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56.わたしに出来ないすべてのこと


 帝都は祭りの様相を呈す。

 なにせ、聖戦があるのだ。


 直接関わる者にとっては非常に重要な儀式であるのだが、一般市民にとってはそうではない。

 

 伝説でしか聞いたことのない聖戦が実施されるとなっても、要は闘技場コロシアムでの殺し合いだ。

 極めてハイレベルな。


 しかも、請願の内容は「女神の国との平和な交流を」であった。

 皇帝に侵略の意図があるなどとは知らない市民からすれば、正直な話なんのこっちゃであった。

 だからこそ、市民たちはこの聖戦をこのように理解した。

 これは、祭りだ、と。


 プライマの市民にとっては、これほどの娯楽もない。

 娯楽の少ないプライマの人間からすれば、闘技場での戦いは最高の娯楽のひとつだ。

 国中の貴族が観覧席に殺到し、残りの席の取り合いに市民が熾烈な争いを繰り広げた。


 このお祭りムードにかこつけ、商人は山程の露店を展開して帝都はいまだかつてないほどの盛り上がりを見せた。

 商売の相手は無数にいた。貴族や市民はもちろん、冒険者もその対象となる。

 聖戦といえば、帝国が誇る五戦士が戦うことになる。

 冒険者や修行者、腕に覚えのあるものたちが、その戦う様を一目見ようと集まってきた。

 

 街中では昼間から酔っぱらいが騒いでいた。

 怒鳴り合う声が聞こえていた。

 物が飛ぶ音。

 いつの間にか殴り合いの喧嘩が始まる。

 叫び声に笑い声、囃し立てる声が響いている。


 警備の兵が駆けつける。

 兵士に殴りかかる馬鹿がいる。

 街の一画で大騒ぎが始まる。


 聖戦の当日。

 帝都の様子はどこまでも陽気で、活気に満ち溢れていた。


***


 いくら聖戦と言えど、控室を豪華に飾り付けたりはしない。


 ネモたちが入る控室は、闘技場コロシアムに元からある控室そのままだ。

 申し訳程度に椅子が置いてあるだけの無骨で無機質な部屋で、ネモとシラユキ、サザンカとロイ、そしてルインの五人は、その部屋にいた。


 闘技場で戦うのは、死刑囚と相場が決まっている。

 市民の娯楽として死刑囚同士を戦わせて勝ったら恩赦を、というのが闘技場の役割だ。

 だから、控室は死刑囚が使うものと想定されている。

 故に不必要な飾り気など存在しないのは当然であった。


 もうすぐ、時間が迫っていた。


 誰も話してはいない。


 なにしろ、これから命がけの戦いをするのだから。


 サザンカは装備の点検をしている。

 ルインはネモが見ていることに気付くと、落ち着いた微笑みを浮かべた。

 ロイは壁に背を預け、ネモの方を見ていた。


 誰かが死ぬかもしれない。

 自分も死ぬかもしれない。

 それなのに、ネモの心は不思議と落ち着いていた。

 

 どんな形で終わるにせよ、ここが自分の旅路の果てなのだろう。

 必ず決着がつく。そのことがネモを冷静にさせているのかもしれない。


 兵士が控室に入ってきて、しばらくしたら闘技場内の観覧席に移るようにと伝えて出ていった。


「さて、いよいよだな」


 ロイはえらく上機嫌だった。

 これから命をかけた戦いをするとはとても思えないほどに。

 

「それじゃあ嬢ちゃん、檄でも飛ばしてくれや」

「げき、ですか?」

「おうよ。指揮官が兵の士気を上げるための演説さ」


 演説。

 かつてのパーティーが思い出される。

 はるか昔の出来事であった気がした。


 ロイの言葉で、部屋中の視線がネモに集中した。


 もう、恥ずかしくはなかった。


 かつてのネモなら、喋れなくなってしまったかもしれない。


 今は違った。

 全員の視線を真っ向から受け止め、怯まずに顔を上げていられた。


「わかりました」


 ネモは小さく咳払いをした。


「こうしてわたしが挑む聖戦に――――いや、そんなに堅苦しい仲ではないかもしれませんね」

 

 ネモは自重するように微笑んだ。


「けど、感謝の気持ちは伝えたいです。わたしはあくまでも陶器職人で、今でもそれ以上ではありません。戦うこともできませんし、知識もあまりありません。一人で生きている人間に比べれば、未だに半人前もいいところだと思います。これからそんなわたしが挑む聖戦が始まります。ここまで来られたのは、みなさんのおかげです。わたしに出来ないすべての事を、みんなが助けてくれたから、わたしはここまで来られました。そのことにお礼を言いたいです」


 プライマでの日々を、ミューズでの日々を、ネモは思い出していた。


「たぶん、三人の戦士だけで挑む聖戦は、馬鹿げたものだと思います。誰か一人負けただけで通らない請願なんて、神話の時代から数えてもなかったと思います」


 部屋にいるすべての人間が、ネモの声に耳を傾けていた。


「勝ち目は、薄いかもしれません。それでも、これは意義のある戦いになると思っています。勝っても負けても意味のある戦いになると、わたしは確信しています」


 ネモはサザンカを見た。

 その目には、決意の光が宿っていた。


 ネモはルインを見た。

 かつてゲートで出会った時とは気配が違う。

 一抹の不安も抱いていない、アーキ教が唱える勇敢そのものの姿がそこにあった。


 ネモはロイを見た。

 緊張感も決意も感じられない、普段通りのロイの姿があった。

 初めて会った時となにも変わっていない、無精髭で飄々とした佇まいでネモを見ている。


 誰にも死んでほしくはないと思った。

 こうしてネモを信じて着いてきてくれた人に。

 しかし、それを口にするのは違う気がした。

 だからネモはこう言った。


「それでも、勝ってください」


 部屋の空気が、変わった気がした。


「勝つわよ、もちろん。私の肩にネモの命までかかっているわけだしね」


 そう言ってサザンカは笑った。


「女神様、この前の約束を覚えておいでですか?」

「その、側に置いてというお話ですよね」

「そうです。僕は女神様のために戦って、自分のために戦います、負けませんよ」


 もしかしたら、自分が一番影響を与えた人物は、このルインという人間なのかもしれないとネモは思った。

 ゲートにいた人物とは、別人に見えた。


「悪くない。皇帝の五戦士より士気は上かもしれんな」

「ロイさんは意気込みみたいなのないんですか?」


 ロイはいつか見せた、獰猛な笑みを浮かべていた。


「言ったろ、殺し合いは専門分野だって。俺は単に勝つだけさ」



***


 闘技場内の観覧席は、壁をくり抜いた窪みに作られている。

 ネモたちは、そこで待機していた。


 一般の観覧席には何千という観客の姿が見えたが、結界によって声は聞こえなかった。


 ネモたちがいる反対には、明らかに皇帝専用と思しき造りの玉座じみた席があった。

 そこに、皇帝がいた。


 ネモを、見ている。

 金色の瞳が、ネモの紫の瞳を見つめていた。


 ネモは、皇帝の視線を正面から受け止めた。


 大陸を統一している覇王と、田舎の陶器職人見習いでしかなかったネモの視線が交差していた。


 聖戦が、始まる。

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