18.人間性
「大丈夫です、基本はすべて私がやりますから」
面接と聞いて弱気な態度を見せるネモに、シラユキは優しくほほえみながらそう言った。
ネモは家の応接室で大きなため息をついた。
四人の面接を終えて疲労困憊であった。
面接の主導をするのはシラユキで、ネモは同席しているだけに近かったが、それでも精神的にとても疲れていた。
なにせ、面接する相手が相手だ。
ネモがいた世界で言えば大商人を相手にしているようなものだ。
ネモの役割と言えば、その場にいてお行儀を良くしているのと、最後になにか質問があれば質問をするだけであったが、それでも緊張せずにはいられなかった。
知識も経験も明らかにネモより上の人間が、ネモの下につくためにこうして時間を割いて面接を受けている。
その事実だけでネモは萎縮し、申し訳ない気分になっていた。
今までに面接した相手はどれも立派で、堂々としていて、経験を感じさせ、こんなネモに対しての敬意すら感じさせた。
誰もが特定の国を支持するような素振りは欠片も見せず、欠点を探す方が難しかった。
残る面接はあと一人。
これだけの人間を四人も落とさなければならないことにネモは罪悪感をいだき、逃げ出したい気分になっていた。
ネモの疲労に気付いたのか、隣に座っているシラユキが気遣うように声をかけてきた。
「ネモ様、あと一人ですからもう少しですよ」
童女にしか見えないシラユキに気遣ってもらうとネモは余計に情けない気持ちになる。
シラユキは心配そうな顔をして、
「大丈夫ですか? 少し休憩を挟みますか?」
「ううん、大丈夫」
弱気な態度を見せてはいけないと思った。
相手はネモのためにわざわざ貴重な時間を割いてくれているのだ。
それを、ネモが疲れたからといって余計に時間をとらせるわけにはいかない。
「では、次の方をお呼びしますね」
シラユキが一瞬虚空を見つめて固まる。
たぶん、部屋の外と交信しているのだろう。
ややあって応接室の扉が開かれた。
入ってきたのは女性だ。
長い金髪で、驚くほど白い肌をしている。
薄い化粧で整えられた顔は美人とかわいいの中間で、誰もが好感を持ちそうな外見をしていた。
「ようこそ、ユリ・ヴァレンシア。わざわざお越しいただきありがとうございます。どうぞおかけになってください」
シラユキの勧めに従ってユリはネモたちの対面に座った。
ユリは爛々と輝く瞳でネモを見つめていた。
その瞳に、ネモはドキッとしてしまう。
このユリという女性は、シラユキが絞り込んだ十人の中の唯一の女性だった。
しかもとても若い。
他の候補者の平均年齢が五十歳を超えているのに対して、ユリは二十五歳だった。
シュテルン大学を首席で卒業、その後スダート社に務め早くも頭角を現し始めた、というのがシラユキから聞いた話だった。
このユリという女性だけは将来性を見越しての候補であるとシラユキは言っていた。
「では面接を始めます」
「よろしくお願いします」
隙のない、場の空気を引き締めるような声だった。
「まず、我々の募集に貴方が応じてくれたことにお礼を申し上げます。既にお気づきかと思いますが、当面接はプライマからの来訪者、ネモフィラ・ルーベルの助言者を決めるための面接です。その業務は作品売買の仲介から、それらの資金運用など多岐に渡ることが予想されます。ここまではよろしいでしょうか?」
「はい」
「始めに言っておきますと、この募集の倍率は四千八百六十四倍、貴方はその中の五人の最終候補に選ばれています。この時点で、貴方の実力には疑いの余地はなく、我々が望んでいる業務を十分にこなせると考えています。ですから、当面接で知りたいのは、貴方の人間性です。まず、この募集に応じた動機をお伺いしてよろしいでしょうか?」
ユリは、堂々とした態度でシラユキの言葉を聞いていた。
その落ち着きぶりに、ネモは尊敬に近い感情を抱いた。
自分とそれほど歳も離れていないのに、なんて場馴れしているのだろうと。
「私が彼方よりの翡翠を初めて目にしたのは、美術館で公開された二日目でした。その時の気持ちは今でも忘れることができません。あの緑を目にして、私はプライマの自然を想起し、畏敬の念に打たれました。あの瞬間から、私はプライマとの交流を積極的に支持するようになったのです。そして、今こうしてその作者であるネモフィラ氏がミューズに訪れ、このミューズで作品を発表していくのだとしたら、どんなに素晴らしいことか。その力になることに憧れをいだき、こうして応募しました」
「なるほど。では……」
それからも、シラユキの質問は続いた。
シラユキの質問は相変わらずネモには半分も理解できなかったが、ユリはその全てにそつなく答えていた。
気の所為かもしれなかったが、ユリの瞳はシラユキを見ながらも、ちょくちょくネモの様子を窺っているような気配を感じさせた。
どこかおかしかった。
なにがおかしいのかはわからないが、ユリの答えには、なにか違和感があるのだ。
ネモはユリをじっと観察してみる。
やはり、なんの隙も見当たらない。
その様子はシラユキの書類にあった才女そのもので、若くしても今までの候補者と遜色ない自信を感じさせる。
ネモが前髪に隠れた瞳で見つめていると、ユリと一瞬目があった。
そこで、初めてユリの口調に淀みが生まれた。
ユリは即座に言い繕い、
「失礼しました、それについてはーーー」
そこからはまた完璧な受け答えが続いた。
十分ほど経ってからシラユキはようやく質問を切り上げた。
「ありがとうございます。私からの質問は以上となります。ネモ様からはなにかありますか?」
シラユキは形式的にそう聞いたのだろう。
なにせ、ネモは今までの面接では、終了時の挨拶以外なにも口にしていないのだから。
どうしてそう言おうと思ったのかはわからない。
その衝動を言葉にするならば、純粋な好奇心が抑えられなかったとでも言うのかもしれない。
「うそ、ですよね?」
場が、固まった。
「いえ、うそというのはちょっと違うかもしれません。けど、ユリさんはもっとこう……」
シラユキの幼い顔が、初めて見る驚きを湛えている。
「本来のユリさんと、あまりにも違いすぎるというか……」
そこまで言って、ネモは自分はいったいなにを言っているのだろうと正気に戻った。
初対面の相手にいったいなにが本来なのか。
すぐに謝ろうとしたが、ネモの言葉を聞いたユリは、怪しげな笑顔を浮かべていた。
「バレちゃった?」
ネモは瞬間的に身構えた。
これでも一月前には生き死にのやり取りを何度もした身だ。
またしても刺客かもしれないという恐怖から身が強張り、主人の変化に反応したシラユキの気配が色を変え、ユリはテヘッとでも言うように舌を出して、
「だってネモぴ尊すぎるし~」
「は?」
そう言ったのはシラユキだった。
「ユキちゃんもかわいすぎるし~、こんなので仕事モードとかムリっしょ~」
急に砕けた口調で、ケラケラと笑い出しそうな明るい笑顔を浮かべてユリが言った。
突然の豹変に、シラユキがどうすればいいかわからずにおろおろとしている。ネモはシラユキのそんな姿は初めて見た。
「あーもうこれ絶対落ちた、マジウケる」
ユリは言って笑っている。
「えっと、その、ユリ……さんは、どうして応募してくれたんですか?」
「え、そんなん決まってるじゃん。彼方の翡翠はマジでエモ過ぎだったし、それを作ったのが若い女の子って話は聞いてたからそんなんソッコー応募っしょ! したらホントにこんなに若い子で、こんなんウチが絶対守ってやるぜーーーー! って感じ?」
不思議だった。
ネモの作品を良いと思ってくれたのは本当で、ネモの手伝いをしてくれたいと思ったのも本当だろう。
それなのに、なぜ急にそれを諦めたような態度になってしまったのか。
「じゃ、じゃあ、なんでその、最後まで、えーと……」
「仕事モードでいかなかったのか?」
「そうです」
「だって人間性が見たいってユキちゃんが言ってたじゃん。それ考えたら猫かぶりまくるのはやっぱ違うっしょって」
ユリは悪びれる様子もなくそう言い放った。
シラユキはどう言えばいいのかわからず、困ったようにネモの顔を覗き込んでいる。
超高性能人形も、限度を超えた予想外には弱いらしい。
「ねえ、ネモぴネモぴ、もうウチは落としちゃっていいからさー」
ユリはとびきりの笑顔をネモに向けて、
「ウチと、友達になってくれない?」
***
結果は後日連絡を差し上げます。
シラユキがそう言って面接は幕を閉じた。
ユリはネモとシラユキに笑いながら手を振って退室した。
シラユキが、不思議そうな顔をしてネモを見上げている。
「どうしたの?」
「なぜわかったのですか?」
「なにが?」
「その、シラユキはユリ様に質問をして、非の打ち所がない女性だと、全てが本音だと考えていました」
「うん」
「けれども、その、なんというか、素だとああいった女性でした」
「面白い人だったね」
「シラユキは、そんな姿を見抜くことができませんでした。なぜネモ様はそれがわかったのですか?」
そう言われても、ネモにもわからなかった。
なんとなくそう感じたとしか言いようがない。
だから、素直にその通りに答えた。
「なんとなく、かな」
そんなネモの適当としか思えない答えを聞いても、シラユキはその幼い表情に尊敬の眼差しを浮かべていた。
「ネモ様の、芸術家としての感性なのかもしれませんね。すごいです」
***
ネモはユリを採用することに決めた。
シラユキも、不思議と反対はしなかった。