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振り返れば風のそよぎ

作者: 吉田逍児

 僕が寺川晴美を目にしたのは5月の連休中だった。僕はアルバイト先の仕事があるので、5月3日の日曜日に東京に戻らなければならなかった。前回、帰省した時、中瀬橋を渡っている途中で彼女と出会い、東京で会う約束をしたが、彼女から僕に連絡は無かった。僕はバスに乗っていて彼女に気づいた。すると町の洋品店の前に立っていた彼女も僕の視線に気づいて、手を振った。今日の彼女のワンピースの色は若草色で春らしかった。僕は彼女を目にして胸をときめかせた。バスが駅に着くなり、彼女に手紙を書いた。

〈 寺川晴美様

 今日は、びっくりしました。

1ヶ月前に。お目にかかったのに

またお目にかかれたなんて、

今日ほど胸のときめきを覚えたことはありません。

 1ヶ月前に中瀬橋で会った時、東京で会いましょうと約束したので、何時、会えるのかと心待ちにしておりましたが、便りが無いので、本当に東京の大学に入学されたのか気にしていました。

東京で会ったら、いろんなことを話したり、いろんな所を案内してあげようと思っています。

大都会、東京には、田舎と違った素晴らしさがあります。

それを先輩風を吹かせて教えてあげたいです。

こんな手紙を送る僕をさげすまないで、どうか現況をお知らせ下さい。

       友情をこめて  吉岡昇平 〉

 僕は、その手紙を書き上げると、駅の売店でお菓子などの販売をしている親戚の吉岡文子から切手を買って、封筒に貼り付け、寺川晴美の実家の住所宛てに手紙を送った。番地までの住所は分からないが、田舎なので大字を書けば届く筈だった。僕は何事にも有頂天になりやすい性格でありながら、心配性のところも併存していたから、今、投げ入れたばかりの手紙の事が気になって仕方なかった。駅前のポストに入れた手紙が、彼女の手元にちゃんと届いてくれるだろうか。彼女の両親に開封されたりしないだろうか。宛先不明で東京の親戚の家に送られて来たりしないだろうか。余分なことをいろいろ考えた。そこへ信越線上野行の列車が入って来た。僕は、その列車に乗って、東京へ向かった。


         〇

 それから1週間後、東京の深澤家に寺川晴美の手紙が届いた。どんな事が書かれているのか、僕は胸を躍らせ、誰もいない三畳間で、その手紙を読んだ。

〈 吉岡昇平様

 お手紙、ありがとうございました。

 お手紙を拝見し、晴美は嬉しくて、嬉しくて、胸を躍らせています。

 私は前にも話したように、板橋の短期大学に通っています。

 東京の事は、まだ詳しくなく、毎日が新鮮なことばかりで、毎日、目を白黒させています。

 学んでいるのは栄養学科です。

 やっと友達も出来て毎日が楽しいです。

 でも日曜日は、1人の生活なので、退屈で仕方ありません。

 自炊生活ですので街に出て、買い物をしたり、買い物から帰って来て、本を読んだりしています。

 今度の日曜日にお会いしましょうか。

 お会いして、情報交換したいです。

 ご返事いただけたら、こんな嬉しいことは御座いません。

              寺川晴美  〉

 想像するに、彼女はアパート暮らしのようだった。僕は親戚の家に下宿というか居候の生活をしているが、彼女は両親の期待をになって、アパートの1室を借り、大学に通わせてもらっている裕福な家の娘だった。同じ高校の先輩後輩の間柄ではあるが、果たして、この交際を始めて良いものだろうか。僕は少し考えた。中山理枝は嫁に行ったし、笛村真織とは絶縁状態だし、川北節子にも相手にされないし、入院生活をしてから、僕に接近しようとする女性はいない。妹のような晴美からの誘いだ。会っていろいろな夢を語るのもよかろう。そこで僕は日曜日の午前11時半、彼女と上野公園の西郷隆盛像の前で、待合せの約束をして、約束の場所に行った。寺川晴美は僕より早く来ていたらしく、若い男に絡まれていて、僕を発見するなり、僕に駆け寄って来た。

「吉岡さん!」

 僕は彼女を抱きとめ、男たちを睨みつけた。男たちは、彼氏がいたと気づくと、『上野動物園』の方へ移動して行った。

「怖かったわ」

「うん。東京は、不良が多いから気を付けろ。まず腹ごしらえしよう」

 僕は、そう言って、かって中山理枝と入った事のあるレストラン『聚楽台』に彼女を連れて行き、西郷丼をご馳走した。そこで食事をしながら、大学のことを聞いた。そしたら、クラスに僕を知つている女性がいるというので、びっくりした。それは中学時代の同級生、田口智幸の妹、安子だった。まさか田口の妹が、晴美の友達になるなんて予想外だった。田口は一浪して、僕と同じ『М大学』で学んでいた。僕は大学に入りたて、この近くの駒込千駄木町に下宿していた時の話をした。家族が僕の事を心配して、祖父や父や母が、最初の数か月間、1週間ごとに手紙を送って来たと話した。彼女もまさに今、同様な状況であると言って笑った。その明るい笑顔が、僕を仕合せな気分にさせてくれた。食事を済ませると、僕たちは上野公園を散策した。桜並木を『上野動物公園』の方向へ進み、『寛永寺』の五重塔を観たり『東照宮』を観たりした。その後、上野の山から『不忍池』に降り、『弁天堂』などを観た。池の畔には義足でアコーディオンを弾く負傷兵、刀を振り回すガマの油売り、綿菓子屋、風船売り、たこ焼き屋、似顔絵書きなどが、客を求め、大賑わい。

「まるで、お祭りみたい」

「平日でも、こんな風なんだよ」

「まあっ、そうなの。楽しくなっちゃうわね」

 『弁天堂』を過ぎると、その先にボート乗り場があった。僕は2人っきりになりたかったので、ボートに彼女を誘った。彼女は喜んだ。ボートに乗るのは初めてだと言った。ボートに乗って眺める不忍池からの風景は美しかった。柳が風に揺れ、遊園地方面は賑やかで、時折、都電の電車が池の畔を走って行くのが見えた。僕はボートを手漕ぎしていて、途中で疲れたが、晴美に代わる訳にも行かないので、1時間前に、ボート乗りを切り上げた。まだ時間はたっぷりある。

「次は何処へ行きましょうか」

「そうだなあ。千駄木町を案内したいところだが、ちょっと遠いので、『湯島天神』に行こう」

 僕は『不忍池』を離れ、『湯島天神』に晴美を案内した。学問の神様として有名な菅原道真を祀る『湯島天神』は学問だけでなく縁結び、病気回復などの御利益があるということで、今回、初めて参拝した晴美は実際に足を運び、参拝して大喜びした。そうこうしているうちに、夕方が近づいた。僕たちは『湯島天神』から広小路へ向かった。『松坂屋』に寄ろうとしたら、晴美が言った。

「百貨店は値段が高いから、私、買い物しないわ。別の所へ行きましょう」

「別のところ。なら『アメ横』に行くか」

「足がかったるいから、喫茶店で休みましょう」

「そうだね。コーヒーでも飲んで、一休みしよう」

 僕たちは、そこで、上野駅近くの喫茶店『古城』に入った。ウエイトレスに案内された席は前後を壁で仕切られ、薄暗く横並びの座席だった。まるで、汽車の一番前の座席に座らせられた気分だった。僕は同伴喫茶であると気づいたが、知らん振りをして、キリマンジャロを注文した。僕たちはランプに火を点け、薄暗い中で会話した。彼女は、将来の夢を語った。

「これからは、女性活躍の時代だと思うの。だから職業婦人になって、旦那さんと手分けして働き、小さな家を建て、3人くらい子供を産んで、明るい仕合せな家族を築くの。そして子供の成長を楽しみに、旦那さんと死ぬまで愛し合って生きるの」

「良い相手を見つけて、夢が叶うと良いね」

「吉岡さんは、貿易商か作家になるのが夢なのよね」

「まあ、そんなところかな」

 僕は、そう答えたが、自分の未来に自信が持てなかった。退院して数ヶ月も経たない僕には、かってのような強い希望が湧いて来なかった。僕たちは暗い喫茶店の中で、近くのカップルがキッスしたり、愛撫したりする音を耳にしたが、同様な行動に移ろうとはしなかった。うぶで妹のような晴美に僕は手出し出来なかった。『古城』を出てから、僕たちはガード下の中華料理店でラーメンを食べて、上野駅に行き、京浜東北線のホームで別れた。


         〇

 翌日、僕は衆議院第二議員会館の尾形憲三代議士の事務所で、陳情に議員会館にやって来た地元団体の案内をしてから、矢野五郎秘書、船田宗行助手、田島道子女史と報告書作成や土産物整理をしたり、後援会の会員名簿の追加など、いろんな雑用をこなした。そして、夕方5時過ぎに仕事を切り上げ、『М大学』に向かった。お茶の水の校舎での1限目の授業が終わると、船木省三が5月の連休に高尾山に行って来た写真が出来上がったからと言って、僕たちに写真を見せてくれた。写真は『若菜病院』の医師や看護婦たちとの日帰り旅行のさまざまなスナップ写真だった。その写真の中に、僕が高輪の『東京船員保険病院』に入院していた時、見舞いに来てくれた川北節子の笑顔があった。彼女の後ろにいる若い男が彼女と親密な瀬川清昭医師に違いなかった。浅野洋子の写真を見つけると、手塚秀和が喜んだ。

「船木。浅野さんの写真、1枚、焼き回しして俺にくれよ」

「分かった。吉岡は要るか?」

「僕は要らないよ」

「梅沢は?」

「僕も要らないよ」

 僕たちは手塚と違って遠慮した。船木は自分がアルバイトをしている『若菜病院』の看護婦たちを利用し、異性に渇望している友人たちに、自分の魅力を自己顕示するのが好きだった。そのお陰で、僕は『若菜病院』の看護婦たちと知り合いになり、ダンスを踊れるようになった。僕は学友と一緒にいると、いろんな刺激を受けて、元気になり、健康を取り戻しているのを実感した。そして定期検診に行かなければならないのを思い出したりした。あの病室の大城氏、鬼頭氏、山田氏、藤井氏、佐藤少年は退院出来ただろうか。まだ、何人か残っているに違いない。


         〇

 高輪の『東京船員保険病院』に行くのは久しぶりだった。病院は高い丘の上にあった。僕は急ぐことも無く品川駅から、『高輪プリンスホテル』の脇の坂道を病院へと続く道を登った。ホテルの森は鬱蒼と茂り、鶯が鳴いていた。僕は病院に着くと内科の受付で検診の名簿表に名前を記入した。3月末に退院してから2度目の検診だった。お世話になった阿部康弘先生の診察で、入院していた時と同じように、目の色と足を曲げてお腹のゴロゴロを確認する検査をしてもらった。結果は順調とのことだった。阿部先生は優しく僕に言った。

「不摂生をせず、このまま数ヶ月すれば、完治する。規則正しい生活をして、学問に励み給え」

「有難う御座います。失礼します」

 僕は阿部先生に深く頭を下げ、診察室から外に出た。そこへ入院時代、お世話になった看護婦、木下綾子が顔を見せた。僕の検診日を調べて、僕が現れるのを待っていたらしい。

「吉岡さん。お久しぶり。随分、顔色も良くなったわねえ」

「お陰様で」

「入院していた時、私と約束したこと、忘れていないでしょうね」

「何だったかな」

「もう忘れたの?同人誌のグループを紹介してくれるって」

 僕は入院中に、毎日、日記や小説を書いたり、子供たちに漫画を描いていた。そんな僕の趣味を、検温に来た時、彼女が気づき、文学の話になり、『中央文学』の話をしたことを思い出した。その時、『中央文学』の会員になりたいなら、紹介してやるよと綾子に言ったような気がした。

「ああ、そうだったかな。僕は頭が悪くて、全く、忘れていたよ」

「頭が悪いのじゃあの。私に魅力を感じていなかったから、覚えていてくれなかったのよ」

 そう言われて、僕は何も言えなくなった。覚えているのは入院中、彼女に性的処理をしていただいた事だけだった。僕を睨みつける黒い瞳は魅力的で無いなんて言えなかった。彼女の瞳は黒曜石のように輝き、美しかった。

「ごめん、ごめん。木下さん、文学に興味があったんだよね」

「そうよ。詩を書きたいの。だから、吉岡さんに、いろんなことを教えていただき、『中央文学』に自分の作品を発表したいの」

「そう。分かった。今度、『中央文学』の同人誌、見せて上げるよ。何時が良い?」

「そうね。来週の日曜日はどう」

「良いですよ。品川駅で良いですか」

「病院の関係者に見られるとまずいから、新橋にしましょう。銀座寄りの改札口、午後3時でどう?」

「了解です。では、また、その時」

 僕は定期検診に来たのに、木下綾子と思わぬ約束をしてしまった。僕は確かに『中央文学』の同人になっていたが、座談会にも出席せず、文学について、綾子に教えてあげられるような自信など全く無かった。ただ、故郷から脱出して、東京で暮らし、貿易商になるか、作家になるか、いずれかの道に進む積りでいたので、文学に対する志は人一倍、強かった。抱いている希望だけは大きかった。


         〇

 僕にとって日曜日は1週間の中で複雑な日だった。居候しているのであるから、自分が深沢家の家族で無い事を深く理解していた。だから、深沢家でお手伝いの無い日曜日は、なるたけ外出することにした。昼と夜の家族の団欒に参加しなかった。川柳でいう〈居候、3杯目はそっと出し〉では無いが、他所の家族に交じって、食事をするのが、嫌だった。僕が幼い時、吉岡家で夕食をしている時、疎開していた従兄の忠雄が、障子に小さな穴を開け、外から我が家の団欒を覗き見していたのを知っているから、尚更だった。現在の自分は、幼い時と立場が逆転しているのだと理解していた。だから、日曜日に友達と会うのが当たり前のようになっていた。木下綾子に誘われたのは好都合だった。僕は午前中、自分の部屋掃除をしたり、喜一郎叔父や従兄妹の靴磨きをした後、深沢家を出て、京浜東北線の電車に乗り、まず、東京駅に行った。そこから日本橋まで歩き、有名書店『丸善』に行き、立ち読みをして過ごした。昼になると徒歩で新橋まで移動し、うどん屋で食事を済ませ、日比谷公園に行って読書と執筆。午後3時前に新橋駅に行き、木下綾子があらわれるのを待った。その木下綾子は、花柄のワンピースを着て、新橋の改札口に颯爽と現れた。

「お待たせ。この先の喫茶店に入りましょうか」

「はい」

 僕は都内のことに詳しい木下綾子に従った。彼女は港区の中学を卒業してから看護師養成所を3年で卒業し、『東京船員保険病院』に勤め、現在、三田高校の定時制で学んでいて、新橋周辺の事情にも慣れているらしく、安心して従うことが出来た。僕たちは先ず、喫茶店『マイアミ』に入り、コーヒーの香りを味わいながら、会話した。僕は書類バックから、同人誌を取り出して、説明した。

「これ『中央文学』の同人誌です。百号です。歴史のある同人誌です」

「まっ、百号。凄いわね」

「うん。赤川謙先生と秋山健二郎先生が中心になって発行しているんだ」

「随分、同人がいるのね」

「30人程度かな。兎に角、石原慎太郎が芥川賞を受賞してから、小説家になろうとする若者が増えてね。文学志望の女性も増えているんだ」

「同人の女性は、何人くらいいるの?」

「三分の一程度かな。10人くらいいるよ」

 僕は綾子の質問の一つ一つに偉そうに答えた。病院では僕が従者だったが、文学については、綾子が従者だった。とはいっても、僕は『中央文学』の同人であるが、まだ1度も作品を投稿したことが無く、どちらかというと、同人誌の購読者だった。投稿したい作品はあっても、掲載料がかかるので、貧乏学生には投稿する資金的余裕が無かった。それでいながら同人誌の座談会では、生意気な発言をした。僕には高校時代から、武者小路実篤、川端康成、島崎藤村などの小説を読み、大学に入ってから、リルケ、ヘッセ、シュトルームなどの詩に夢中になり、坂口安吾、太宰治、三島由紀夫、水上勉、石原慎太郎の小説を読み漁ったことによる自信があった。自分が、まだヒヨッコであることにも気づかず、平然と文学論を語った。そんな僕の実像を知らず、綾子は僕に文学の才能があると思ったらしい。『マイアミ』での話が終わると、夕暮れ近くになった。

「少し早いけど、夕食にしましょうか。私が奢るわ」

「奢っていただけるのですか」

「貴男、まだ学生さんでしょう」

「木下さんも、学生でしょう。割り勘にしましょう」

「私は、ちゃんとしたお給料をいただいているのですから、今日は私に任せて」

「ではご馳走になります」

 喫茶店から出ると、綾子は僕を『NHK]近くの中華料理店『同発』に連れて行ってくれた。このような高級中華料理店に入るのは初めてだった。僕は綾子の指導に従い、再び綾子の従者になった。満腹になったところで、綾子が言った。

「このお店の名前の意味が分かる?」

「名前の意味。同じに発という字だから、同時、出発かな」

「外れでは無いけれど、本当の意味は、一緒になって発展しましょうという意味なのよ」

「成程」

 その意味を聞いて僕が感心していると、綾子がフフンと笑った。店を出ると、外はネオンの光がまばゆく、新橋駅周辺は沢山の人で賑わっていた。ビールを飲んでのブラブラ歩きの所為か、夜風が心地良かった。そんな、ほろ酔い気分の僕を綾子が大通りから路地に誘って言った。

「ダンスホールに行ってみない」

「この近くにダンスホールがあるのですか?」

「うん。こっちよ」

 綾子は、そう言うと『新橋第一ホテル』の裏手のダンスホール『フロリダ』に僕を案内してくれた。こんな所にダンスホールがあったとは知らなかった。夕食をご馳走になったので、僕がチケット代を支払い、中に入ると、一階の広いホールで、沢山の男女が楽しそうに踊っていた。2階席から、酒を飲みながら見下ろしている客もいた。

「さあ、踊りましょう」

 僕は『若菜病院』の大橋花江にダンスの手ほどきを教えてもらっていたので、何とか綾子の相手をすることが出来た。『エリーゼの為に』、『早春賦』、『水色のハンカチ』、『魅惑のワルツ』、『闘牛士のマンボ』などなど、沢山のダンス曲を綾子と踊った。踊っても踊っても、踊り足りなかった。挙句、彼女の三田のアパートに寄ってから、夜、遅く深澤家に帰ったので、利江叔母に、こっぴどく叱られる結果となった。


         〇

 僕はアパート暮らしをしたくて仕方なかった。だが安いアルバイト代では家賃を支払うので、精いっぱいで、食べる事が出来なかった。深澤家に居候させてもらっているお陰で、何とか大学へ通える身分でいられることは、重々、理解していた。深澤家の喜一郎叔父をはじめ、叔母や従兄妹には深く深く感謝せねばならなかった。それなのに、僕には外から学友や女性たちから誘いがあるので、深沢家にとって、僕は困り者だった。だからと言って、親戚の僕を追い出す訳にも行かず、僕に送られて来る個人的手紙などを開封することも出来なかった。寺川晴美からの手紙が届くと、利江叔母が僕に確認した。

「今日、寺川さんという女性から、手紙が届いたわよ。これ、何処の人なの?」

「僕の高校時代の後輩で、短大に通っています」

「変な家の人ではないでしょうね」

「そんな家の人ではありません。短大に出すような家柄の人です」

「なら良いけど」

 利江叔母にとっては、自分の息子や娘に異性からの手紙が来ないのに、何故、僕だけに異性からの手紙が来るのが不思議でならないみたいだった。僕にとっても、それが不思議でならなかった。従兄の忠雄は川地民夫に似ているし、妹の高子は伊東ゆかりに似ていて、美男美女の兄妹だ。フアンレターが届いても不思議ではない。だが、ちょっと、おすましな雰囲気が異性にとって近寄り難い存在なのかも知れない。僕は、利江叔母から晴美の手紙を受け取ると、狭い3畳の部屋で、その手紙を読んだ。

〈 吉岡昇平様

 先日は、上野公園でお会いして、

 御馳走になり有難うございました。

 お礼の手紙を直ちに差し上げなければならないのに、筆不精で、お礼の言葉が遅れてしまったこと、大変、申し訳なく思っております。貴男の事は高校1年生の時、バレーボール部の先輩であったことからも、学校新聞などで、絵が上手なのを拝見させていただいたことなどからも、良く知っていました。大学に入ってからも安子ちゃんから、いろいろ貴男の家族のことなどを教えていただき、何かと親しみを感じておりました。

 先日、お会いして、個人的なことを話していただき、一層、親近感を覚えました。

私の誕生日は10月25日です。

貴男の誕生日は何日ですか?知りたいです。

また、お会いしたい気持ちでいっぱいです。都合の良い日をお知らせ下さい。

ご返事、心からお待ちしています。

             寺川晴美   〉

 僕は、寺川晴美からの手紙を受け取り、自信を持った。中学時代から片思いが多かったが、東京に来てから、何故か女性との縁が増えた。このことは自分でも不思議でならなかった。僕は翌日、『М大学』の図書館で寺川晴美への手紙を書いた。

 〈 寺川晴美様

 ニコライ堂の鐘が鳴っております。

 子供たちに早く家に帰るように伝えているのでしょうか。

男たちの1日の疲労を癒そうと、穏やかな音を鳴らしているのでしょうか。

それとも乙女たちの心を目覚めさせ、励まそうとしているのでしょうか。

 僕は今、大学の図書館でペンを握っています。

この間、上野公園を散歩したり、喫茶店でコーヒーを飲んだりした貴女に、この手紙を書く為に・・。

こんな書き出しの僕の手紙を読んで、貴女は、さぞ、驚きのことでしょう。ちょっと異常ではないかと。ペンを握っている僕自身も、どうかしたんじゃあないかと、疑っています。きっとドイツの詩人たちの作品の読み過ぎです。

 この間は、貴女と久しぶりに、ゆっくり時間を過ごすことが出来て、僕はとても嬉しかったです。同じ故郷の人と一緒にいると心が和みます。

貴女から質問のあった僕の誕生日は12月8日です。

真珠湾攻撃の日です。

その為か、僕の性格は我慢を重ねた挙句、爆発し攻撃的になることがありますので、ご用心下さい。

僕が次に都合の良い日は6月14日の日曜日です。

午後2時、有楽町で逢いましょう。

日比谷寄りの改札口で待っています。

了解であれば返事は不要です。

楽しみにしております。

           吉岡昇平    〉

 僕は、書き上げた手紙を、お茶の水駅前のポストに投函した。晴美とまた会えるのかと思うと胸が躍った。


         〇

 僕には人の誘いを断れないところがあった。少年時代、目上の兄たちに服従するよう強制された時に植え付けられた自己防衛本能から来るものかも知れなかった。議員会館での仕事を終え、『М大学』の教室で学友に会い、喫茶店に行こうとか、麻雀しようかなどと誘われると、僕は勉強したい事があるのに、授業を放り出し、遊びに興じることが多かった。特に松崎利男、小平義之、下村正明に麻雀を誘われると、断り切れなかった。何故なら麻雀は東南西北の4人でするゲームだったから、1人足りなくても成立しないからだった。群馬育ちの僕は博打と義理人情の男だった。麻雀好きな誰かに声を掛けられると、授業をさぼり、麻雀をした。大学の近くに『幸楽』という雀荘があり、そこの姐さんとも顔馴染みだった。麻雀をしながら、世間話もした。中でも年上の岩崎と小平は煙草をふかしながら、牌を操った。僕は点数の数え方もろくに分からず、ベテランに指導してもらい牌を並べた。美しい牌の並びが好きで、その並びを求めて、一直線に突っ走った。混一色、四暗刻、大三元、一気通貫、国士無双など、成功した時は大きなプラスになるが、失敗した時は大損をした。小平は僕が調子が良いと余分なことを言って、僕の思考を狂わせた。

「そう言えば、吉岡、『火影』のマオちゃん、彼氏が出来て、最近、お前の事を口にしなくなったぞ」

「そりゃあ、良い事だ」

「そうじゃあ無いだろう。相手は『R大学』の男だ。『C大学』の角田教授からマオちゃんを奪い取ったみたいだぞ」

「僕には関係ないことだ。リーチだ」

「自棄っぱちリーチか?」

「良く分かるな」

「ロン!」

 そんな会話をしている僕の捨て牌で下村が上がった。小平も強いが下村も強かった。だから船木や手塚、梅沢は、小平たちとは、余り麻雀をしなかった。僕は小平に『A大学』の笛村真織の近況を聞いて、一安心した。去年、心中しようと言われた時は、恐ろしさに身の毛がよだち、彼女が差し出した青酸加里を多摩川に投げ捨てたが、今年になってから、何の交流も無く過ぎて、もう忘れかけていてくれて、良かったと思った。議員会館事務所の仕事と学業と寺川晴美や同人誌の事で、僕の頭はいっぱいになっていたから、真織の事を考える余裕など無かった。長い入院生活が、彼女との縁を断ち切ってくれたと言ってよかろう。世の中には麻雀や競馬などを悪い事だという人がいるが、麻雀ゲームは将棋と同様、頭の回転を良くする遊びだと思っている。大学を卒業してからも役立つ遊びだと思っている。飲み打つ買うは男の道楽というが、長い人生の道のりに於いて、知っておいた方が、知らないより、有利だと思う。僕は、そんなことで、『火影』には全く行かなくなり、麻雀などで遅くなり、叔母に毎日のように叱られた。深澤家にとって、居候の僕は全く、不良同然で、厄介者だった、


         〇

 6月14日の日曜日、僕は昼前に深澤家を出て、東京駅まで電車で移動した。そこから『丸善』まで歩き、立ち読みし、新しい知識を頭に詰め込んだ。その後、京橋近くのラーメン屋に入り、仕入れた知識をメモしたりしながら腹ごしらえをした。一段落したところで、京橋から、有楽町まで歩いた。有楽町駅の改札口に行くと、白いブラウスにグレーのジャケットを羽織り、チョコレート色のスカートをはいた寺川晴美が待っていた。人混みの中に立つ可愛い彼女を見て、僕は照れながら声をかけた。

「お待たせ」

 すると彼女は明るく笑って言った。

「有楽町って初めてだから、早めに来ちゃった。フランク永井の歌ではないけれど、雨が降って来るのではないかと気にかかって」

「まあ、大丈夫そうだ。どっちに行こうか」

「どっちって?」

「銀座方面か、日比谷公園方面か」

「私、両方、行ってみたいわ」

「分かった。両方、案内してやるよ」

 僕には妹がいないのだが、妹と一緒にいるような気分になって、彼女に銀座界隈の案内をした。まずは日劇、朝日新聞社、ガードの向こうの日活会館を指で示して説明した。

「真知子と春樹の数寄屋橋は何処なの」

「ここら辺にあったんだ。僕が上京した頃は、苔の生えた欄干があったけど、今は消えちゃったな。外堀が東京駅の方から道の向こうの『泰明小学校』の脇を通って、新橋方面にまで、続いていたらしい」

「今は埋められちゃったのね」

「うん。僕らも古くなれば埋められちゃうんだ」

「まあっ、そんなこと言わないで。私たちはこれからなんだから」

 僕は、彼女の言う、これからに期待した。今は苦しいアルバイト生活をしているが、大学を卒業したら、素晴らしい未来が待っているに違いない。僕は、胸を膨らませ、服部時計店、三越、松屋、松坂屋などで賑わう銀座通りを、新橋駅まで歩いた。銀座の風景を眺めているだけで、晴美は喜んだ。僕たちは銀座から新橋に辿り着くと、流石に疲れた。僕は前に木下綾子と入ったことのある喫茶店『マイアミ』に彼女を案内し、コーヒーとケーキを注文し、近況を語り合った。学友の増えた彼女は毎日が楽しくて仕方ないと語った。僕は、昼間、アルバイトをしていることを説明せず、ゼミナールの話などをした。将来、台湾や中国との貿易が始まるかもしれないので、中国貿易のゼミナールで学んでいると語った。また文学にも興味があると話した。すると彼女は三浦哲郎の『忍ぶ川』を読んで感動したと言った。そこで僕は、ちょっと安心した。それなら男女の事は、ある程度、勉強していることになる。僕はそこで、彼女を『日比谷公園』に案内することにした。喫茶店『マイアミ』を出て、田村町の交差点から、『NHKビル』の前を通り、『日比谷公会堂』の脇から、『日比谷公園』に入った。日曜日とあって、『日比谷公園』は若い男女でいっぱいだった。どのベンチもアベックに占領されて座る所が無かった。僕たちは噴水を見たり、野外音楽堂を見たりして、恋人同士のように手をつないで歩いた。仕合せだった。こんな妹のような恋人が出来たなんて信じられなかった。公園内をふらついているうちに、辺りが暗くなり始めた。ベンチに座って語り合いたいのに、『日比谷公園』には僕たちを休ませてくれる場所が無かった。でも霞が関から都電に乗って日比谷で8番系統の電車に乗つて、日比谷で37番系統の都電に乗り替えて、大学に通う僕には、このあたりの何処に休息の場所があるか、ちゃんと頭に入っていた。僕は晴美の手を引き、『日比谷公園』から御濠端の都電8番系統の走る内堀通りを越え、橋を渡った。そこは『皇居外苑』で小さな松林の広場。夕暮れが迫り、いい景色だった。アベックの姿も少ない。僕はその外苑の松林の中に晴美を連れ込んだ。彼女は小説『忍ぶ川』を読んでいるくらいだから、もう僕の魂胆が何か分かっているに違いない。考えてみれば随分、歩いたものだ。僕は彼女に訊いた。

「疲れたね。人のいない所を探すのに苦労したよ。キッスしても良いかな」

 すると晴美は一瞬、迷い、黒い瞳を光らせ、僕の顔をじっと見た。どうしよう。僕が戸惑っていると、彼女は僕の正面に来て、目をつぶった。良かった。僕は彼女に、そっとキッスをした。と、突然、彼女が僕を突き放した。

「どうしたの?」

「人に見られているわ」

「誰に。何処から?」

「あそこ」

 彼女に、そう言われて、僕は笑ってしまった。

「あれは楠木正成公だよ」

「まあっ」

 僕たちは笑い合った。それから、僕たちは、37番系統の都電に乗り、上野広小路で下車。御徒町駅前の『吉池』で親子丼を食べながら、次のデートは映画鑑賞にしょうなどと話し合った。そして夕食を済ませてから、御徒町駅に行き、京浜東北線の電車に乗った。僕は東十条駅まで晴美を送って行って、晴美と別れた。僕は東十条駅から折り返し、京浜東北線の電車に乗り、深沢家に帰った。深澤家では、晩酌を飲んで良い気分の喜一郎叔父は寝ており、就職活動中の忠雄や今春、高校を卒業して銀行勤めを始めた高子は、パジャマ姿で、もう寝るところだった。利江叔母も寝る準備をしていて、僕を見るなり、目を吊り上げて叱った。

「何時まで、遊んでいるの。皆、朝が早いのだから、10時前に帰らなければ、御祖父さんに言って、この家から他所に移ってもらいますからね」

「御免なさい。早く帰るよう心がけます。御祖父さんには言わないで下さい。許して下さい。許して下さい」

 僕は畳に手をつき、利江叔母に謝った。兎に角、我慢することだ。

「分かったら、さっさと寝なさい」

 僕は叔母の命令に従い、三畳間に逃げ込み、布団を敷いて、寝ころんだ。三畳間の天井を見上げ、歯を食いしばった。深澤家にとって、自分は継子であり、本来、この家で一緒に生活する人間では無いのだ。僕は継子に等しい疎外感から生ずる悲哀に孤独を感じて、苦悩した。大学を卒業するまでの辛抱だ。そう思うと何故か目に涙が滲んだ。


         〇

 僕は議員会館の尾形憲三事務所でのアルバイトの日を重ねるにつれ、仕事に慣れて来た。学生服姿のままで、議員会館内を動き回った。矢野五郎秘書に命令され、参議院議員会館の丸茂重貞議員の事務所に書類を届けに行った時のことだった。丸茂議員事務所の入口に立ち、矢野秘書のように両手を両脚にぴったり付け、頭を深く下げて、元気な声で挨拶した。

「尾形憲三事務所から来た吉岡昇平です。会報を届けに参りました」

「御苦労さま。先生と矢野秘書によろしく」

「はい。では失礼致します」

 僕が矢野秘書と親しい土屋秘書に、そう挨拶して帰ろうとすると、奥の席で眠っていた丸茂議員が、むっくり起き上がって、僕を呼び止めた。

「おい、ちょっと待て。君が吉岡君か。君のこと矢野君から聞いているよ。吉岡先生のお孫さんだってな」

「は、はい」

「吉岡先生は元気か?」

「は、はい」

「私も尾形先輩も吉岡先生には、大変お世話になった。尾形先輩の後を継いだ憲三君は、まだ若い。矢野君たちと一緒になって、憲三君のバックアップをしてくれ。頼むよ」

「は、はい」

 僕は丸茂重貞議員を目の前にして緊張した。丸茂議員の言っている事が半分程度しか分からなかった。丸茂議員は目を丸くしている僕を見て笑い、土屋秘書に言った。

「土屋君。ここに来てもらったついでだ。吉岡君を婆さんの所へ連れて行ってやれ。婆さんが喜ぶぞ」

「はい。分かりました。吉岡さん、案内します」

「は、はい。有難うございます。先生、では失礼致します」

 僕は、丸茂議員に深く頭を下げた。尾形議員や矢野秘書から、誰彼かまわず、相手を尊敬し、深く頭を下げるよう、日頃、強く、教えられていたので、僕が退室の挨拶をすると、丸茂議員は微笑んだ。僕はそれから、土屋秘書に連れられ、同じ参議院議員会館にある議員事務所に案内された。土屋秘書が連れて行ってくれた議員事務所の入口のプレートには、最上英子と記されてあった。

「ええっ」

 僕は、びっくりした。僕が小学生の時、僕の田舎の家に来たことのある女性国会議員の事務所だった。僕は、土屋秘書の後を、金魚の糞のようにくっついて、事務所に入つた。

「失礼します。丸茂事務所の土屋です。突然、済みません。よろしいでしょうか」

「まあっ、土屋さん。どうぞ、どうぞ」

「うちの事務所に、ここにいる珍しい青年が来たものですから、丸茂先生が、最上先生の所にもお連れしろと言われまして、連れて参りました」

「尾形事務所でアルバイトをしている吉岡昇平です」

 僕はここでも頭を深く下げた。お辞儀をしてから、僕は少年時代、目にした活発な美人の面影は、あるものの、年老いて変わり果てた女性国会議員を目の前にして、唖然とした。60歳前後だろうか、髪が白くなり始めている。戦後、女性の参政権が認められてから選出された初の女性代議士の中の1人である最上議員は、目を丸くして突っ立つている学生服の僕を見て、微笑んだ。

「まあっ、可愛い学生さんね。尾形君の所のメッセンジャーボーイさんね。よろしく」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

「頑張ってね」

 最上議員は、そこで会話を終わらせようとした。すると土屋秘書がこう言った。

「先生。吉岡君は吉岡先生のお孫さんだから、先生の所へ連れ行けと、うちの丸茂が言っていましたので、お連れしたのです」

 土屋秘書の、その言葉を聞いて、最上議員は、僕を見詰め、僕に訊いた。

「吉岡先生のお孫さんですって。貴男の御祖父さんのお名前はなんて仰るの?」

「慶次郎です」

「貴男。慶次郎先生のお孫さんなの?」

「はい」

「びっくりだわ。先生は、お元気}

「はい。元気です。時々、元気だと手紙をくれます」

「そう。私は慶次郎先生にとてもお世話になったのよ。私が、こうしてここにいるのも、貴男の御祖父さまのお陰。私の夫、政三は、戦後、公職追放で、議員を辞めさせられたの。その時、夫の支援者だった慶次郎先生が、私に身代わりになって選挙に立候補することを勧めてくれたの。選挙演説も、何度もしていただいたわ。これからの時代は、女性を政界に参画させ、平和な世の中創りに活躍してもらうべきだと、先生は力説してくれたわ。お陰で、私がここにいるのよ。有難う。尾形先生の応援をして上げてね」

「は、はい」

 僕は、びっくりした。尾形事務所に戻り、最上英子議員に会って来たと話すと、矢野秘書たちは、びっくりした顔をした。僕は思いがけない祖父の過去を知り、本当の事なのか信じられなかった。野良仕事をしながら晩酌を楽しみにしている祖父に、そんな過去があったとは。僕は改めて、祖父に尊敬の念を抱いた。


         〇

 家族と遠く離れて気づいた事だが、僕は自分が逃げ出して来た故郷の祖父や両親たちの力によって自分が、今も守られていることを知った。東京の深澤家に居候していてることも、叔母、利江の父である祖父の要請によるものであることは分かっていた。深澤家は叔父、叔母、従兄、従妹の4人という、バランスのとれた家族構成なのに、祖父の要請によって僕の同居を受け入れたのだ。平穏に暮らしていた深澤家にとって、他人の僕が加わったことは、少なくとも厄介な事に相違なかった。昼間、建設会社や議員会館でアルバイトをして、夜間大学に通い、夜遅く帰り、休みの日、勉強をしているのかと思えば、ろくでもない小説を読んだり、文章を書き、時々、友人や女性に会いに出かける。それは深澤家にとって悩みの種だった。だが僕は、そんな深澤家の人たちの気持ちを読み取りながらも、休みの日になると外出した。夏休み前の7月25日の土曜日の午後、僕は『中央文学』の会合に木下綾子を連れて行った。会合場所は『中央文学』主幹の赤川謙先生のご自宅だった。京浜東北線の電車に乗り、秋葉原駅で総武線に乗り替え、亀戸で下車。亀戸から亀戸線の電車に乗り、小村井駅で下車して、5分程の所に赤川先生のご自宅があった。木下綾子と一緒に赤川邸の玄関に入ると、玄関に靴や下駄などがいっぱいなので、綾子が驚いた。七木田満子が玄関で僕たちを迎えた。僕たちは満子に案内され、座談会の8畳間に通された。夏なので障子を開け放し、縁側や廊下まで座布団が敷かれ、8畳間や縁側や廊下は賑やかだった。僕は、まず綾子を赤川先生と秋山先生に紹介し、綾子の同人の加入の許可をいただき、その手続きを行った。それからしばらくして、『中央文学』第101号の座談会が始まった。秋山健二郎先生が司会を務めた。自分では日頃、文学作品を読んでいるが、同人の作品を読んでの、作品批評をするとなると、僕は気が引けた。だが秋山先生に指名されると、批評をしない訳には行かなかった。僕は綾子が見ていることもあって粋がった発言をした。

「この作品には、誰が何をした、誰がどう言ったというような表現だけで、登場人物の心の中にある内面的表現が欠けているような気がします」

 すると中年の同人、長根隆志が僕に確認した。

「それは感情描写という意味ですか」

「ええ、そうです。細かい心理学的な心象風景です。他の人の作品にも内面的欠如が見受けられますが、最近は、そういった内面描写が必要になって来ているのではないでしょうか」

「つまり主人公の内的世界を追い詰めて描けということですね」

「ええ、主人公に限らず。内面描写があった方が、読みやすいのでは」

「私は、その考えに反対です。その内面状況は、読者に想像させた方が良いのではないでしょうか」

「そういう考えもありますね」

 僕は、自分の浅はかさが知れてしまうので、そこまで言って、発言を打ち止めにした。ところが話は、心理描写が足りないとか、いろんな意見があると思うが、作者は、そういうことを余り意識しないで、リアル1本槍で進んでもらいたいという意見が大半を占めた。僕はちょっと恥ずかしかった。その後、幾つか小説の批評をして、秋山先生は合評を詩の批評に変えた。赤川先生が、詩の批評に熱心なのには驚いた。同人女性に詩人が多いので、彼女たちの批評をするのが楽しみのようだ。合評会に参加する女性たちは、皆、着飾って、和服姿で参加する女性もいた。大きなガラス玉のネックレスをした寺田量子は詩集を出していることもあって、赤川先生と一緒になって批評を行った。そんな中で、秋山先生は僕が初めて連れて行った木下綾子に訊いた。

「木下さんは、如何ですか?」

 僕の隣りにじっと座っていた綾子は、突然、質問されて、慌てふためいたが、皆に挨拶した。

「初めまして、今回、同人に加えていただきました木下綾子です。よろしくお願いします。初めての参加ですので、まだ批評するような力もございません。次回、発言させていただきます」

「そうですか。どは合評会はこの辺で終了致しましょう」

 こうして合評会が終わると、同じ座敷で、夕食会となった。女性たちは、酒やジュース、おつまみ、煮物料理、刺身、おにぎりなどを適当に配り、張り切った。この頃の同人誌の会員連中といったら、皆、野望を抱いていた。男性も女性も文学で一旗揚げようという野心家が多かった。僕も、そんな中の一人だった。学生服の僕は若造なのに文学者気取りだった。自分の希望の船を文学の海に漕ぎ出した海洋冒険家みたいな者だった。同様な若者に、『K大学』の荒木清貴がいた。彼は僕たちの所に寄って来ると、石原慎太郎の話をした。彼は芥川賞を狙って、『中央文学』に参加しているのだと滔々と語った。

「はっきり言って、僕は芥川賞を狙っている。僕は慎太郎のように、現代の若者の欲望と熱意を描きたいと思っている。それには吉岡君の言うように、若者が何を考えているかの内面描写が重要だ。孤独と不安が横溢する男女の世界。それを描きたい」

「うん。僕も似たようなことを考えている」

「また現代社会に反抗し、欧米に拘束されて絶望している日本人を目覚めさせ、精神的自由を取り戻させ、現代の若者たちに生きる勇気と活力を与えたいと思っている」

「立派な考えだ」

「そう言われると、照れくさいが、青春のバイブルと言われるような作品を書きたいと思っている」

 僕は彼の考えを聞いて、自分はまだまだ修行が足りないと反省し、心を乱した。僕には荒木清貴のような明確なテーマが無かった。詩人や作家に憧憬しているだけのロマンチストでしかなかった。僕は今日の合評会で荒木と話して、自分が今後、小説を執筆する上で、自分の思う事を主人公に仮託して書くべきだと認識した。合評会後の懇親会は7時に終了した。帰りに荒木が僕たちに訊いた。

「途中まで、僕の車に乗って行かないか」

「では、日比谷まで、乗せて行ってくれ」

「分かった。『帝国ホテル』前で、降ろしてやる」

 荒木は、そう言って笑った。僕と綾子は、駐車場に行って、彼の愛車がキャデラックだったのでびっくりした。

「キャデラックとはすごいなあ」

「親父が入学祝に買ってくれたのさ。さあ、乗りなよ」

「ありがとう。乗せてもらうよ」

 僕は綾子を後部座席に座らせ、自分は荒木の隣りの助手席に乗った。僕たちを自分の愛用車に乗せた荒木はルンルン気分だった。墨田区の文化から、暗い道を亀戸方面に向かって車を走らせた。荒木は車を運転しながらも文学の話をした。そして時々、バックミラー越しに、後ろの座席の綾子の様子を確認したりした。『K大学』のお坊ちゃんだけあって、車を運転するし、言う事は立派だが、会話をしていて、本音は石原裕次郎や加山雄三に憧れているみたいだった。僕は彼の言葉を聞きながら相槌を打ち、彼の粗っぽい運転に神経を使った。荒木の運転するキャデラックは亀戸を通過すると、そこから神田方面に向かい、両国橋を渡り、東神田から小川町に出て左折した。その時、バックミラーを見て、荒木がにやっと笑うのが目に入った。綾子も荒木の顔を見て笑っい返しているみたいだった。僕は荒木のにちゃけた顔を見て、何となく自分が馬鹿にされているような気がして不愉快になった。キャデラックは小川町から日比谷通りに入った。僕が都電の電車に乗って何時も通学している道路だ。荒木の車が御濠端の道路を大手町や馬場崎門を通過し、日比谷の十字路を過ぎると、もう『日比谷公園』だった。その前で、荒木が車を停めた、

「ここが『帝国ホテル』前だ。では、また会おう」

「わざわざ、送ってくれて有り難とう。良い作品を書けよ」

「うん。君もな」

「ああ、頑張るよ」

「荒木さん。有難うございました」

 後部座席から降りた、綾子は、荒木に両手を合わせて、深いお辞儀をした。すると彼は照れ笑いして、車の窓から手を振り、品川方面に走り去って行った。僕は、荒木の車を見送ってから綾子と新橋のダンスホール『フロリダ』に行くつもりでいた。

「じゃあ、『フロリダ』に行こうか」

 すると綾子は首を横に振った。

「もう遅いから、私のアパートへ行きましょう」

 僕は、綾子の意見に従い、すんなり、彼女の三田のアパートに行った。


         〇

 大学が夏休みになると、寺川晴美は田舎に帰り、まだ東京でアルバイトをしている僕に手紙をよこした。

〈 吉岡昇平様

 暑中お見舞い申し上げます。 

 お変わりございませんか。

私は今、田舎に帰り、のんびりしています。

こちらは東京と違って、とても涼しく、毎日が爽快です。

吉岡さんは、何時、帰って来られますか。

田舎に帰ったら、是非、お会いしたいです。

もし、御差支え無かったら、私の家に遊びにいらっしゃいませんか?

私の家族は皆、明るい者ばかりで、心配ご無用です。

きっと楽しい1日を過ごせると思います。

お会い出来る日を心待ちにしています。

ご返事、下さいね。

               晴美  〉

 僕は、その手紙を受け、お盆頃に3日、または4日間、帰省すると返事を書いた。考えてみると、寺川晴美とは、会っているようで、2度くらいしか会っていなかった。兎に角、尾形憲三代議士事務所でのアルバイトは大変だった。僕より6歳年上の尾形代議士が初当選の国会議員だなんて、アルバイトをして初めて知った事だった。従って地元後援会は勿論の事、矢野五郎秘書を始め、僕たち東京事務所のメンバーも、次の第31回衆議院議員総選挙を睨んでの前準備を、今からしておかなければならなかった。衆議院議員の任期満了は4年だ。その2期目を目指して、当選の為の手を打つにはどうしたら良いか。ベテランの競合相手のように、選挙資金は豊富ではない。尾形代議士の売りは何か。それは若さだ。尾形議員をはじめとする若き矢野秘書や船田助手たちは、頭をひねり、僕たち若者の仲間に声をかけるよう依頼した。選挙区の市町村の若者は勿論のこと、来年、成人式を迎える若者たちの名簿を入手し、全員に手紙を送ることを計画し、その実行に着手した。

「吉岡君。君は毛筆が得意だから、宛名書きを頼むよ」

 こんな具合で、僕の仕事は宛名書きが多かった。矢野秘書や船田助手は、『W大学』の弁論部出身なので、尾形議員と国会での質問原稿の作成に知恵をしぼった。そして僕は8月12日からの盆休み、田舎に帰省させてもらうことにした。実家に帰ると、祖父や両親、姉、兄、弟が喜んでくれた。僕が、議員会館で最上英子議員に会った話をすると、祖父は、昔を懐かしんだ。僕の少年時代、祖父、慶次郎と父、大介が、別々の国会議員選挙の立候補者のトラックの上で、選挙応援をしているのが、不思議でならなかった。元校長とPTA会長の演説は、もと校長の祖父の方が貫禄があり、勝っていた。そんな2人の対立を、教養があり、気品高く穏やかな母、信子は黙って見ていた。そして時代は変化し、僕たちの時代になりつつあった。僕は、帰省した翌日から、国鉄に勤める小野克彦、金井智久、電気会社に勤める川島冬樹、町役場に勤める渋沢富夫に会い、彼らの関係する市町村の若者たちの卒業名簿集めの協力を依頼した。寺川晴美とは16日の日曜日の午後にデートした。地元で会うと、悪い噂が立つので、僕たちは高崎で、デートした。僕が約束の喫茶店『ナポリ』に行くと、喫茶店内に晴美の姿は無かった。どうしたのだろうと思っていると、晴美が息を切らせて喫茶店に入って来た。彼女は額に汗を滲ませ、僕を探し当てると、黙って僕の前の椅子に腰を下ろした。ボーイが直ぐにコップに冷たい水を入れて運んで来た。ちょっと荒い息づかいの晴美は、オーイを見上げアイスコーヒーを注文した。それから前を向いて僕に言った。

「御免なさい。一電車早く来て、デパートで洋服を見ていたの」

「ああ、そうだったの。改札口で見かけなかったので、乗り遅れたのかと思っていたよ。そうじゃあ無かったんだ」

 すると彼女はこくんと頷いて、水を飲んで言った。

「田舎に帰ると、やることが無くて困るわ。家事も、妹や弟が両親の手伝いをしているし、私のやることが無いの。数ヶ月、東京へ行って、離れていただけで、周りの様子が、全く違っちゃってるの。友達も地元企業に就職したり、京浜方面に移ったりしていて、私の事など忘れてしまっているみたい」

「そんな事は無いと思うよ。会いたくても、それぞれに都合があるからね。就職したら、大学生のように、のんびりしていられないんだ」

 そう僕が先輩ぶった発言をしていると、ボーイが晴美の注文したアイスコーヒーを運んで来テ、テーブルの上に、そっと置いた。晴美は、その冷たい氷の入ったアイスコーヒーのグラスを見詰めると、グラスの中にミルクとシロップを入れてストローで掻き回し、一口、飲んだ。それからグラスをテーブルに戻し、僕を見詰めて言った。

「私も安子ちゃんみたいに、東京でアルバイトを探せば良かったわ」

「安子ちゃん、東京でアルバイトしているんだ」

「そう。兄弟で『西友ストア』でアルバイトしているの」

「良いアルバイト先を見つけたね。2人に合っている」

「どうして?」

「だって安子ちゃんの家は『田口屋商店』といって、僕の村では有名な何でも売っている雑貨店だからね。売る仕事はお手の物さ」

「そうだったの。知らなかったわ」

 僕たちは『ナポリ』の中で長時間、話した。瞬く間に時間が流れた。若者同士、大学のことや文学の事を話し、意気投合し、喫茶店『ナポリ』を出ると、外は既に夕暮れ時になっていた。僕たちは日中の蒸し暑さが解消された夕暮れの街を『高崎城』方面へ向かった。僕はそこで、兄、政夫から教えてもらったレストラン『公園亭』に晴美を連れて行った。『公園亭』で洋食を食べながら、またいろんなことを話した。僕たちは満腹になると『公園亭』を出て、夜風の吹く『高崎城』周辺を散歩した。並んで歩きながら晴美は、文学を語る僕の方をちらちらと窺った。僕は東門近くで歩みを止めて、彼女に言った。

「キッスしても良いかな」

 すると晴美はこくりと頷き、目を瞑った。僕は晴美を抱き寄せ、そっとキッスした。晴美は抵抗せずに僕の要望を受け入れてくれた。キッスを終わらせて、彼女を見詰めると、彼女は目をうるませ、小な声で言った。

「東京に戻ったら、また何処かへ連れて行ってくれる?」

「いいよ」

 僕たちは東京での再会を約束した。


         〇

 郷里から帰り、大学の夏休みが終わると、僕のアルバイト先の仕事は、多忙を極めた。尾形憲三議員は、橋本、中川、伊東、渡辺といった若手、議員と団結し、これからの政治について語り合い、事務所に顔を出す時間が少なくなった。その間、矢野五郎秘書が頑張った。佐藤栄作派閥にいる尾形代議士を、如何にしたら目立たせることが出来るか、政治に疎い船田助手や僕に意見を訊いた。世の中のことの分かっていない僕たちは、あらゆるパーティに、顔を出させることだと提案した。矢野秘書は、僕らの意見が間違っていると思っても、失敗は成功の基だと言って、新規建設ホテルの開業パーティ会場などに、尾形代議士と共に顔を出した。日本国は、10月10日、ローマに次ぐオリンピックを東京で迎えるとあって、燃えていた。8月29日には地下鉄日比谷線が開業した。9月17日には東京モノレールが浜松町と羽田空港間を走った。9月30日には常陸宮様が津軽華子様と結婚。10月1日には東海道新幹線が開業した。九段に『武道館』も完成した。『東京オリンピック』を迎えるのに、万全の態勢だった。『東京オリンピック』開催の10月10日、土曜日は国立競技場に万国旗がはためき、東京の空はどこまでも青く高かった。その秋空に航空自衛隊のブルーインパルスの編隊が飛行し、5色のオリンピックの輪を、くっきりと描き出した。そして平和とスポーツの祭典『東京オリンピック』が開幕した。僕は、その日、居候先の深澤家で、開幕式をテレビで観た。それからは24日の閉幕まで、議員事務所でも大学でも、オリンピックの話題が花を咲かせた。僕は『東京オリンピック』期間中に、寺川晴美に手紙を出し、10月25日の日曜日、彼女と新宿でデートをする約束をした。


         〇

 約束の10月25日の午後3時、僕は新宿駅東口交番前に行った。交番前では寺川晴美が白いブラウスの上にパープル色のカーディガンをひっかけ、薄墨色のスカートをはいた秋らしい服装をして僕を待っていた。僕は彼女に会うなり言った。

「お待たせ。誕生日、おめでとう」

「ありがとう」

「誕生日祝いの食事は後にして、何処へ行こうか。晴美ちゃんの行きたい所、あったら言って。喫茶店、公園?」

「私の行きたい所、言って良いの?」

「ああ、良いよ」

「映画館に行きたいわ。日活映画を観たいの」

「分かった」

 僕はそこで、彼女を新宿3丁目の映画館『日活劇場』に連れて行った。彼女は若者の集まる映画館を見て、びっくりした。チケット売り場前にはチケットを求める行列が続いていた。僕は余り混んでいるので、映画を観るのを諦めようかと晴美に訊いた。

「こんなに混んでいたら、観るのが遅くなるよ。映画を観るのは別の日にしようか」

「駄目よ。この映画を、貴男と観たいの」

「分かった。ではチケットを入手したところで、喫茶店にでも入ろう」

 僕たちは30分以上もかかって、日活映画『愛と死をみつめて』のチケットを入手した。そのチケットが夕方6時からの上映だったので、僕たちは、近くの喫茶店『らんぶる』に入って、近況を語り合った。話は個人的なことより、東京オリンピックで活躍した人たちの話で、いっぱいだった。柔道、体操、レスリングなどで男子は頑張った。女子はバレーボールなどで頑張った。晴美は高校時代、バレーボール部だったから、バレーボールの競技について、熱心に語った。彼女はソ連チームを破り、金メダルを圧倒的な力で獲得した選手、一人一人を賞賛し、大松博文監督の指導による猛練習の成果だと熱弁した。僕たちは5時半、『らんぶる』を出て、『日活劇場』へ行き、大型スクリーンのある暗い劇場内に入った。劇場内は観客で混雑し、上映前から、熱気に溢れていた。何とか後方中央部の席を確保することが出来た。6時、舞台の幕が開くと、満場の拍手。晴美も手を叩いた。映画『愛と死をみつめて』は吉永小百合と浜田光夫の名コンビが出演する純愛映画で、従妹、高子が夢中になって読んでいた小説の映画化だった。あらすじは、大学生、高野誠が、入院先の大阪の病院で出会った軟骨肉腫で入院している小島道子と文通を重ね、時間が出来ると病院に見舞いに行くようになることから始まる。誠は高校を卒業すると東京の大学に入学。道子は関西の大学に入学。遠距離交際の文通での交流を深める。しかし道子の病状は悪化。顔半分を失う手術をすることとなる。1回目の手術が成功し道子は元気を取り戻す。ところがその後、再発。2回目の手術を行おうとするが、肉腫が進行しており、手術を中断。道子は、このことを誠には伝えず、秘密にする。道子はせめて生きている間だけでも社会奉仕したいと、看護の勉強を開始する。だが病状は悪化。道子の父親は高野誠に2度目の手術のことを手紙で知らせる。真実を知った誠は、衝撃を受け、慌てて病院に見舞いに行く。誠は、大学を卒業したら結婚しようと約束していた道子を励ます為、信州の美しい山の写真を見せたりする。だが道子は誠が帰った後、両親に看取られ、21歳の短い人生の幕を下ろす。その最後、道子が看護の世話をしていた老人患者が、〈わしが代わりに死んだら良かったのに〉とこぼして終わる。その悲恋映画の上映が終わると、暗い劇場内がパッと明るくなった。僕は晴美が目にいっぱい涙を浮かべているのを見て、笑いそうになったが、笑いを堪えた。僕は彼女に訊いた。

「大丈夫?」

「大丈夫です」

 彼女は僕の質問に素直に答えて、ぽつりと言った。

「何て悲しく短い人生なのでしょう」

「実話をテーマにしたというから、辛いね」

「私たちと同じような年齢で、この世からいなくなるなんて、余りにも可哀想すぎるわね。結婚の約束までしていて」

 僕は晴美の涙を見て、思った。花のように美しい青春の季節に死ぬ。相思相愛の中での死。それは僕たちにとって気の毒な話でありながら、もしかすると憧れなのだろうか。そんなことを考え、映画館から出ると、新宿の街は夜の表情になっていた。僕は晴美の誕生祝をする為に新宿駅方面に向かい、レストラン『アカシア』に彼女を連れて行った。この店のロールキャベツシチューが美味しいと都庁勤めの梅沢哲夫に教えてもらっていたので、早速、それを注文した。それから、去年、『若菜病院』の川北節子にプレゼントしたのと同じ、薔薇のブローチを彼女にプレゼントした。彼女は、小箱から、ブローチを取り出すと、僕に礼を言った。

「まあ、素敵。有難う。大切にします」

 晴美は、喜んで、小さなブローチを片手でつまみ、あらゆる角度から眺めた。僕は安物だったので、そんなに見られると、少し恥ずかしかった。やがてロールキャベツシチューが出て来た。目が飛び出る程、美味しかった。主食の後のデザートはイチゴケーキと紅茶にした。『アカシア』での食事が終わってから、僕は十条駅まで、彼女を送って行った。その電車の中で、彼女は僕に言った。

「私たちは、マコとミコと違って、長生きしましょうね」

「うん」

 電車が十条駅に到着し、電車から降りると、晴美が言った。

「私のアパート、ここから近いの。来る?」

「いや。この次にするよ」

 そう僕が答えると、彼女は折り返し電車が来るのをホームで僕と一緒に待ってくれた。電車は直ぐにやって来た。僕は電車に飛び乗り、晴美に手を振った。彼女もホームで僕に手を振った。かくして、寺川晴美の誕生日に合わせたデートは楽しく終了した。


         〇

 僕は、寺川晴美の長生きしましょうねという言葉が忘れられなかった。もしかして、結婚のことを考えているのだろうか。昭和34年(1959年)の皇太子、明仁親王と美智子妃の結婚までのエピソードから始まり、その翌年の石原慎太郎と北原三枝のスター同士の結婚などにより、僕たち戦後の若者は旧来の見合結婚の慣習からの脱却を希望するようになっていた。だが年寄たちは、昔通り、釣り合いの取れた家同士、親戚縁者間の結婚を望んでいた。従って僕のような若造にも既にそんな見合いの話や婿養子の話があったが、僕は無視した。僕は衆議院会館の事務所の仕事中、巨人の三塁手、長嶋茂雄がオリンピックのコンパニオン、西村亜希子に一目ぼれして、長嶋選手がアタック中であると、船田宗行と田島道子が噂しているのを耳にして、その噂話に加わった。田島道子は長嶋茂雄の情熱に感心した。

「男の人が、積極的って良い事ね。相手の事を思っていても、女から、中々、言い出せないから」

 すると船田宗行が言った。

「上州の女は男より積極的だと言われているじゃあないか。現実は、女の方が積極的なんじゃあないかな。道子ちゃん、高校時代からの恋人、いるんじゃあないの?」

「恋人じゃあ無いけど、親しくしていたお友達はいたわ。でも、はっきりしないまま東京に来ちゃったから」

「そうだよな。田舎では高校生が喫茶店に入るのは禁じられていたし、映画館も未成年が見ちゃあ駄目な映画があったからな。吉岡君はどうだった?」

「同じですよ。松井田には映画館はあったけど、喫茶店が無かったから、大変だったです。従って異性との会話の場所は、人目につかない所、校舎の裏か、校庭の隅っこ、あるいは神社でした」

「中之条も似たようなものさ。女に声をかけたり、ラブレターを出すのは冒険だったよ。不良だと思われやあしないかと思ってね」

 僕は話のついでに、まだ独身の尾形代議士に恋人がいるのか、確認した。

「ところで。尾形先生にお付合いしている人はいるのですか?」

 すると船田宗行は神妙な顔をして、僕に訊き返した。

「何故、吉岡君はそんなことを訊くんだね?」

「はい。農協に勤めている姉が、尾形先生と握手した時、尾形先生が、姉の手を強く握りしめたというものですから」

「勘違いされては困るよ。秘密だが、尾形先生には恋人がいるんだ」

「そうなんですか」

「うん。地元、中之条にいる千鶴さんだ。千鶴さんには僕の近所の四万温泉にも友達がいて、よく遊びに来たよ。スタイルの良い日本美人だ。吉岡君、先生に惚れても無駄だよと姉さんに言っときな」

「はい」

 僕は尾形議員は、なかなかやるなと思った。政治に夢中になり、結婚を考えていないのかと思ったら、ちゃんと相手を決めているとは立派なものだ。僕たちが、そんな話をしている所に矢野秘書が戻って来たので、僕たちは巨人軍の長嶋選手の噂話から始まった恋愛論を止め、事務仕事にとりかかった。僕は宛名書きなどをしながら、恋愛の成果による結婚というものについて、考えた。『立花建設』の先輩が言っていた言葉を思い出した。

「結婚というのは、お互いに相手の持っていない物を利用し合うことだからね。表面だけで判断しちゃあいけないよ。良く相手の持っている物を調べるんだよ。相手が自分に何をしてくれるか。自分が相手に何をしてやれるか、良く考えて、相手を選ぶんだよ。相手が、掃除や洗濯、子育てをちゃんとやってくれるか。当然、君は妻の為に、熱心に働き、収入を増やすだけでなく、愛情を沢山、注いであげないといけないけどね。結婚はギブアンドテークだよ」

 僕は寺川晴美と結婚すべきであろうか。まだ、彼女の事について、詳しくは理解出来ていない。他の女、笛村真織、川北節子、大橋花江、小池早苗、木下綾子などとも付き合っているが、彼女たちの本質を僕は理解していない。彼女たちのうちの誰と結婚すれば、先輩が言っていたように、利用価値があるかを見極めなければならない。僕は、まだ大学を卒業しておらず、就職もしていないのに、余分な事を考えた。


         〇

 11月後半になると、『若菜病院』の大橋花江からダンスパーティの誘いがあった。『若菜病院』とは関係なく、花江の中学時代の友達が参加している団体のダンスパーティの誘いで、船木省三にも話していないパーティだというので、僕は同伴の了解をした。22日の日曜日の夕方5時、僕は大橋花江に指定された神田駅に行き、北口改札口で、彼女と合流した。彼女は紅い薔薇のコサージ付き白のブラウスにピンク色のシフォンスカートを装い、その上にトレンチコートを着て現れた。実に華やかだった。パーティ会場は何処かと訊くと、何と会場は美土代町の『YMCA会館』だという。僕の都電の通学路だ。神保町の『救世軍』の人たちが、軍服を着て、トランペットなどを手に闊歩している所だ。『М大学』に近い美土代町は、僕の勝手知ったる場所だった。彼女の話だとダンスパーティの開始時間が、夕方6時で、終了時間が夜9時だというので、パーティ会場に行く前に、夕食をすることにした。そこで会場に向かう途中にある淡路町の『神田藪蕎麦』に入り、腹ごしらえをした。花江は蕎麦定食を美味しい美味しいと言って食べた。蕎麦屋での食事を終え、小川町経由で『YMCA会館』の会場に入って行くと、大橋花江の友人の古賀京子が、花江のところへ駆け寄って来た。2人は笑顔で会話した。それから花江が僕を紹介した。

「こちら私の友達の吉岡さん。この近くの『М大学』の学生さんよ」

「初めまして。吉岡です。よろしくお願いします」

「私は花江の幼馴染みの古賀京子です。私たちのダンスパーティに参加していただき誠に有難うございます。2人で楽しんで行って下さい」

「はい。有難うございます」

 僕は初対面の京子に深く頭を下げた。衆議院会館で身につけた僕の挨拶に京子は恐縮した。花江に顔を近づけ、ニコニコ笑って、そっと言った。

「真面目な学生さんね。何処で見つけたの」

「病院の友達の紹介で、知り合ったの。可愛いでしょう」

「そうね。目元が橋幸夫にそっくり」

 京子は僕から目を外さず、花江に言った。すると花江は平然と答えた。

「そうなの。大人しくて、頭が良くて、誠実そうでしょう。欠点は私より身長が低いことかな」

「ごちそうさま。では2人で楽しんで行ってね」

 京子は、そう言うと、別の友達の方へ移動して行った。社交的な女性らしかった。やがて、バイオリンやギター、コントラバス、フルート、クラリネット、フルート、アコーディオン、トロンボン、ドラム、鈴、タンバリンなどの音色が、舞台の幕の奥の方から聞こえ出し、定刻6時、ダンスパーティの幕が上がった。舞台の上の演奏者たちに照明が当てられ、ダンス曲の演奏が始まった。ミラーボールの回る会場で、僕は花江をエスコートして踊った。押し合い圧し合いの混雑の中で、僕たちは、いろんな曲を踊った。生演奏の中で踊るのは楽しかった。『山小舎の灯』,『枯葉』、『浜辺の歌』、『影を慕いて』、『北上夜曲』、『サンタルチア』、『闘牛士のマンボ』、『リラの花咲く頃』、『ラ、クンパルシータ』、『雨に唄えば』、『魅惑のワルツ』、『夏の日の恋』、『テネシーワルツ』の後、クリスマスソング。『赤鼻のトナカイ』、『ジングルベル』など。そして『ラストダンスは私に』で、キッスしながら強く抱き合って踊るカップルなどを目にした。最終曲の『蛍の光』が流れると、僕たちは前よりもゆっくり旋回し、最後の踊りを楽しんだ。かくして楽団によるダンスパーティの演奏が終わると、僕たちは演奏者たちに、感謝の拍手を送った。そしてダンスパーティの幕が下りると、僕たちは思わずホッとし、花江は満足の溜息をはいた。会場が明るくなると、古賀京子が御礼の挨拶に来た。

「花江、吉岡さん。今日はありがとう。私これから後片付けや打ち上げがあるので、ここで失礼するわ。また折を見て、お会いしましょう」

「京子。今日はありがとね。誘っていただき、楽しかったわ。じゃあ、また会いましょう」

「こちらこそ。また電話するわ」

「じゃあ、さよなら」

「さよなら」

 京子は快活な笑みを見せて、楽屋方面に去って行った。僕たちは古賀京子と別れ、『YMCA会館』から外に出た。トレンチコートを着た京子と僕は御茶ノ水駅に向かって歩いた。ダンスパーティの音楽がまだ耳に残っていて、何故か、ロマンチックな雰囲気だった。僕たちは夜風が冷たくなった小川町から御茶ノ水駅へと続く駿河台の坂道を、肩を寄せ合うようにして歩いた。夜の『ニコライ堂』が月に照らされ、緑色に浮かび上り、絵のように美しかった。僕は御茶ノ水駅で、花江と別れようと考えた。御茶ノ水駅の改札入口前で、切符を買ったところで、花江に言った。

「ダンスパーティに誘っていただき、今日は有難う。ダンス、とても楽しかったよ。僕、3番線で帰るから」

 すると、花江は表情を変え、ちょっと膨れた顔をして言った。

「何、言っているのよ。1番線の電車で、新宿まで送ってよ」

 僕は花江に、そう強く言われると、姉に叱られた弟のように、頭をかいて、返事した。

「分かったよ。では新宿経由で帰るよ」

 僕は花江の希望に従い、中央線の電車に乗って新宿まで行った。花江との付き合いは、そこまでで終わらなかった。新宿駅で下車し、『思い出横丁』で、酒を飲み、焼き鳥を食べた。その後は、以前に入ったことのある歌舞伎町の『大久保病院』の近くの旅荘『エーゲ海』に行き、一泊した。翌朝、僕は『エーゲ海』から、居候先の利江叔母に電話し、友達の所に一泊したと嘘をつき、夕方に帰るからと連絡した。僕が電話の受話器を持ってペコペコしているのを見て、花江は笑った。笑い事では無かった。僕は受話器を置くと、ベットの布団にもぐっている花江に走り寄って、彼女の長い脚を持ち上げた。花江は、キャーツと声を上げて歓び、僕を求めた。僕は顔を真っ赤にして攻撃した。

「もう一発、行かせてあげるよ」

「いいわよ。いいわよ」

 結局、僕はまとわりつく花江を相手に、昼過ぎまで『エーゲ海』のベットの上で泳いだり、力尽きて、バタンと横になったりして過ごした。夕方、深沢家に帰り、喜一郎叔父や利江叔母に、こっぴどく叱られたことは語るまでもない。とんでもない勤労感謝の23日となった。


         〇

 その翌週の28日の土曜日の午後、僕は久しぶりに『中央文学』の会合に出席した。僕は、その会合に出席して、同人になった筈の木下優子が出席していないのに気づき、どうしたのだろうかと気になった。今日の座談会は好きな詩人の作品や人物評価の自由合評の場なのに、詩の好きな彼女の姿が見えないので愕然とした。座談会に出席した同人は、会が始まると自分の好きな詩人の名を挙げ、その理由を論じた。北原白秋、室生犀星、萩原朔太郎、三木露風ら日本人詩人が好きだという同人もいれば、与謝野晶子、林芙美子、金子みすゞら女流詩人が好きだという人もいた。またハイネやリルケ、ヘッセ、ブラウニング、タゴールの好きな同人もいた。赤川謙主幹はアポリネールが好きだと言った。そしてアポリネールと女流画家、ローランサンの恋愛物語を熱弁した。『ルーブル美術館』の盗難事件から始まった裁判で、アポリネールが裁判の席に立ち、ローランサンが見ている前で恥ずかしい程、オドオドした答弁をし、全く男らしくないので、ローランサンがアポリネールを嫌いになり、2人の恋愛が破局に至ったと語り、皆が驚いた。僕はそんな赤川主幹に対抗し、若気の至りで、島崎藤村を好きな詩人に上げようとしていたのに、急遽、考えを変え、ロシアの詩人、プーシキンの話をした。プーシキンがラエフスキー将軍の令嬢、マリア・ラエフスカヤやミハイル・ヴォロンツォーフ将軍の妻、エリザヴェータ・ヴォロンツォーワに惚れたり、アンナとか、オリガとかいう女とも関係を持ち、流刑先でナターリアと結婚したなどと、彼の女好きを語り、プーシキンは妻の恋人とされる男などと、29回、決闘し、フランス人、ジョルジュ・ダンテスと決闘し、その傷がもとで37歳で死亡したと話した。彼の詩情は韻文小説『エヴゲーニイ・オネーギン』や『青銅の騎士』を読めば、良く分かると得意気に話した。すると秋山先生が、プーシキンは小説家だよと言われ、赤っ恥をかいた。でも僕は強情だから、プーシキンは詩人だと言い張った。そんな合評会が終わって、何時もの座敷での懇親会が始まると、酒やジュース、おつまに、女性たちの持って来た料理、刺身、焼きおにぎりなどをいただきながら、幾つかのグループでの文学談が始まった。僕は何時も喋り合う荒木清貴や木下優子が欠席なので、ちょっと寂しい気分だった。僕が小野浩輔や鳥居章と話していると、弓野咲子が途中から割り込んで来て、僕が語ったプーシキンの話から始まり、恋愛論を始めた。僕は恋愛論を語るまでの経験をしていないので、鳥居章と一緒に、弓野咲子と小野浩輔の恋愛論を聞いた。弓野咲子は、男性は熱しやすく冷めやすい。女性は一目ぼれするケースが少なく、会う回数を重ねて行き、恋を熟成させるのだと語った。すると小野浩輔が反論した。

「女だって一目ぼれするんじゃあないのかな。木下さん、荒木君にホの字じゃあないのか」

「あれは荒木さんが、スピード狂だから、木下さんが、巻き込まれたのよ」

「そうとは思えんけどな。今日など、合評会をさぼってドライブらしいよ」

 すると、今まで黙っていた鳥居章が言った。

「うん。荒木君から俺に連絡があり、伊豆にドライブするからよろしくなと言っていたよ」

「木下さんも一緒ですか?」

 僕が鳥居章に確かめると、彼は僕の顔を見て、心配そうに答えた。

「多分な」

 僕は愕然としたが、表情に現わさなかった。すると弓野咲子が、僕の膝をつねって言った。

「しっかりしなければ駄目よ。油断をすれば、女は逃げて行くわよ」

「僕は平気です。この世に女は星の数ほどいますから。プーシキンのような馬鹿な事はしません」

 すると、酔いがまわったのか、弓野咲子が僕に耳打ちした。

「たまには私の相手をしてくれてもいいんじゃない?」

 僕は、そんな冗談を言う、弓野咲子に答えた。

「そうですね。ここにいる皆で」

「嫌だわ。皆だなんて」

 彼女は真っ赤になって、僕たちの席から移動して行った。僕は、今日、欠席している木下綾子の事を思った。『東京船員保険病院』の半年後の検診で、僕の病気は完治したので、もう病院に通わなくても大丈夫と阿部康弘医師に言われ、病院通いは無くなったので、木下綾子と会うのは、ここでの合評会だけだった。従って、次回の合評会の時、2人に会ったら事実関係を確認しようと思った。


         〇

 時の過ぎるのは早い。あっという間に12月になった。僕の誕生日は平日なので、その前の6日の日曜日、僕は寺川晴美と新宿で会った。以前、晴美の誕生日の時に待ち合わせした新宿駅東口交番前に行くと、ブルーのGパンに、白いトックリのセーター姿の上に襟巻とオーバーコートで身を包んだ晴美が、ガタガタ震えて僕を待っていた。僕は彼女を見るなり謝った。

「ごめん、ごめん。こんな寒い中、待たせちゃって」

「大丈夫。田舎の寒さに較べたら、へいちゃらよ」

「兎に角、喫茶店に入って、温かいコーヒーを飲もう」

 僕は、そう言って、靖国通りを越えた歌舞伎町の喫茶店『白馬車』に彼女を連れて行った。喫茶店に入り、2人掛けの席に座り、コーヒーを注文すると、晴美が、僕に言った。

「誕生日、おめでとうございます」

「ありがとう。また一つ人生の階段を昇ったことになるけど、急に景色は変わらないものだね」

「そうよね。でも気づかずに景色は変わって行くのよ」

「うん」

 晴美の言う通りだった。月日は確実に変わって行く。

「よく、ここに来るのですか?」

「うん。学友と何度か来たことがある。だけど、2階と地下は暗いアベック専用席だから、利用したたことが無いよ」

 そんな話をしていると、コーヒーが運ばれて来た。ちょっと熱いくらいのコーヒーだった。そのコーヒーを一口飲んでから、晴美が僕にブルーの襟巻をプレゼントしてくれた。温かそうな襟巻だった。

「これ、誕生日プレゼント。プレゼントを何にしようかいろいろ考えたのだけど、寒い時だから、温かくしてあげたいと思って、襟巻にしたわ」

「ありがとう。気を遣わせちゃって」

「だって、私もこの前、これ、いただいたから」

 晴美は白いセーターの胸に付けた紅い薔薇のブローチを僕に見せた。成程。白いセーターに良く似合っていた。僕は頷き、彼女に言った。

「東京の喫茶店で、晴美ちゃんから、プレゼントをいただけるなんて、まるで夢みたいだよ」

「私もよ。この前、プレゼントをいただいた時、夢かと思ったわ。でも現実なのよ」

 晴美はそう言って、突然、僕の顔に手を伸ばし、僕の頬をつねった。僕は驚いて声を上げた。

「痛い」

「痛いでしょ。夢じゃあ無くて現実よ」

 彼女はおどけて微笑んだ。隣りの席のカップルが何事かと驚いているのに、晴美は平気だった。僕たちは、それから、いろんな話をした。群馬の貧しい山村から東京に出て来て、夢と不安を混交させ大学生活を送っている僕に比較し、年下の晴美は先の先のことを具体的に計画していた。短大を卒業し、クッキング教室に通い、技術を身に付けて、レストランで働き、結婚し、共稼ぎしながら子供を育て、店舗スペースを設けた自宅を建て、自宅を料理教室かレストランにし、子供が独立する60歳まで働くという計画だった。僕は、その計画を聞いて、自分の将来について漠然と考えている無計画さに呆れ果てた。大学を卒業し、貿易商を目指しながら、文学を趣味とし、あわよくば執筆した作品が、懸賞小説に応募し、受賞したなら、作家に転向しようなどと、夢のようなことを考えていた。全く具体性に欠けていたが、似たようなことを彼女に話した。何度も見詰め合い、互いの将来の夢を語り尽くしてしまうと、何も話すことが無くなった。僕たちは『白馬車』を出ることにした。

「この後、何処へ行こうか?」

「今日は、昇平さんの誕生日祝いの日だから、昇平さんの好きな所へ行きましょう」

「いいの?」

「ええ、良いわ」

「分かった。では店を出よう」

 僕は、そう言って、晴美と一緒に喫茶店を出た。コーヒー代は晴美が支払ってくれた。晴美の歩みは、これから僕が何処へ自分を案内してくれるのか期待しているらしく、跳びはねるようだった。僕は晴美がダンスを踊れるかどうか分からなかったが、彼女を『コマ劇場』に連れて行った。彼女はてっきり映画を観るものと思っていたらしく、僕が地下にある『コマダンス』に連れて行くと、びっくりした。

「私、ダンス、踊れないわ」

「心配ないよ。ホークダンスを踊れたんだから」

 僕は窓口で入場券を買い、ロッカーに2人のオーバーコートやハンドバックなどの貴重品を預け、晴美を大ホールに誘導した。晴美は初めてダンスホールに足を踏み入れ、目を円くした。晴美は生演奏の曲に合わせて、広いホールで華麗に踊る男女を見て、たじろぐと共に、あのように踊りたいと思っているみたいだった。僕は彼女に手を差し伸べた。

「さあ、踊ろう」

「私、踊れないわ」

「暗いから、平気だ。僕に抱き付いていれば、自然に踊れるようになるよ」

 僕は、そう言って、彼女を抱いた。彼女は硬い表情で緊張し、僕に抱かれた。彼女の胸のふくよかさが僕を興奮させた。彼女の甘い香りが、彼女の初々しさを感じさせた。まずは誰でも知つている『鈴懸の径』から踊った。晴美は最初、僕に引きずられるようにして踊っていたが、直ぐに僕に合わせ、踊れるようになった。音感が良いらしい。それからは『ここに幸あり』、『すみれの花咲く頃』、『テネシーワルツ』、『思い出のサンフランシスコ』、『ひまわり』、『旅の夜風』、『ムーンリバー』、『虹の彼方に』、『マンボ、№5』など、沢山、踊った。クリスマスソングなどもニコニコして踊った。テンポの速い『キエン・セラ』なども踊った。彼女はバレーボールをしていただけあって、運動神経が良い。僕は、晴美と胸を触れ合わせながら踊り、仕合せを感じた。僕はムード音楽になったところで、チャンスだと思い、彼女を強く抱き寄せ、そっとキスした。いささか突然だったが、彼女は抵抗なく受け入れた。唇を離してから、愛していると言おうとしたが、他の人に聞こえるとまずいので止めた。僕たちは、沢山、踊り、満足した。僕たちは充分に踊ってから『コマダンス』を出て、食事をすることにした。歌舞伎町から新宿大通りに移動し、『中村屋』に入り、カレーライスを食べた。何とも言えぬカレーの味に彼女は感心を示し興味を持った。そこでの食事が終わってから、僕たちは帰路に就いた。僕は以前と同じように、彼女を十条駅まで、送って行った。十条駅で電車からホームに下車したところで、晴美が僕に言った。

「アパートに来ない?」

「いや。遅くなるから、またの日に」、

 僕は、そう言って、赤羽駅から戻って来る電車を待った。晴美は、寒いのに僕の手を握り、池袋駅行きの電車が来るのを待った。僕は池袋行きの電車が入って来ると、それに飛び乗り、晴美にさよならした。


         〇

 衆議院第二議員会館での僕のアルバイトは終わりに近づいていた。尾形憲三代議士が、後援会の人たちや成人式を迎える群馬の若者に送る年賀状の宛名書きなど、与えられた仕事を一段落、終わらせた。その後、大学に行くと、現在、都庁に勤めている梅沢や『博報堂』に勤めている小平義之や石油会社に勤める安岡や工業製品メーカーに勤めている久保や貿易会社に勤める下村たちは、のんきに麻雀などをして遊んでいた。だが手塚秀和や船木省三、松崎利男、勝又邦男、芦田雄太たちは、学年末試験の件で、悩んでいた。何故なら、来年初めの学年末の試験結果を記載した成績表を在学中の成績表として、就職応募先に提出しなければならないからだった。つまり3学年末の成績表は採用される為に使用される重要資料のひとつなのだ。僕は船木省三が成績優秀な安岡則彦から講義のノートを借りようと懸命になって、安岡を口説いているのを見て、如何に学年末の試験成績の結果が重要であるかを知り、船木と一緒になって、安岡に数科目のノートを貸して欲しいとお願いした。大手石油会社に勤めている安岡は大学を卒業しても転職するつもりなど無く、船木や僕に懇願され、ノートを数冊、貸してくれた。僕たちは冬休みになるや、毎夜、『若菜病院』に行き、安岡から借りたノートの文章を原稿用紙に書き写し、アンモニアを使用する卓上複写機で何枚も印刷した。そして12月18日の金曜日夕方、僕は船木と手塚と3人で、内幸町にある安岡則彦が勤める石油会社前に行き、安岡が出て来るのを待った。彼は経理の仕事を終え、6時に笑顔を見せて、ビルの1階出口から現れた。僕たちは4人、そろったところで、新橋の居酒屋『赤トンボ』に行き、安岡から借りた貴重なノートを安岡に返却し、酒を飲んだ。モツ煮、刺身、焼き鳥などを注文し、忘年会ということにした。その席で、各人、1年を振り返り、学んだことを話した。船木は『証券市場論』のゼミナールに入って学んでいるので、将来、株で儲けたいと言った。安岡は、『財務会計論』のゼミナールに入り学んでいるので、子会社の監査役になりたいなどと話した。手塚は『物流交通論』のゼミナールで学んでいるので、私鉄関係の仕事の就きたいと言った。僕は『中国貿易研究』のゼミナールに入り、中国や台湾の勉強をしているので、中国語圏の輸出入の仕事をしてみたいと語った。僕はまた、今年の初め、2ヶ月半程、急性肝炎で『東京船員保険病院』に入院したり、国会議員事務所でアルバイトし、勉強することが、多かったなどと話した。その他、船木と手塚が『若菜病院』の看護婦のことを話したが、僕と安岡は笑いながら、話を聞いた。2時間程、飲み食いして、僕たちは居酒屋『赤トンボ』を出た。飲み代は僕と船木と手塚の3人で支払い、安岡にはノートを借りた御礼に、1銭も支払わせなかった。ほろ酔い気分で新橋駅へ向かう途中、僕は図らずも、ダンスホール『フロリダ』から出て来る『中央文学』の荒木清貴と木下優子を目にした。僕は慌てて、2人に気づくかれぬよう、ドキドキしながら、新橋駅へ向かった。2人は『新橋第一ホテル』の中に入って行った。僕と一緒に歩いていた安岡が、僕の挙動がおかしいので、僕に訊いた。

「知つている人か」

「うん。同人誌の仲間だ」

「ラブラブのカップルみたいだな」

「確かに」

 僕は、そう言って苦笑した。僕は先月の『中央文学』の会合で、弓野咲子が言っていた事が、真実であると確信した。木下優子。彼女は何という女か。女心と秋の空というが、女心はコロコロ変わりやすく、全く気まぐれで信用ならないものらしい。僕は、ちょっとショックを受けた。そんな僕の気持ちを知らず、船木と手塚は、肩を組み、僕と安岡の前を千鳥足で新橋駅へと歩いた。新橋駅に着くと、僕たちは新年の再会を約束して、駅の改札口で別れた。


         〇

 クリスマス・イヴの数日前、『若菜病院』の大橋花江や『立花建設』の中野純子から、クリスマスのダンスパーティの誘いがあったが、僕は断った。僕は1年前の学年末試験の為に、徹夜を続け、入院するはめになったような失敗を、2度と繰り返してはならないと、12月に入ってから、教科書と安岡ノートを見較べながら、熱心に学習を行い、重要項目に関する知識を頭に叩き込んだ。安岡ノートは実に役立った。僕は深澤家の三畳間に閉じこもり、夢中になって勉強して、来年の学年末試験に備えた。そうこうしているうちに寒さも一層、厳しくなり、利江叔母が、田舎への土産物などを準備し始め、僕が帰省する12月30日となった。祖父、慶次郎が、癌に侵され、具合が悪いので、元気な顔を見せて上げなさいと利江叔母に言われ、祖父の容態は、そんなに悪いのかと僕は心配した。僕はリュックサックを背に、ボストンバッグを手に、麻布の深澤家を出た。浜松町駅から山手線の電車に乗って上野駅に行くと、驚くほど混雑していた。僕は信越線のホームに行き、既に満員の列車に人を押し分けて乗った。まさに大混雑だった。それでも電車は定刻に発車した。沢山の帰省客を乗せた電車は上野から埼玉、群馬の関東平野を突っ走り、上毛三山の眺められる高崎を経て、更に山間部に進み、僕は松井田駅で下車した。松井田駅には兄、政夫と弟、広志が黒塗りの『クラウン』で、出迎えに来てくれていた。僕は、その車に乗り込み、祖父の容態などを聞いたりした。兄は兄で、4月1日、西松井田駅が開業するなどと話した。天神山トンネルを潜り抜けて、山間にある実家に帰ると、父、大介や母、信子、姉、好子が笑顔で僕を歓迎した。まず母が僕に言った。

「お帰りなさい」

 それに続いて、父が言った。

「お祖父ちゃんが楽しみに奥の間で待っているぞ」

 僕は、それを聞いて、居間にリュックサックとボストンバッグを置くと、奥間で寝ている祖父、慶次郎を見舞った。

「お祖父ちゃん。昇平です。只今、帰りました」

 そう声をかけると、祖父は僕を見るなり、起き上がり、涙を流した。

「おお、昇平か。よく帰って来た。元気そうだな」

「はい。体調も回復し、元気になりました」

「そうか。それは良かった。俺は情けない事に、この様だ。早くお迎えに来て欲しいと願っている」

「そんなこと言わないで下さい。僕の顔を見て、元気出して下さい」

「そうだな」

 祖父は、そう言って、僕の手を強く握った。癌に侵された祖父は、孫たちの成長を楽しみにしながら病魔と戦い続けているのだった。


         〇

 昭和40年(1965年)元旦、僕は実家の六畳間の温かい布団の中で目覚めた。昨夜、母が布団の中に湯たんぽを入れてくれたお陰で温かく、ぐっすり眠れた。時計を見ると7時半を過ぎていて、皆、起きていた。僕は家族の皆に挨拶した。

「明けましておめでとうございます」

「おめでとう」

 それから歯を磨いたりして、僕は座敷に並べられたコタツ席に座った。そして、家族一同が、そろったところで、祖父、慶次郎を中心にお屠蘇で、お祝いをした。それから口にした母と姉が作ってくれた御節や雑煮や鮭の酒かす煮は芹や三つ葉が加わり、春を感じさせ、とても美味しかった。酒好きの祖父と父は上機嫌だった。家族全員が集まっての新年最初の食事は特別のものだった。その朝食をしながら、祖父、慶次郎が僕に言った。

「昇平。今年、お前には就職先を決めてもらわねばならぬ。そうすれば、おれも安心出来る」

「分かっています。頑張ります」

「ところで、麻布の喜一郎君から、昇平のアルバイトについての相談があったが、何か聞いているか?」

「いいえ、何も」

 僕はふと、恐怖を覚えた。喜一郎叔父と利江叔母が僕の素行不良を祖父に告げ口したのではないかと想像し、ビビった。しかし、そうでは無かった。

「実は喜一郎君の勤める会社が、4月から厚木工場を開業させるにあたり、麻布工場から、幹部社員や一般社員を移動させるらしいんだ。その為、社員を転出させて人員不足になる職場でアルバイトを募集しているが、中々、集まらなくて困っているらしい。そこで、今のアルバイトを辞めて、『A電気』でアルバイトをしてもらえないかというんだ」

「アルバイト代をいただければ、僕は構わないですけど、お祖父さんは、尾形先生に僕をアルバイトに使ってくれるよう依頼したのに、問題無いのですか?」

「大丈夫だ。憲三代議士の兄、光一君への年賀状に、それらしき事を書いて送ってある」

 僕は、突然の事なので、びっくりした。それから僕は、尾形憲三代議士のことについて訊かれた。僕は、議員会館事務所で経験したことを話した。最上英子議員や丸茂議員に会ったことも話すと皆、驚いた。僕は姉、好子に言ってやった。

「姉ちゃん。残念だけど、尾形先生には結婚を約束している人がいるよ。諦めな」

「想像はついているわよ。もともと無理だと分かっているわ。別の人、探しているから安心して」

 僕は姉、好子の婚期が遅れているのを、若干、気にしていた。姉は兄、政夫と僕の大学の授業料などの支援をする為に、昨年まで農協に勤務していたのだ。感謝しなければならない。それにしても、僕の人生は、紆余曲折していて、自分でも、これからどうなるのか分からなかった。いずれにせよ、僕は祖父や両親及び親戚の考えによって、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり、操られていることは確かだった。芦田雄太や松崎利男のように、アルバイト先を自主的に選択することなど出来なかった。このことを僕は拘束されていると思っているが、祖父たちにとっては、僕への支援だった。僕は自分はまだまだ未熟で、家族や親戚に支えられて生きているのだと知った。そんな御節朝食を終えた正月初日、僕は兄弟そろって家にいて、親類や近所の人たちが、来たり、帰ったりする来客の取次のようなことをした。祖父、慶次郎は病身なのに、身体の痛みを堪え、客間で、次々に新年の挨拶に来る客に、おめでたを言いながらも笑顔を見せた。2日目からは自由行動。僕は寺川晴美や小池早苗に会いたかったが、無理をしないことにした。兎に角、安岡ノートを参考に、学年末試験の対策に取り組んだ。そして1月5日には、東京に戻り、6日には大学の授業に出席した。『М大学』の学友たちは、皆、これから始まる学年末試験に備え、真剣だった。噂によれば、この1月の授業で教えた内容を学年末の試験問題に出す教授がいるということから、僕たちは遅刻することなく、真面目に受講した。また僕は深澤家の夕食の時、喜一郎叔父に『A電気』でのアルバイトについて、質問した。

「叔父さん。田舎に帰った時、お祖父ちゃんから、『A電気』でのアルバイトをするよう言われて来ましたが、何時頃からになりますか?」

「うん。今、厚木事業所の人事を任されて、派遣人員の調整しているのだが、社員数が足りず、一時しのぎのアルバイトが必要なんだ。そこで昇平君に手伝ってもらえないかと、相談してみたんだ。昇平君に訊く前に、田舎に相談してしまって、申し訳ない」

「良いんです。僕は、お祖父ちゃんの操り人形なんですから」

「誠に申し訳ない。了解してくれるよね」

「はい。でも、尾形先生の事務所に、その旨を伝え、了解を得ませんと、迷惑をお掛けすることになりますので、もう、決定したという事でよろしいのですね」

「うん、良いよ」

 僕は、また新年から新しい環境でアルバイトをせねばならない事になり、苦悩した。そんな僕に較べ、従兄の忠雄は就職先が決まり、ルンルン気分だった。


         〇

 1月11日、僕は衆議院第二議員会館の『尾形事務所』に初出勤し、矢野秘書に2月末で事務所のアルバイトを辞めることを伝えた。矢野秘書は、そのことを群馬に戻った時、尾形代議士の兄、『尾形製糸』の尾形光一社長から聞いていたらしく平然と答えた。

「そうらしいな。吉岡君には、まだ手伝ってもらいたいところだが、大学四年生になると、就職活動で大変だからな。でも、こちらが忙しい時、声を掛けるから、時々、手伝いに来てくれよな」

「はい。勿論、駆け付けます」

「君も知っての通り、尾形先生にとっては、この次の2期目の選挙に当選するかが、大重要なんだ。2期目が務まれば、後は信用を得て人気も高まり、3期、4期と続く・・」

 矢野秘書の夢は大きかった。『尾形事務所』での実績を上げ、あわよくば、自分も参議院議員選挙に立候補して、国会議員になりたいと思っていた。船田助手と田島道子は僕が2月末で辞めると知ると残念がった。それから数日後、僕は自民党本部から帰って来た尾形憲三代議士に会い、事務所のアルバイトを辞めることを伝えた。すると、尾形代議士は、僕に言った。

「吉岡君。君たちの提案してくれた年賀状作戦、成功したよ。ありがとう。今年、吉岡君が就職活動に入るので、応援してやれと、光一兄貴からも言われている。就職の相談事は、矢野君に言ってくれ。どんな会社に就職したいのかね?」

「貿易商社か新聞社か出版社を希望しています」

「出版社とは珍しいね」

「はい。同人誌の仲間に加わり、文学の勉強をしているものですから」

「そうか。僕もロシア文学に夢中になり、文学者になろうと考えていたのに、政治家になっちまったよ」

「先生がですか?」

「うん。トルストイ、チエーホフ、ドストエフスキーに憧れてね」

 尾形代議士は自分の学生時代を回顧するように言った。それから皆に言った。

「人生は、中々、自分の思うようにならなくてね。周りの人たちに左右され流れて行く。今日も、参ったよ。佐藤総理が、突然、女子バレーの『東洋の魔女』と結婚しては、どうかなどと言うんだ。そうすれば、君も知名度が上がり、当選確実になると言ってね」

 その話を聞いて、矢野秘書をはじめ僕たちは、びっくりした。矢野秘書が直ぐに、尾形代議士に訊いた。

「それでどうしました」

「うん。断ったよ。僕は熱血青年代議士として知名度を上げようと、結婚もしないで努力しているのだから、勘弁してくれって」

「それで総理は納得したのですか?」

「佐藤総理はあの鬼の大松監督に頼まれたので、恰好だけでもと言われたが、僕は、次回当選するまでは、独身を貫きます。申し訳ありませんが、政治家の妻はスポーツ界からでなく、地元の支援者の娘から選びますのでと言って、納得してもらったよ」

 この時の尾形代議士は、僕が事務所のアルバイトを辞めるというのに、優しかった。

「吉岡君のお祖父さんに可愛がられている兄も、君と同じ、『М大学』の商学部だ。東京での就職先が見つからない場合は地元での就職先を探してもらうから、安心して、頑張り給え」

「ありがとう御座います」

 僕は、こうして2月末まで、衆議院第二議員会館の『尾形事務所』でのアルバイトを、終える事になった。


         〇

 『М大学』商学部の学年末試験は1月28日から2月5日までの土日を除く7日間だった。僕たち遊び仲間は、安岡ノートを見ながら、『社会学』、『生物学』、『商業史』、『配給論』、『簿記学』『商業経済論』、『経済地理』などの学習をしたお陰で、何とか、希望に近い単位を取得し、進級不可にならず、4年に進級出来ることになった。僕たちは、学年末試験が終わると、麻雀したり、ボーリングゲームをしたり、スケート場に行ったり、青春を謳歌した。特に船木を介して、『若菜病院』の看護婦たちと遊んだ。また賭け事の好きな、松崎利男に誘われ、下村正明、芦田雄太、梅沢哲夫らと、週末、武蔵小山の松崎の下宿先に行って麻雀をした。そうこうしているうちに2月末になった。僕は利江叔母の指示に従い麻布十番の『白水堂』のカステラを持って、衆議院第二会館の『尾形事務所』に行った。矢野五郎秘書、船田助手、田島女史に、約1年間、お世話になったことを感謝し、最後の仕事に取り組んだ。午後になると、尾形代議士が事務所に現れ、僕に言った。

「吉岡君。1年間、御苦労さま。君のお陰で沖縄のことや台湾、中国のこと、大変、勉強になったよ。特に王育徳先生の『苦悶する台湾』は役に立ったよ。台湾の知人、陳鵬仁先輩も王先生は台湾の歴史を実に詳しく書かれていると感心していた」

「そうですか。それは良かったです」

「前にも言ったと思うが、吉岡君。これからは田中角栄先生の時代だ。大蔵大臣の田中角栄先生は僕の次回の選挙の為に、金策をしてくれている。越後と上州の連合政権を作る為に協力してくれと言っている。僕は田中先生について行くつもりだ。君も応援してくれ」

 尾形代議士は、そう言って僕に餞別をくれた。かくして僕の『尾形事務所』でのアルバイトは終了した。そして3月2日の火曜日、午前7時半、僕は喜一郎叔父と一緒に深澤家を出て、『A電気』に向かった。喜一郎叔父は『A電気』の総務課長で活躍していた。僕は、その叔父に社屋の2階にある設計部に案内された。設計部長、設計課長、図面管理室長などに挨拶し、図面管理の手伝いをすることになった。まだ厚木事業所へ転属になる杉浦史郎がいて、いろいろ図面管理について教えてくれた。僕は『立花建設』でアルバイトをしていた時の仕事に似ているので、直ぐに慣れた。その他、藤原律子という女性がいて、伝票の書き方などを教えてくれた。この4月になるまでの1ヶ月間、僕は友人の誘いを断り、喜一郎叔父に恥をかかせないように真面目に働いた。3月20日になると杉浦史郎が厚木事業部に勤務するというので、設計室から去って行った。杉浦は僕に恨みがましいことを言った。

「お前が入って来たから、俺は飛ばされることになったんだ」

 僕は、何の返答もしなかった。この人は新しい事業部での活躍を夢見ていないのだろうかと、不思議に思った。彼が厚木勤務になってから、藤原律子が僕に言った。

「杉浦君。エレキバンドのグループに所属していたから、東京勤務でいたかったのよ」

「そうでしたか」

 僕は個人の都合など無視しての人事異動を計画する喜一郎叔父たち上層部に疑問を抱いた。4月1日になると、図面管理室に、野村みどりという新人社員が入社して来た。3人で、新図の記録、現場提出図面のまとめ、コピー依頼等の作業を行った。図面サイズは、A2,A3,A4で、主に僕が2階の図面室から、1階の印刷室に運んだ。僕は、その階段の上り下りで、足が鍛えられた。こうして『A電気』のアルバイトは順調にスタートした。


         〇

 4月4日の日曜日の午後、僕は寺川晴美と駒込駅で待ち合わせして、『六義園』の桜を見に行った。桜の季節とあって、沢山の人たちが、公園の桜を見ようと、詰めかけていた。『六義園』は五代将軍、徳川綱吉の家臣、柳沢吉保が別荘庭園として使用した回遊式築山泉水庭園で、僕と晴美は手をつないで森の中を歩き、池を見たり茶室を見たりしながら公園内を散策した。若葉に包まれた築山や枝垂れ桜がとても美しかった。僕たちは『六義園』の景色を堪能してから、駒込駅近くの喫茶店を探したが、どこも満席なので、僕たちは駒込でのコーヒータイムを諦め、池袋に移動した。池袋駅で下車してから僕たちは喫茶店『服部珈琲』に入り、ゆっくりとコーヒーカップ一杯のコーヒーを味わった。コーヒーを飲みながら、大学を卒業してからの事などを語り、2人の時間を過ごした。何と夢のような現実だった。『服部珈琲』で喋り疲れると、僕たちは喫茶店から出て、洋食レストラン『木馬』に入り、スパゲッティを食べた。僕には信じられなかった。群馬の田舎の高校を卒業して上京した先輩と後輩の男女が、東京のレストランで一緒に食事をしているなんて。その食事が終わると僕は池袋駅から十条駅まで晴美を送って行った。電車が十条駅に到着すると、何時ものように晴美が僕に言った。

「私のアパートに来る?」

「いや。明日から大学の授業と就職活動などで忙しくなるから、やめとくよ」

 僕は晴美のアパートに行く事を避けた。何故なら、兄、政夫が僕に教えるように言った言葉が脳裏に刻み込まれているからだった。

「昇平。結婚式で神に誓う新郎新婦は処女と童貞でなければならぬ。だから妻にしたいと思う女とは、婚前交渉をしてはならぬ」

 僕は兄の言う通りだと思っていた。親の目から離れて、解放された気分に甘え、気を緩め晴美のアパートに行ったら最後、そのままずるずると互いに互いの肉体を欲し、自堕落なことになるに違いない。それは故郷で知り合った先輩後輩の清らかな関係を崩壊させることになる。晴美は残念がったが、僕は自重した。そして『М大学』の授業が始まると、僕は忙しくなった。僕たち4年生は学生課の前の掲示板に貼り出されている求人案内の詳細を確認し、気に入った企業などの応募に書類提出をしたりした。応募企業の仕事内容、給料、勤務地、資本金、社員数などの細々としたところをチェックし、自分の希望に適合している企業か、詳しく調べた。僕は、自分の能力が無いのに高望みした。『朝日新聞』の新入社員応募に書類提出し、『帝国ホテル』の試験会場で500人程の大学生と第1次試験を受けた。読み書きの試験の後、作文試験があった。『水』に関して、90分以内に400字詰め原稿用紙3枚にまとめて提出せよという問題だった。僕は突然、『水』という作文のテーマを与えられ,戸惑ったが、1時間ほで何とか原稿用紙3枚に文章をまとめ上げ、係り員に提出し、試験会場から出て、日比谷公園を散歩した。東京の空は雲っていた。僕は、哲学的な文章を書きなぐったので、不合格になると思った。就職活動を始めて、僕は行き悩んだ。そんな僕に較べ、既に勤務先の決まっている連中は気楽だった。『海城高校』を卒業し、大学に通いながら都庁に勤めている梅沢哲夫と貿易会社に勤めている下村正明は、5月の連休に、僕の故郷に行ってみたいと言い出した。僕は就職活動が本格的になるのは、5月の連休以降だと軽く考えていたので、僕の実家に一泊しての彼らとの妙義山旅行を計画した。5月2日に東京から来て、妙義山の登山をして、実家に泊まり、3日に東京に戻るというスケジュールを組んだ。


         〇

 5月1日の土曜日、僕は一足先に群馬の実家に帰った。すると、実家は大変な状況だった。祖父、慶次郎の病状が悪化し、医者が診察に来ていた。その医者が帰ってから、僕は、母、信子に、明日、学友2名が我が家に一泊して3日の日に、妙義山に登山する計画でいると話した。すると、普段、優しい母が激怒した。

「こんな大変な時に、こちらの都合も確認せず、友達を呼ぶなんて、お前は何を考えているのです。友達にこちらの状況を話し、予定を変更させてもらいなさい」

「そうは言っても、今から連絡がつくか分かりません。何とかならないですか。僕には大切な東京の親友なんです。彼らは僕の故郷が見られると、この連休を楽しみにしているのです」

「そうは言っても、病人が苦しんでいるこの家に泊める事は出来ないよ」

「なら、どうすれば良いのです」

「妙義山に行くなら、清ちゃんに連絡して、泊まるところを探してもらいます。お前は明日、松井田駅まで行って友達を拾ったら、家の事情を話し、友達を妙義の家まで連れて行き、友達を紹介し、直ぐに家に帰って来なさい。お祖父ちゃんが大変な時なんですから」

「はい、分かりました。よろしくお願いします」

「面倒をかける子だねえ、お前は」

 母は、そう言うと、近くの商店に駆けて行き、電話機を借り、妙義町の親戚に電話した。母は家に戻って来ると、僕を安心させた。

「清ちゃんが、何とかするからと言ってくれたので安心しなさい」

 僕は、母の言葉を聞いて、ホッとしている間も無く、姉、好子が奥の間から僕を呼んだ。

「昇平。こちらに来なさい。お祖父ちゃんが呼んでます」

「はい」

 僕が急いで、奥の間に行くと、痩せこけ、目をギョロつかせた祖父、慶次郎が、布団の中から僕を見詰め、ゆっくりした口調で切り出した。

「昇平。良く帰って来てくれた。ここに座り良く聞け。俺の寿命も、もう終わりだ。お前が大学を卒業し、就職して活躍する姿を見たかったが、それは叶わぬ夢となった。お前には種々、難題を与え苦労させて来たが、許してくれ。俺はもう、お前に、ああせい、こうせいと指図することは出来ぬ。従って、お前の進路は自分で決めろ。これからの人生はお前の自由だ。お前の行きたいと思う道を行け」

「はい」

 僕は、そう答えて、祖父の手を握った。祖父の手の冷たさに僕は身震いした。余命幾許も無いと感じ取った。

「お前には、吉岡家歴代の魂が引き継がれているのだから、怖がらなくて大丈夫だ。どんな荒波にも耐えられる。どんな険しい山岳でも乗り越えることが出来る。そう指導して来たつもりだ」

「はい。教えていただいた用心深さと度胸の発揮為所は忘れません。安心して下さい」

「それを聞いて安心した。では向こうへ戻って上げなさい」

 祖父、慶次郎は言いたい事を喋り終え、僕の返事を聞き、納得したように目を閉じた。翌日2日、日曜日、僕は松井田駅で、東京からやって来た『М大学』の親友、梅沢哲夫と下村正明と合流し、実家の事情を話し、バスに乗って妙義町に行き、親戚の土産物屋へ行った。甥っ子とその学友が来てくれたと、叔母夫婦が喜んで迎えてくれた。母、信子の妹、清子叔母は、とても品のある優しい人で、僕たちを家に入れ、昼飯をご馳走してくれた。そして午後1時、僕たちは叔母夫婦に礼を言い、妙義神社からスタートし、石門めぐりなどをして、大砲岩まで行った。沢山の登山客が往来する中、僕が下駄で蟹の横這いを登るのを見て、梅沢も下村も、他の登山客と一緒にびっくり、目をパチクリさせた。僕は今朝、実家を出る時、母にきつく言われた。

「家に病人がいる時、山に登ってはいけません。山に登ったりしたら罰が当たるので、お前は、妙義の家に友達を連れて行ったら、後は清ちゃんに任せて、直ぐ帰って来なさいよ。良いですね」

 そんなだったから僕は下駄ばきで出かけていた。素晴らしい新緑の登山を終えて下山すると、清子叔母が首を長くして待っていて、妙義神社の近くの旅館『東雲館」に案内してくれた。僕は『東雲館』で明日、松井田駅で2人と合流して東京へ帰る約束をして、清子叔母の家で土産物をいただき、バスに乗って家に帰った。そして翌日、布団の中で苦しそうにしている祖父、慶次郎と握手して、松井田駅に行った。駅で少し待つと、妙義町からのバスが到着し、沢山の観光客が、梅沢、下村たちと一緒に降りて来た。若い女性3人組が僕たちの目に留まった。僕たちは上野行きの切符を買ってホームに入り、その女性3人組に写真を撮ってもらった。また彼女たち3人の写真も撮ってやった。僕たちは彼女たちと親しくなり、同じ列車の同じ車両に乗り、会話しながら上野へと向かった。彼女たちは立川の幼稚園の保母の仕事をしていて、東京駅から中央線で立川に帰るのだと話した。彼女たちは大学生の僕たちと知り合いになれたことを喜び、名前を教えてくれた。青山詢子、本間昌子、鈴木郁代と名乗り、僕たちより、1つ年上だった。僕たちは上野駅で彼女たちと別れ、それぞれの家路に向かった。東京に戻り、2日程しての連休明けの5月6日、僕が『A電気』に出社して、仕事をしていると、僕の職場に、突然、喜一郎叔父がやって来て言った。

「昇ちゃん。お祖父ちゃんが亡くなった。今から直ぐに帰りなさい」

 僕は喜一郎叔父に連れられ、技術部長と設計部長に実家の不幸を報告し、直ぐに早退した。僕は喜一郎叔父より先に深澤家に帰り、深沢家の皆より、一足先に、再び群馬の実家に戻った。そして吉岡慶次郎、81歳の生涯を見送った。


         〇

 慶次郎祖父が亡くなった吉岡家の家長は、父、大介に引き継がれた。僕は不安だった。交通事故で、頭を打って、頭の回転が鈍化している父を頼ることは無理だった。今まで、祖父たちの拘束に反発して来た僕だが、祖父が亡くなると自信が持てなくなった。予想した通り、『朝日新聞』の採用1次試験は不合格となり、2次試験に進めなかった。『電通』は書類選考で落とされた。僕はやけっぱちになり、大学の授業をさぼり、麻雀に明け暮れた。僕のこの行状は深澤家の悩みだった。利江叔母は川崎に住む実姉、日野照代に電話して、僕の不行状をぼやいた。そこで照代叔母は僕宛てに手紙を書いた。僕は祖父の葬式の時、田舎の家で照代叔母に会っていたので、照代叔母からの僕宛ての分厚い封筒を手にして、お小遣いでも入つているのではないかと想像した。だがそれは全く違う、便箋7枚の手紙だった。

〈 鬱陶しい梅雨空も、今朝はからりと晴れて

 心地良くなりました。

 さて昇平も、あと10ヶ月で学生生活とも別れて、社会人としてスタートする訳ですね。

 もう就職試験の時期ですが、どんな状況ですか?

 昨晩(30日)の7時のニュース、または今日の新聞によると、最近に無い大学生の厳しい就職難の年になるとのことです。今年は来年度の求人をしない大企業が多く、また中小企業でも採用中止のところが多く、採用するとしても、人数が少ないとのこと。昨年度の四割減との事ですから、求人の数は乏しく、結局、成績の良い者でないと、良い会社はおろか、就職出来ないかもしれません。

 就職については昇平も積極的に行動しているとは思いますが、呑気なことをしていると、就職口の確保が難しくなりますよ。特に政夫とは異なり、昇平は2部の学生ですから、1部2部の差は無いとは言っても、矢張りあります。就職競争が厳しければ、余計、区別されますから、しっかり勉強して、入社試験の成績が良く無ければなりません。

 余計な老婆心だと思われるかも知れないけれど、次の5項目に注意し、行動して下さい。

① 外泊禁止

 最近、昇平は外泊が多いようですが、何処に泊まっているのですか?若者の外泊は禁物です。何故、外泊の必要があるのですか?

昇平は深沢家に下宿させてもらうよう吉岡家から依頼されているのです。お前の泊まる所は深澤家なのです。深澤家では昇平の下宿,監督等を依頼されてる以上、お前の事については、責任があることは、お前も重々、承知の事と思う。それなのに、利江ちゃんや喜一郎叔父さんの注意も聞かず、外泊するということは、間違っています。よく考えてごらん。私たちが、細野で育った時は、外泊はおろか、帰宅時刻が少しでも遅くなったりしたら、それこそとっちめられ、凄いものでした。私たち姉妹も、文雄も家が許したお客や旅行以外の外泊など1度もしたことがありません。今後は一切、外泊をしてはいけません。何故かは良識で判断しなさい。

② 交友関係について

 良友と交わりなさい。朱に染まれば赤くなる。

 百も承知の事と思う。不良に交われば、知らず知らずのうちに引き込まれ、自分が気づいた時は、のっぴきならなくなって、遂に身を滅ぼしてしまうことになります。

 最近、度々、女の子、特に言葉使いや態度の悪い者から、昇平に電話がかかるそうですが、その者は一体、何物です?昇平は知らない訳はない。昇平の名も、また最近設置した深澤家の電話番号も知っているのですから、昇平に近づいた者に間違いありません。ガールフレンドを持つのはいけないとは言わないが、もっと気の利いたセンスのある高尚な者を選びなさい。今は昇平の一番大切な就職戦の時で、ガールフレンドの事など頭に考えている時ではありません。あるのは勉強に精出し、就職試験に良い成績で合格し、一流会社に就職する事です。これ以外に現在、考える余暇など無いです。来年度は随分、就職出来ない人が出る由。その中に入ってはいけません。また男と生まれた以上、少しでも好条件の一流会社に入社希望を持って下さい。就職する会社によって、昇平の今後の死に至るまでの人生街道は決まるのです。幸も不幸も、それは何と言っても勉強をすることです。

③ 深澤家に迷惑をかけるな

 昇平の人生を決めるのは入社試験で好成績をとることです。

 そう考えると外泊などして遊んでいる時ではありません。深澤家に対しても、昇平の外泊することはいけないことです。今後、一切、外泊をしてはいけません。

 祖父が草葉の陰で念じております。

「昇平よ。本気でやれ。外泊するな。無駄使いするな。交友、勉強の面を真面目にやって、良い会社に就職せよ。深澤家に迷惑をかけるな」と。

 良く考えなさい。利江を苦しめてはなりません。利江が昇平と深澤の家との中に入って、どんなに苦労してるか、分かるでしょう。喜一郎叔父さんの言う事は守らなければいけません。忠雄の性質は良い性質だから、見習いなさい。

④ 就職活動について

 尾形先生の勧める会社については、こちらから積極的に行動しなさい。かといって、尾形先生のみに頼っても、あてにならないから、学校への求人や知人などに依頼して、どんどん就職活動を進めないと駄目です。お祖父ちゃんがいればどんどん手紙で交渉してくれるけど、お祖父ちゃんの亡き今、父ちゃんや母ちゃんは、そのような行動はしていられないから、自分でどんどんやらなければ駄目です。忠雄の勤めている会社にも、母ちゃんを通じて、希望を出しなさい。早くしないと、何処へも就職出来ず、結局、ルンペンになり、物笑いになります。

⑤ 支出節約について

 大学入学以来、出費を節約して来たとことと思うが、今まで以上に倹約に勤めなさい。

今までのような田舎からの送金は望めません。よく考えてごらん。お祖父ちゃんの亡き今の吉岡家には収入は一銭も無く、貯金も無く、田舎の家族の生活も、どうしたら良いか、困る状態だから、田舎から、お金をもらってはいけません。『A電気』での仕事を休まないようにして、出来るだけ収入を多くし、支出を節約して、ボーナスで補えれば、どうにかやれます。私は昇平が本気になって真面目に働いても、お金が不足するのでしたら、卒業まで、若干、お金を出してやります。私が考えるには、不足額を補うにはボーナスを上手に使い、無駄使いをしなければ、やって行けます。その為には会社を休んでは駄目です。就職の為なら仕方ありませんが・・。

 以上、長ったらしく書きましたが、要は真面目に諸行動をして、熱心に勉強し、良い会社に入社出来る事です。昇平には耳の痛い手紙ですが、私は昇平の為と思って書きました。よく熟読しなさい。

 これにより 昇平が過去を反省して改めるところが多々あれば、幸いと願っております。

 暇があったら、川崎にも遊びに来なさい。

身体に気を付けな。また病気したら困るから。

夜更かしして遊ぶ時間を無くし、寝て休息した方がよい。

ではまた。

    昭和40年5月30日   照代 〉

 照代叔母から送られて来た手紙の内容は説教と激励の言葉でいっぱいだった。僕は普段、温情のある照代叔母からの厳しい手紙を読み、腹立った。僕の日々の行いが不真面目であり、学友を不良呼ばわりされ、怒りが込み上げた。僕の学友のほとんどが、家が貧しいが向学心に燃え、働きながら夜間大学に通っている優秀な苦労人仲間だ。不良では無い。ガールフレンドについては、問題あるかも知れないが、多分、看護婦の大橋花江か木下優子、あるいは妙義山登山の帰り、知り合った立川の保母の誰かであろう。寺川晴美では無いと思う。またアルバイトを休むな、就職活動に身を入れよというが、採用試験や面接を受けるには、アルバイトを休まなければならない。身体は一つ。両立は出来ない。無駄使いするな。それも分かるが、友達と付き合ったりすれば金が要る。大学入学以来、僕の生活は自分でも涙ぐましい程に節約しているつもりだ。着ている物は大学通学は勿論のことアルバイト先でも、何処へ行くにも、高校時代からの汗臭い黒の学生服だ。Yシャツや下着類も古い物ばかりだ。ボロは着てても心は錦。食事については深澤家の御飯と味噌汁と漬物の朝食、昼はアルバイト先の給食、夜の大学では学生食堂で、うどんか、カレーライスの夕食。だから身長は伸びないし、身体は太れないが我慢し、痩せ細り蒼白い顔をしている。そんな自分が自分でも情けなく思えた。照代叔母の僕への説教と激励の愛情は分かるが、僕は、それを素直に受け入れることが出来なかった。今に見ていろ。僕は祖父、慶次郎が、病床で僕に言った言葉を思い出した。

「人生はお前の自由だ。お前の行きたいと思う道を行け」

 照代叔母の言う通り、吉岡家が頼りにして来た祖父、慶次郎の恩給が無くなり、父、大介の軍人恩給も僅かで、吉岡家の貧窮は言わずもがな、明白だった。僕は、この苦難に負けてはならぬと思い唇を噛み締めた。皆が応援してくれているのは充分、分かっている。もう少しの我慢だ。


         〇

 6月になり、僕は就職活動に頑張った。学生課の掲示板の求人案内を見て、僕は学生課から数社に応募書類を送ってもらった。この頃、大学の学生課では求人会社への大学生の応募書類を、チエック制限し、応募企業に送付していた。大学からの求人会社への応募書類提出は、1人2社以上出来なかった。混雑を避ける為だと学生課の職員が言うのは分かるが、そうで無い場合は、自分で直接、応募先に提出するより仕方なかった。僕は不採用になり就職課に戻って来た履歴書や写真を就職課から受け取り、次の志望会社に就職課から送ってもらった。僕は照代叔母の手紙に、尾形議員にも就職先を紹介してもらうよう書いてあったことから、久しぶりに、衆議院第二議員会館の『尾形事務所』に行ってみた。矢野秘書と、船田助手と田島女史が、頑張っていた。矢野秘書は僕の顔を見て、僕が就職の事で悩んでいるのを知って、僕に言った。

「吉岡君。今年の就職活動は厳しいらしいね。どうかね。君の就職活動は?」

「はい。厳しいです。求人企業が少なく、大学側も優秀な者から順に就職させようと調整してます」

「そうらしね。船田君も苦労しているよ。なあ船田君」

「はい。大学生の採用は応募企業が少なく、予想以上に厳しくなっています」

 船田宗行助手は、そう答えて、顔をしかめた。彼も苦戦しているらしい。矢野秘書はそれから僕に就職活動についての具体的行動について訊いた。

「吉岡君。君は今、どんな会社に応募書類を提出しているのかね」

「はい。『朝日新聞』と『電通』は落ちまして、今、『学習研究社』と『藤丸商会』に応募書類を送ったところです」

「分かった。『学習研究社』と『藤丸商会』だね。当事務所からも尾形先生の名で、両社に採用依頼の推薦状を送っておくよ」

「よろしくお願いします」

「船田君は、どうなんだね。推薦状を出して欲しい会社はあるのかね?」

 矢野秘書に、そう訊かれると、船田助手は意外な返答をした。

「お恥ずかしい話ですが、僕は単位が足りないので、卒業出来るか、ギリギリなので、就職は先送りにしようかと思っております。待てば海路の日和あり。この事務所で働かせてもらいながら、就職時期を見極めます」

「そういう考えもあるな。吉岡君も良い就職先が見つからなかったら、ここで働いてくれ」

「は、はい」

 矢野秘書は僕たちに就職先を紹介してくれる様子は無かった。僕たちへの支援は僕たちが応募した会社に推薦状を送付する程度のものだった。それでも僕は尾形代議士の名で推薦状を出していただけるだけでも有難いと思った。船田助手は、のんびり構えているが、僕にとっては、東京で生きて行かねばならず、死活問題だった。いずれにせよ、お互い連絡を密にすることにした。尾形代議士は、6月の佐藤内閣改造で、田中角栄代議士が、大蔵大臣を辞め、自民党幹事長になったので、竹下登代議士の指導に従い、動き回っており、僕たちの扱いは矢野秘書に任せっきりだった。そんな状態なので、照代叔母の言う通り、余り当てにしてはならないと思った。自分で自分の進む先を決めねばならなかった。田舎の両親も僕の就職について、心配していたが、実家は実家で大変だった。父、大介が近況を伝えて来た。

〈 昇平。元気にしているか。

 本年の大学卒の就職は困難と各報道機関が報じている。従って会社の大小等、選ばずに学校並びに先輩の意見を充分に聞いて、就職先決定まで、万全の努力をしなさい。

家でも農事は異常気象の為、進行せず、それに加え、好子が本日、蓄膿症手術の為、高崎の『田中医院』に入院という事態である。

 父も何かと心痛の折、昇平の就職が、1日も早く決まることを願っている。

叔父様御一家によろしく伝えて下さい。

      6月8日     父より   〉

 僕は実家の近況を知り、姉の入院費のこともあり、両親が苦しんでいると知った。僕は余分な事を考えた。まさかこの手紙は貧乏学生の僕に金をせびる手紙ではあるまい。そんな父、大介からの手紙を受け取った数日後、僕は『学習研究社』と『藤丸商会』の内定をもらう為の入社試験を受けた。どちらの試験も、難しい試験問題では無かった。


         〇

 7月になると東京でも蝉が啼き出し、夏の暑い中での就職活動となった。僕は『学習研究社』から面接をするので、会社訪問するよう、通知が届いたので、五反田に出掛けた。受付に行き、名前を告げると、受付嬢にエレベーターで会議室に案内された。何人もで面接するのかと思っていたら、僕1人で、相手側は男性の関口課長と川崎係長と女性社員の3人だった。女性社員は中々の美人だった。まず、川崎係長から説明があった。

「本日は御苦労さまです。吉岡さんの採用について、上層部も悩んでおり、どうしたものか、私と課長に本人確認するよう言われて、面接を行う運びとなりました。お伺いしたいのですが、吉岡さんは商学部出身なのに、何故、弊社の新入社員採用試験に応募されたのでしょうか?」

「はい。それは文学に興味があるからです。貴社に採用していただき、自分の好きな作者の作品を、貴社から沢山、出版してもらい、会社の利益向上に貢献したいと願ってのことです」

「成程。それは弊社の事業内容の本質を理解してのことですか?」

「はい、そうです。私には貴社を発展させる自信があります」

 僕は自信をもって、言い切った。すると関口課長が、渋い顔をして言った。

「会社の発展を思考するのは経営者のする仕事であり、新入社員の考える事ではありません。今、問題にしているのは、君が、弊社に役立つ人間であるかどうかの確認です」

「確認?」

「率直に言って、採用試験の成績は、そこそこです。でも、大学発行の成績表が他の応募者に較べ、余りにも悪すぎます。ですから、あからさまに言うと、貴男は採用失格です。ところが尾形代議士から君の推薦状をいただき、上層部は悩んでいるのです。もし君が、どうしてもと望むなら、採用しない訳でもありませんが、君の能力では入社してから苦労し、長続き出来ないのではないかと思いまして」

 僕は関口課長に能力が無いと言われ、カッとなった。美人社員と川崎係長の見詰める中で、バカ者扱いされ、平然としていられなかった。

「分かりました。そういう御見立てでしたら諦めます」

 赤っ恥を書く為に、アルバイトを休み交通費を掛け、やって来たのかと思うと、馬鹿らしくなった。だが『М大学』の品位を穢さぬよう、大人しく引き下がった。会議室での面談が終わると、女性社員が僕を1階の玄関まで見送ってくれた。彼女と知り合いになりたかったが、恥ずかしくて、その機会は得られなかった。それから数日後、僕は『藤丸商会』の採用試験を受けた。10人程が受験した。試験に出された問題は難しいものでは無かった。午前中に試験が終わったので、僕は一緒に受験した『Ñ大学』の大村春樹と神田の喫茶店『ルノアール』で、サンドイッチの昼食をしながら、互いの就職活動の状況を明かし合った。彼もまだ就職先が決まらず、焦っていた。大村はぼやいた。

「日本はオリンピック景気に浮かれて、金を使い過ぎて、どこの会社も内部留保を吐き出してしまい、銀行からの借金が増えて、新規社員を採用出来なくなっちまってる。国威発揚などと言って踊らされると、このような憂き目に国民が遭遇することになるんだ。俺たちが活躍する、これから50年はオリンピックを日本で開催したいなどと思っちゃあ駄目だ」

「成程。戦争も2度とやってはいけないが、オリンピックも、同じかもしれんな」

 僕たちは傷の舐め合いのような会話をして1時間程で別れた。そして10日後、『藤丸商会』から面接試験の案内が届いた。僕は『A電気』を休ませてもらい、また『藤丸商会』に行った。女子事務員に案内されて会議室に入ると、大村春樹ともう一人、『C大学』の学生、宇田純一がいた。僕はこの3人に絞られたのだと理解した。そんなことを考えていると、会議室のドアが勢い良く開き、恰幅の良い藤田社長が、部下を2人連れて入って来た。

「お早う」

「お早う御座います」

 そう挨拶を交わすと藤田社長自らが、僕たちに言った。

「本日、面接試験という事で、案内を送ったが、この場では堅苦しい面接は行わず、懇談会を行ないう。緊張せず自由闊達に喋ってくれ。君たちのことは履歴書、成績表、卒業見込書などで分かっているから、逆に君たちが知りたい事を質問してくれ。その質問に片岡部長と宮脇課長、あるいは私が答えるから」

「はい」

「では宇田君、何か質問してくれ」

「は、はい。それでは遠慮なく質問させていただきます。御社は紳士服、婦人服などの販売をしているとのことですが、店舗は各地にあるのでしょうか?看板を見かけたことがないのですが?」

 すると片岡部長が答えた。

「販売先は百貨店が主体であり、女子社員などをデパートに送り込んで販売しています。時には男性社員も女子社員と一緒に、デパート勤務してもらうことがあります」

「売り子ということですか?」

「はい。販売員として活躍してもらいます」

 岡部部長の説明で宇田や僕たちは、日常業務に販売員の仕事があることを理解した。

「大村君は何か知りたいことがありますか?」

「僕は営業の仕事を希望して、御社の採用試験に応募しましたが、やることは販売員の仕事がメインですか?」

「いや。販売員と営業の仕事は違います。営業は百貨店の経営者等に交渉し、我社の商品を置かせてもらう契約を成功させなければならず、仕事としては厳しいです。でもやりがいがある仕事です」

 僕は、その説明を聞いて、従姉の主人が従事している仕事に似ていると思った。

「吉岡君は何かあるかね」

「はい。商品は自社の工場で製造しているのでしょうか。それとも下請けに製造させているのでしょうか?」

「うん、商品は我社では製造していません。我社でデザインし、自社ブランドを付けて販売してます」

「外国からの輸入はあるのですか?」

 その僕の質問に片岡部長も宮脇課長も顔を曇らせ、即答しなかった。すると藤田社長が、僕に言った。

「良い質問だ。我社は海外商品を現在保有していない。映画界も洋画を放映して儲かっている。我社の仕事もこれから、海外で製造し、海外のブランド品を輸入して販売する商品を増やすことを企画し、販売しようと思っている。君のような貿易知識のある社員に、是非、貿易実務をしてもらおうと思っている」

 僕は、そう言われて目を丸くした。僕の貿易実務は教科書の丸かじりで、ゼミナールは中国語教室みたいなものだ。貿易実務をしている先輩のいない会社で、果たして貿易の仕事が出来るだろうか。僕は『藤丸商会』の社長たちとの懇談会に参加しながら、自分の将来を夢見た。現在、貿易の仕事をしている従兄の忠雄に教えてもらえば何とかなると思った。懇談会の終わりに藤田社長が僕たちに言った。

「本日はご苦労さん。君たち3名を採用することに決めました。採用内定書を近日中に送ります。家族の皆様によろしくお伝え下さい」

 僕たちは驚いた。全員が受かるとは思っていなかった。社長の言葉の後、片岡部長が言った。

「入社前に、何度か研修を行いますので、含んで置いてください」

「はい」

 僕たちは嬉しくて元気に答えた。すると宮脇課長が立ち上がり、部屋の外に控える女子社員に指示し、昼食の準備をさせた。各人の前に豪華な幕の内弁当が並べられた。僕たちは3対3で向き合って、幕の内弁当をいただいた。弁当を食べながら藤田社長が言った。

「君たちの活躍に期待しているよ。藤田丸の航海は君たちの若い力によって成功へと向かうんだ」

 この不況時に、僕たち3人を採用することを決断した藤田社長に、僕は感謝の念を抱いた。


         〇

 僕は『藤丸商会』から内定をいただいたことを秘密にした。なぜなら『藤丸商会』の業務は卸問屋の仕事であり、百貨店や小売業者を相手に活動せねばならず、ヨーロッパの高級ブランド品を輸入販売しても、限界があるように思われた。『配給論』の授業で〈中間商人の排除の傾向〉を論じた教授の説によれば、販売市場から問屋は消えて行くという予想だったからだ。それに資本金5百万円は少なすぎると思ったからだ。だが安全牌として、温存しておく必要があった。そうこうしているうちに夏休みになった。僕は田舎に帰り、祖父、慶次郎の新盆の席で、皆から就職の事について訊かれ、まだ未定だと話した。誰もが心配してくれた。父、大介に交渉力が無いから、母、信子が地元の有力者などに僕の就職口は無いかと問い合わせしてくれていた。もと『お茶の水女子大学』学長、蝋山正道教授の弟、小山長四郎が経営する『美峰酒類』の関連会社『群馬酒造』や妙義の清子叔母の弟、俊夫叔父の横浜の関係会社『オリエント機械』などに書類提出をしていた。しかし、母の依頼している会社は、東京都内で無く、ほとんどが群馬県内や他県なので、僕は余り気乗りしなかった。故郷から離脱しようと東京に出て生活している自分が、何故、再び故郷に戻らねばならぬのか。僕は母にはっきり断言した。群馬に戻る気持ちは全くありませんと。母、信子は悲しい顔をしたが、僕が強情なのを理解していて、県外の就職口を当たる事を了解した。僕は祖父の墓参りをしてから、東京に戻る途中、安中の『西群』の事務所に立寄り、小山禧一専務と面談し、東京の企業に就職したいという意向を伝えた。東京に戻ってから、僕は『土井通商』という会社の採用試験を受けたが、これもまた卸売業と知り、ほったらかしにした。そんな僕の事が気になってか、『尾形事務所』の矢野秘書から、僕に声がかかり、僕は衆議院第二議員会館の『尾形事務所』に訪問した。

「吉岡君。就職先、決まったかね。尾形先生も気にしているよ」

 僕は、そう言われ、どう答えたら良いか、迷った。

「自分の気に入った会社が、まだ見つかりません。『学習研究社』は、尾形先生の推薦状をいただいたのですが、僕の成績が余りにも悪いので、採用されませんでした」

 僕が、そう答えると、船田助手と田島女史が、笑った。矢野秘書は何とか僕の就職先を決めようと真剣だった。

「吉岡君を『群馬酒造』に紹介しようという話があるのだが、どうかね?」

「僕は酒が飲めないので酒造会社は駄目です。『群馬酒造』は断りました」

「じゃあ、『東海漬物』はどうかね」

「えっ、漬物屋ですか」

「吉岡君。漬物屋だなんて、馬鹿にしては駄目だよ。これからテレビでコマーシャルを始め、全国展開しようとしている会社なんだから」

「でも遠慮しておきます」

「じゃあ、『佐田建設』はどうかね」

「僕は建設会社でアルバイトしましたが、何となく荒っぽくて、建設会社は貧弱な私には苦手です。それに群馬でしょう。僕は都会で仕事をしたいんです」

「そうなんだが、君たちの話をしたら乗る気になってね。次の国会議員選挙に立候補したいなんて、言っているんだ」

「えっ。本当ですか?」

「うん。同じ建設業界の田中角栄先生が、政治家になれたのだから、自分も政治家になりたいらしい。だから『尾形事務所』でアルバイトしている船田君か吉岡君を欲しいと言っているんだ」

「なら、船田さん、行かれてはどうですか?」

 僕は船田助手に話を振った。すると彼は笑って言った。

「僕は、日本の景気が良くなるまで、じっとしているよ。タイミングを見極めて、行動に移すよ。それに尾形先生の次の選挙を成功させなければ、落ち着けん。『W大群馬会』の東京メンバーとして、次の選挙まで、ここで頑張るよ」

「俺が真剣に考えてやっているのに、2人とも勝手すぎるよ。これから東京の就職先も、当たってやるが、吉岡君も学校や親戚に当たってみてくれ」

「はい。自分の事で、勝手を言って申し訳ありません」

「何、良いんだ。君には資料集めなどに尽力してもらった。尾形先生は、必ず次も当選する」

「はい。そう信じています」

 僕は久しぶりに『尾形事務所』のメンバーに会って、明るい気持ちになった。状況によっては、『М大学』卒業後、船田助手と一緒になって、『尾形事務所』の手助けを1年間やっても良いと思った。そんな僕の活動とは別に、祖父を失った田舎でも僕の就職活動に努力していた。父、大介から、こんな手紙が届いた。

〈 昇平、元気か?

 こちらは日中は残暑だが、朝夕、大分、涼しくなった。

先日、政夫に電話させたら、『群馬酒造』の方へ書類を送ったそうだが、それに対する返事は、未だ何も無いか。横浜の『オリエント機械』の方は如何、なっているか。当方でも昇平の事で、何かと心がかりだ。現況について連絡しなさい。広志は年末まで日曜ごとの練習。政夫は不変。好子は昨日29日、妙義の萩原宅にて、前橋市の鮮魚商の御子息と見合いの為、信子と同道した。

忙しいだろうが就職状況の連絡を待つ。

 叔父様一家によろしく。

       8月30日  父より    〉

 僕は父、大介の手紙を読んで、『群馬酒造』に採用されないと思った。何故なら、その前に矢野秘書から、本人が志望していないことが伝えられている筈だったからだ。


         〇

 9月になって、『王ゼミナール』の王先生に推薦文を書いてもらい、田端の萩原俊夫叔父を通じて応募した『オリエント機械』からの呼び出しがあった。僕は東横線の電車に乗って、稲穂の波打つ横浜の田園地帯の中にある真新しい工場に訪問した。英文の看板が掲げられ、何故かアメリカ風工場だった。僕は1階の受付で名前を名乗り、2階の社長室に通された。僕は『Tインキ』の工場長をしている俊夫叔父の取引先ということで、緊張し、社長、副社長、営業部長3名の前で、面接試験を受けた。白髪の磯部社長は好々爺紳士だった。大野副社長は美男子で、副社長という風格を誇示しようとしている生真面目さがあった。遠藤業務部長はいかつく情熱的な雰囲気を持っていた。僕は3名にいろんなことを訊かれた。まず磯部社長に訊かれた。

「君は商学部なのに、何故、機械メーカーに就職する気になったのかね」

「実は、まだ確たる就職先が見つかっておりません。一応、衣料品販売会社に内定していますが、もっと男らしい仕事はないかと思い、御社を紹介していただいた次第です」

「成績が余り良くないけど、何か原因でもあるのかね」

「授業をさぼり、小説を書いたりしていた為だと思います。『中央文学』という同人誌のメンバーでした」

「ほう、小説をね。道理で語学の成績が良い筈だ」

 次に大野副社長が、僕に言った。

「我社は新工場を建設したことを機会に、設計技術者を3名採用するつもりでいます。だが君は商学部出身で、配属先に困っている。採用するとなると資材部になるが、それでも良いかね」

「僕は御社が、アメリカの機械メーカーと、技術提携したと聞いております。出来れば外国との貿易をする営業部に配属していただきたいと思います」

「資材部兼業務部では駄目かね。当社には営業部が無いので」

「これからの時代はメーカー自らが営業活動をする時代です。僕は大学で習いました。『中間商人排除の傾向』という考えです。メーカーが自らの営業力を保有し、商社やブローカーに持って行かれる利益を、自社に留保することです。それが会社繁栄の源泉となり、会社を大きくさせます」

「むむ」

 僕の、この発言に3人は一瞬、無言になった。大野副社長が特に厳しい顔をした。しばらくして、磯部社長が言った。

「この辺で、面接試験を終えましょう。面接結果は、後日、通知致します。では帰って良いですよ。萩原さんによろしく」

「そうですか。では失礼致します。本日は有難うございました」

 僕は深く頭を下げて社長室から退去した。受付嬢が面接を終えた僕を玄関先まで見送ってくれた。僕は、もし『オリエント機械』が採用してくれるというなら、『藤丸商会』の採用を拒否しても良いと思った。僕の考えは単純だった。『オリエント機械』はアメリカの企業と技術提携しているので、あわよくば、自分もアメリカに出張出来ると思ったりした。僕は早速、田端の『萩原家』を訪問し、俊夫叔父に面接の結果報告をした。すると、俊夫叔父は笑った。

「まずい事を言ったな。大野副社長は親会社の『オリエント貿易』の部長も兼務しているんだ。だが、心配はいらないよ。3人とも、私と親しくしているから」

 それから僕は前期試験を迎え、2週間後の10月6日、『オリエント機械』の面接結果、就職内定となった。僕は就職先が、内定して、ほっとした。僕が就職内定を伝えると、実家の両親や兄弟も、麻布の『深澤家』の人たちも、川崎の照代叔母も王先生も、級友たちも喜んでくれた。僕は早速、田端の俊夫叔父の家に、お礼の挨拶に訪問した。俊夫叔父夫婦をはじめ、光代婆さんが喜んでくれた。光代婆さんが僕に言った。

「昇平さん。良かったね。『オリエント機械』の遠藤さんは、いずれ社長になる方だから、あの人に付いて行きなさいよ」

 僕は、びっくりした。1企業の業務部長が、『萩原家』の婆さんにまで、名を馳せているとは信じられなかった。兎に角、『萩原家』のお陰で、就職先が決定すると、僕は、焦ることなく落ち着く事が出来た。卒業出来る単位を取得し、僕の就職への不安は消え去った。


         〇

 僕は10月初めに就職先が決定したことで、精神的に余裕が出来、寺川晴美に手紙を出した。新宿で晴美とデートする事にした。10日の日曜日、以前、待ち合わせした新宿駅東口交番前に行くと、晴美の姿が無かった。どうしたのだろうと思っていると、『二幸』の前で、女性友達と別れた晴美が、こちらに向かって、走って来るのが目に入った。白いブラウスの上にパステルカラーのカーディガンを着て、赤いバックを肩に掛け、チョコレート色のスカートを揺らせて走って来る彼女の姿が滑稽だった。彼女は、息を弾ませて言った。

「ごめんなさい。待たせてしまって」

「今、来たばかりだよ。じゃあ、温かいコーヒーでも飲もうか」

「そうね。では前に入った『白馬車』に行きましょうか」

「うん、そうだな」

 僕たちは交番前から、今まで晴美がいた『二幸』の脇を通り、靖国通りを渡り、歌舞伎町の喫茶店『白馬車』に入った。狭い2人席に座り、僕たちはホットコーヒーを注文した。それから僕は自分の近況を説明した。

「都内の会社に就職したいと希望していたんだけど、無理だったよ。ことごとく不採用になり、結局、地方の工場に勤務することになった」

「まあっ、そうなの。群馬に帰るの?」

「いや。横浜の機械メーカーに就職することになった」

「横浜だったら、東京に近いじゃあない。それはおめでとう。良かったじゃあない」

「ありがとう。今回の就職活動で、自分の力の無さを知ったよ」

 僕はコーヒーを一口飲んで、溜息をついた。すると僕に代わって、晴美が近況を語った。

「私、まだ就職先が決まっていないの。都内で就職先を見つけるか。田舎に帰って、花嫁修業をするか、二者択一を迫られているの。どうしたら良いと思う」

「折角、東京に出て来て大学を卒業するのだから、東京にいなければ駄目だよ。花嫁修業だって、東京でやれば良い」

「でも、東京での生活費が」

「その気になれば、やれないことは無い。東京にはアルバイト先が沢山ある」

「そうよね。もう少し探してみるわ」

 晴美は笑って、そう答えた。僕は晴美に東京にいて欲しかった。話は就職の話からノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎の話になった。僕が朝永名誉教授が湯川秀樹と京都帝国大学時代の同期生だったと話すと、晴美は嘘だと言った。僕は彼女に信用されていないのだと思った。また彼女は、田口安子が『K大学』の学生と付き合っていて、彼女に誘われ、『K大学』の文化祭に行くことになっていると話した。それを聞いて、僕はちょっと不安を感じた。僕の兄は〈陸の低能〉などと『K大学』の学生のことをけなしていたが、それは本心で無く、レベル差への羨望だと知っていた。僕も『中央文学』の同人で『K大学』の学生、荒木清貴に木下優子を奪われ、それを実感していた。だから僕は、晴美に、『K大学』の文化祭に行って欲しくなかった。だが、それに反対する理由も無かった。そんな雑談が終わると、晴美が、ダンスホールに連れて行って、ダンスを教えて欲しいと言った。僕は去年の自分の誕生日に晴美を連れて行った『コマダンス』に彼女を案内した。地下の窓口で入場券を買い、ロッカーに荷物を預け、中に入ると、広いホールで、沢山の男女が、生演奏の曲に合わせて踊っていた。僕たちはまず、ブルース曲から、抱き合って踊った。『夜霧のブルース』、『東京ブルース』など。晴美はあれからダンスを習ったのであろうか、随分、慣れて踊った。『再会』、『トゥナイト』、『あの丘越えて』、『テネシーワルツ』、『魅惑のワルツ』、『椰子の実』、『あざみの歌』『子犬のワルツ』、『ツィゴイネルワイゼン』、『ラ・クンパルシータ』、『東京ナイトクラブ』、『アヴェマリア』、『長崎の鐘』、『第三の男』、『水色のワルツ』など、晴美が嫌と言う程、踊ってやった。充分に踊り終えてから、僕たちは歌舞伎町から新宿大通りに移動し、『中村屋』に入り、オムレツライスを食べた。

「これ美味しいわね。今度、機会があったら作ってあげるね」

「うん。晴美ちゃんの料理、一度、食べてみたいな」

「一度だけじゃあなく、何度も作ってあげるわよ」

 彼女は、そう言って肩をすくめた。僕たちは、夕食を済ませると、帰路についた。何時ものように新宿から十条駅まで送って行った。十条の駅で下車し、ホームで僕の帰りの電車を待ちながら、晴美が言った。

「寒いわね」

「うん。本当に寒いな」

「寒気がするわ。具合が悪いみたい」

 晴美が身震いして見せた。ちょっと大げさな気がしたが心配になった。

「では、見送らなくて良いから、早く帰って寝なさい」

 僕は、そう言ったが、晴美は、僕の乗る電車が来るまで、ホームに一緒にいた。そして電車が入って来ると、またねと手を振って、改札口の方へ移動して行った。僕が車窓から手を振ると、晴美は弱弱しく微笑んで消えた。


         〇

 11月になると、学友たちの就職先が決まった。手塚は不動産会社、船木は生命保険会社、松崎は電気会社、芦田は静岡の商工会議所、僕は横浜の機械メーカーと、卒業後、別れる事になり、互いの青春を惜しみ、遊びに明け暮れした。僕は照代叔母に釘をさされているので、外泊やガールフレンドとの付き合いを少なくした。それよりアルバイトに精を出した。照代叔母の言うように『A電気』で一生懸命働いた。一生懸命、頑張れば、ボーナスを貰えるかも知れなかったからだ。学友たちは、アルバイトにボーナスを出す会社など何処にも無いよと言われたが、現実は照代叔母の言う通りだった。僕は12月初め、『A電気』から、給料1ヶ月半分のボーナスをいただいたので、びっくりした。考えてみれば照代叔母は妹の利江叔母から、それとなく耳にして分かっている事だった。僕をアルバイトに採用した『A電気』の総務部課長の喜一郎叔父から、暮れには特別に賞与を出してもらうよう、会社と交渉していると叔母たちは教えてもらっていたのだ。僕は、人の世話になりたくないと、東京に跳び出して来たのであるが、実のところ、このように親戚縁者に温かく見守られているのが現実だった。束縛されるのを嫌っていたが、結局は皆に操られて生きていた。独り立ちするには、どうしたら良いか。あと少しの辛抱だ。大学を卒業したら、独り立ちし、皆に迷惑をかけてはならない。叔母たちは、僕の事を家族や親戚の親心が分かっていないと思っているに違いない。もし身内の者か友人か恋人か、どれを重要視するかと問われれば、僕は友人、恋人を先に選ぶに違いない。自分を大事に思っていてくれる身内の者に感謝していながらも、友人や恋人にはいい男でいたいというのが、僕の願望だ。僕の見栄っ張りのところだ。だから反面、相手に冷たくされると、反発心が起こった。僕は寺川晴美からの連絡を待ったが、何故か、彼女から連絡が入らなかった。彼女の就職先が決まったのか知りたかった。手紙を出しても返事が無かった。僕は少し自棄ぎみになって、学友たちと『若菜病院』での忘年会に参加して、大いに飲んで楽しんだ。4年間の苦労話を告白し合い、来年の新しい旅立ちの抱負を発表し合った。久しぶりに『若菜病院』の船木の部屋に泊まり、深澤家に帰ると、利江叔母に、こっぴどく叱られた。親戚に行くか、勤め先の旅行以外に外泊しない従兄、忠雄や従妹、高子に較べ、僕は全くの不良だった。大学での単位取得勉強と就職活動から解放された僕は、兎に角、羽根を伸ばしたかった。だから年末の金曜日、『若菜病院』の看護婦、大橋花江からクリスマス・イヴに誘われると、僕は『A電気』の守衛所でタイムカードの打刻を済ませ、渋谷に向かった。都電の電車に乗って、渋谷に行った。渋谷駅界隈はクリスマスの飾りが飾られて輝き、通勤客と若者で、ごった返していた。ハチ公前に行くと、トレンチコートを着た背の高い大橋花江が手を上げて僕を呼んだ。

「吉岡さーん」

 僕は彼女に近づき彼女に訊いた。

「ごめん。待った?」

「それ程でも。先に食事に行きましょう」

「そうだね。でも、今夜は何処も混んでいるんじゃあないかな」

「いや、大丈夫よ。私、予約しておいたから」

「そう。気が利くんだね」

「何時も金曜日は満員盛況の店なの」

 花江がそう言って僕を案内したのは、宮益坂にあるイタリアンレストラン『トリエステ』だった。予想通り、『トリエステ』の中は混雑していた。僕たちは予約席に座り、まず、メリークリスマスと言ってビールで乾杯し、野菜、生ハムを食べながら、近況を話した。彼女は船木から聞いたのであろう、僕が横浜の機械メーカーに就職先が決まった事を知っていた。僕たちはパスタが出て来ると、夢中になって食べた。それからスープを飲み、テラミスの甘いデザートをいただいた。僕が顔を赤らめ良い気分になったのを見て、花江が僕を睨みつけた。

「嫌ねえ。吉岡さん。酔っちゃったの」

「いや。大丈夫だよ。じゃあ、ダンスに行こう」

 僕たちは『トリエステ』の精算を済ませると、宮益坂を下り、山手線のガード手前の映画館の地下にあるダンスホール『ハッピーバレー』に入った。以前、まだダンスを知らなかった頃、花江に誘われて、入るのを拒んだダンスホールで、その後、船木と元子と3人で入った事のあるダンスホールだった。新宿の『コマダンス』や新橋の『フロリダ』より狭かったが、ダンスホールの名前に相応しく、谷のような地下に真っ赤な花が咲いたようなダンスホールが待ち構えていた。僕たちは、そのダンスフロアに立ち、流れる曲に合わせ、いろんなダンスを踊った。ブルース、スロー、ワルツ、ルンバ、チャチャチャ、マンボ、ジルバ、タンゴなどなど。僕は波に乗るような3拍子の、ゆったりしたワルツが好きだった。何故なら、その強弱の優雅さがたまらななかった。連続スピーンなどを入れると花江がぴったりと腰を密着させ、気持ち良かった。だが若者の多くはジルバに熱心だった。横浜で流行し始めたハマジルを踊りたがった。僕たちも真似てみたりした。そして、踊り疲れると僕たちは『ハッピーバレー』を出た。それから道玄坂に移動し、以前、入った事のあるホテル『ムーンリバー』に入った。僕たちは、そこでも狭い部屋の中の可愛いシャンデリアを見上げながら裸で抱き合い踊りまくった。かくして僕の昭和40年も終わりを迎え、大晦日前に、僕は故郷に帰省する電車に乗った。


         〇

 昭和41年(1966年)元旦、僕は群馬の田舎で正月を迎えた。家族そろって、お屠蘇を飲み、お節料理をいただいたり、お雑煮を食べてから、男兄弟3人、そろって、近くの神明神社に初詣に行った。長い石段を登り、神社の境内に行くと、獅子舞の準備が始まっていた。僕は社殿の前で兄たちと3人で並び、思い思いの祈願をした。僕は1年の健康と4月から入社する会社での活躍を祈願した。初詣を終えると何となく清々しい気持ちになった。初詣を終えて家に帰ると、郵便配達員が年賀状を届けに来た。沢山の年賀の中に、僕の中学時代や高校時代の友達から僕宛ての年賀状が送られて来ていた。その中に小池早苗からの年賀状があった。

〈 吉岡昇平様

 明けましておめでとうございます。

 本年もよろしくお願い致します。

 私は現在、高崎の電気会社に勤めております。

 昇平さんの就職先、決まりましたか?

 近況を知りたいです。

 田舎に戻られましたら、私の家に電話して

 下さい。

 一度、会って、お話したいです。

 お会い出来るのを楽しみにしております。

               早苗   〉   

 僕はその年賀状を読んで、実家から、小池早苗の家に電話した。今まで近くの商店に出掛けて行って電話機を借りていたが、兄、政夫が就職して、収入が得られるようになり、実家にも電話機が設置され、便利になっていた。電話口に出た早苗とは長話せず、明日の午前10時過ぎの電車に乗って、高崎に行って会う事にした。そして翌日、僕は去年4月にオープンしたばかりの西松井田駅まで、兄、政夫に車で送ってもらい、そこから高崎行きの電車に乗って高崎に向かった。早苗は次の松井田駅から乗って来たが、人目につくといけないので、離れた席に座って高崎駅まで行って、改札口で合流した。

「おめでとう」

「おめでとう御座います」

「何処へ行こうか?」

「昇平さん、久しぶりに高崎の来たのでしょうから、観音様をお参りしましょう」

「うん。そだな。行ってみるか」

 僕たちは、寒い中、高崎駅前から満員バスに乗って、観音山の白衣大観音にお参りに行った。白衣観音前バス停でバスを降り、坂道を登って行くと、冬の晴天の中に高さ42mの白衣観音が手に巻物を持って、僕たちを見下ろし、よく来たわねと微笑してくれた。僕たちは観音様に手を合わせてから、胎内見学をすることにした。そして2人で、中に入ろうとする寸前、思わぬ2人連れに出会った。

「あらっ」

「おう。おめでとう」

「おめでとう御座います。これからお参りですか」

「うん。じゃあ、また」

 僕は、そう言って、手を繋いで去って行く2人を呆然と見送った。2人は寺川晴美と見知らぬ男だった。早苗も仲の良さそうな2人を見送り、僕に言った。

「あの2人、知っているの」

「まあね」

「寺川晴美ちゃんは高校の後輩だから知ってるけど、男の人は知らないわ」

「彼女のボーイフレンドだよ。それより中に入ろう」

 僕は、そう答えて、早苗の興味を白衣大観音の内部見学に誘導した。白衣大観音の胎内拝観料を支払い、僕たちは146段ある階段を胎内にある仏像や高僧の像を見ながら上り、9階まで登った。そこからは上毛三山や関東平野を見渡すことが出来た。僕たちは群青色の妙義山の奇岩の山容の向こうに白雪の化粧をしたなだらかな浅間の山容を見て、感動した。何と美しいパノラマか。白衣大観音の胎内見学を終えると僕たちは慈眼院を参拝し、参道商店街で、焼き饅頭と味噌おでんを食べ力をつけ、高崎市内に向かった。僕たちは烏川を渡り、それから何処へ行こうかと考えた。だが僕の頭の中は、昼前に、白衣大観音前ですれ違った寺川晴美のことで、頭がいっぱいだった。そんな僕に較べ、早苗はいろいろ考え、僕に提案した。

「昇平さん。喫茶店に行かないで、映画を観ましょうよ」

 気が虚ろだった僕は、直ぐに同意した。

「うん、そうだな。では銀座通りの方へ行ってみようか」

 僕たちは、高崎の繁華街を歩き映画館選びをした。僕は早苗に観たい映画を選ばせた。すると早苗が『東宝劇場』に入りたいと言うので、そこに入った。映画は『怪獣大戦争』と『エレキの若大将』の併映だった。映画館の中は正月とあって、ムンムンして満員だった。僕たちは息苦しかったが、入ってしまったので我慢した。目の前で上映されている映画は『怪獣大戦争』だった。内容は地球怪獣、ゴジラとラドンが宇宙怪獣キングギドラを撃退する物語で、X星人と地球人の戦争物語だった。宝田明と水野久美が出演する映画だが、子供たちに人気があった。その『怪獣大戦争』の映写が終わると、今まで座って観ていた客が立ち上がり、客席が空いたので、僕は急いで早苗の手を引っ張り、自分たちの席を確保した。15分すると『エレキの若大将』の上映が始まった。加山雄三演じるアメリカンフットボールの次期キャプテン、田沼雄一と星百合子が演じる楽器店に勤める星山澄子の恋の物語に僕たちは夢中になった。若大将、田沼雄一はエレキバンド『ヤングビーツ』を結成し、他のチームと10週連続勝ち抜きエレキ合戦の優勝争いなどして、波乱万丈。更にアメリカンフットボールの試合では、残り8秒前で逆転勝利。それを見て、早苗が僕の手を、ギュッと握り締めた。映画は主人公、雄一の自宅、スキヤキ屋『田能久』も再建し、その再オープン祝と優勝祝賀パーティを兼ねて、宴会は大盛り上がり、そこで加山雄三が『君といつまでも』を唄った。そして上映の幕が下り、映画館内が明るくなって、僕たちは慌てて手を離した。僕たちは、すっかり満足し、『東宝劇場』を出て、喫茶店『プランタン』に入り、コーヒーを飲んだり、ナポリタンを食べたりして、今年の抱負について話したりした。僕は4月から都内から横浜の会社に通い、自分の夢に向かって頑張ると語った。早苗は、出来たら、また東京で働いてみたいと語った。

「私が、東京へ行ったら駄目かしら」

「東京での厳しさが分かっていて、また上京するなら良いけれど、また前と同じようなことを繰り返すとなると大変だよ」

「大丈夫よ。昇平さんが近くにいてくれれば」

「僕のような男とつきあったら後悔することになるかもしれないよ」

「何故?」

「僕は時々、小説家になる夢を見るんだ。その為、或る日、突然、ルンペンになるかも」

 僕が、そう言うと早苗は泣きそうな顔になった。しばらく沈黙が続いた。そして早苗がポツリと言った。

「昇平さん。貴男から見て、私ってつまらない女かしら」

「そんなことは無いよ。早苗ちゃんは、笑顔が明るくて、一緒にいて楽しいし、安心していられる」

「では、私、また東京へ行くわ。東京へ行って、昇平さんと一緒に夢を掴むわ」

「君といつまでもか?」

 僕は、そう言って、早苗をからかった。早苗は2度、小さく頷いた。僕たちは話が尽きると、『プランタン』を出て、家路に向かった。高崎駅から松井田駅まで電車で移動し、松井田駅から自宅まではタクシーで早苗の家経由で帰った。


         〇

 田舎で3ヶ日を過ごし、僕は再び、東京に戻り、1月5日、『A電気』に初出勤した。初出勤ということで、初顔合わせ後、本社の屋上で、社長の年頭の挨拶を聞き、それから部署に戻り、斎藤設計部長と中沢技術部長の訓示を聞いて、昼前に仕事は終わりだった。野村みどりや関野尚子たちは和服姿で出勤していて、何処かに遊びに行きたいみたいで、僕と望月剛史と進藤武夫を遊びに誘った。僕たちは今迄、お世話になった女子社員たちなので、渋谷に行って、食事をすることにした。天現寺橋の都電34系統の電車に乗り、渋谷橋、並木橋などを経て、渋谷駅に到着し、僕たちは、何処へ行こうか迷った。僕はそこで、大橋花江に連れて行ってもらった宮益坂のイタリアンレストラン『トリエステ』に皆を案内した。すると野村みどり、関野尚子、真田千春の3人はびっくりした。

「流石、『М大学』のプレイボーイね」

「よせやい。進藤君だって同じ『М大学』だぜ」

 僕が、そう言うと、進藤武夫は、顔を真っ赤にして、反論した。

「俺は工学部だから、吉岡君と違うよ」

 それから、メニュー選びになり、僕たちは スパゲッティを注文した。彼女たちは和服が汚れるといけないからと言って、マルゲリータを頼んで分け合った。食事をしながら、僕たちは2月いっぱいで会社を辞め、4月から次の就職先に勤務すると話した。望月は『N電気』に、進藤は『L電子』に、僕は『オリエント機械』に就職すると説明した。3人とも神奈川県の勤務で、彼女たちと遠くなるので、彼女たちは寂しがった。こうして僕はたちは『A電気』の人たちと別れる事になった。『A電気』の人たちだけではない。『М大学』の学友とも別れの時が近づいていた。僕は高崎の白衣大観音前で会った寺川晴美の事が気になり、ラブレターを書いた。

〈 愛しの晴美。

 君を夏のひまわりの花に喩えようか。

 君は明るく美しく、その上、優しい。

 僕は君への胸の思いのやり場が無いので、

 告白する。

 僕は僕は君を愛す。

 僕は永遠に君を熱愛する。

 僕は君が大好きだ。

 愛している。愛している。

 本当に心から愛している。

 信じて欲しい。心底から愛している。

 お願いだから信じてくれ。

 今こそ今こそ信じてくれ。

 僕は君に認められることによって、

 はじめて幸福になれるのだ、

 僕は美しい君の事を一生愛すべきだと思う。

 隠しておこうとした僕の恋心は隠しきれない。

 真夜中の秘密は早く知られてしまった方が良い。

 白昼にさらされた方が、その隠匿の罪は

 ずっと軽くなる。

 おおっ、この僕の気持、君に分かるか。

 可愛い晴美。僕は君が好きだ。

 どうか便りをおくれ。

              昇平    〉

 そると直ぐに寺川晴美からの手紙が送られて来た。僕は心を躍らせ手紙を開封した。そこには、こう書かれていた。

〈 吉岡昇平様

 お元気ですか。

 シクラメンやポインセチアの花々が東京の街角を飾っています。

この間は、高崎の白衣大観音前で、突然、お会いしてびっくりしました。

小池早苗さんと楽しそうでしたね。

 私もボーイフレンドと一緒だったので、驚いてしまいました。

本来ならお会いして、どんなボーイフレンドなのか説明すべきなのでしょうが、貴男を不愉快にさせるのではないかと思い、手紙で説明させていただきます。

彼は安子ちゃんたちとグループ交際している『K大学』の学生の1人です。

去年の秋から私と個人的付き合いを始めるようになりました。

貴男に黙って他の男の人とお付き合いを始めた私は悪い女です。

誠実な貴男を裏切り大変、申し訳なく思っております。

こんな私は、貴男に相応しい女ではありません。

私のことは忘れて下さい。

私の事を冷たい女と思われても仕方ありません。

これ以上貴男を傷つけることの無いよう、お別れさせていただきます。

貴男が夢に向かって御精進なされ、仕合せを掴みますよう心から祈っております。

では、さようなら。 

              寺川晴美    〉

 僕は、手紙を読んで愕然とした。僕の抱いていた夢の一つが砕け散った。僕は彼女のアパートに押しかけようと思い悩んだが、彼女の心情を思い、諦めた。この世に女は星の数程いるから、心配することはない。僕は、残り少ない大学生生活の消化に邁進することに心を切り替えた。


         〇

 学年末試験を終えると、僕たちの大学での授業は無くなった。僕はその事から、お世話になった人たちへの挨拶巡りを実行した。衆議院第二議員会館の『尾形事務所』へ行き、『オリエンタル機械』に就職することになったことを報告し、次の尾形先生の選挙の時は、声をかけてくれるよう依頼した。すると矢野五郎秘書は、僕の代わりに、僕より一つ年下の『W大学』の弁論部で、船田宗行の後輩、古川俊貴を採用することになったから安心して次の仕事に頑張ってくれと励ましてくれた。船田助手は田島道子と、まだ尾形事務所で頑張ると言った。2月末には、お世話になった『A電気』の寺島係長、菊池係長や藤原律子たち女性陣に送別会を開いてもらって、『A電気』を辞めた。それから、田端の俊夫叔父に言われ、『オリエント機械』に入社前の挨拶に訪問したりした.そして、3月末、姉の結婚式があったが、僕は『М大学』の卒業式を優先した。3月25日の金曜日、僕は久しぶりに『М大学』の仲間、船木や手塚たちと、桜の枝の蕾がピンクに色づき初めた九段の北の丸公園にある『日本武道館』の前で合流した。僕は船木たちと初めて『日本武道館』の2階座席に座り、『М大学』の卒業式に列席した。総長告辞の後、学位授与式で、親友、安岡則彦が商学部の最優秀成績者として卒業証書を授与したのにはびっくりした。その後、来賓の祝辞、卒業生の答辞、『М大学』の校歌斉唱で、卒業式は終了した。僕たちは『日本武道館』前で、記念写真を撮影してから、駿河台の『М大学』の教室に行き、担当の清村教授から卒業証書を受け取った。

  群馬県   吉岡昇平

 本大学商学部商学科の課程を修め学士試験に

 合格したことを証する

  昭和四十一年三月二十五日

   『М大学』

    学長  法学博士 小出廣二

    学部長 商学博士 麻生平八郎

 僕は卒業証書をいただき、配られた紙の丸筒に卒業証書を仕舞い、やっと次の段階に飛び立つことが出来ると思った。群馬の片田舎から東京に出て来て4年間、病気になったりしながら、アルバイトで学費や生活費を稼ぎ、有名大学を卒業出来たことは、深澤家をはじめとする周囲の人たちの協力もあったが、何としても卒業してやるんだという、自分の執念が実を結ばせたのだと、自分で自分を誇らしく思った。級友も同様だったに違いない。高宮城英子も、ほっぺたを真っ赤に染めて、僕の顔をみて笑った。僕たち男性陣は大学生時代の友情を忘れぬ為に、友の会を結成し、グループ名を『モエテル』と決めて、別れた。かくして僕の大学生生活は終了した。


         〇

 えっ。その後、寺川晴美とはどうなったかだって。

彼女とはその後、1年ほど、会っていなかった。だが或る日、突然、何処から僕の住所と電話番号を聞きつけたのか、祐天寺の僕が暮らす『春風荘』に彼女が電話をかけて来て、僕に会いたいと言って来た。彼女は『春風荘』に来たいと言ったが、僕は断り、彼女と渋谷の喫茶店『フランセ』で会った。彼女は、そこで、結婚の話を切り出したが、僕は一生独身で通すつもりだからと、結婚の話には乗らなかった。彼女と渋谷駅で冷たく分かれた。それ以来、彼女とは会っていない。振り返れば晴美と出会い、僕が青春に経験した喜びや悲しみは、ちょっとした青春の風のそよぎでしかなかった。覆水盆に返らず。さらば苦悩した青春の日々よ。


   〈 振り返れば風のそよぎ 〉終わり

 




 





         




 


 

 

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