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24.非常時のリズム


「ネモぴ…… ちょっと困ったことになっちゃったんだけど……」


 朝一番だった。

 念話機での通話ごしに、普段とは違ったユリの声が聞こえた。


「困ったこと、ですか?」


 ネモはといえば、朝の食事を終えて、日課になっている軽い体操を済ませ、これから工房に移動するかな、と思っていたところだった。


「あのね、うちの工房に盗みが入ったの」

「盗み……ですか? 何が盗られたんです?」

「盗られてはいないんだけど、その……」

「盗られてない? どういうことです?」


 ユリの口調は歯切れが悪く、いつものような快活さは皆無であった。


「盗みに入ったのが、うちの職人なの」


 ネモは不思議と冷静であった。

 ユリが取り乱しているせいで、自分がしっかりしなければという意識があったのかもしれない。

 

「誰ですか?」

「ヒイラギくん……」


 それは、ルーベル社の工房で雇った最年少の職人の名前であった。

 これには少なからずネモも衝撃を受けた。


「今、どうしてるんですか?」

「今は拘束中でどうすればいいのか…… ウチの保管庫の結界について知らなかったみたいで、すぐに警備が拘束してくれたんだけど。被害は出てないわけだしどうしようって……それでネモぴに相談してるの」


 なにかがおかしい気がした。

 ヒイラギはネモの目から見ても真面目で一生懸命な少年で、そういった行いはしなそうに思えた。

 接している時間は短いので確かな印象とは言えないが、それでもあのヒイラギ少年が窃盗行為はどこか納得がいかない。


「ヒイラギくんから話は聞いてるんですか?」

「それがずっとダンマリで、だから困っちゃって」

「行きます」

「え?」

「わたしが行きます、気になることがあるんです」


 言うなりネモは通話を切ってしまった。

 なにかがおかしいとネモの勘が言っていた。

 自分で動くべきだ、とネモの勘が言っていた。

 だから、それに突き動かされるようにネモは立ち上がった。


 シラユキに指示し、飛空艇フライヤーの運転を任せ、ネモはすぐに飛び立った。

 ネモがこの世界に来て、初めてのトラブルかもしれなかった。


――――人間は人間で、悪党は悪党。


 しばらく前にロイが言っていた言葉を思い出していた。


***


 屋上に飛空艇フライヤーを停めて中へと入った。

 オフィスフロアに入るとユリからの出迎えを受けた。


「ごめんね、ネモぴ。こんなに朝早くから来てもらって」

「いえ、わたしが来たいって言ったわけですし。細かい状況を教えてもらえますか?」


 ユリは妙な顔をしていた。驚いているような、困惑しているような、そんな顔だ。

 それでもユリは話し始めた。


「念話で伝えたのとだいたいいっしょ。深夜にヒイラギくんが盗みに入って、それを警備が察知して駆けつけてお縄。捕まえたはいいけどウチがなにを聞いてもだんまりで進展なし。それでネモぴに相談してみようって思って。ネモぴが最高責任者だしね」

「盗ろうとしたのはなんですか?」

「ネモぴのNo.14、出品する前はここの保管庫に置いておくから、そこを狙ったみたい」

「ヒイラギくんの意思じゃありませんよね?」


 それを聞いたユリは悲しそうに、


「ネモぴ、ウチもそう思いたいけど……」

「ユリさんは冷静じゃないと思います」

「あ、あのねネモぴ! ウチだって!」

「落ち着いてください。簡単な話だと思います」


 ユリは自らを落ち着かせるためか大きな深呼吸をひとつした。


「どういうこと?」

「その、最近の値段は聞いてませんけど、わたしの作品は非常な高額で買ってもらってるんですよね」

「うん、ちょっとヒクくらいの金額で売れてる」


 その表現にはひっかかるところがあったが、ネモは構わず会話を進めた。


「わたしはこの世界のことは未だにそれほど詳しくないですけど、そんな高値のものを手に入れても、簡単に売りに出せるものですか?」

「あ……」


 ユリはハッとし、なにかの痛みに耐えるように表情を歪ませた。


「ウチ、ちょーバカだったかも……」

「朝いきなり身内が捕まってたら誰だってまともじゃいられませんよ。たぶん、ヒイラギくんは誰かにやらされているんじゃないでしょうか? そしてその誰かさんは正規じゃない売買ルートを持っているということになりますよね?」


 あくまでも可能性の話ではあったが、それでもネモはそうだと信じたかった。


「そうかも」

「ヒイラギくんは本当になにも言っていないんですか?」

「うん、ずっと俯いたままで、なにを言っても答えてくれないの」

「わたしが話します」

「え?」

「わたしにひとりで話させてください。ヒイラギくんはどこにいるんですか?」

「それは応接室だけど」


 ネモは有無を言わせぬ足取りで応接室へと向かい、扉を開けようと思ったところで、手を掴まれた。

 シラユキだった。


「ネモ様、その行為は許容できません」

「どうして?」

「危険です。ネモ様は女性で、ヒイラギ様は男性ですから」

「でも、応接室の外にはシラユキたちがいてくれるでしょ?」

「それはそうですが……」

「それに、ヒイラギくんも人がいっぱいいるところでは話てくれないと思うの」


 シラユキは迷っているようであった。

 主人の危険と主人の意向を天秤にかけて童女の表情は険しい。


「わかりました、ではこれはお持ちください」


 シラユキが取り出したのは、なにやらボタンのような小さな物体であった。


「これは?」

「これを持っていただければシラユキにも中の様子がわかりますし、音声なども録音されます。もし身の危険を感じたらすぐに助けを呼んでください。これを持っていただければシラユキは大人しく外でお待ちします」


 本当は誰にも聞かれたくはなかった。

 ネモが、ではなくおそらくはヒイラギがそう思うはずだ。

 しかし、ネモもここが妥協点だとは思った。

 こんなところで争ったりしていてはいつまで経っても話が進まない。


「わかりました」


 言ってネモはシラユキからボタンを受け取った。

 振り返ると、ユリがどうすればいいのかわからないと立ち尽くしていた。


「大丈夫ですよ、たぶん。ヒイラギくんは話してくれると思います」


 それだけ言って、ネモは応接室に入った。

 ネモはすぐに扉を閉め、ヒイラギへと視線を移した。


「代表!?」


 ヒイラギの驚愕が見て取れた。

 ネモはあくまで落ち着いた態度を心がけ、机を挟んだヒイラギの対面に座った。


「おはよう、ヒイラギくん」

「お、おはようございます」


 そこで会話が途切れた。

 おそらく、ヒイラギにとっては針の筵のような沈黙だったに違いない。

 耐えきれずに先に口を開いたのはヒイラギの方だった。


「あの、代表! 俺っ、ほんと、すいません……」


 ヒイラギは深く頭を垂れた。


「あのね、ヒイラギくん。どうしてこんなことをしてしまったか、ちゃんと話してほしいんだ」


 頭を上げたヒイラギの目は、恐怖に曇っているように見えた。

 それだけで、ネモはヒイラギの意思ではないと確信した。


「それは、俺が悪いんです、魔がさしたというか、ほんと、すいませんでした……」

「ヒイラギくん、わたしはホントのことを話してほしいんだ」

「ほんともなにも、俺のせいです。全部俺が悪いんです」


 それきりヒイラギは黙り込んでしまう。

 その顔は、今にも泣き出しそうに見えた。


 ネモは考えていた。

 ヒイラギの意思ではないのは確定とする。理屈ではなく、ネモの本能がそうだと告げていた。

 そうして、このまま正攻法で言っても聞き出せないのは間違いないと思われた。

 

 ネモは、ヒイラギを救ってやりたかった。

 この十八歳の少年を。

 ヒイラギはネモと一歳しか離れていなかった。

 それなのに、その腕は一線級の職人であった。

 ユリから提示された作品群を選び、あとからその制作者のプロフィールを見て一番驚いたのは、このヒイラギだ。

 特に皿のような平面に描くデザインの才能は突出している。

 直接手で作っての職人としての実力で見れば、ネモなどとても敵わないであろう。


 ユリが絞った候補の中で最も若く、最も将来性を見越して採用したのがこのヒイラギだ。

 出自もネモと似ていた。

 ヒイラギは孤児なのだ。

 この世界の孤児と、ネモがいた世界の孤児ではいくらか違うかもしれないが、それでも近しいものには違いない。


 それを腕一本でここまで来たのだ。

 ネモは親近感を抱かずにはいられなかった。

 そんなヒイラギがこうして危機に陥っている。

 救うためにはどうすればいいのか。

 それは正直に話させることだとネモは感じていた。

 強権を振り回してお咎めなしにすることは、たぶんできる。

 しかし、それでは根本的な解決にはならないと感じていた。

 

 ネモはわざとらしいため息をついた。


「ヒイラギくん、わたしはヒイラギくんを助けたいの」


 ヒイラギは答えない。

 なぜそのようなことを言おうと思ったのか、ネモは自分自身でもわからなかった。


「実のところ、もう誰が糸を引いているのかはほとんどわかっているの。だから、ヒイラギくんの口から直接聞きたいっていうのは単なる答え合わせ」


 ヒイラギは露骨に慌てた様子で、


「いやっ、代表! 俺は本当にひとりで!」


 ネモは首を横に振って見せる。


「わかってるし、裏も取れてるの。だから話してくれないかな? 話してくれないと、わたしたちはヒイラギくんを然るべき場所に出さなければならない。けど、話してくれたら内輪の話で済ませることもできるかもしれない。わたしはヒイラギくんを守りたいの」


 ヒイラギの表情が意味する感情を読み取るのは難しかった。

 泣きそうで、悲しそうで、今にもこの場から逃げ出したそうな、そういった負の感情の集大成といった顔をしていた。


「代表に俺のなにがわかるんですか」


 ぼそりとつぶやくような声だった。


「ヒイラギくんの事情はわからないよ。でも、ヒイラギくんがどういう職人なのかはわかる。ヒイラギくんは平面の陶器の文様について独自の世界観があるよね。調和を重視する時もあれば、あえて調和を崩しているような作品も作って、そこに関しては常に挑戦と試行錯誤をしているのが見て取れるよ。あとは釉薬の重ね方にもこだわりがあるよね。廃棄扱いの作品も見せてもらったけど、そこに関してはずいぶん厳しい基準を設けてるように見える」

「なんで……」

「わかるよ。だってわたしが選んだ職人だもの。わたしがいいなって思って、この人の作品を世に出していきたいなって思って、それで雇った職人だもの。ヒイラギくんはまだ道半ばで、これからもっとずっと良いものを作るはずなのに、こんなところでそれをおしまいにしたくないんだ」


 ヒイラギの沈黙は、長かった。

 ネモが続いて言葉をかけようとしたその時、ヒイラギは重い口を開いた。


「アオギリ一家です。あいつらにやれと言われました」


 ヒイラギはの瞳からは、ぽろぽろと涙がこぼれていた。


「俺みたいな孤児出身は、あいつらみたいなのに逆らったおしまいなんですよ!!」


 ヒイラギは、今まで抑えていた感情を炸裂させていた。


「怖いんですよ!! 逆らったらただじゃおかないって、同じ孤児院のやつらにまで手を出すって!! だから、だから……」


 そこでヒイラギの言葉は尻すぼみになり、それからすすり泣くような声に変わった。

 ネモは、できるだけ落ち着いた声を出すように努めた。


「うん、よく話してくれたね。あとはわたしがなんとかするから安心して」


 言ってネモは立ち上がり応接室を出た。

 応接室の外では、ユリと、シラユキが待ち構えていた。

 扉を閉め、ネモはふたりと向き合った。

 ユリは、ネモを尊敬の眼差しで見つめていた。

 シラユキは不思議そうにネモを見ていた。そんなシラユキが口を開いた。


「ネモさまには、独自の情報源があるのですか?」

「どうして?」

「だって、糸を引いてるのは誰かわかっているって」

「あー、それはその場の雰囲気で言っちゃったというか……」

「では全部うそだったのですか?」

「うそ……って言い方はちょっと……」

「それではやはり、本当はなにか知っていたのですか?」

「いや、その、やっぱりうそかも……」


 シラユキは納得が言ったように頷いた。


「ネモ様にお仕えして一年近くがたちますが、まだまだネモ様にはシラユキの知らない面があるようですね」


 そう言って小さく笑った。

 ユリはといえば、こまかくぷるぷると震えて、感極まったといった口調でこういった。


「ネモぴ、かっけーーー!」

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