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41.愛のため


 夜の公園は静かだった。

 等間隔に配置された街灯の光と、頼りない月光が道を照らしている。

 夜の鳥が鳴いていた。

 秋の虫が鳴いていた。

 風は微かに肌寒く、道沿いの木から落ちる葉を目にしたりすると、わけもなく寂しい気分になる。


 ネモとツツジは、ふたりで公園の道を歩いていた。

 夜になると人もほとんどおらず、公園の夜を独占しているような気持ちになる。


 いつもならしゃべりっぱなしと言ってもいいツツジが、今日は口数が少なかった。

 ネモはそれはそれで構わないと思いながら歩いていた。

 たまにはこういうのも悪くはない。

 話していなくても、同じ時間を共有している心地よさがあった。


 池沿いの道を歩いているときだった。


「ここ……」

「どうしたの?」

「たぶん、ツツジさんと初めて会った場所ですよね」


 ツツジは周囲を見回すが、


「ここかはわからないな」

「ここですよ、覚えてますもん」


 視界に入っている木の配置と池の見え方が記憶に残っていた。

 そして、道端だというのに膝をついて落胆するツツジの姿も。

 ネモは思い出して笑ってしまった。


「あの時のツツジさん、膝をついて……」

「やめてくれよその話は。意地悪だな」

「だって面白かったんですもの」

「僕は絶望してたよ、あれだけ美しい人にもう二度と会えないんじゃないかと」


 ツツジはたまにこういった物言いでネモをからかう。

 お世辞にしたって恥ずかしく、ネモは顔を背けながら歩いた。


「そういえばあの時一緒にいた女性はどうしたんですか?」


 ネモとしては意趣返しのつもりで聞いた。


「ああ、もう会ってないよ」

「会ってない? どうしてですか?」

「だって、ネモはそういうの嫌いだろ?」

「嫌いってわけじゃないですけど」

「ネモと知り合ってから女友達とは一切会ってないよ。嫌われたくないからね」

「そんなこと、しないですけど……」


 ツツジを見ると、そこには冗談のかけらもない真摯な瞳があった。

 ネモは再び顔をそらしてしまった。


 冗談なのか、本気なのかわからなかった。

 ネモはツツジとは友人のつもりでいる。

 ツツジにとって、ネモは大勢の友人のうちのひとりであるはずだ。

 そのはずだ。

 なんだか話しづらい空気になってしまい、ふたりは無言のまま歩いていた。


「ちょっとそこで休まないかい?」


 池沿いの見晴らしの良い場所にベンチが置かれていた。


「いいですよ」


 ふたりは腰掛け、夜空を見上げた。

 街灯の明かりのせいか、満天の星とはいかず、輝きの強い星だけが見えていた。

 プライマの夜空に比べると、ずっと星が少なく感じた。


「こっちの世界はどうだい?」


 心を読まれたのかと思った。


「いきなりどうしたんですか?」

「いやさ、ネモの世界の夜空はどうだったのかな、って急に思って」

「ここから見る夜空よりはずっと星が多かったですね。ミューズは夜でも明るすぎますもの」

「プライマは違うのかい?」

「違いますよ。プライマでは暗くなったらもう寝るんです。魔導ランプなんて便利なものは流通してないんです」

「健康的で良さそうじゃないか」

「でも、やっぱり不便だと思います」

「そうかな?」

「そうですよ、ツツジさんも体験してみればわかります」

「いいね、行ってみたいな、ネモの故郷に」


 その言葉に、ネモは鼓動が跳ね上がるのを感じた。


「ミューズの方がいい場所ですよ」

「でもプライマにもいいところはあるんだろ?」

「それは――――」


 プライマには、あまりいい記憶がない。

 けれども、それはプライマが良い場所ではないからなのだろうか。

 違う気がした。

 プライマでは、ネモはなにもしなかった。

 おどおどして、怖がって、ずっとひとりでいた。

 悪かったのは世界ではなく、臆病なネモだったのかもしれない。


「わかりません」

「ネモはずっとこっちにいるつもりなの?」

「どうしてですか?」

「いやさ、もし戻る機会があるなら、また護衛でもいいから僕もちょっと行ってみたいなって」

「今のところはそんなに。それに向こうはきっとツツジさんが思ってるよりも危ないですよ。モンスターだっていますし」

「男の子としては胸躍るね」

「危ないですよ! 死んじゃうかもしれないんですよ!」

「でも、僕だって腕には結構自信あるんだけど」

「危ないものは危ないです。平和にこしたことないですよ、ぜったい」

「そういうものかな?」

「そういうものです」


 一時的に会話が途切れた。

 

 なにか――――


「ねぇ、ネモ」

「待ってください」


 なにかがおかしい。


 ネモは感じた違和感の正体を探そうとする。

 見える範囲には、人が誰もいなかった。

 いつの間にか、夜の鳥が鳴くのをやめていた。

 虫の声も、聞こえなかった。


 またこの感覚だ、とネモは思った。

 猛烈に嫌な予感がした。

 ネモの嫌な予感は当たるのだ。

 ロイは、ネモに隠れた才能があると言っていた。

 それは、このことなのかもしれないと思い始めていた。

 ネモの予感は、必ず訪れる災いに反応する。

 ネモは突然の不幸を招く、特別な才能があるのかもしれない。


 ネモは立ち上がった。


「ちょっと、ネモ、どうしたんだい?」


 ツツジも立ち上がり、ネモの視線の先を追った。

 池とは逆側の、木立の中に、人影があった。


「恐ろしく感のいい子だね」


 女性の声がした。


 軽鎧を着込んだ男と、木製の杖を持った女の、ふたりがそこにいた。


 ツツジが即座にネモを庇うように前に出た。


 ネモは全身が泡立つのを感じた。恐怖に胸が重くなった。

 

 ミューズの人間は複合素材を使っていない金属製の軽鎧など着ないし、魔女のような木製の魔法杖を持ったりもしない。


 プライマの人間だ。


 いったいどうして。


――――色々と気をつけろ。


 ロイはそう言っていた。


 その色々が最悪のタイミングに姿を現していた。


「坊や、邪魔しないでくれるかしら?」


 魔女が言った。


「姫を守るのは騎士の役目でね。君たちみたいな怪しい見た目の人とは関わらせないんだ」


 魔女はおどけたように笑った。


「あら、こっちの世界にも騎士がいるの?」

「こっちの世界?」


 ネモは、ツツジのうしろから囁いた。


「ツツジさん、プライマの人間です」


 魔女は言う。


「私達は女神の国に連れ去られたネモフィラ・ルーベルを救出に来たの」


 ツツジが背中越しに語る。


「そうなのか?」

「うそです!」


 ネモは小さい声に精一杯の感情を込めていった。


「どうやら貴方は悪い魔女のようだ。悪い魔女は退治しなくちゃね」


 ツツジの背中から爆発的な戦意を感じた。

 やり合う気だ。

 ツツジは両の手を僅かに上げる。左右の指にはめられた四つの指輪から、パリパリと弧状の光が漏れ出した。


「あらやる気なの?」


 魔女が杖を構えた。

 軽鎧の男は短剣を抜いて腰を沈めた。


「ツツジさん! やめてください! 死んじゃうかもしれないんですよ!」

「愛のため以上の、命をかける理由はないよ」


 その言葉に、ネモは不吉を感じた。


「冗談さ。僕がやつらを撃退したら、話を聞いて欲しい」


 無言の一秒が過ぎ、二秒が過ぎ、ツツジがいきなり突貫した。

 一足飛びで距離を詰め、さらなる一歩で加速した。


 短剣の男が迎撃に入る。


 ツツジは左手を振るい、はめられた二つの指輪から光とともに破裂音が聞こえ、


 短剣の男はそれを狙った。


 ツツジの左手に、短剣が突き刺さった。


 信じがたいことに、ツツジはその左手をさらに押し込んだ。


 手の甲から短剣の刃が飛び出すのが見えた。


 男が短剣から手を離した時には既にもう手遅れであった。


 ツツジの右手が男の腹部を捉え、眩い閃光とともに男が痙攣して動きを止めた。


 魔女がその隙を狙った。魔女の前に突如炎の壁が出現し、それが波打つようにツツジを狙い、


 ツツジは男を盾にして炎の波に突っ込み、


 苦しげな女性の悲鳴が聞こえた。


 すべては、一瞬の出来事だった。


 倒れ伏すふたりの人間と、左手を血に染めたツツジが立っていた。


 覚悟で勝ったのだろう。ネモにはそう見えた。

 捨て身の気迫で相手を圧倒し、実力や数の差が表面に出る前に決着をつけた。

 ツツジが戦っているところを、ネモは初めてちゃんと見た。

 名うての護衛、というのは嘘ではなかったのを確信した。


 ツツジが弱々しい笑みを浮かべていた。


「どうだい? 僕の――――」


 僕の、のあとになにが続くのかは、最後までわからなかった。


 ツツジの左から、魔法と思しき光球が激突した。


 ツツジは声すらあげられずに吹き飛んだ。


 そのツツジを追う、三つの影が一瞬だけ見えた。


 ネモは悲鳴をあげたい恐怖を飲み込み、めちゃくちゃになった感情を強引に制御して、声を張り上げた。


 それが最善だと思ったから。


 それ以外に、ツツジを助ける方法はないと思ったから。


「待ってください!!」


 強く、落ち着いた声が出た。


 三つの影が、動きを止める。


 魔弾の激突で発生していた煙が静まった。


 そこには、三人の黒ずくめをした、男か女かもわからない何者かがいた。


「帝国に連れて行ってください」


 ネモは言う。


「抵抗はしません。大人しく従います。だからこれ以上あの人になにもしないでください」

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