29.異世界からの風
ミューズの人々にとって、ネモフィラ・ルーベルは謎に満ちた人物であった。
作品の評価からその知名度はもはや誰でも知っているレベルにまで来ていたが、ネモフィラ・ルーベルがどんな人物かを知っている人間は、一部の政治家と、ネモの周辺にいる者に限られていた。
世間一般が知っているネモフィラ・ルーベルの情報といえば以下のようになる。
プライマから来た異世界人である。
(名前から判断して)女性である。
極めて質の高い陶器を作る職人である。
ルーベル社の代表である。
(おそらくは)資産家である。
この程度のものだ。
これはユリの戦略により、ひたすら露出を避けていた成果であるとも言える。
若き天才として売りだすよりも、異世界から来たミステリアスな人物であるほうが、ネモ個人の作品もブランドの作品も興味を引くイメージが作れると考えたからだ。
謎の人物、ネモフィラ・ルーベルの姿を白日の下に晒したのは、スギナ社の記者であった。
孤児院への訪問がユリ主導の企画であれば取材を断っていたことだろう。
しかし、視察はそもそも孤児院側がネモに感謝の意を示すための催しとして開催したものである。主導は孤児院側であった。
孤児院はルーベル社の実質的な傘下となっているが、実質的というところが肝だ。
ネモたちが視察に訪れた孤児院はあくまでも教会の傘下にあり、様々な権限はルーベル社にはなく院長と教会にあった。
院長は俗事に疎かった。
スギナ社がどこからネモの訪問を嗅ぎつけたかは最後までわからなかった。
院長はスギナ社の取材を一も二もなく許可した。
スギナ社はゴシップを主体に報道する会社で、はっきり言ってその評判は悪い。
報道内容にしても誇張や捏造は当たり前で、視聴者の興味さえ引ければそれで良いというスタイルだ。
番組を止めることは、もしかしたらできたかもしれない。
ユリはその日、二度の事故にあい冷静ではなかった。
ネモが警戒心を強め、必要以上とも思えるような安全策をうって動きを封じられていたというのもある。
とにかく、ユリはスギナ社に連絡をすることはなかった。
ユリは心のどこかでそのことは意識していたが、心のどこかでそろそろ姿を見せてもいい時期なのでは、と考えていたせいなのかもしれない。
かくして、ネモフィラ・ルーベルがサンフラワー孤児院への訪問の様子が網上に公開されたのである。
その番組は、世間一般の目から見ればとても衝撃的なものだった。
まず番組はネモフィラ・ルーベルのアップから始まる。
それは、年若い少女であった。
豊かな黒髪と、薄紫の美しい瞳、伝承の女神様を彷彿とさせるその容姿に、視聴者は釘付けになっている。
ネモフィラ・ルーベルは孤児院の子供たちが歌うのを見ていた。
微笑みながら、僅かに頬を紅潮させて子供たちの歌に聞き入る姿は、なにかこの世ならぬ尊さを持っているかのように映った。
次に映される場面は、子供からの質問であった。
小さな女の子がネモフィラ・ルーベルの元まで歩いていき、こう言うのだ。
「ねえ、お姉ちゃんは女神様なの?」
それに対して、ネモフィラ・ルーベルはこう答えるのだ。
「そうかもしれないね」
優しく、慈愛に満ちたとさえ表現できるかもしれない笑みを浮かべるその姿は、ある種の神秘性さえあるように思えた。
そうして最後には、孤児院の庭の一画にある花畑で、ネモフィラ・ルーベルが子供たちに花の冠を与えられる場面が映されて訪問の様子は締めくくられる。
スギナ社はネモに好感をいだいてくれたのだろう。
スギナ社にしては珍しいことだ。
人は本質的に誰かが貶められるのは好むものだ。
スギナ社はその特性を理解し、必要以上に誰かをこき下ろすなどして視聴者を獲得する類の報道社である。
そんなスギナ社が、ネモの良い場面を切り取って番組にした。明日は雪でも降るのかも知れない。
確かにこの番組を見てネモに対して悪い印象を持つ人物はいないだろう。
いくらなんでもやりすぎであった。
この番組を見ると、ネモフィラ・ルーベルは女神の化身であり、現代に現れた聖人としか見えなかったのである。
子供の質問に関しても、女神なの? という質問に対して否定をせず、むしろ示唆するような受け答えとなるようにツギハギされていた。
子供と遊んでいる場面に関しても、ネモが疲れ果てて子供に気を使われた結果、おとなしい遊びをすることになったあとだけを映している。
追いかけっこをしてヘロヘロになり、無様とも言える姿を晒し、最後には気の毒に思った子供がわざと捕まるという、実になさけない場面は微塵も映されていなかった。
これによってなにが起きたかと言えば、ルーベル社の評判が爆上がりした。
ルーベル社を通じて寄付を行いたいという市民が押し寄せ、ユリはその忙しさから瞬く間に発狂寸前にまで追い込まれた。
ルーベル社の理念に共感したと表明する企業が続出し、児童のみならず、貧困層への支援が世界的なブームになり始めた。
ルーベルブランドの商品は一夜にして市場から姿を消した。
ユリはここでも発狂しかけた。
作れば作るだけ利益になるというのは嬉しい悲鳴ではあったが、どんなに生産ラインを増やしても供給が満たされることはなかった。
オークションでのネモの作品の値段も、当初の二倍以上になり、あまりにも加熱した競りによって破産しかけた人物が話題になったりもした。
兼ねてから話題になっていた人物が姿を現し、世間にはネモフィラ旋風が吹き荒れていた。
若い女性の間ではネモのしているようなヘアバンドが流行した。
ネモが着ていた服は特定されるや否や売り切れ、ネモが使っていた化粧品はこれだ、という噂が流れればその商品は在庫がなくなり、ネモがワインを好むという噂が流れれば未成年飲酒で捕まる子供が激増した。
また、老人や信心深い層からは別の形の流行があった。
ネモフィラ・ルーベルを崇める層が発生したのである。
家の祭壇の女神像の横にネモの写真を飾るもの、ネモフィラ・ルーベルこそまさしく女神の化身であると説くもの、ネモの姿を見たら病気が治ったと力説するものなどめちゃくちゃを言う者まで発生した。
ババを引いたのはとにかくユリであった。
性格的に事業を拡大しないのは不可能で、この機を逃さず、慎重かつ大胆にできる範囲を見極めて、おそろしい速度で事業を拡大していった。
この場合の「できる範囲」には自身の負担は考慮されていないのだが。
幸い人材には困らなかった。ルーベル社の評判はこれ以上ないほどであり、募集をかければ他の企業が涎を垂らすような人材が選り取りみどりであった。
ユリの睡眠時間と引き換えに、ルーベル社は破竹の勢いで成長を遂げていった。
ネモはといえばいい気なもので、自分が映った番組をちょっと見ては恥ずかしさですぐに消し、ベッドに飛び込んで枕に顔を埋めて足をバタバタとさせる。
そのくせしばらくするとまた映像機を起動して自分が映った姿を見るのだ。ユリが見たらキレそうな光景である。
新たな職人の採用、作品の選定などネモにもやることは増えたが、ユリの忙しさに対しては比べるのも失礼と言える差があった。
この一連の流れでユリが一番頭を悩ませたのは、ネモに会いたいという人間が殺到したことだった。
一般市民の話ではない。
一般市民にそういった願望があったことは確かで、一度などはネモフィラ・ルーベルが訪れるという誤報から交通網がパニックに陥った地区があった。
それとは別にネモに会いたいというのは、上流階級の人間であった。
企業の上役、貴族、政治家など様々な人間がネモと会うことを熱望していた。
ユリはこの件に関してネモに相談したところ、ネモの答えは次のようなものであった。
「恥ずかしい……」
無理をさせることもないと思い、ユリはなんやかんやと理由をつけて、ネモとの直接の面会は断っていた。
ユリがそのような判断をした理由は、相手の性別も関わっていた。
ネモとの面会を希望するのは、ほぼすべてが男性だったのである。
あきらかな偏りがあった。
企業の上役や政治家となれば男性の比率の方が多いが、それでも男女比は六対四程度のものである。
それに対して男性の面会希望者の比率はほぼ百%だ。
ウチの大事なネモぴを、というユリの感情も手伝い、ユリはネモをできるだけ会わせないようにしようと決めた。
それも次第に無理が出てきた。
言い訳がそもそも難しく、だんだんと苦しいものになってきていた。
それ以上に、断りにくすぎる相手があまりにも増えすぎているというのもあった。
ネモと話をしたいと希望する者の中には、ユリなどが口をきくのも難しいような大立者も混ざっており、簡単に断るわけにはいかない相手も多かった。
他にもルーベル社の事業に関連するような企業からの希望は断りづらいものがあり、ユリはこの対応に非常に困っていた。
ユリは、決断せざるを得なかった。
選別するには面子が豪華すぎ、誰かとネモを会わせたが最後、その他の希望者を会わせないわけにはいかないのはわかり切っていた。
だから、ユリは大胆な手段を取った。
ユリはネモの家を訪れるなり、ネモにこう言い放ったのだ。
「ネモぴ、パーティー開くよ!!」