34.見捨てられぬ性分
『ザクロ社はグの国で最大の貿易会社であり、またミューズでも最大規模の陶器製造を商っている企業でもあります。そして代表のザクロ氏は、ネモ様の作品をオークションでふたつも落札しており、現在個人でネモ様の作品の最多所持者でもあります』
シラユキからの情報のあと、珍しくユリからも注文があった。
「ネモぴ、ちょっとだけ気を使ってもらえると嬉しいかな。うちは他国での流通に弱点があってね。この会社とはちょっとお近づきになりたいワケ」
「わかりました」
ザクロ氏は、大柄な男であった。
縦にもでかいがそれ以上に横にでかい。
歳は五十前後だろうか。顔つきからは尊大さがにじみ出ていて、長い間高い地位にいたのが容易に感じられる。
「ザクロ様、本日はお越しいただきありがとうございます」
ネモは簡単な会釈をした。
「おお!! これはこれは! ワシの方こそ招いてもらってありがたい!」
身体に響くような大きな声だった。
以前のネモであったら、この声だけで萎縮してしまったかもしれない。
「それにしても実物はさらに美しいな! どうだワシの嫁にでも? ワシは独身でな!」
ネモはなんと答えればいいか分からず、ユリの方を見るとその顔は笑っているが引きつっていた。シラユキを見れば無表情ではあるが、それはシラユキが最も不快感を顕にしている表情にほかならなかった。
ネモが困っているのを察したのかザクロはガハハと笑った、
「冗談だ! ワシのようなオッサンがネモフィラ殿のような若いのとはな!」
「はは……」
とネモは力なく笑った。
失礼にならないか心配であったが、ネモの中でこの人は苦手だという意識が芽生えていた。
「ワシはネモフィラ殿の大ファンでな! 知っているかもしれんがNo.13とNo.17はワシの手元にある」
違和感。
目の前の大男は笑っていて、気前のいい声でネモに好意的な言葉を向けているように思える。
「こうして直接顔を合わせるのは始めてだが、同じ芸術に携わるものとして、これを縁に是非とも関係を持ちたいものだな」
「そうですね」
これで良いんだよね? という目線をユリに送る。
事前に商売に関係する話があるという時は、適当なタイミングで話をユリに引き継ぐことに決まっていた。
ユリがハッと気付いたような仕草を見せてからザクロに挨拶をして、そこから先は商売の話へと入り込んだ。
おかしかった。
目の前の男は笑いながら話し、時折ネモを意識した視線を寄越すことがある。
そこから感じる感覚は、この会場では初めて味わうものだった。
それは敵意であり、悪意だった。
どうしてそれがわかるかは、やはりわからない。
それでも、この相手にはネモの直感が警鐘を鳴らしていた。
気のせいかもしれない。
ユリとの会話を耳にしているかぎり、ザクロは友好的であり、ルーベル社が必要な時はザクロ社の流通ルートを利用することに前向きであると述べている。
ネモの予感はなんとなくでしかない。
感情の表し方、というのは人それぞれだろう。
もしかしたら、ネモがなぜか違和感を感じてしまうような雰囲気を持っているだけの人なのかもしれない。
ユリは話を終えたようで、ネモに合図を送ってきた。
それに合わせてネモは言う。
「それでは、我々は次の挨拶に参らなければなりませんので」
「ああ、また会えることを楽しみにしているよ」
違和感は最後まで消えることがなかった。
ザクロから離れた後も、粘着くような視線を背後に感じているような気がした。
***
ネモは正直疲れていた。
慣れない衣装で、慣れないお偉方との会話で、体力というよりも気力がごっそりと持ってかれていた。
「ちょっと席を外してもいいですか?」
そういったネモにユリは察してくれたのか、
「挨拶周りも一段落したし、少し休んでも大丈夫かな」
と言ってくれた。
ホールを出るとガラッと人がいなくなる。
こうして人がいない状態でじっくり観察すると、借りた会場の質の良さがよくわかった。
高い天井、豪奢な絨毯、凝った造りの階段といかにもお金がかかっていそうだ。
ネモはトイレに入った。
ここならば突然話しかけられる、ということもないだろうからだ。
ネモはふとプライマのことを思い出していた。
この世界のトイレはとても清潔で、入るにしろ不快な気分はまったくない。
トイレで休憩する、という行為が、プライマでは考えられなかったことだ。
一息ついて、あまり席を外しているのもおかしかろうと外に出たところだった。
トイレは、奥まった廊下の途中にある。
廊下には、人がひとりだけいた。
その男は、ネモに気付いて目を輝かせていた。
あの男だ、とネモは思った。
ネモが舞台上から挨拶をする時、入り口付近でネモにウィンクを送った男。
淡い茶髪でえらく整った顔の、儀礼用の軍服のような真っ白な服を来た男だった。
「やあ、やっと話すチャンスができたね」
男はにこやかに笑っていた。
屈託のない、見るものの警戒心を解すような笑み。
それを見て、ネモは逆に警戒した。
「ど、どなたですか?」
見ると、男は胸に警備員を示すバッジをつけていた。
ということはユリが雇った警備グループの一員なんだろう。
「あれ、僕のことわからない?」
ネモは怪訝そうな顔で男の姿を改めて見る。
美男子なのは間違いないだろうが、どこか軽薄そうだった。
警備員の紹介などされていないし、見覚えもまったくない。
わからないかと聞かれれば、わからないとしか言いようがない。
「わかりません」
ネモははっきり言った。
すると男は少し残念そうな顔をして、
「そっか…… 名前はともかく、会ったこと覚えててくれてないかなーって思ったんだけど」
「会ったこと?」
「そう、一年以上前かな? 首都の公園でさ……」
と男はそこで言い淀んだ。
一年前、首都の公園。
首都の公園には何度か行っているが、目の前にいる男のような人物と会ったことがあっただろうか?
ネモは記憶を漁る。
男、公園、会ったことがある。
そこで、ネモの頭に引っかかるものがあった。
ネモに声をかけてきた男が確かにいた。
ナンパ男だ。
女を侍らせていたくせに、その女たちを放ってネモたちに食事をしないかと誘ってきたとんでもない男だ。
顔など細かくは覚えていないし、服装がまるで違うのでそのあたりはなんとも言えないが、雰囲気だけで言えばあの時の男と一致する。
「あのナンパの人……!」
「ナンパのって…… まああんまり言い訳は出来ないけど……」
と男は申し訳無さそうにする。
「でも覚えててくれて嬉しいよ。僕はツツジ。ツツジ・ハーティーチ。警備の依頼が来た時は驚いたよ。こんな縁があるのかって」
ツツジは嬉しそうに笑っている。
ネモはそれでも警戒していた。
またナンパされるかもしれない。
ツツジもそれに気付いたのか慌てた様子で、
「そう警戒しないでよ、今日は仕事中だしナンパなんかしないって」
「……本当ですか?」
ツツジは肩をすくめ、
「信用してよ。いやさ、ネモフィラさんの姿が報道された時はほんとに驚いたよ。あの時の子だ! って。キミみたいな美人を忘れるはずないからね。映像でキミを見た時からもう忘れられなくて、なんとかもう一度お近づきになれないかーーって思ってたらなんとルーベル社から警備の依頼が来たわけさ。これぞ運命ってね」
ツツジは本当楽しそうにしていた。
ネモとしては本気なのか冗談なのかよくわからなかった。
ツツジは絶対に遊び人だ。公園での記憶が徐々に戻ってきた。
あの時は、公園のベンチで二人の女性といちゃこらしているのを見て、えらく軽蔑した記憶がある。
今、その時の気持ちがネモに戻ってきていた。
「こんなところで油を売っていていいんですか? 仕事中なんですよね? 警備の」
「そう、仕事中さ。今の僕の仕事は会場の安全を守ること、客人方の安全を守ること、そしてこのパーティの主催であるネモフィラ・ルーベル様を守ることさ。だからここにいるんだ」
屁理屈を、とネモは心の中で憤慨する。
ユリあたりがこういった冗談を言っても笑っていられるが、こういった軽薄そうな男性に言われると不真面目だという気分しかわいてこなかった。
「じゃあわたしは会場に戻ります」
ネモは踵を返して大股で会場へと戻ろうとした。
するとツツジは慌てて、
「待った待った待った、戻ってもいいけどその前にひとつだけ!」
ネモは背を翻してツツジに向き直る。
「なんですか?」
そこでツツジはニヤリと笑って言った。
「連絡先だけでも、教えてくれない?」
「やっぱりナンパじゃないですか!」
「ナンパだよ。だってこんなチャンス二度となさそうじゃないか」
ツツジは悪びれずに言った。
よくもまあ、こんなに臆さず堂々と声をかけられるものだとネモは関心する。
見た目がいいから失敗した経験がないのか、それともそういった性格なのか。
いずれにせよ、ネモは仕事中にナンパをするような人間の相手をするつもりはなかった。
人間、見た目より性格だとネモは思う。
「どうかな? 連絡先」
ツツジはさきほどよりも自信がなさそうに言う。
それに対して、ネモはキッパリと答えた。
「嫌です」
「そこをなんとか! 連絡先だけでいいんだ……!」
ツツジの気配から、それがまるで命に関わるような重大な問題であるかのような真剣さを感じた。
ネモはよくもまあそんな事にそこまで真剣になれるものだと半ば呆れながら再度言った。
「い・や・で・す」
一瞬の間を置いて、ツツジの目から涙がポロポロとこぼれだした。
半笑いのような表情のまま、瞳だけが別の意思をもっているように涙がこぼれていた。
驚いているのは、ネモよりもむしろツツジ本人のようであった。
「え? は!? うそだろ!?」
そう言いながら、袖で必死に涙を拭っていた。
涙を拭い終わったツツジは、本気で恥ずかしそうにしていた。
「すまない、見ぐるしいところを見せて。僕にもちょっとなにがなんだか、こんなのは始めてで。大人しく仕事に戻ることにするよ」
そう言って肩を落とし、とぼとぼと会場に戻ろうとするツツジは、枯れかけのヒマワリを連想させた。
ネモはその姿が、あまりにも哀れっぽく見えた。
「待ってください」
ツツジの反応は遅かった。
無視して歩いているのかと思いきや、もしかして自分に対して声をかけているのか、と気付いて振り返ったのが見え見えであった。
振り返ったツツジは完全にしょげかえっていた。
顔には一縷の望みを抱いているのがわかったが、同時に期待すればそれが叶わなかった時によりダメージを受けるぞ、と懸命に期待しないようにこらえているのまで伝わってきた。
それがさらに哀れっぽさを強調していた。
ネモは捨て猫には餌を与えるし、枯れそうな花には水をあげてしまうタイプである。
「わかりました、教えますよ、連絡先くらい」
「ホントかい!?」
ツツジは花開くように笑い、はしゃぐのを抑えきれない子供のような足取りで戻ってきた。
「はい」
ネモはそれだけ言って端末を取り出した。
ツツジはネモの端末に自らの端末を重ねて、ピっと連絡先が交換された音がした。
ツツジは端末を、果てしない冒険の末に手に入れた秘宝かのように目の前に掲げて見入っていた。
それからネモの目をしっかり見て、
「ありがとう」
とだけ言った。
「いずれ連絡するよ! さすがに仕事に戻らなくちゃね!」
ツツジは言って足早に会場へと戻っていった。
あまりにも哀れで情に流されてしまった。
けれども、その後の結果を見るに、教えるぐらいしても良かったのかなと思った。
連絡先を教えただけだ。
その後連絡があっても答える義務まで生まれたわけではないと思う。
軽薄そうな男には気をつけろ、とユリに教わっていた。
***
会場に戻ると、雰囲気が変わっていた。
ダンスが始まっているのだ。
中央部のテーブルがかたされて大きなスペースができ、そこで何組もの男女が踊っていた。
ネモはユリとシラユキがいる場所を見つけて近づくと、
「ちょっとネモぴ長すぎだってば!!」
とユリに小声で怒られてしまった。
ダンスの誘いは、すぐに来た。
ネモは教わった通り、エスコートされ、客人の前で練習の成果を見せた。
ネモを踊りに誘う男性は、皆洗練されていて、あくまでも社交の一部として互いにステップを踏んでいた。
ネモは何人もの男性と踊った。
踊りながらも、ネモは心ここにあらずだった。
ネモは、泣いていたツツジを思い出していた。
あんな風に情けなく泣いている男を、ネモは初めて見た。