ったし、可能な限り書物も読み漁って独学した。



 店内の半分は葉織の人形作りのスペースで、ソファー席のあるもう半分は羽香奈の占いのためのスペースに分かれている。


 ハイヒールの女性は藁にもすがる思いで羽香奈の誘いに応じる。お客様は上座、ソファーの方に案内して、羽香奈は正面に置いた椅子に座る。



 傾聴するだけでは格好がつかないからと、羽香奈は一応、横浜中華街で学んだ手相占いのスタイルをとっている。一応手相も見ているが、基本は相手の話を聞いてあげて望んでいるだろう返しをしてあげるだけ……。


 葉織はサービスで淹れたお茶を渡すついでにこっそり、黒い靄を剥がして箱の中で人形に変えてしまう。



「せっかく……好きな人を誘って、一緒に江ノ島まで来たのに……さっき、ふられてしまったんです。しかも、龍恋の鐘の前で……」


 龍恋の鐘というのは、奥津宮の横の森の中に作られたパワースポットで、これも羽香奈達の子供時代にはなかったものだ。一応弁天様の由来で江ノ島神社が作ったものだからとやかく言うものではないが、後付なので「良縁のパワースポット」としての信ぴょう性はどうなんだろう? というのは羽香奈は常から感じている。



「江ノ島という場所は昔から、弁天様が見守って下さっているんです。だから江ノ島に来て結ばれない男女というのは、弁天様がお互いに相応しい相手か見極めてくださっていると伝えられています。お姉さんには今日お別れになった方とは別に、最良な方との出会いが待っているんですよ」


「そうでしょうか……」


「そうですよ! 今度は是非、その方とご一緒に、また江ノ島まで遊びに来てください。江ノ島に一緒に来てその後お別れしなかったカップルは幸せになれる、ってジンクスもあるんですよ」




 恋人同士ではないけれど、私達はあの日初めて出会ってから今日まで、こんなに幸せだから。きっとそのジンクスは本物だろうと、羽香奈は自信を持ってお勧めすることが出来るのだった。

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