27.孤児院にて
孤児院に着くと、すでに老女が待っていた。
老女はネモとユリを認めるなりすぐに近づいてきた。
老女はネモの姿を見ると「おおおお……」と感嘆の声を漏らした。
「遅れてしまい申し訳ありません。こちらが我が社の代表のネモフィラ・ルーベルです」
ユリは外行きの口調でネモを紹介する。
「代表こちらがエイラ区孤児院の院長様です」
と院長を紹介された。
院長はずいぶんな高齢に見えた。こちらの世界の女神教の正装を着ていて、ネモのことを不思議な瞳で見つめていた。
「こ、こんにちは」
そう言うなり、ネモは院長に両手を掴まれてしまった。
握手にしては強引だが、院長の手は震え、高齢から精微な動きができないのかもしれなかった。
「ありがとうございます……ありがとうございます……ネモフィラ様のおかげで当孤児院は……いくら感謝しても感謝しきれませぬ」
院長は感極まり、その瞳からは涙がこぼれ落ちていた。
ネモは自身との温度差から呆気にとられ、どう反応すれば良いのかわからなかった。
「失礼しました……」
と院長は涙を拭い、一旦呼吸を整えるように一息ついた。
「つい取り乱してしまいました。歓迎の準備が整っていますのでどうぞこちらへ」
院長は孤児院の建物ではなく、庭へとネモたちを誘導した。
庭には子供たちが並んでいた。
三列に並んでいて、背の低い順なのか手前には小さい子供が、うしろには大きな子供が順番に並んでいた。少なく見積もっても五十人はいる。
それに加えて、本来は演壇に近い役割をするだろう石段の上に、外だというのにピアノが用意してあった。
他に目についたのは、撮影用の魔道具を持った大人がいたことだった。
なにやら腕章をつけた男が、庭の端から撮影具を構え子供たちを撮っているようだった。
それを見てユリが反応した。
「ネモぴ、報道陣が入ってる。たぶん大丈夫だと思うけどおかしなことしないようにね」
おかしなこと、と言われても。
ネモは唐突な緊張に背筋を伸ばした。
院長について庭の中程へと進むが、自分の歩き方が普段通りに出来ているかすら気になってしまう有様だった。
子供たちから少し離れた地点に椅子が用意してあり、ネモたちはそこへと座るように頼まれた。
なにもない庭の中程に、ふたつだけ椅子があるのはちょっと妙な感じがした。
ネモたちが椅子に座ると院長が子供たちに合図をした。
すると、五十人を超える子供が一斉に口を開いた。
「ネモフィラさま!! きれいなふくと! おいしいしょくじと! あたらしいおもちゃをありがとうございます!!」
どこか舌足らずで、調子のはずれたところもある、いかにも「言わされている」といった感じの声ではあったが、これだけの人数が同時に声を出す迫力にネモは驚いた。
「ぼくたち! わたしたち! かんしゃのきもちをうたにします!!」
ピアノの奏者が演奏を始める。
子供たちが元気な声で歌い出した。
音の調子とその歌詞から、女神を称える聖歌だというのはすぐにわかった。
その歌の巧拙を単純に評価するならば素晴らしいものとは言えないかもしれない。技量の違う者が入り混じり調和は取れておらず、とにかく元気に! が限界まで強調されていて、聖歌としての荘厳さがあまりにも失われている。
それでも、ネモは不思議な感動を覚えた。
これだけの人数の人間が、自分のために歌を歌ってくれている。その事実に感動した。
歌はあっという間に終わった。
時間の感覚がなかった。
ネモは聞き入っていたのだ。子供たちの歌を。
短い歌だったのかもしれないし、集中していて短く感じたのかもしれない。その答えはわからなかったが、体感時間はとても短いものだった。
歌が終わると職員が誘導し、子供たちが解散し、それぞれが庭で遊びだし始めた。
「どうだったでしょうか?」
院長がにこやかな笑顔でネモに訪ねた。
「とても、素敵でした」
「それは良かった。みなさんネモフィラ様には本当に感謝してるのですよ。良ければ皆と話してやってください」
言われて子供たちの方を示された。
ネモは一応立ち上がったが、どうすれば良いのかはわからなかった。
子供たちの多くはもうネモなどいなかったかのように自由に庭を遊び回っていた。
どうしよう、といった意味合いの目配せをユリにしてみるが、ユリも小首をかしげるだけだった。
すると、ひとりの女の子が近づいてきた。
いかにもおっかなびっくり、といった感じでゆっくりと歩いてくる。
ちぢれ毛の泣き虫そうな垂れ目をした、十歳くらいの女の子だった。
ネモの前まで来て、女の子が口を開いた。
「ねえ、お姉ちゃんは女神様なの?」
子供ならではの突拍子もない質問にネモは迷った。
目の端でユリが報道陣、と呼んでいた男がいるのが見えた。
「違うよ」
女の子がネモの答えに不思議そうな顔をする。
「でも、それならどうしてそんなに綺麗なの? せいどうの女神様にそっくりだよ?」
子供に言われても照れる。
ネモは顔が赤くなっていないか心配しながら言う。
「それは大人だからかな。あなたもおおきくなればきっとそうなれるよ」
女の子はどこか納得言っていない風ではあった。
ネモも子供相手にしろ良い返しではなかったかな、と感じたが、他に答えは思い浮かばなかった。
「スズもなれるの? 先生が女神様を信じてきよくただしく生きていればお願いが叶うって言ってたよ。 そうなの?」
「そうかもしれないね」
ネモは、できるだけ優しく笑いながら答えた。
女の子は、
「ふーん」
と言いながら、なにやら色々と考えている様子であった。
いきなりだった。
尻を、叩かれたのだ。
ネモは飛び上がった。
背後から笑い声がする。
振り向くと、十歳くらいの若い男の子の集団がいて、そのうちの一人が自慢げにし、周りの仲間がはやし立てていた。
ネモは微かな怒りを感じながらも、その顔には笑みが浮かんでいた。
「やったな~!」
ネモの柄ではなかったが、なぜかそうするのが正解に思えた。
自分の中でなにかが変わっていているのを感じた。
ネモは男の子たちの方へと走り出した。
追いかけっこが始まった。