7.踏み出した一歩
「で? どうするつもりだ?」
ネモは考えを整理していく。
女神の国に行ってみたい、そう考えた途端、ネモの思考が透明感を増した。
「まず知りたいのは、女神の国に行くにはどうすればいいんですか?」
「門がある。世界同士をつなぐ時空連結ほにゃららだな。そこを潜ることで女神の国に行ける」
「場所は?」
「帝都の近くだ。もちろん、帝国が管理してる」
ネモはなんだかワクワクした。
こういった陰謀じみたことを考える、というのがほとんど初めての経験だった。
「俺が吹っ飛ばして強行突破って手もある」
「それだと後々問題が起きますよね?」
「それもまあ、全部吹っ飛ばしてやってもいい」
「それじゃダメです。わたしはそういうのは好きじゃありません」
「言うね」
「言います」
帝国と交渉して女神の国へ行くのは難しいだろう。
ネモの作る作品に本当に価値があるなら、それを使って帝国と交渉できる可能性もあるかもしれない。ただ帝国は恒久的にネモを利用することを望んでいるはずだ。ネモの作品に本当に価値があるからこそ要求が通らないという可能性は否定できない。
それになんだか嫌な予感がするのだ。
定期的にネモの作品を帝国にわたすという条件で女神の国に行く契約が結べたとしても、それは反故にされるか、あるいはネモが思いもよらない形で良くない結果を生む気がした。
理由は説明できない。
ただ気がしただけだ。
しかし、ロイが言っていた通り、直感を大切にすべきだとネモは思った。
帝国はどこか怪しい。
それがネモの直感が告げた答えだった。
そうなるとアーキ密教か。
アーキ密教の狙いは交流の断絶だ。
ネモを女神の国送りにすることで交流に変化が生まれる可能性はある。
女神の国へ行った暁には、こちらの世界と交流を中止させるようにネモが動くのだ。
どうだろう、と思う。ネモは未だに自らの価値に自信が持てていなかったし、そのような活動をして相手にされるかもわからない。
それ以上に、アーキ密教は危険な集団だ。
事実、帝国の人間だったルドルフが躊躇なく殺されている。
人間の首がねじ切れる様子は、今もネモの脳裏に焼き付いていた。
当たり前に人間を殺せるような集団に与するのは違う気がした。
そんな集団に女神の国に送るように交渉したところで、ネモの要求を受け入れずに拘束することを目論むことになるかもしれない。
そうなったらロイ頼みになる。
ロイが守ってくれなかったらそれはろくでもない事態になるし、守ってくれたとしてもろくでもない事態になりそうだ。
ロイに目を移す。
無精髭は剃らないのだろうかと疑問が浮かぶ。
危険という観点から見れば、このロイ・フューリーだって似たようなものかもしれない。
さきほどは、おそらく本気でネモを殺そうとした。
ネモが本心以外を口にしたら本当に実行に移しただろう。
とても正気とは思えない。
それでも今はおそらく味方だ。
そこには――これも勘だが――不思議な確信があった。
さきほどの件もネモが間違った道に進まないように脅したのかもしれない。
わからない男だった。狂気に侵されているのか、計算しているのか。
飄々として粗暴な態度は素なのか、それとも仮面なのか。
ネモはこのロイ・フューリーという男を測りかねていたが、アーキ密教よりはまともだと信じたかった。
となると、消去法で女神の国と接触するしかなかった。
「女神の国と帝国の交流は、今はどのような形で行われているのですか?」
「あー、互いの世界に使節団を送り合ってるんだったかな。今この世界でも女神の国の人間が視察を行ってるって話だ」
「接触できますか?」
「女神の国の人間を頼って亡命するのか?」
「場合によっては」
そこで、ネモの脳裏にあるひらめきが奔った。
不吉な予感とも言える考え。
「待ってください。その使節団の人たちには護衛がついているのですか?」
「そんなのは知らん」
「さっきの、その、”声”という人は、アーキ密教の中でもすごく強い人なんですよね」
「たぶんな。いつでも聖戦できるぞって帝国に脅しをかけるために、同格のやつが他に四人はいるはずだが」
「またわたしを襲ってくると思いますか?」
「それはどうかな。来るとしたら次は四人同時だが、俺がいる限り来ないかもしれん」
「じゃあ、彼らは次にどこを狙いますか?」
「なにが言いたい?」
「アーキ密教の方々は、帝国と女神の国の交流を止めたいんですよね?」
「ああ、そういうことか。それならまあこっちに来てる女神の国の人間を狙うのが早いだろうな。無差別に殺して危険な世界だと認識させてもいいし、さらって交渉の道具にしてもいい。一歩間違えりゃ世界同士の大戦争かもしれんが、奴らはそれこそお望みかもしれん」
「守れますか?」
「あん?」
「女神の国の使節団を、ロイさんが、アーキ密教の手から」
「くだらん。帝国だって馬鹿じゃない。んなことせずとも事故が起きないようにはしてるだろ。今のところ帝国は連中の技術がほしいんだ。満足するまでは万が一も起きないように丁重にもてなすだろうよ」
ロイはそう言うが、ネモは納得できなかった。
少なくとも、本当にどういう体制が取られているかは確認したいと思った。
ネモの勘が、そうすべきだと伝えていた。
「それを確認する手段はありますか?」
「注文の多い嬢ちゃんだな。まあしゃあない」
言って、ロイは何もない虚空に呟いた。
「ルク、来い」
ネモとロイの間、何もないはずの空中に突如淡い光が現れ、それがなくなったかと思うとそこには妖精がいた。
手のひらサイズの小さな妖精だった。金色の長い髪をふたつに分けている。服装は白いワンピースのようなものだったが、それには薄っすらと不思議な光沢があった。
妖精は現れるなり、ロイに向かって叫んだ。
「ざっけんじゃないわよ!! あんた二ヶ月も放っておいていきなりどういうつもり!!」
ロイはそれには答えず、ネモのことを指でちょいちょいと指し示した。
妖精はロイの指を追ってネモの姿を目にした。
鬼のような形相はすぐに「げ……」といった表情に変わり、それから露骨に取り繕った笑顔になった。
「お客さんなの? こんにちはー」
「あ、はい、こんにちは」
ふわふわと浮かぶ妖精はそれだけ言ってからロイに向き直り、
「で、いきなりなんの用なの? ふざけた要件だったらその目に蹴り入れるわよ」
絵本に出てくる妖精そのものの愛らしい風貌だったが、その口調はチンピラそのものに聞こえた。
「悪いが用があるのは俺じゃない。この嬢ちゃんだ」
「そうなの?」
「え?」
妖精がネモの顔をじっと見つめる。
妖精の小さな相貌が不思議な光を湛えて、前髪に隠された瞳を覗き込んでくる。
「ふーん、固有能力持ちなの。この子なんなの?」
「今話題の嬢ちゃんさ」
「話題の、なに……? なんもわからないんだけど」
「えっと、この妖精さんはなんですか?」
「こいつは俺の寄生虫だ」
妖精が勢い良く飛んでロイの眼球を蹴ろうとした。
ロイは首をのけぞらせ、それをわけなくかわした。
「アタシはルク。一応コイツの相棒よ。コイツが殺し合い担当。アタシはそれ以外担当ってわけ」
「コイツに頼めば女神の国の使節団についてもわかるかもしれん」
「なになに? なんの話?」
事態を説明するには、最初から話さねばならなかった。
ロイがルクにここ最近の世界情勢について語った。
その中にはネモが知っていることも多かったが、まだ知らないこともあり、改めて話を聞く意味があった。
「ふーん、じゃあこの子が今最も熱い女の子ってわけなんだ。いいじゃん」
「その、えーと、女神の使節団の人たちがどうしてるかってわかりますか?」
「アタシを誰だと思ってんの。ちょっとかかるかもしれないけど、調べて来るから待ってなさい。もう行ってもいいのよね?」
「ああ、頼んだ」
ルクが淡い光に包まれて、現れた時と同じように消えてしまった。
ネモは眼をぱちくりさせてルクがいた空間を見つめている。
「どこにいったんですか?」
「妖精界さ。女神の国とは違って、この世界の裏側みたいな場所だ。そっから色々調べるんだろうよ。しかし嬢ちゃん固有能力持ちだったのか」
「えっと、まあ、そうです」
「なんだよ、さっきまでの嬢ちゃんはどこいった?」
「さっきってなんです?」
「もっとハキハキ喋ってただろうがよ、人が変わったみたいに」
「えっと、あれは、その……」
まったくの無意識だった。
思い返せば、いつもと違ってすらすらと話せていた気がする。
それに、ロイというほぼ初対面の人間を相手にしても、緊張せずに話していた。
そのことが今更恥ずかしくなってしまい、ネモは顔が紅潮するのを感じた。
「なあ嬢ちゃん、一応聞くが戦闘経験はあるか?」
「せ、戦闘!? 戦いってことですか!? な、ないですよそんなの」
ロイは愉快そうにクックと笑う。
「一つ面白いことを教えといてやろう。職人としての才能はわからんが、嬢ちゃんにはどうやらもっと別の面白い才能がありそうだ」
「才能……? わたしに……?」
「俺の勘だがね」
「なんの才能ですか?」
「それを教えちゃ面白くないだろう」
話を終えるつもりなのか、ロイは切り株から立ち上がった。
ネモを見下ろすようにしながら、クックと笑って言う。
「まあ、これから起こるゴタゴタでだんだん自分ってもんがわかるだろうよ」