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12.己の価値


 自分で言っておいてそれが実現するかは大いに疑問だったが、ネモの案は意外なほど簡単に通った。

 サザンカが本隊の隊長を説得し、ネモとサザンカとロイ(それにルク)で先行して女神の国へと戻ることになった。


 女神の国へのゲートは、帝国からそう離れていない小高い丘の頂上に開いていた。

 帝国は丘ごと囲む強力な結界を貼り、入り口は一箇所しか存在しなかった。

 その入口に帝国の兵士が詰めることで、警備を完全なものにしているというわけだ。

 通るためには帝国の許可を取らなければならない。

 ネモとロイだけなら強行突破、という線もあるかもしれないが、サザンカがいる以上は女神の国が絡んでいる。

 こうなると世界と世界同士の問題になり強引に突破するのは極めて難しい。

 一部隊員の帰還に疑問を持たれた場合他の選択肢はなく、迅速な移動はかなり厳しくなる。

 と思われたのだが、現実はそんなことにはならず、許可は驚くほどすんなり降りた。


 使節団の部隊員が体調不良による一時帰国、という名目で帝国側は帰国を許可した。

 帝国側の方がより交流を強く望んでいるという性格上来客は厚遇せざるを得ず、希望はできるだけ叶えようというのが帝国の方針らしかった。

 ネモとロイは体調不良の隊員を装ってローブをかぶり、ろくに調べられもせずサザンカに率いられて、結界の唯一の入り口を通過することに成功したのだった。


 ゲートのある丘を登り、警備から十分離れたところでネモたちはローブを外した。

 天気が良く、ローブを上から着込んでいると暑かったが、今は直接肌に当たる陽光が気持ちいい。


「ほ、ほんとに通れちゃいましたね」

「ね? 言ったでしょ?」


 サザンカは得意げだ。


「あとはゲートを潜るだけ。特別なことをする必要はなし。ミューズについたら私が色々と案内してあげるからね」


 薄っすらと草の生えた丘は平和そのもので、ふとすれば緊張感をなくしてしまうような光景だった。

 ネモは女神の国での生活を想像しながら丘を登った。

 ここに来るまでに乗せてもらった乗り物もとんでもない代物だった。

 こちらの世界でなら伝説級の魔道具アーティファクトに違いない。

 それが、女神の国では量産されているというのだ。

 聞いたところによれば、帝国はこういった魔道具アーティファクトの交易が狙いで交渉を続けているそうだ。

 確かに便利極まりなく、帝国がその技術を欲しがるのもわかる気がした。

 ここまでの道中に、ネモはサザンカから女神の国での暮らしを色々と聞いていた。

 ふかふかのベッドに美味しい食事、それに女神の国ではなんと毎日お風呂に入れるというのだ。

 女神の国は市民の暮らしが安定していて、こちらの世界に比べて娯楽のための施設が圧倒的に多いらしい。

 こちらの世界での娯楽施設といえば、芝居の劇場と帝都の闘技場コロシアムくらいだ。

 話を聞いた限りでは、そんな楽園のような世界は想像するのも難しかった。

 ネモは今から女神の国での暮らしに期待を膨らませていた。


 反面、不安もあった。

 自分の作品が受け入れられるかだ。

 ネモの価値は、ひとえに良い作品が作れているからという点に集約されている。

 今のところ、ネモの作った作品は女神の国の住人に評価されているらしい。

 サザンカの目の前で作った作品も、サザンカは評価してくれた。

 目の前で評価される、というのは本当に嬉しかった。

 このまま評価され続ければいいのだが、こればかりはどうなるかわからなかった。

 今まで作った作品だけがたまたま女神の国の価値観に合致していた、という可能性はある。

 これから先、同じように評価されるものが作れるとは限らないのだ。

 そうなれば、ネモの価値は下がってしまう。

 女神の国から帰されるかもしれないし、帰されれば帝国からも用済みの存在になるだろう。

 数奇な運命にせよ、何かしらの価値を認められたネモが、また何者でもない存在に戻ってしまう。

 不安だった。


 そうなってしまったら、ロイからも失望されるかもしれない。サザンカも自分に対しての興味をなくしていくかもしれない。

 ネモは首を振って考えを振り払った。

 悪い未来を想像してしまうのは自分の悪い癖だと思う。


「ほら、そろそろ着くぞ」


 ロイだ。

 いつの間にか丘の頂上付近まで来ていた。

 ここからは、ゲートが良く見えた。

 ゲートというからには、ネモはその名の通り門を想像していたが、実際のゲートは門とは似ても似つかなかった。

 というかそれは物体ですらなかった。

 丘の頂上には、ぼやけた空間が存在していた。

 小さな小屋くらいの空間が陽炎のように歪んでいた。

 離れた場所からでしか見えないはずの陽炎が、目の前にあるというのはとても奇妙な感じがした。


「ここに入れば空間の狭間に行けるわ」

「女神の国じゃないんですか?」

「そうなんだけど、ここと向こうを繋ぐ通路のような場所があるの。だから、この中でもまだしばらくは歩くわ」


 そこでサザンカは周囲に目を凝らし、


「結局なにも来なかったわね」


 アーキ密教の刺客についてだろう。

 確かにここに来るまでになにもなく、今もなにかが起こる気配はなかった。

 ネモたちの動きの速さが功を奏したのかもしれないし、そもそもあきらめてしまったのかもしれない。


「それはどうかな?」


 ロイが不気味に笑っていた。


「ルク」

「なになになに?」


 呼ばれるとすぐ、ロイの肩のあたりにルクが姿を現した。


「この丘の周囲を索敵してくれ」

「待ってね」


 ルクはしばらく目をつぶって集中しているようであった。


「結界に阻まれて結界の外は無理。中に限って言えばアタシたち以外誰もいなそうよ」

「嬢ちゃん」

「は、はい」


 いきなり呼びかけられて、ネモはビクリと背筋を伸ばした。


「アーキ密教の連中は来ると思うか?」

「え、えと、こうなったら来ないような気もしますけど」

「現状は考えないで直勘で答えてくれ。来そうか、来ないか」

「来る、と思ったんですけど。現状来てないんで……」

「来ると思ったんだな?」

「それは前も言った通りです」

「じゃあ俺は残ろうか」

「え?」

「殿を務めてやるよ」

「でも、来るかわからないですし」

「適当に時間が経ったら俺も後を追うさ。お姉ちゃんもそれでいいよな?」

「私? 私はネモフィ…… ネモの判断に従うわ」

「じゃあそれで。ルクは嬢ちゃんについててやれ」

「アタシも? まあいいけど」


 言ってロイは振り返り丘の下を見た。

 ロイの視線の先には誰もいない。平和そのものの光景だ。

 それでもロイの目は、まだ見えていないものを捉えているような色をしていた。


 ネモはなにか言うべきか迷ったが、なにを言えばいいのかわからなかった。

 結局のところ、ネモがまだ襲ってきそうだと考えたのは、ほとんど勘に過ぎない。

 そもそもネモはそこまで頭が回る方ではないし、どちらかと言えばどんくさい方だ。

 そんなネモが、正確な情報もなしに相手の計画を看破できるはずなどないのだ。

 なんとなくそんな気がする、というところからそれを肯定する筋書きを考えたに過ぎない。

 だから来なくてもなにもおかしくはない。根本は運任せの勘でしかないのだ。

 ネモの勘をここまで信じるロイはいったいなにを考えているのだろうか。

 やはり変な人だと思う。


「じゃあ行きましょうか。準備はいい?」

「だ、大丈夫です」


 サザンカが歪んだ空間に向かって歩く。

 丘の頂上に近づくごとにサザンカの体まで歪んで見え、いつの間にかその姿を消してしまった。


 ネモもそれに習って進み出た。

 多少なり怖さはあったが、今まで自分がいた世界とは全く違った世界に行くという大それたことをするにしては、思ったよりもずっと落ち着いている。

 そんな落ち着きの中で、どこか胸騒ぎがしていた。

 本当に追手が来た場合、たぶんまた戦いになるのだろう。

 だから誰も来ないで、このまま女神の国に行けることをネモは願った。

 もう戦いは嫌だと思った。


 自分がいるせいで、人が死んでいる。

 ネモを迎えに来た帝国の人にしてもそうだし、ネモを狙ったアーキ密教の人間にしてもそうだ。

 そして、これからも誰かが犠牲になるかもしれないのだ。

 もし本当にアーキ密教の人間がネモを追ってきた場合、ロイとアーキ密教の戦いになるのだろう。

 そうなればどちらかが死ぬ。

 ネモが初めて襲われた時、ロイと初めて出会った時に、ロイは「殺し合い」という言葉を使っていた。

 そうなのだろう。

 ネモは戦いというものがまったくわからない。

 だが、それがどちらかの降参で終わったりするものではないというのは理解していた。

 終わりは、必ず誰かの死だ。

 本当の戦いというのは、誰かの死で幕を閉じる。

 自分にそんな価値があるのだろうか、と思ってしまう。

 ネモを巡って誰かが死ぬ。

 すでにもう犠牲者は出ているのだ。

 もしかしたら、ネモが知らない場所でも、ネモが原因で争いが起きている可能性だってある。

 それが、ネモの心の奥底の深い部分に暗い影を落としていた。

 

 ネモは歩く。

 ゲートに向かって。

 女神の国に向かって。


 ネモは女で、十八歳で、平凡というよりもそれ以下の人間だと自分では思っている。

 今も、その考えはあまり変わっていない。

 ロイやサザンカから話を聞いて、理屈では価値を認められているのかもしれないと思っても、心では納得できていない。

 そんな自分のために誰かが死ぬ。

 そんなのは嫌だった。

 自分なんかのために誰かが死ぬならば、いっそ自分が死んでしまった方がいいのでは、という気さえする。

 そう思っても、実際に死ぬのは不可能だ。

 死ぬのは怖かった。

 

 価値があるのかわからない自分のために人が死ぬ。

 ネモができることで、それを解決する術はない。

 

 多分、追手は来るのだろう。

 ネモには不思議な確信があった。


 それを口には出さずにネモは進んだ。


 丘の頂上の歪んだ空間に。

 近づくにつれ、不思議な暖かさに包まれるのを感じた。


 ネモは、ゲートへと足を踏み入れた。

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