52.抹消者
玉座から、金色の瞳が見下ろしていた。
「まさかこんな形で相見えようとはな、ネモフィラ・ルーベル」
紫の瞳は、目をそらさずに、しっかりと皇帝を見つめていた。
そして宣言する。
「ネモフィラ・ルーベルは、ローグ・フォン・シュテルン、ウェザー・コンマイト、ロイ・ヒューリーの三名の後援を受け、閣下に聖戦を挑みたいと存じます」
裏で話は決まっているのだ。
だから、これは茶番に過ぎない。
「よかろう。汝が聖戦を受けよう」
玉座の間で、ネモと皇帝が対峙していた。
前に無理やり連れて来られた時とは違う。
顔を上げ、少しも臆さず、ネモは宣戦布告をした。
「して、要求は?」
「ミューズとの平和な共存を」
「わざわざ願うようなことか?」
「二度もさらわれて幽閉されるのは望みませんので」
周囲の兵士がざわめいたのを、皇帝は片手をあげて制した。
「面白いな、あの時とは別人だ。いったいなにがあった?」
「この瞳は、主に逆らい弱きを守るためのものです」
「女神の化身気取りか? それとも本当にそうなのか?」
「実のところ、最近わたしにもわからなくなる時があります」
皇帝が笑った。邪悪なものはなく、ただ愉快そうに。
「約束しよう。お前が勝てたら望む通りにしよう。誤魔化しはなく、お互いが繁栄し手を取り合えるように全力を尽くそう」
「ありがとうございます」
近くの兵士に退席するように促され、ネモは踵を返した。
玉座の間から出て、広い廊下を歩く。
宣誓の儀式に挑んだのはネモだけだ。
ロイたちは下の控えで待機していた。
ネモが何気なく歩いていると、柱の影から少年が歩み出てきた。
「やあ」
陽気な、それでいて不吉を孕んだ声だった。
少年は銀色の髪と、赤い瞳をしていた。
ネモは聞いたことがある。魔と交わった者は、そのような容姿をしていると。
「見てたよ、さっきのやり取り。不敬罪が怖くないのかい?」
「キミは……?」
「キミって、もしかして年下に見える? これでも三十は超えているんだけどね」
見えなかった。
目の前の少年は、どう見ても二十を超えているようには見えない。
「まあ、若く見えるのはいいことかもしれないけどね」
周囲に誰もいないことに、ネモは今更ながら気づいた。
「抹消者、といえば誰かわかるかな?」
少年はネモの表情からすぐに察したらしかった。
「わからないか、まあしょうがないね。僕はキミのせいで戦わされる五人の戦士のうちの一人さ」
「なぜそんな人がここに?」
「君を襲うため」
冷たい風が吹いたような気がした。
本気で殺されるかと思った。
背筋は冷え、逃げ出すために動くこともできず、ただ固まったままなにもできなかった。
「冗談だよ。単にキミを間近で見に来ただけさ。別にそんなことはする必要ないし、したらしたでまあまあ面倒なことになる」
抹消者は、ネモの紫の瞳を覗き込んでいた。
「気に入ったよ実に美しい。目の奥が恐怖で濁っているね? 臆病者の瞳だ」
見透かされたのか、それともハッタリか。
ネモは意思の力を奮い立たせて口を開いた。
「儀式は終了したので、用がないなら失礼させていただきます」
「そうやって気丈に振る舞うのもかわいいじゃないか」
銀髪に赤い目だったが、その姿は獲物を見つけた爬虫類を彷彿とさせた。
「聖戦に勝ったら、キミをもらうとしよう」
なにを言っているのか理解できなかった。
「わたしも聖戦に参加するんです。帝国が勝ったならわたしは生きてませんよ」
「戦えるようには見えないけど」
「戦えませんよ」
「意味不明だね」
抹消者は、どこか不服そうだった。
「じゃあ、助けてあげるよ。キミが死にそうになったら。それで勝ったら、キミを僕のものにしてあげよう」
「お断りします」
「キミの意思は関係ないよ。僕がそうするって決めたんだから」
「失礼します」
話しても無駄だと思ったし、それ以上話したくもなかった。
ネモは得も言えない嫌悪感を味わっていた。
魂がこの人物を拒否しているような、そんな感覚だ。
どこが嫌だと言えないのに、全てが嫌だと感じた。
「楽しみだよ、キミがどんな悲鳴をあげるのか」
少年のように陽気なのに、不気味にしか思えない声。
ネモは声を無視して歩いた。
声の主は、それ以上は追ってこなかった。
下の階に降りて、ロイたちと合流してもしばらくその声は頭を離れなかった。
抹消者。
嫌な予感をさせる名前だった。