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31.準備


 パーティーを開くにあたって、ネモには足りないものがあった。

 それは作法である。

 ミューズでの生活にも慣れ、不自由ない暮らしを送れるような立場になりこそしたが、ネモはそもそもが貧しい出の見習い職人である。

 上流階級の礼儀作法には通じていないし、それがミューズでのものとなればなおさらだった。


 というわけで、ネモは短期間で作法を学ばなければならなかった。

 講師はシラユキ。

 シラユキは、知識の泉という魔道具から必要な知識はなんでも仕入れられるらしかった。半日足らずでマナーの達人になったシラユキに、ネモは立ち振舞いから食事のマナーまで徹底的に叩き込まれた。

 

 他にも習得すべき技能はダンスであった。

 ネモは上流階級の人間が舞踏会を開く、という知識はなんとなく知っていたが、それはミューズでも同じらしい。

 これに関してはシラユキは教えることができなかった。

 なにせ身長がまるで違う。

 ネモは女性の中でも身長がそう高い方ではないが、シラユキはそんなネモの胸のあたりまでしか身長がないのだ。

 一緒に踊って相手をするには無理がある。

 そこで登場したのがサザンカだった。

 サザンカは今でこそ軍の最前線で活動しているが、実のところ良家のお嬢様らしい。

 身長に関してもネモより頭一つ大きく、男性を想定したパートナーとしてはうってつけであった。


 礼儀作法も、ダンスも、意外なほどの速度でネモは習得していった。

 礼儀作法など考えたこともなかったし、ネモは身体を動かすのもどちらかと言えば苦手であった。

 講師が優秀だったというのは無論ある。しかしネモの覚えが早かったのは精神的なところが大きい。

 

 楽しかったのだ。


 ミューズに来てから、ネモは比較的平穏な生活を送っていた。

 なにかを学ぶにせよ、それは必須というわけではなく、空いた時間にミューズについての知識を覚えていくといったものであった。

 それに比べて、今回はかなり能動的だ。

 新しい挑戦は刺激的でやりがいがあった。


 礼儀作法にしても、なぜそのような作法があるのか、その意味、その由来をシラユキは丁寧に教えてくれた。

 意味を理解することで、礼儀とはなんたるものなのかをネモはだんだんと理解できるようになり、自然とその動きは洗練されていった。

 ダンスに関してもサザンカと踊るのは楽しかった。

 ダンス中に会話をするのはごく普通なようで、ある程度慣れてからは練習中に会話をすることが多かった。

 サザンカとこれだけ長い時間、多くのことを話すのは始めてだった。それはネモにとって素敵な時間であった。


 最後に立ちはだかった難関は、スピーチであった。

 ネモはルーベル社の代表である。

 パーティーで行う催しのかなりの部分はユリにやってもらうが、代表が舞台に上がらずなにもしない、というわけにはいかない。

 ネモは、舞台に上がっての挨拶をしなければならなかった。

 話す内容は専門の人間に作ってもらうにせよ、話すのはネモ自身である。

 ネモは話すのはあまり得意ではなく、しかもあがり症の気があった。

 練習に練習を重ね、なんとかつまらずに最後まで原稿を読み上げられるようにこそなったが、それは聞くのがシラユキだけの時だ。

 百を超える賓客の前でその通りできるかは、本番が来る最後の時までわからない問題であった。


 ユリはといえば、パーティーの準備全般を行っていた。

 金に物を言わせ新たに人を雇い、通常業務の負担を減らして、このパーティーのために急遽新しい部署まで立ち上げた。

 まず行ったのは招待客の選別であった。

 全体として百五十人程度に抑えたかった。

 絶対に外せないのはルーベル社として今後付き合いたい企業の上役、三国の代表的な政治家、無視できない規模の資産家、それにプライマに派遣されていた、ネモとある程度面識がある軍人などだ。

 範囲は思った以上に広く、最終的には二百人に抑えるのがやっとであった。

 その他にも警備の手配、食事の手配、会場の準備と猫の手を借りたいほどの忙しさであった。


 ユリが絶対に妥協できない、と考えていたのはネモの衣装だ。

 これだけは死んでも妥協したくないとユリは考えていた。

 なぜなら、ネモはユリの”推し”だからだ。

 始めはその作品に魅せられて興味を持ち、ネモの元で働くことを希望した。


 今は違う。

 ネモは、ユリにとっての特別な存在になっていた。

 ユリは元来、自己中心的な人間だと自分を分析していた。自分よりも優先したいと考える人間が、そんな友人ができるなどとユリは考えたことすらなかった。

 それが今は存在していた。

 ネモが喜ぶと自分のことのように嬉しくなったし、ネモが笑うと幸せな気分になった。

 だから、ネモの衣装だけは絶対に妥協したくなかった。

 なにせ、ネモの晴れ舞台である。自分にとっての宝物を皆に見せる場のようなものだ。


 番組として放送されてしまった事故は晴れ舞台とは言い難い。

 ユリとしては、スギナ社のネモを限界まで持ち上げた演出は良かったと考えていた。それによって抗議をしなかったと言っていい。

 もしスギナ社がネモの評判を下げるような編集を行っていたら、今頃スギナ社は存在していなかったことだろう。

 

 衣装選びには一番時間をかけた。

 リの国のトップデザイナーを雇い、デザインについては納得の行くまですり合わせをし、パーティ開催のほぼ直前になって完成を見た。



 試着を終えたネモは、特大の姿見で自分の姿を見た。

 ヘアバンドではなく宝石を散りばめた髪飾り、藍色の光沢があるドレスはネモの髪、瞳、体型、あらゆる面と調和しているように見えた。

 自分ではないようであった。

 目の前にある姿見は実は魔道具で、自分ではないどこかの誰かが写っているのではないか、そう思わせるほどだった。

 美しかった。

 余りにも美しく、それ以外の形容は逆に陳腐であるような気がした。

 どこかの国のお姫様みたいだ、そう思ってから、ネモは姿見に写っているのが自分だということを思い出して恥ずかしくなった。


「どう?」


 ユリは自信に満ち溢れ、聞く前から答えがわかっている顔をしていた。


「まるで、自分じゃないみたいです」


 ユリはネモの言葉を聞いて満足そうに笑った。


 こうして、パーティーの準備はすべて整った。

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