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4.鍵となる人物


 かくしてネモフィラ・ルーベルを求める勢力がいくつも誕生したわけである。


 ところで、当の本人がなにをしているかと言えば、ニコニコ顔で猫を撫でていた。

 今泊まっている宿屋の近くにいた猫だった。

 一日目は撫でようとしても、まるで相手にされずに逃げられてしまった。


 ネモは無策ではだめだと考え、二日目に魚の干物を手土産にすることで、ようやく猫様を撫でる権利を得たわけだ。

 ネモは干物をかじる猫を機嫌を損ねないように優しく撫で回す。


「美人さんだねー」


 毛艶のいい白黒の猫だった。人馴れしている様子から野良というより、どこか近くの家の飼い猫なのかもしれない。

 猫は魚の干物を食べ終わると、ネモの顔を一瞥して「にゃーお」と「なーお」の中間のような高い鳴き声を上げて足早に去っていった。

 満足したネモは立ち上がって宿へと戻ることにした。

 

 ネモは帝都を目指す旅の途中だった。

 今のところ旅は順調と言えた。

 

 工房があったペインズの村は田舎も田舎である。

 ペインズから帝都までは、女の足では二ヶ月以上はかかる。

 ネモは一週間をかけて近くにある町までたどり着き、そこで帝都へと向かう商隊を見つけて便乗することにした。


 商隊によっては然るべき料金を払えば人を運んでくれるところも多い。ネモは運良くそういった商隊を見つけることができたのだ。

 多少の費用がかかるとはいえ、旅程の短縮は結果的にそれ以上の節約になるし、護衛もなしに女の一人旅は無理があるのでこれを利用しない手はなかった。

 出発は三日後で、それまではこの町に滞在して、単に時間を潰さなければいけない。


 そういうわけでネモはのんびりと猫を撫でていたわけである。

 やるべきことをサボっているわけではなく、合法のなでなでだ。


 ネモが宿に戻ると、その姿を目にした宿のおばさんが威勢のいい声で叫んだ。


「ああ! ちょうど良かったよ! この人がお嬢ちゃんを探してるって」

「え?」


 いきなりのことに、ネモはそれだけしか言えなかった。

 ネモは自分を探している人、と言われても思い当たる相手が誰もいなかった。

 工房の誰かが自分を連れ戻しに、ということはまさかあるまい。


 宿のおばさんが示したのは、宿屋の酒場になっている区画に座っている男性だ。


 知らない人だった。

 一番手前のテーブル席に座って、ネモに向かってにこやかに微笑んでいる。

 随分な美男子だった。見た目で言えば歳は二十の半ばか、それとも若く見える三十代かもしれない。

 綺麗に整えられた髪に服装も非の打ち所がなく、その姿はまるで物語の王子様のように見えた。

 

 そんな姿を見ても、ネモの頭には疑問しか浮かばなかった。

 こんなに立派そうな人がわたしに何の用だろう?

 だから、ネモがその人に向かって言った第一声は、


「あ、あの、人違いじゃないですか?」


 であった。


 それを聞いて男は笑った。


「ネモフィラ・ルーベルさんですね?」

「は、はい」

「では、人違いではありませんよ」


 そう言って男は立ち上がった。


「帝国軍皇帝直属第四近衛部隊隊長、ルドルフ・ニーベルスタンです、以後よろしく」


 言ってルドルフは胸元の勲章を見せた。

 ネモにはそれがどのような勲章なのかわからなかったが、おそらくは帝国での身分を表す勲章なのだろう。


「え、え、あの、ネ、ネモフィラ・ルーベルです」

「はい、知っていますよ」

「すっ、すいません!」

「謝らなくていいですよ、少しお話させていただいてよろしいでしょうか?」

「よ、よろしいです」


 めちゃくちゃに緊張した。

 こんなに偉そうな人がなぜ自分に接触してきたかがわからない。

 いくら理由を探しても、ネモには皆目検討もつかなかった。

 ネモは平凡極まりない人間であり、探されるような理由がわからない。

 なにかあったのでは、と記憶を振り返ったが、ここ最近で自分がした良いことも悪いこともなにも思いつかなかった。


 強いて言おうとしても本当になにもない。

 ということは自分が知らないうちになにかしでかしてしまったのかもしれない。

 ネモは急に怖くなった。

 知らないうちに罪を犯して帝都に連行されたりするのではあるまいか。


 ルドルフは宿屋のおばさんを一瞥してから、


「込み入った話になるので、そちらの奥の席で話しましょうか」


 ルドルフが奥の席へと移動して、ネモもそれに追従した。

 ネモはそれほど広くない酒場の一番奥、壁際の席に座るように促された。


「あ、あの、わたしなにか悪いことしちゃいましたか? 逮捕、とかそういう……」


 それを聞いてルドルフは声を出して笑った。


「いや失礼。わざわざそんなことで私が出てきたりはしませんよ。順を追って説明しましょうか。ネモフィラさんは女神の国についてはご存知ですか?」

「は、はい。伝承にある、女神様が作った国ですよね?」

「今帝国は、その女神の国と交流を始めています」

「え?」


 ルドルフの顔は、至極真面目に見えた。からかっているようにはとても見えない。


「おとぎ話ではないんですよ、女神の国は。しばらく前に女神の国へと繋がるゲートが開いて、帝国は女神の国と交流を始めることに成功しました。ここまではいいですか?」


 話が突拍子もなさすぎて理解するのに時間がかかった。

 女神の国が伝説ではなく実在した。

 そして、帝国は女神の国との交流を開始している。

 その二つを飲みこむのに、たっぷりと十秒は時間を要した。


 ルドルフは自分の言ったことがネモの頭に浸透したと判断したのか、再び説明を始めた。


「女神の国は、初めは帝国との交流に乗り気ではなかったようです。しかし、帝国の粘り強い交渉の末、なんとか向こうの使節団をこちらの世界に招くことができました。そうして先日、両世界の繋がりを祝う式典が行われました」

「え、えっと、それがわたしとなんの関係があるんですか?」

「帝国は昔ながらの作法に則って、三品の贈りを行いました。お互いが三つの贈り物を贈り合う儀式ですね。そこで女神の国は帝国が出したあるものに強い関心を示しました。なんだと思いますか?」

「え、えっと、武器とかですか? 帝国の武器は世界一って言いますし」

「いいえ、答えは美術品です。彼らは芸術に強い関心を持っているようなのです」


 ネモはそれを聞いて、なんだか素敵だな、と思ってしまった。

 女神の国は、伝承に言われる通りの弱者にとっての理想郷なのかもしれない。

 

「中でも、ある品は女神の国の大使に一際強い関心を与えました。それは、ベース・プラギット、あなたの師匠の作品として世に出たものでした」


 それで得心がいった。このルドルフという人は、ネモの師匠について聞きたいのだ。


「師匠のことなら分かる範囲でお教えできると思います」


 ルドルフは首を横に振った。


「そうじゃないんですよ。ベース・プラギットには秘密がありました。彼は、弟子の作品を自分が作ったものと偽って世に出していたのです」


 ネモはその言葉に衝撃を受けた。

 しかし、その言葉を否定するかと言えば、そんな気にはなれなかった。

 ネモにとってはベース・プラギットは、女でしかも紫色の瞳をした自分を弟子にしてくれた大恩ある人物であるが、そういったことをしても不思議ではない器質が確かにあった。

 弟子の作品を自分の作品として、という話は嘘だと思えず、驚くほどすんなりと納得できてしまった。


「女神の国が入れ込んだ作品は今のところふたつ。その両方がベース・プラギットの名義で発表されたものですが、これに見覚えはありませんか?」


 そう言ってルドルフは懐から一枚の紙を取り出した。

 紙には、薄い翡翠色をした花瓶が描かれていた。底部は球形で、先端が花を一輪だけさせるような口になった花瓶だ。

 ネモはその絵を見て目を見開いた。 

 それはネモが固有能力ユニークスキルで作成した記憶のある花瓶だった。


「その顔は見覚えがあるのですね、ではこれは?」


 ルドルフはもう一枚の絵が取り出した。

 そこには藍色をした皿があった。

 表面は藍色の枠に白い背景。そして中央には桃色の睡蓮が描かれていた。

 それもネモが固有能力ユニークスキルで作成した記憶のある皿だった。


「あ、あります…… 見覚えが……」

「これらはあなたが作ったものですね?」


 ルドルフの雰囲気が変わった。

 どうしてそう感じたかはわからないが、ルドルフを包む空気がやわからなものから威圧するようなものに変わった気がした。


 確かにそれらはネモが作ったものだった。

 ネモはもちろん固有能力ユニークスキルを使わなくても陶器が作れる。工房で二年以上修行したのは伊達ではない。

 ただ、固有能力ユニークスキルで作ったものの方が質が高いのは歴然だ。

 なにせ、イメージしたものが寸分の狂いもなく作れるのだ。

 ネモは固有能力ユニークスキルについては隠してきた。

 師匠以外には誰もそのことは知らない。

 だから、どう答えればいいか迷った。


「答えていただけませんか? なにか不都合でも?」


 なにがとは言えないが、ネモはこの短時間の会話でも、ルドルフに対してどこか信用がおけないような印象を持っていた。

 あるいは、ルドルフ個人に対してではなく、帝国に対しての信頼がないからなのかもしれない。


 帝国と女神の国が交流を始めている。それだけを聞くと喜ばしいものに思える。

 しかし、なぜそこまで交流したいのかをぼかしているのはなぜなのだろうか。

 それに、女神の国側は初め、交流に消極的だったとルドルフは言っていた。

 それはつまり、帝国側が強く交流を望んでいるということだ。

 それはなぜか。

 友愛のためではまさかあるまい。今までの帝国の行いを知る限り、そうは思えなかった。

 政治のことなどまるでわからないネモではあるが、なんだかきな臭い香りを感じていた。


「いえ、その……」

「帝国には極めて優秀な占い師がいます。その占い師がこれらはあなたの作品であると特定したのですよ。ここにあなたがいると見つけたのもその占い師です」


 ルドルフの様子からして、ネモがなんと答えようが肯定しか受け付けないのは容易に想像できた。

 ネモは観念し、固有能力ユニークスキルについてはぼかして話すことにした。


「わたしが作ったものです。その、たまたまうまくできたものだと思いますけど……」


 ルドルフはニコリと笑ったが、その目は笑っていないように見えた。


「偶然は二度も続かないのですよ。あなたは女性ながらとても優秀な職人です。そこでようやく本題ですが、帝国はあなたを雇いたいと考えています」


 優秀な職人、そんな風に言われたのは初めてだった。

 恥ずかしいし、嬉しい。

 ネモは口元が緩まないように努力しなければならず、褒められたあとにはなにを言われたっけ、と思い返す必要もあった。

 ネモは戸惑いがちに答える。


「わたしを、帝国がですか?」

「帝国が、あなたをです。なに、難しいことをしてくれというわけではありません。あなたは今まで通り自分の作品を作ってくれればいいのです。帝国は最高の環境に最高の報酬を約束します。どうでしょうか?」


 どうでしょうかと聞いてはいるが、断ったら強制連行されそうな威圧感があった。

 ネモごときがなにをしようが無駄だとは思った。それにこの話はネモにとってそこまで悪い話でもなさそうだった。

 悲しいのは、どうも本音のところでは帝国側がネモの作ったものに、美術的な価値をあまり感じていなさそうなところだった。


 おそらく、女神の国の人物がネモの作品を気に入ってくれたというのは本当なのだろう。

 帝国側がネモに価値を見出しているのは、女神の国が気に入った作品を作っているからだ。

 そこだけが、残念なところだった。

 女神の国がネモの作品をどれだけ評価しているかわからないが、要するにネモは交渉を少しでも有利にするために利用されるのだろう。

 たかが陶器職人見習いが影響など与えるとは思えないし、帝国も本当のところでは思っていないのかもしれないが、ほんの僅かにでも可能性があるならそれをしようという算段なのだろう。


「わかりました」


 ネモは、そう答えた。

 諦めが半分、打算が半分での答えだったが、それ以外にネモができることはなさそうだった。


 ルドルフはその答えを聞いて満足気に頷いた。


「よろしい。後悔はさせませんよ。では早速帝国に向かいましょうか。馬車は用意していますので」

「早速って、今からですか!?」

「そうです。急いでいますので」


 ルドルフが立ち上がった。

 ネモもそれについていく。


 どうやらネモは帝国直属の陶器職人になるらしい。

 ベース工房では最後まで下っ端で、しかもクビになった職人である自分が、いきなり帝国でトップの職人として扱われるらしい。


 まるで現実感がなかった。


 ネモはルドルフについていきながらほっぺたをつねってみる。


 いたい。


 どうやら夢ではないらしい。


 宿から出たところで、さきほどの猫がネモを見て「なーお」と一声鳴いた。


 さっきまで、その猫を撫でてのんびりしていたのが嘘のようだった。

 今まで自分が立っていた地面が実はすべてガラス張りで、それがいきなり割れて落下しているような気分。

 

 それにしても、とネモはルドルフを見て思う。

 なんと言っていたか細かくは思い出せないが、ルドルフは皇帝直属の近衛であると名乗っていた。

 そんな人物をわざわざネモに対してあてがうなど、帝国は女神の国に対してよほどご執心らしい。


 自分で作っておいてなんだが、陶器ひとつで何かが変わるとはネモには思えない。

 ネモが思う良い作品というのは、部屋にあることでたまに眺めて少しいい気分になるようなものだ。

 そんなものが、政治のような真面目な舞台での判断に影響を与えるとはどうしても考えられないのだ。


 そこにこれだけの労力を割くとはどういうことなのか。

 つまり、帝国は本気なのだ。

 どんな要素であれ、ほんの僅かにでも有利になる可能性があるならそれを追求する。

 そのためには手間を惜しまない。

 それだけ女神の国との交流に力を入れているのだ。


 どうしてそこまで入れ込むのかはわからない。

 ルドルフに聞いても、本当の答えは返ってこないような気がした。


 なんにせよ、ネモにはどうしようもない問題だ。


 ずっと田舎の工房で過ごしてきたネモにとって、ふたつの世界がどうの、という話は想像するのすら難しかった。

 そんな巨大な世界の流れの中では、ネモは大河を流れる木の葉のようなものだった。

 流れに身を任せるしかない。


 それでもやっぱり、ネモは自分の作品がふたつの世界に影響を及ぼすなんてとても考えられなかったのだけれど。



***


 

 ネモは全くの思い違いをしていた。

 帝国としては、ネモフィラ・ルーベルこそが女神の国との交流の鍵になると考えていた。

 だからこそ近衛最強と名高いルドルフ・ニーベルスタンを遣わせたのである。


 自分が大河を流れる木の葉ではないということを、ネモは間もなく知ることになる。

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