33.挨拶まわり
挨拶が終わってからは、食事と歓談を楽しむ時間となった。
ホールには静かな音楽が響き、各々が交流を楽しんでいる様子であった。
この時のネモの仕事はといえば、ひたすらに来客への挨拶をすることだった。
サザンカとシラユキを伴い、来客へと順に挨拶まわりをするのだ。
ネモが歩くと客人の注目を集めたが、皆が挨拶回りの最中だと知ってわきまえているのか、みだりに話しかけてくるような相手はいなかった。
『次に挨拶する方は、ダレルグループの会長のシラカバ様です。ネモ様もダレルグループの製品は使用なさってますよね。生活用品から軍需産業まで魔道具のほとんどに関わっている会社です。シラカバ様について知っておいていただきたいことは、ネモ様のNo.7の落札者だということですね。趣味で美術品に目がなく、リの国随一と言っても良いコレクションの持ち主で、ネモ様の作品にも多大な興味を持っていると思われます』
ネモの右耳には小さな魔道具がはめてある。これによってシラユキの念話が聞けるのだ。
次に挨拶する相手の情報をこれで受け取っていた。他にも会話の最中にネモが知らないような事柄が出るとそれについての解説を行ってくれたりもする。
ネモたちがシラカバ老に近づくと周囲はそれを察したのか、会話を中断してシラカバ老から離れ、近くには側近だけが残る形になった。
ネモの姿を目にしたシラカバ老は「おお!」と声を上げる。
「シラカバ様、本日はこのような催しにお越しいただきありがとうございます」
ネモが恭しく頭を下げる。
「いやいや、儂の方こそわざわざ招いてもらって感謝しとるよ」
シラカバ老はいかにも好好爺といった風体だった。
薄くなった白髪に、豊かな髭をたたえ、体型は年の割にはふくよかで、常にニコニコとした笑みを貼り付けていた。
「先程の挨拶も見事なもんじゃったよ。はて、ネモフィラ嬢はおいくつだったかな?」
「今年で二十になります」
「ほほほ、お若いお若い。儂の孫と同じくらいじゃの。その歳でそれだけ堂々としてるとは立派なもんだ。うちの孫などはまだ学校でだらだらしておるというのに」
「普段は自宅の工房で気ままな作品づくりをしているだけなので、わたしも似たようなものですよ。シラカバ様はわたしの作をお買いいただけたようで、光栄でございます」
「ああ、あれは素晴らしい品じゃった」
そこでシラカバ老は顔を曇らせ、
「しかし、あれについては困ったことがあってな」
ネモはドキリとした。
その出来にはそれなりに自信があったが、お気に召さないところがあったのかもしれない。
ネモは自身の不安が顔に出ていないことを祈った。
「困ったこと、とは?」
「置き場所じゃよ」
「置き場所?」
老人は深い笑みを浮かべて笑った。
「自慢だが、儂は数多の美術品を蒐集しておる。しかしの、そんな美術品とネモフィラ嬢の作品を一緒に置いておくわけにはいかんでな。一緒にしておくと、他の美術品が色褪せて見える」
それは、称賛だった。一瞬遅れてネモはそのことに気付いた。
「あ、ありがとうございます」
「ところで、未発表の作品はどれくらいあるのかの?」
「それは……」
ユリの様子を伺うが無反応であった。必要であれば答えてくれるはずなので、今ははぐらかすべきなのだろう。
「蒐集家の中でも噂になっておるよ。作品名の番号が飛び飛びなのは、失敗作も数えているのか、それとも未発表作があるのか、とな」
シラカバ老はなにかの駆け引きをしているつもりはないのかもしれない。
おだやかな口調で、ゆったり笑って、孫に日常のどうでも良い話を聞こうとしているかのようであった。
だから、ネモは答えてしまった。
「気に入らない作品には、名前をつけないことにしているので」
「もう誰かの手に渡っているのかね?」
「いいえ」
「では、いったい誰に譲る気なのかな?」
「それは……まだ決まっていません」
ほほ、と老人は笑った。
「賢明だが、怖い子だ」
「怖い、ですか?」
「人の欲、というものは恐ろしいものさ。もしそれらを上手く利用すれば、かなりのことができるはずだ。貴方がそれを悪用しないことを願うよ」
不思議な老人だった。ネモはどうしてか好感を抱いた。
リの国の経済を牛耳っていると言ってもいい大物とは思えなかった。
次に印象に残った相手は、リュー博士であった。
次元研究の権威で、その研究の成果から、この世界でも有数の大富豪であるらしい。
なにより驚いたのは、リュー博士があのロイ・ヒューリーの知り合いであるということだった。
「ロイさんから面白い子だって聞いてたけど、さてはとんてもない美人だって話なのかな? あの人も案外俗っぽいね」
「ロイさんを知ってるんですか?」
「知ってるとも。ボクは色々な研究をしていてね。自分で言うのもなんだけど特に次元の分野には一家言あってね。彼を見つけてからいくらか研究の協力をしてもらっているんだ」
「研究?」
「違った世界からの来訪者、というだけでボクにとって研究対象だからね。しかも彼はさらに特殊だ。地下闘技場の話は聞いたかい?」
「いえ、詳しくは」
「じゃあ知らない方がいいかな。とにかく彼はこの世界の不具合とも言える存在だ。興味は尽きないよ」
ロイはパーティには来ていない。
サザンカの判断だ。ネモとしては残念ではあるが、仕方のない判断、という気もする。
あのロイがこの優雅なパーティーにいる姿はちょっと想像できなかった。
「それに、ボクはキミにも興味があるね」
「わたしに、ですか?」
ネモはドキリとする。
「同じく違った世界からの来訪者だ。それだけで価値はあるよ。それにボクもキミの作品を見せてもらってね。ボカァ低俗な人間だから芸術にはあんまり興味はないが、それでもキミの作品を目にしたら、なにか心にクるものはあったよ。世界中が大騒ぎするわけだ」
「え、と、ありがとうございます」
「まあ多忙で無理かもしれないけど、もしボクの研究に協力してくれる気になったら会いに来てくれたまえ」
そう言ってリュー博士はヘラヘラ笑いながら行ってしまった。
かなり変わった人物だった。
世捨て人のような、あるいは凡人には測れない賢者のような雰囲気をネモはリュー博士から感じた。
ネモは、賓客への挨拶をだいたいそつなくこなしたと言ってよかった。
あまり言葉にはつまらなかったし、笑顔は絶やさなかったと思う。
不思議と緊張はしなかった。
かつての自分だったら、めちゃくちゃにどもってしまい、まともに喋れなかった気がする。
ネモにも疲れが見え始め、ユリから励ましの言葉を受けながら会場を練り歩いていた。
それは挨拶周りの最後の方であった。
このパーティーの来客で、初対面の相手で、今までとは異なった感情を持つ相手と挨拶を交わすことになったのだ。